白樺樹液あれこれ

雪解けが進んでくると、にわかに存在感を増す「森の恵み」がある。北海道を象徴するような白樺から抽出する樹液。「樹液いかがですかー」とお声がけいただき、いろんな味を楽しませてもらえる。幸せ。

いちばんのおススメはご飯。お水の代わりに樹液を入れて炊くと、艶、張り、みずみずしさ、ふっくら感すべて、いろいろ試した中で最高級だった。水道水じゃなくて天然水にしても、ここまでの違いはなかった。なによりも、口に含んだ最初の瞬間の甘さといったら・・・!

ほかにもいろいろ試してみた。スナックにも白樺樹液を持ち込んで、ウイスキーを割る水の代わりに入れてみた。めちゃ甘い。もともと水割りがそんな好きじゃなくロック派なのもあって、あんまり好みじゃなかった。焼酎にはもっと合うらしいので、早く試さなあかん。



しゃぶしゃぶにも使った。アクが出にくいらしいけど、正直そこまでよく分からなかった。でも、白樺の樹液を使ってしゃぶしゃぶしたお肉は、間違いなくおいしく感じられるわ。あと、コーヒーに入れても甘くなる。

甘さがかなり増すので好き嫌いが分かれるかもしれないけど、とにかくストレートの「一番搾り」を飲んでみるのがおススメかも。加熱して製品化されたものより、とろみと濃さがあって、「あぁ生きてる」と感じられる。この時期しか飲めないので、来シーズン、旭川公園に来てくれた人には振舞えるようにしよう!

白樺樹液を振舞ってくださる、当麻町のとうま振興公社の石黒さん

森からつくる、白樺スツール

豊かな山に囲まれて、年輪の密な北海道ならではの広葉樹が近くにあって、しかも全国的な家具の産地。そんな旭川に来たよそ者がゲストハウスをつくるんだから、自分で森に入って好きな木こりさんに切ってもらい、顔の見える職人さんに加工してもらって、ここだけの家具をつくりたい。そう思って始めたのが、オリジナルスツールづくり。

最初は北海道らしい(業界では高級材として引き合いの多い)ミズナラでやろうと思っていたけど、道立の林産試験場や旭川大学、地元の職人さんたちの間で「白樺プロジェクト」が動き出して、自分もお邪魔しているので、当たり前のように白樺にシフト。なんで白樺に着目しているのかは、またあらためて。

4月10日、ゲストハウス予定地から車で10分くらいの裏山「突哨山」に出撃。国内最大級のカタクリの群生地として有名で、アイヌの聖地でもある。

雪解けが進み、いたるところで小川のように水が流れ、せせらぎの音が気持ちいい。森を少し歩けば、春の装いに変わりつつある「里山部」のフィールドに入った。木こりの清水省吾さんが管理する、とっておきの私有林。

清水さんと一緒に森を歩いて、いちばん「適した」白樺を探す。適したというのは、▼まだ成長の余地がある=価値が大きくなるものはできるだけ切らない▼搬出・散策のための道から近い▼切った時に、周辺の木々に影響を与えない(ほかの木の成長を促す、倒れる原因になる風の影響をできるだけ避ける)▼真っすぐ立って、家具の板に使いやすい――といった条件を満たすかどうか。

何本か見て、きれいに樹皮が残り、樹齢70年くらい、径30センチくらいの立派な個体にたどり着いた。「よし、これでいきましょう」

すると清水さんはひざまずき、アイヌ式のお祈りをして「いただきます」の思いを伝えた。そして倒す方向を吟味する。樹上を何度も見て、周辺の木の生え方を繰り返し見て。ときどき道路で見かける、三脚を立てた測量みたい。

ここできちっと角度を見極めないと、ほかの幹や枝に干渉すると痛めてしまうし、搬出がめちゃくちゃ難しくなる。丁寧に、木と森のことを考えて生かし切るためにも、とっても大切な作業。重機でバサバサっと皆伐するのとはわけが違う。自然への向き合い方が違う。

チェーンソーで「受け口」という三角錐の形の切れ込みを入れ、何度も調整して、最後の一入れで狙い通りに倒す。無駄のない美しい仕事だから簡単そうに見えるけど、アーチェリーで的を射抜くような繊細な作業は、綿密な計算と集中の賜物。完成された仕事は、さらっとやっているように見えてしまうから、これまたすごい。

枝を払って、210センチごとに切って丸太にする。木口(断面)からは樹液があふれている。あぁ、生きてるんだなと。新聞記者時代に取材で入った静岡・天竜の森で、伐採直後の木口が濡れているのに驚いたことを思い出した。

切ってからが大変。環境のために重機を使わない〝漢気〟を身上とする清水さんは当然、人力で運び出す。2mちょっとになった白樺は、その可憐なイメージからは想像できないほど重い。60kgをゆうに超える重量級で、100mもない距離を、何十分もかけて運び出した。雪で足が取られて、丸太も雪でつっかえて、休憩しないとやっていけないほどの重労働。自分も全身バキバキになり、小学校のマラソン大会の後に吐きそうになった記憶がよみがえったわ。腰も逝ってしまいそう・・・。

でも雪解け水をろ過して喉に流し、うず高く積まれた薪を眺め、鳥のさえずりを聞いていると、すごい勢いでこの白樺が愛おしくなってきた。この森で育ち、重機でなくきちんと人の手がかけられた、美しい木肌の白樺。

清水さんは「これは世界で一番、大切にされている白樺です!」と。うん、そうしたい。無駄なく、生かし切りたい。せっかく家具にさせてもらうんだから、お客さんに一目ぼれしてもらって、座って幸せになって、可能なら作り手や生まれた森のことに思いをはせてほしい。小規模だからこそできる、顔の見える、丁寧で、ここにしかないものづくりをしたいなー。

終わってから林道入り口で、軽トラを囲みながら、清水さんと森や白樺プロジェクトについてああでもない、こうでもないとダベる。

北海道のあちこちで森がおかしくなっている。大きなメーカーや行政は森を見ていない。生態系に無理をしない木の使い方ってなに?→持続的に森の恵みをいただくってどういうこと?→森や森を暮らしに落とし込みたいよね→だから北海道ならではの里山だよね→1700種類の動植物に愛される、この里山だからこそできることあるね!

白樺も突哨山も清水さんのスタイルも、ポテンシャルの塊でしかない。

いろんものが詰まった、重い、重い白樺の丸太は、これから乾燥と製材に入っていく。そして、森づくりで有名な岡山県西粟倉村へ旅立つ。西粟倉のチャレンジングな職人集団「ようび」にはサンプルを既に送っていて、「白く美しい木肌。削りたては竹に似た香りですね」と良い手応えをもらっている。旭川に戻ってきたときに、この白樺をどう愛していこう。どう見せよう。ワクワクが止まらない。

ほとばしるエネルギーを感じたくて、十勝で「一年生」になった

旭川で会社を経営している方々とお話ししていると、面白いくらいに「十勝のエネルギーはすごい」と口をそろえる。確かに宿泊施設もおもしろいのが多いし、開拓者精神が強いイメージがある。ずっと気になっていたので、まっさらな目で見ようと、飛び込んでみた。

とかち帯広空港から車で10分のところに、更別村というまちがある。耕地面積は日本随一で、大規模農業を展開していて、高所得の農家さんも多い。人口は3200人。そこに2017年、「十勝さらべつ熱中小学校」ができた。

山形県を皮切りに始まった「大人の社会塾」で、地方創生を進めたい国の後押しを受けて全国に広まった。全国の一流の先生から刺激を受けまくるだけじゃなく、十勝なんかは部活動がめちゃ盛んなことが特筆すべき点。校長の山井太さん(スノーピーク社長)が部長を務める「野遊び部」、自然界のものだけでオリジナルクレヨンをつくる「クレヨン部」、小麦の新品種づくりから始める「ピザ部」とか、おもしろい動きばかり。みなさん、ここでの人の繋がりが好きで、何期も受講してる人が多い。

4月6日に第五期の入学式と特別授業があった。いやぁすごかった。180人超が受講する大所帯で、全国12の熱中小学校のなかで最大なんだとか。半年で22回(平均)の授業があって10,000円とか、もうタダに近いレベル。

更別村長の西山猛さんは挨拶で、「あなたにしかできないことが、ここならできる。人生の扉を開いてください。私は何もしないことが怖いです。変わらないためには、変わらないといけない。失敗してもいいんですよ」と元気はつらつ、呼びかける。月並みだけど少年のような満面の笑みをずっと浮かべてる。かっこいいリーダーだなぁ。

「これからは人づくりだ」と開校の打診を受け、自身も駆け回った西山村長

最初の授業は「道徳」で先生は、勉強を教えない塾を開かれている福田幸志郎さん。小中学校は同級生がいない、一人だけの環境で育った。中学校の教員をへてNPOで活動し、発想を鍛える塾を開業された。

授業は「環境を変えることで発想は広がる。心の国境を越えていき、味方を増やすにはどうするのか」というのが大テーマ。話の展開やテンポが絶妙で、実践するためのワークも負担にならず楽しめた。「物語」を通して自分を伝えていく上で、「現在への共感」「過去への理解」「未来への希望」を意識することが重要なんだとか。あらためて体系的に言われると、なるほど確かに!

2コマ目は「共生」で、地元のでっかい雑穀卸「山本忠信商店」の山本英明社長。歴史を紐解く大切さを説かれ、十勝でなぜ豆の生産・販売が盛んになったのかを紹介し、「農家寄り添って一緒になって作ってきたという誇りがある。社員にもそう思ってほしい」とマシンガントークでお話しされ、圧倒された。ミッションやビジョン、変化に対する仮説立てがいかに大事か、ほんと分かった。数分おきに聞く人を爆笑させるトークも見事すぎて、汗だくになるそのお姿に、パワーを頂かないわけがないわけで。

アツすぎる山本社長

山本社長は、十勝の開拓の祖と言われる依田勉三の生き様にも触れて「十勝人の気質、チャレンジ精神はここから出ているんです。ことごとく失敗しても諦めないでやった」とおっしゃった。なるほど、ここか。官に頼らず、民のパワーの源泉がこういう所にあるのかと。

夜は福田先生や、事務局の亀井秀樹さんや、アイヌのオシャレ極まりないデザイン雑貨を作っている小川基さん(ToyToy)らと飲んで、そのまま配信スタジオで収録。動画見たら顔真っ赤だし、ツマミを嚙み嚙みしてるのがそのまま写ってるし、恥ずかしいことこの上ない。。。かなり酔っぱらっていて、なに言ってたのか全然覚えてない。すべての北海道民にお詫びします。

||| 石黒康太郎さん ///「遊びをつくる」が仕事の当麻人。夢は仕事をつくり、ごちゃまぜの地域をつくること       

1980年、札幌市生まれ。福祉の道に入ろうと進んだ大学で、障害ある人を支える楽しさを知り、当麻町の施設で11年間、利用者と一緒に過ごしてきた。縁あって当麻町の振興公社に入り、まちづくりの世界へ。「これ、いけんじゃない?」「じゃあやりましょう」。スノーハイクやスノーシュー、鍾乳洞ナイトツアー…と矢継ぎ早に企画を打ち出し、やってみるという仕事を繰り返している。ただ自身は大きな「課題」を抱え、実現したいとっておきの「企画」を秘めているらしい。

高校3年の時、祖母が病気になり、ヘルパーが自宅に来るようになって高齢者福祉に興味をもった。道内の医療系の大学で実習に参加したが、コストや手間を惜しむことばかりが優先されていることに反発し、意見をして煙たがられた。紹介を受けて札幌で障害者ボランティアを始め、「こんな楽しい仕事をなんで知らなかったんだろう」と衝撃を受けた。施設で当直をして、明けてから授業に行くという生活を送った。

喜怒哀楽がストレートで、自分の感情に素直。自己防衛本能が強い。普段との些細な変化に気が付き、手を差し伸べる人もいる。「障害を持っている人にはかなわない。だから一緒に過ごしたい、働きたい」。そう思うようになり、卒業して2日後から当麻町の施設で働いた。

東日本大震災が発生し、北海道庁から派遣されて岩手県山田町の障害者支援施設でサポートした。「家族の助けがない利用者にとって、頼れるのは職員しかいない」と痛感。下の子どもが生まれたばかりだったが、自分の家族には「大きな震災があったら、みんなを置いて施設にいくから」と決意を伝えた。

年末年始に寄る辺のない利用者がいたら、一緒に年越しをした。帰省しだしたほかの利用者の動きが気になって調子を崩していた人も、妻の実家に招いて同じ時間を過ごすと、穏やかになっていくのが分かった。「この仕事をやってて良かった」と思えた。休みの日はバーベキューをしたり、屋久島に旅行に行ったりと、利用者第一の仕事をした。周囲からは「公私混同だ」と批判もあったが、意に介さなかった。

「『護ろう』という意味がある『介護』ではなくて、できることや得意なことをどう増やすかの『支援』。どうすればできるようになるか、という発想が大事で、行動や人生の選択肢は多いほうがいい」と言う。

当麻町に越してきてから、地域のイベントや団体の集まりには極力顔を出すようにしていた。地元の人が「見どころがない。なにもない。面白くない」と言うのならばと、面白いモノやコトを見つけようとした。人脈も広がっていき、人材の宝庫で、すぐに動けるコンパクトさがある当麻がどんどん好きになっていった。

2016年7月には「とうま振興公社」に転じ、20本近くの企画を放ってきた。「こういうのやりたいんだけど。これいけるんじゃない?」と言えば、周りから「だったらこうしたら?」とすぐボールが返ってきて、組織内で調整してすぐ試し、振り返って報告する。それをルーチンワークにしてきた。「自分が楽しいと思ったことを信じてやってきた。全部遊びから、新しい企画がうまれる。子どもの発想をもったおっさんの集まりなんですよ」とトレードマークの髭をさする。

実際のツアーやイベントでは、アウトドア全般の知識をフル稼働させて、子どもでは考えつかないようなリスク管理から、参加しやすい仕掛けまで手がける。雪上テントや、大樹のそばで、得意のコーヒーをいれて楽しませる。

地域づくりでは、「ごちゃまぜ」が一番いいと考えている。小さい町だからこそ町役場や公社、民間が垣根を越え、当麻以外の地域の人たちも巻き込んで一緒に動く。そして、それぞれの役割を認識し、意見をぶつけ合う。当麻町のまちづくりに関わって、初めて「強いチームってこういうことなんだ」と分かったという。

ごちゃまぜの地域をつくるには、障害のある人が楽しみ、力を発揮できる場所が必要だ。「例えば大雪山系の旭岳に登ろうと思ったら、それなりの準備やリスク管理がいる。でも当麻なら、もっと気軽に行けるフィールドがある。その時に、車いすを押すような仕事を障害のある人にやってもらうこともできる。当たり前に一般就労ができるようにしたい。障害を持っている人もない人も地域で仕事ができて、楽しく生活できるような町にしたい」

大学3年のとき、ボランティアで親しくなった障害のある女性が妊娠し、周囲から出産に猛反対されることがあった。「あたしと石黒と、何が違うの?」 そう聞かれた場面が、ずっと頭に焼き付いている。「生涯の課題。まだ答えを探してるんです」。全力で遊び、楽しんだ先の当麻にこそ、見つかるような気がしている。

森から始める家具づくり、はじまりました

ふだんお世話になっている、マニアックな住宅や店舗を手がけている㈱会社アーケンの藤原社長の企画で、新元号「令和」が発表された日に、旭川北部の江丹別に行ってきた。

江丹別といえば、「世界一の村」を本気で実現すべく飛び回る、ブルーチーズで有名な伊勢ファームの伊勢昇平さんの暮らすところ。伊勢さんはどんどん移住者を増やしていて、冬は旭川で一番寒いところなのに、最強にアツいというのはよく知られているはなし。

その伊勢さんの森に入って、地元で新築される建物に使うシラカバ材を切って、人力で搬出しようというのが今回の企画。藤原社長や、毎度おなじみの木こりの清水省吾さんとは極秘の「シラカバプロジェクト」でもご一緒していて、その一環としてもマストイベントだった。

4月1日というのに朝の気温はマイナス10度くらい。7時に雪に覆われた牧草地に集合して結団・出陣式。藤原社長は「建築や家具はどこのものを使っているのか、なかなか見えにくい。でもそれをアピールしていきたい」と挨拶された。 食べるもの、特に野菜とかお米、魚なんかはどこの誰が作った・獲ったものか気にする人が増えてきたけど、林産物はそうじゃない。でもこれってやっぱり、変だなと思う。

「木は口に入れるものじゃないから」と言う人もいるけど、これほど人間の暮らしに密接な資源で、これなしに生きていくことは不可能で、持続可能性を考えたら木質資源を効率的・合理的に活用せずに地球を延命させることはできないのに。

「自伐型林業」を〝漢気〟で展開する清水さんのスタイルもまさに同じことだし、「顔の見える、ここにしかないもの」を繋いでいくことが使命の旭川ゲストハウスとしても、ドストライクな考え方。

今回のイベントでは、家具職人や旭川大の学生さんやハンター、札幌や旭川の設計士さん、木こり見習いなど、めっちゃ幅広い顔ぶれの25人が参加。みんな、顔のみえるものづくりをそれぞれの分野で実現したいと考えているアツい方々ばかりだった。

みんなで手分けして伊勢さんの森に入り、まっすぐ伸びて6mくらいあるシラカバがないか、探し回る。いくつか候補を上げて、いざ選定。太さ、周囲の木々とのバランス、風の通りの見極めなどなど清水さんや藤原さんらが意見を出し合って、一本に決めた。

樹齢60年くらいで、径が40センチ弱もある大木。あと十年もしたら寿命を迎えるであろうこの木に寄り添い、清水さんは「木こりとしては腐らせたら負け。切らせてもらっても森への影響は大きくなさそうで、あと十年は生きる命だったとしても、大事に生かすことにしましょう」と参加者に呼びかけて作業に入った。

まずは2m弱積もっていた、根本近くの雪を掻きまくった。準備ができると、清水さんがアイヌ式の祈りで「いただきます」を唱え、その巨大な窪地に入り込んで、切り込みを入れていく。1ミリの狂いが、木の頭が着地する場所で1~2mのずれにつながる繊細な仕事。なんども目視で角度を確認する。少しずつチェーンソーの刃を差し込んで、クサビを打ち込む。木こり見習いのメンズ2人に向けて「あらゆる危険を想定する。『かもしれない』でやらないと、命を落とすから」と実地指導しながら。そして最後の一伐りで、狙い通りの角度で倒した。沸き起こる完成と拍手。清水さんはハイテンションんでガッツポーズをした。命をかけた緊張から解き放たれて、全員で「収穫」を喜ぶ。

木の命をいただく、まさに「収穫」の瞬間。ここから見て、ここでしかできない家具をつくれるとしたら、これ以上のものづくりはないんだろうなーと思う。施主は一人だとしても、それを今回みたいにみんなでシェアすることで、木や林産物への接し方も変わってくる。

伐って終わりとか、使うだけとか、そんな次元ではなく、「上流」と「下流」、木こりから製材、メーカー、販売者まで一本につながる素晴らしさ。この体験やものづくりをこそ、見せていきたいし、売っていきたい。豊かな資源があって、プレイヤーがうじゃうじゃいて、適度にくすぶっていて。その旭川だからこそできることっていっぱいある。

終了後は、伊勢さんや江丹別の「あらかわ牧場」、まちなかの「ジャパチーズ」の超絶おいしいチーズをたらふく乗せたピザをみんなでいただく。そしてみんなで、森づくり、地域づくりの可能性をかみしめたのでした。ごちそうさまでした!幸せ。

晴れて個人事業主に

3月29日、旭川東税務署に開業届を提出しました。北海道庁のビジネスグランプリ(https://actnow.jp/project/asahikawa/detail)でお世話になっている関係で、年度内ギリギリというタイミングに。着工すらできていないけど、書面上は開業したということになった。

噂には聞いていたけど、開業届じたいは手続きはめちゃくちゃ簡単。氏名・住所や事業概要を書くだけ。あとは、青色申告や専従者給与(わが家の場合は給料の支払先は妻)とかの申請書を添えるだけ。枚数は控えを含めても10枚。書き方が分からなければ、丁寧に職員さんが教えてくれるので、窓口で15分くらいで済んでしまう。

とはいっても、軽いものではないので、開業にあたって誓いを4つ立てた。①目標と達成時期を定める ②寝落ち(NEOCHI)を未然に防ぐ ③人に会いまくる ④週に一度はスナックに行く というもの。

③と④はなんとかなっている気がする。①もやる気になればなんとかなる。ちょっとずつ、やることをまとめています。でも最大の難関は、なんといっても②の寝落ち。

子ども3人は基本的に「ママと寝たい」と騒ぐので、任せてしまって、自分がコーヒーを飲んで音楽を聴いたら、そこまで問題はない。でもたまに「パパ、寝よっ」と甘い言葉をかけられると、断りきれずにベッドイン。「ひょっとしたら・・・。いやでも、こんだけコーヒー飲んだし、やることいっぱいあるし、まさかね」と自分に言い聞かせて子どもの頭をさするのであります。 

これも不思議と波がって、体調がいいときは大丈夫だし、ダメなときはダメ。気持ちを強く持っているつもりでも朝5時になってしまう。それは自覚しているけど、開業したからには!と3月29日に決意した。

この29日はとても良かった。子どもに誘われなかったし、GLAYとLUNA SEAとYouTubeの力を借りて脳みそを元気にして朝3時半まで集中力が持続した。「この調子!」と勢いづいたけど、30日は夜8時半に次男の歯磨きをしてそのまま拉致され、朝5時前、外が白んでいるのに気が付いた。こんなんじゃ経営者になれないな~と反省を繰り返し、心は晴れないけれども、このページに救われている。

何度も見返そう。寝落ちとの闘いは続く。

家具の生い立ちが分かったなら

旭川は家具のまち。日本五大家具産地の一つ。特徴はいろいろあるけれど、デザイン性の高さがよく言われる。で、そのデザインがなぜ生まれるのかっていうところが面白いわけで。

ADW2019のプレスリリース

世界中のデザイナーと組む国際コンペ(IFDA)や、ADW(旭川デザインウィーク)という家具の祭典もある。家具とデザインを取り巻く、いろんな仕掛けやきっかけが転がってる。その中でも、自分がすごく興味が引かれてきたのが、「旭川木工コミュニティキャンプ(AMCC)」なるイベント。

AMCCホームページより

「木工と中心とする『ものづくり』にかかわる人が集まり、楽しく交流しながら、これからの時代の、新たな動きを生み出す土壌となる場」(HPより)。2009年にスタート。2019年は、今後のことをじっくり考えるために一呼吸おいて、短縮(濃縮)版を開くらしい。特に面白いなと思うのは、木工にかかわる多様な担い手が混じりあうこと。「『つくる人』『かんがえる人』『うる人』『つたえる人』『つかう人』など、ものづくりに関わる人が集まり、木工の現場を見学し、自然とふれあい、夜は、酒を飲みながら本音で、現実と夢を語り合う」(HPより)こと。本州からもたくさん思いのある人がやってきて、化学反応が起こらないわけがないわけで。最高。

これまでのAMCCはこの目で見れてないので引用情報ばっかりになってしまうけど、その化学反応をまざまざと見せつけられたのは、旭川家具のメーカー「メーベルトーコー」さんの商品を見てから。

最初に見たのは、2018年11月の「IFFT(インテリアライフ・リビング)」という国際展示会で、2回目は2019年3月29日にメーベルトーコーさんのショールームで。

104(天使)プロジェクト」というそうで、AMCCに参加した人の中で、端材や間伐材を使って家具をつくるというもの。メーベルトーコーさんの場合は、「人類進化ベッド」をつくるときに出た端材(道産カラマツ合板)を活用している。座面はRのついたものやフラットもあってさまざまだけど、脚はステンレスで人力で取り外し・付け替えもできる。それこそ飲みながらというか、雑談の中で生まれた商品らしい。

ビッグサイトではなくて地元の永山で妻・茜と一緒に見てみても、やっぱり「これいいなー」と完全一致。旭川公園ゲストハウスの公園(広場)部分にピッタリなのは間違いない。映画観賞会とかの時に、ベンチ状のこれを並べてみたい。

すべてがそう、というわけではないけど、商品が生まれた背景やきっかけをちょっとかじっただけで、思わず「ほしい」となるものっていっぱいある。ずっと言われているストーリーの大切さってことなんだろうけど、このベンチチェアーは真剣に欲しい! 思いやストーリーのある家具を、旭川公園にたくさん置きたい。そうすれば、ひょっとしたら、家具に興味なかった人でも作り手や森に興味が沸くかもしれないし。

ちなみに、メーベルトーコーさんの商品で旭川公園に置かせてもらうものが決まっているのは、「ハーフチェア」なるかっこいいやつ。

なんと、北海道の小学校英語情報誌「自分の町紹介資料集」という教科書の副読本みたいな本に取り上げられてる。しかも四季彩の丘(美瑛)の下、旭山動物園の右下。旭川家具の代表として。これは誇らしい。2脚のハーフチェアを導入するので、これについてはあらためて!

前向きで「全部ある」当麻町

移住に向けて旭川や周りの町を調べはじめるまで、失礼ながら当麻町という存在は知らなかった。旭川の東隣にある、人口6500人くらいの小さなまち。東川町のような知名度はないけど、地域づくりに熱心な人たちはみんな「最近、当麻が熱い」「当麻におもしろい人が集まってる」と口をそろえる。100%正しい!

町産材を使ったら数百万円の補助があったり移住・起業支援に熱いので、当麻はどうだろうかと検討したこともある。けっきょく、「旭川公園ゲストハウス」は旭川市内になったけど、ほとんど当麻と言える場所に落ち着いた。旭川市中心部までは車で20~30分かかるけど、当麻の中心部なら10分。だから当麻とおもしろいことやりたいな~と思い続けて、気づけば、おもしろいくらいいろんなご縁をいただいている。

地域おこし協力隊の原弘治さんは山に「IKAUSI CLASS」という自分のフィールドを持っていて、ツリーハウスづくりをずっとされている。凄腕の家具職人でもある。同じ協力隊の石黒康太郎さんは障害者福祉のスペシャリストで、いろんな野外遊びとイベントを企画してる。「山のバリスタ」でもある。役場職員にもカリスマ的な人がいらっしゃるし、菊川町長は気さくで、センスがあって、いい意味で前のめり。

ちなみに当麻町の新庁舎は平屋で、100%町産のカラマツ材を使っている。町長はご自身の家を建てたときに、「この木はカナダかな、ニュージーランドかなって思うと寂しくなっちゃって。せっかく見えるところに山があるんだから、それを使おう」と考えたのをきっかけに、町産材をどんどん使う施策を打ったらしい。それをご本人から聞いたときに、ちょっとドキっとしたわ。嬉しくて。

この冬は雪の上に作ったテントで夜を明かす「スノーキャンプ」とか、スノーシューで星明かりの下、樹齢1000年のイチイの木に会いに行く「スノーハイク」とか、トライアル的なアクティビティにお招きいただいてめっちゃ楽しませてもらった。「おもしろそう、それやるしかないっしょー」っていうノリがあって、どんどんアイデアがあふれ出てくる。それが今の当麻町。お世話になっている政策金融公庫の担当者さんも「いま本当に当麻は前向きな自治体になっていますよね」とおっしゃっていた。知ってる人は知っている。

<スノーキャンプのようす>

<スノーハイクのようす>

地元だけじゃなくて、都会から見てもそう。3月27日に「全部ある当麻町プロジェクト」の打ち上げがあって、東京のIT系の方や、地方創生系の方々とジンギスカンを囲みまして。その席で「これだけ地域資源があるのは珍しい」「旭川の周辺でも飛びぬけて面白くなってきた」「かなり先進的に発信をしてますねー」と皆さん、すっかり当麻ファン。

打ち上げには、不作だった昨年も道内で貴重なSランクの「ゆめぴりか」を生産している(しかもめちゃお手頃!)農家さんや、移住してトマト苦手でも飲めるジュース(自分が言うので間違いない)を作っている新規就農者さんもいて、おもしろい人の層が厚いのがすごい。けっきょく当麻の魅力は人の魅力。そんな、人に会いに行きたくなる拠点を「旭川公園」でつくりたい!

納屋だらけ、宝だらけ、な旭川

北国には、冬しかできないことがたくさんある。スポーツやアウトドアはもちろんだけど、夏はヒグマが出没する山の奥深くに入って管理したり、雪で滑らせて丸太を引っ張ったり。そして、これは移住前に想像はつかなかったけど、「雪が解けたら解体するんで」っていうケースがちらほらあった。中には、「リノベーションしてみない?」とお声がけいただいたケースも。

解体というのは、もう倒壊しかけの納屋や無人になった家屋のこと。郊外の農村地帯を車を流せばすぐ分かるけれど、本当に空き家が多い。しかも既に崩れ始めているものが。だから、冬の間にしっかり業者さんに見積もりしてもらって、雪解けとともにできるだけ早くに取り壊してしまいたい、という方がけっこういらっしゃる。

ということで、よくお世話いただいている方にこのシーズン2回、納屋を見学させてもらった。一つは、元農協組合長の納屋で、馬を飼っていたところ。上野ファームさんのすぐ裏で、ロケーションがいい。いろんな器具がそのまま放置されていたけど、内張りの板が味を出していた。

もう一つは、当麻町の道の駅そばにある、けっこうな大きさの納屋。収穫したお米を乾燥させるための風見鶏がキャッチーでかわいい。10m超の太くて長い梁が特徴で、住宅メーカーさんが「壊して捨てるのは忍びない」ということで、情報が回ってきたらしい。移築するのがいいのか、ここでリノベーションんしてカフェや雑貨を始める人を探すのがいいのか。2回お邪魔したけど、実に悩ましい、素晴らしい材が使われている物件で。2回目に同行してくれた、「旭川公園ゲストハウス」を施工してくださる「yomogiya」さんこと中村直弘さんは「宝の山ですね」と大絶賛していた。すぐに答えは見つからなかったけど、なんらかの形で生かしたいなぁ。

ちなみに一軒目をご案内くださった花卉農家の千代圭さんには、スキーやソリといった冬の必需品のご案内までいただきました。ありがとうございます!! スキーも古材も大切にします。