「かつての公園」を、まだまだ諦めきれない

なんで土地を手に入れるのが難しいんだろう。
せっかく壁に直面しているので、ちょっと考えてみた。
たぶん理由は2つある。

①売りに出されていない地面を買おうとしてるから。
②だって土地は「人」が関わるものだから

①は文字通り。所有者の割り出し、譲ってくれるかの意思確認、値段交渉・・・。ぜんぶ素人が、一人でやらないといけない。

なので②について思うところを。

5月アタマの時点では、旭川のゲストハウス候補地に目を付けた区画の角地は、そんな苦労せず買えるんじゃ?と甘く考えていた。
地元の不動産屋さんに聞いても、ここは「売りに出しても売れないから」という理由で、売りに出る土地がそもそも少ないんだとか。
なんで安いのかは知らない。素敵な場所なので、こっちにしてみればラッキーでしかない。

でも安いから、高いから、長年使われていないから、というポイントでしか考えてなかった。
「土地はいろいろあるぞー」と言われ、デリケートだと知ったかぶりをしていても、開拓使が置かれてまだ150年の北海道だし、なんとかなる気がしてた。

ところがどっこい。
そんなもんじゃないってことに気付くのに、2ヶ月かかってしまったわ。

角地の1つを不動産屋さんに当たってもらったところ、はじめは親族の方から「売る方向で」とお話しがあったが、その後は連絡がつかなくなった
所有者は施設に入っていらっしゃる、高齢の方。業者さんと同様に、「親族の中でまとまらなかったのでは」、と推測している。
まあよくある話だし、引っかき回すのは本意ではなかったし。すぐ、次に進めた。

そして、もう一つの角地の経緯については、直前のブログの通り
所有者一人の考えだけでは、いかんともしがたいっていうケースに、またもや直面するなんて。

当たり前だけど、土地は買った人がいて、使う人が複数に及び、相続もされる。時間がたつほどに、関係する人が増えてくる。
売りに出されていない土地が簡単に手に入ると思ったのが、甘かった。

その反面、、所有者をなんとか辿れただけでもマシな方なかーと思う。

空き家問題はけっこうクローズアップされているけど、土地についても同じ問題がある。
所有者不明の土地がこれから、どんどん社会問題化していく。
地方からの人口流出、高齢化、人口減少。こんな、言い尽くされた状況が、所有者の把握を難しくしている。

6月上旬には、知事の判断で10年間は公益目的の使用や、取得手続きの簡素化ができる特措法が成立した。
「土地放棄制度」や、戸籍と登記簿との連動を検討する方針も打ち出された。
土地問題に後手後手だった国も、ようやく重い腰を上げないといけない状況に追い込まれたってことだろうなー。

でも、だからこそ余計に、この区画にこだわりたい。

所有者が本当に不明なら(特措法は別にすると)お手上げだけど、ここは違う。
未活用だった土地を使って、町内会が「ちびっこ広場」なる公園をつくっていた歴史がある。
子どもの声が響いていた、地域の記憶が詰まっている場所。そこにまた〝公園〟をつくれたら、文句なしに素敵でしょ!

この区画は、ホント雰囲気がしっくりくる。
ドラえもんに出てくるような、土管が似合う空き地。
そこに子どものハートと脳みそをくすぐるような、地元の材を使った遊び道具を添えたい。
おじいちゃんが散歩ついでに立ち寄って、座ってコーヒーを飲んで。
週末は時々、ママたちが、暮らしを豊かにするワークショップを楽しみにきて。

そんな〝公園〟があったらいい。そんでもって、その管理棟で暮らしたい。

ベースとなってるイメージは、実は千葉市にありまして。
「HELLO! GARDEN」というプロジェクト。
角地の空き地で、「小さな屋外喫茶」や、小さな農園「実験ガーデン」、「日替わり本棚」などを展開してる。
小屋(タイニーハウス)を使った「映画館」もある。
一度現地を見に行ったけど、雰囲気、色使い(自分が学生時代「イエロー」と言われてたので、黄色は欠かせない)ともに、まさにドンピシャすぎてびっくり。

千葉市にある「HELLO! GARDEN」で使われている空き地。子どもは自然と走り出す

旭川の公園ゲストハウスでも、コーヒーとか焼き菓子、極小農園は必須。
読書や宿題ができる机も並べたい。
冬は「かまくら」か雪室になる、木製ジャングルジムを置きたい。
大雪山の伏流水を汲む井戸と、その隣には薪を使ったキャンプファイヤーを・・・。

あかん、また妄想だけが膨らんできた。
まずは土地をしっかり固めないと。うん。

今週末もしっかり感じてこよ。

またもや躓いた、旭川の公園ゲストハウス

こないだの日曜日(6月24日)、ゲストハウス予定地の地権者さんとついにお話しすることができて、めちゃ感触がよかったので、ついに計画が進むかー!と期待はどんどん膨らんでいった。土地がイケる、という前提で暖房の検討(薪ストーブにするか、ペレットストーブにするか、ボイラーにするか)とかも月曜、火曜とやってきた。

そして水曜。地権者さんに意思確認の電話をする日を迎えた。もう前日からドキドキして、たまらなかった。不安よりも高揚感。いまの予定地の区画に限ってみても、地権者さんとの接触や割り出しに2ヶ月かけてたので、これまでで一番大きなターニングポイント。

宿直明けに部屋にこもってスマホを握りしめる。意を決して、日曜にメモした電話番号の数字をタップする。

「静岡県の松本です。日曜は突然すみませんでした、ご丁寧にありがとうございました。ご子息と昨日お電話をされるというお話でしたが、いかがでしたか?」

所有者の女性は落ち着いた口調で返す。

「(電話は)来ましたよ。なんかね、考えてることがあるから、『売らないでほしい』って言ってました」

あれ。え?

「あ、そうなんですね。何かされる予定なんでしょうか」と返すのがやっとで、情けないことに頭がフリーズ気味に。この後、どんな言葉を継いだのか覚えてないけれど、「またよろしくお願いします」と開き直ったように電話を終えた。

日曜は60分話し込んだけど、この日は56秒で終わった。

この後はちょうど、浜松市内でデザイナーさんや建築屋さん、設計士さん、公民連携の仕掛け人でつくるチームと打ち合わせ。進捗は伝えていたので、「うえ〜い!」と計画をスピードアップさせる場になるはずだったけど、一転してどよよ〜んとした空気が漂う。そして、やっぱりもう一押ししてみようとなり、再び地権者の女性に電話した。

浜松城公園のベンチに座って、深呼吸して、発信履歴をたどる。3コールくらいで出てくれた。

息子さんのお考えが第一なことは理解しているが、せめてお手紙をだすか、お話をしてこちらの思いをお伝えしたい。そうしないと諦めきれないー。

そんな話をしたけれど、女性は「中身は知らないけど息子はなにか考えているみたいだし、そんな話には応じることはない。もうやめてほしい。ご縁がなかったんですから」と取り付く島もない感じだった。

日曜の話では、息子さんはこの土地に一切興味を示さず、千葉に長くいて、地元に帰ってくる予定もない。女性は昭和40年代に、息子さんのためにと新聞広告で土地を買い、現地を一度も見たことがないくらいだった。なので、売ってくれるんじゃないかなーと甘く考えてた。

一方で、もし自分がこの息子さんの立場だったらと思うと、まぁそりゃそうなるよね、とも。母親が詐欺とかで騙されてるんじゃないかなと勘ぐるよね、と。息子さんはこの女性に、電話は留守電にしておいて相手が分かってから出るように、と普段からアドバイスしているくらいで、自分が警戒されているのは間違いないと思う。

さてどうしたものか。

地元の子どもも集まるコミュニティーとしての〝公園〟をつくろうとしていたので、この区画が数年前まで町内会の公園(ちびっこ広場)だった歴史を知って、勝手に運命感じてたし、そう簡単に諦めきれない。

道は三つ。

一つは、息子さんに接触することを目指し、時間をかけて地権者さんとコミュニケーションすること。何がなんでも、このベストの角地(350㎡)にこだわるパターン。

二つ目は、同じ区画の中で、売りに出されている土地(300㎡)をとりあえず買って住み、ゲストハウスと〝公園〟を作り、実際に見せて理解を得て行くパターン。今後のことを考えて、住宅のコンテナハウス、ゲストハウスの小屋(タイニーハウス)ともに動かすことはできるので。ただ角地じゃないし、半分はアパートと住宅に挟まれてる。万一、隣にアパートでも建ったら無価値になるリスクをはらむ。

三つ目は、まったく別の区画を新たに探す。コンセプトから作りなおす。これまでもだいぶ、旭川市外も含めて見てきてはいるけど・・・

立地は妥協してはいけない。それは大前提なのは分かっているつもり。ただ小さく産んで、大きく育てる考え方もある。今の区画も、この半年で三ヶ所目の候補だし、今ならここにたどり着くためにこれまでの二ヶ所がポシャったんだと思える。だから次に進むと、別のベストかベターが見つかるかもしれない。でも時間をかけて進む保証はない。なにより、公園だった地域の記憶はなんとしても生かしたい・・・

これまでのハードルとは異次元で、また躓いてしまった。退職の意思は伝えている。遠くないうちに退職時期も示さないといけない。10月から雪は降り始める。

焦ってはいけない、でも前に進みたい。

ブログを書いていていると、娘がひょっこり起きてきた。ふらふらと歩き、すぐに躓くように眠りこけた。朝になったら、また元気いっぱいなんだろな

 

人とつながる旭川一泊の旅⑨ 〆の公園研究

旭山動物園の閉園が夕方の5時15分。夏期でもけっこう早いなぁと思いつつ、蛍の光が流れては、もう抗う気力もしぼんでしまうので、ゲートに向かう。

帰りの飛行機は旭川空港から、夜7時35分の便。早めにいけば、前後でしか取れなかった座席を調整できるかもしれないと聞いていたので、1時間半前に着くとしても、まだ時間はある。

ということで、また予定地のある永山地区に戻った。ちょうど十分、エクストレイルを走らせると、北海道庁の出先機関・上川総合振興局や永山小中学校、永山神社のある中心部に着いた。ここに、永山中央公園がある。

スケボーの練習に使うような台や、しゃれた色合いのブランコが見えて、気になっていた。こちらもゲストハウスの敷地内に〝公園〟をつくろうとしているので、ライバルを研究しておかなきゃと。

目を引いたのは、小高い丘に連なる謎の滑り台。断面は土管を上下で切断したようなU字型で、頂上には土管が置かれている。滑り面には緑色のブツブツがあるシートが敷かれている。段ボールかなにかで滑るのかしら?

アスレチック遊具では、京都の真っ赤な鳥居を連想させるデザインの、ロの字の木枠を重ねた渡り通路や、チップが敷かれた地下室チックな空間が印象的だった。なかなかに個性的だわ。

低学年の子どもより、高学年や中学生の姿が多い。だだっ広い巨大な敷地で、キャッチボールの練習をしている選手もいるので、幅広い層の子どもに使われてる。なかなかに強敵だわ。

自分も〝公園〟をつくる以上、こことかぶらない形で遊び道具や仕組みをつくらないと。。。と考えながら、まだまだ遊びたいとごねる次男を引っ張って、空港方面に舞い戻ることにした。

高校3年以来の旭川空港。レンタカーの事務所は隣接していて、歩いて1,2分くらいの感じ。レンタカー会社の事務所が離れたところにある新千歳空港とかと違って、送迎のときのタイムロスを考えなくてもいいし、精神衛生上、やっぱコンパクトなものにはかなわないと痛感。

やっとビールを飲める。土産店で迷わずサッポロクラシックを選び、保安検査場の行列を見ながら一気に飲み干した。シートベルトを締めてすぐ次男は機嫌が悪くなり、離陸して10分とたたないうちに意識を失った。おそらくそれから10分としないうちに、自分も一時的に記憶を失った。

着陸は21時20分。それから5分以上、駐機場までウロチョロ。運良く前から3列目に座っていたので、眠ったままの次男を抱いて猛ダッシュ。500mくらい走り、21時41分の京急電車に間に合った。人は多いし、でかいから汗だくになる。暮らしも空港も、小さいに越したことないわ。

品川駅で10分しか乗り換え時間がないのでまたダッシュ。まったく起きず。最終の名古屋行き「ひかり」は自由席満席で立ち客ゾロゾロ。新横浜の直前で、おにいさんが「次で降りますので」と席を譲ってくれて、疲れが一気に吹き飛ぶ思いだった。最敬礼。この後も次男は寝続け、23時半に自宅に帰っても起きないまま。無理をさせてごめん。そして静岡麦酒の缶ビールを開けると、あのお兄さんが本当に新横で下りたのかか、気になりだした。(おわり)

 

人とつながる旭川一泊の旅⑧ 納得の動物園

こっちを向いてあいさつしてくれる。次男はペンギンの虜になり、帰宅後もぬいぐるみと寝てる

「屯田の里」から15分かからないくらいで、旭山動物園の正門に到着した。懐かしい門だなぁ。これまで何度も旭川に来てるけど、子どもは初めて。自分も大学生以来だから、10年以上ぶりになる。ゲストハウスを旭川でやろうと思い立ってから、旭山動物園のことはあらためて気になってたので、ちょうどよかったー。

ペンギン、アザラシ、シロクマ、ヒグマ、トラ、カバ、キリンと、全部は無理だったけど主要なところを見て回った。

ペンギン館では泳ぐところ、歩くところ、食べるところと、いろんな角度から観察できたし、手書きのポップで豆知識を仕入れることができた。

アザラシ館だと縦長の円筒形の水槽を気持ちよさそうにすり抜ける行動展示が一番人気で、人だかりができていた。外国のお客さんも満面の笑みでスマホを向けていた。

キリンのところでは、キリンを囲むようにスロープが整備されていて、上から下からなめるように楽しめる。この動線がすごいなー。上の方では、柵から1メートルもない場所までキリンの顔が伸びて、草を食べてるのを真近に見られる。

周りのお客さは「近っ!!」って驚いていたけど、この近さが売りなんだろう、と思った。行動展示をやってることで有名だけど、思わず時間をかけて近くで見てしまうから、楽しいし、動物に興味がわいてくる。

別の女性2人組みは「うわ、下まつげ、長っ!!」と声を上げていた。まつ毛の長さは女性は意識するとこなんだろけど、なかなか普通の動物園だと、ここまで分からない。下から見るだけのキリンの可愛らしさと、目の前でみる瞳の愛らしさは、比べ物にならないわね。

雪のないこの時期、旭川じゃないとできない要素がいっぱいある、とは正直思ってなかった。別に旭川じゃなくても見れる動物が多いでしょ、と。やっぱり廃園間近の園が奇跡の復活を遂げたストーリーと、画期的な行動展示が、メディアで国内外に伝わった効果が大きいんだろうと思ってた。

でも園内を一通り見てみて、明らかに他と違うのは、スタッフの皆さんがすごく楽しそうにしてること。「こんにちはー」の挨拶ひとつ、車椅子用の車両を運転している人の手の振り方一つから、楽しませようという意識が伝わってくる。行動展示にしても、旭山の真似をしてやった俄か対策とは違って、ブレがないし徹底してる。多言語表記も充実してる。前に書いた、蒲郡水族館にも見比べに行きたい。

旭山の来園者数はピークアウトして一時期の勢いがないのは当然にしても、今なお、最北の小さな動物園が人気をキープしてるのは、やっぱりすごい。   (つづく)

人とつながる旭川一泊の旅⑦ 一平のライバル出現

ゲストハウス予定地の土地を所有している女性が、杖をついてわざわざ道路まで出てきてくださり、次男に「また遊びにきてね〜!」と見送ってくれた。

心がポカポカして満たされたけど、もうお昼の2時。1時間もお邪魔しちゃってたんだなあ。緊張が解けたせいか腹が減り、早くお昼ご飯を食べようと、永山の予定地の方面にエクストレイルを走らせる。

予定地周辺で、もうちょっと地取り(聞き込み)をやろうと思ったいたんだけども、頑張ってくれた次男にお礼をしないといけないと思い、「動物園行く?」と提案。大喜びで、ラーメンを食べてから旭川動物園に行くことになった。

道すがら、永山地区が発祥で本店のある、三葉製菓の「北かり」へ。昭和6年創業、道産食材にこだわった、かりんとう専門店。しこたま、かりんとうを土産に買い込んだ。

お昼は、予定地近くにある味噌ラーメンの「よし乃」。自分はみそバター、次男は醤油のお子さまラーメンを注文。チェーン店なので、すごい期待していたわけじゃなかったけど、みそが濃厚だけどほんのり優しく、麺とよく合い、バターとの相性も抜群。ゴールデンウイークに行った千歳市の「味の一平」のうまさにもびっくりしたけど、ここもめちゃ美味。2日にいっぺんは食べたい。すごいボリュームだったけど。ご主人やお母さんがたもめちゃ優しい雰囲気で、再訪必至。

みそバターラーメン 800円

食べ終わり、屯田兵の時代からの自給的な作り方が引き継がれているミソや醤油の店「屯田の里」に寄ったけど、あいにく日曜の午後はお休み。ゲストハウス予定地から自転車ですぐの距離だし、また来ればいいか。この時すでに午後3時40分。動物園は最終入園が4時なので、急いで向かう。

人とつながる旭川一泊の旅⑥ ついに所有者さんに!

予定地から12キロ離れた、ゲストハウス予定地の所有者とみられる方のところへ、環状の国道12号をひた走る。隣の次男は、町内会長さん宅でお話ししている時、車内で一人ぼっちになったと思って、ずっと泣いている。「ジュースかアイス買おうか」と安易な言葉をかけ、なだめながら向かう。

15分ほど走って、セイコーマートが見当たらなかたので、セブンイレブンでスイカアイスを購入。車内で食べてもらい、機嫌をとる。自分もパーカーを羽織っていたが、我慢ならないくらい暑くなって、ここで半袖になった。緊張なのか興奮なのか、ドキドキもしてきた。いよいよ最大のヤマ場。

近くにメルセデス・ベンツ旭川のある交差点から、高台に入った。豪邸が並んでいて、芦屋とか田園調布みたいな雰囲気が漂う。そこからさらにのぼっていくと、ややカジュアルな住宅地が見えてきた。山の斜面を切り開いて造成したような、なかなかに傾斜のある、暮らしやすいすてきな所。

雪よけシェルターのような、ガレージの外壁を取っ払ったような細長い玄関先を歩いて、ピンポンを押す。沈黙の時間。お庭に伸びた雑草と白い花がまぶしい。緊張が高まる。

「どちらさん?」とおばあちゃんの声が聞こえて、「旭川に引っ越しようとしている、静岡県からきた松本と申します。場所は永山で考えていて、ずっと土地を探してます。お尋ねしたいことがありまして」と言うと、出てきてくれた。

促されて細長い玄関先にあるイスに腰掛けていると、おばあちゃんは「ちょっと待ってて。留守電にしてくるから」といったん宅内に戻った。しばらくして、今度はアイスの「モナ王」を持ってこられ、次男に「どうぞ、食べていいよ」と進めてくれた。照れてゴモゴモする彼。嬉しかった。

80歳を過ぎたこの女性は、これまで20年以上、里親になる活動をしていたんだという。子どもに向ける眼差しは文句なしに温かい。このイスに座って、毎朝学校に向かう子どもたちに「おはよう」と挨拶しているらしい。いいなぁ、こんなところに暮らしたいんだわ。

移住、引っ越しを考えるに至った経緯をお話しした。このまま転勤ばかりの生活を送るよりも、次男が小学校に入るまでに、どこかに根をおろしたかったこと。自分の意思で「地元」をつくりたかったこと。隣の人の名前も知らない生活ではなく、近くの子どもやママたち、おじいちゃん、おばあちゃんと混じり合うように育ってほしい、ということ。じっくり率直に伝えると、女性は「うん、うん、そうだねえ」と静かに頷いてくれた。

女性は、三度の飯よりゴルフ、麻雀、パチンコが好きなんだという。式場のコンパニオンとして働いていて、収入があったので、遠慮せず遊んでいたらしい。他界されたご主人は地位のある方だったけど、自分で自分の人生を楽しんできた。

脳梗塞やガンを経験し、今では自由な外出はできなくなった。病院通いが続いている。ただ、市のタクシー補助をあえて受け取っていないんだとか。「市の財源が減るでしょ」とさらっとおっしゃる。かっこいい。

このシェルターみたいなところは、近所のお年寄りがやってきては座り、おしゃべりを楽しんでいるそうな。どおりでテーブルもあるし、イスもたくさんあるんだな。これは立派なコミュニティだし、幸せな地域だなと思う。

電話や贈りものをしてくれるお孫さんやお子さん、お嫁さんの話になると目尻が急に下がる。1人暮らしで、みんなが気にかけていることがよく分かった。幸せそうだった。

さて、予定地は登記上はこの女性が所有しているものの、実際には息子さんにあげた形になっていると教えてくれた。関東で忙しく活躍されている息子さんが旭川に戻った時のことを思って、1971(昭和46)年に新聞広告を見て購入したらしい。とりあえず息子さんに、売ってもいいかを確認していただくことになった。その電話は26日(火)になされると。    ドキドキ!

(つづく)

 

人とつながる旭川一泊の旅⑤ 熱を帯びる「地取り」

図書館から車で3分。ここが、ゲストハウス候補地の登記書類に書かれていた、土地所有者の住所があるエリア。ただ昭和40年代の資料で、丁目までしか書いていない。住宅地図にも該当する名前はない。

畑作業をしていた男性に話しかけて、事情を説明し、「この女性を探している」と協力をお願いする。ご丁寧に家に戻って、地図を持ってきて、町内会長や、もっとも長く住んでいる〝長老〟を教えてもらう。

さっそく突撃。長く住む方々は「まったく知らないなあ、分からんなあ」と申し訳なさそうな返事。町内会長さんも親身になって聞いてくれ、頭をひねって下さったが、分からずじまい。でも皆さん「ご苦労さま」「がんばってね」と励ましてくれて、うれしくなる。

ここで5人に当たったけど厳しそうだったので、候補地の永山地区へ。まず、書類上の同じ姓の家を一軒あたってから、昨日の夕方に引き続き、近くの方に聞いてみることにした。

まず候補地の経緯や思い出を教えてもらう。昔はやはり、町内会が管理する子どものための公園だったという。町内会のみんなで葦を借り、一通りの遊具もそろえて、盆踊りもやったそうだ。ますますここが欲しくなった。盆踊りをしていたなんて、完璧なまでのストーリー。けっして特別じゃないにしても、地域の記憶が詰まった場所だったということ。すぐに、みんなで踊っている光景を思い浮かべた。

町内会長さんを紹介してもらって、さっそくご自宅へ。いろいろ思い出してもらっている時に、奥様が援軍となってくださり、「(登記上の所有者と)下の名前が同じ人がいた気がする!」とアシスト。会長さんは昔、「ちびっこ広場」を運営していた時と閉鎖するときの資料ファイルを引っ張り出してくれ、ページをめくってくれた。すると、

あった!          下の名前が同じ女性の名前が!

確かに登記上の住所は違うけど、ここを訪ねればご本人がいらっしゃるか、親族が住んでおられるかも、と大ハシャギ。

3人で永山の魅力を語り合った。空気がきれい、大雪山がある、石狩川がある、まちに近い、暮らしやすい・・・。最近は子どもが減って寂しくなったことや、近くの人工河川「永山新川」ができるまでは、みんな井戸を使っていたこと、大学ができて区画開発がされ、昭和50年代に急速に人が増えたこと・・・。めちゃくちゃ勉強になった。

自分からは、「子どもやママ、お年寄りと、いろんな世代が混じり合う場をつくりたいし、そこで子どもを育てたい」「地域の人がふらっと来れるコミュニティをつくりたい」と計画を説明。

奥様からは「ぜひ実現させて! 盛り上げてよ!」とエールを送ってもらう。もう百人力ですよ。これだけでビールを浴びたい気持ちになったが、家の前に停めた車内で次男が号泣しているのが聞こえ、失礼することに。今後のご協力もお願いした。うれしすぎる。

徹底して周辺に聞き込みをする「地取り」で成果があったときの、あの喜び。新聞記者をやっててよかった・・・!

さっそく、所有者の現住所に急ごう!             (つづく)

人とつながる旭川一泊の旅④ 公園と図書館で準備体操

客室からの眺め。かわいい

次男は朝6時に起きてきたので、4時間しか寝れなかった。。。そのまま大浴場に入って朝食を食べることに。

お風呂はきれいで、お湯は温泉みたいな風情はないにしても、すっきりしてて◎。

朝ごはんは、イオンの4階の一部を間借りした感じのレストランで、地物にこだわったビュッフェ。ゲストハウス予定地でもある、旭川市永山地区のお米(ななつぼし)をはじめ、一通り地元産を網羅した感じで、予想以上だった。

一番気に入ったのは旭川ラーメンで、朝からスープまで飲み干してしまった。お椀に入れていただくので、そんなに罪悪感はなく。具はチャーシューとメンマ、ネギ。必要にして十分。周りを見回したら、ラーメン率がけっこう高くてびっくり。中華系の訪日客の皆さんのお盆を覗いたけど、和の人もいるし洋の人もいるし。いろいろ。そりゃそうか。

ホテルは全体的に、スタイリッシュな印象にまとまっているけど、木目調の壁紙がめくれて木じゃないことがモロ見えだったり、中途半端にモダンなアイテム(電話とか机とかイス)が多いのが残念。イオンっぽい軽さのある、どこでもあるホテル。木製のティッシュケースは、なぜか越前漆器だったし。なんでJR北海道のホテルで。。。?

でもフロントそばにあるラウンジや図書コーナーは良かった。本はJRだけあって鉄道関連や旅、スポーツ、酒といろいろで、ちょっと古めかしたハードカバーが揃っているのがそそられる。館内至る所にあるサインも併せて参考にしよう。

部屋に置いてあった利用の手引き。参考にしよう

ただ部屋に戻ってもテンションは高まらず、「きょう調べて、土地所有者が不明のままだったらどうしよう」という不安が先に立ってしまう。とはいっても部屋にいても仕方ないので、8時半前にはチェックアウト。中央図書館に向かう。

図書館は9時半からなので、旭川のセントラルパークたる「常盤公園」を散策。この公園の中に、図書館や公会堂、道立美術館が備わっている。上川神社も。

池の周りを歩いていると、カワウソみたいな動物がひょっこり水中から現れて、次男の好奇心を刺激してくれる。小径は気分が良く、市民が思い思いに時間を過ごしているのがいい。空気もいっそう美味しい。次男は久々に解き放たれて楽しそうで、だんだんとこちらもやる気がわいてきた。

その土地の空気を吸って、その土地にいる気分になってくる。ほんとに朝は大事だなあと思う。地元の人の生活感も分かるしね。公園は最適なメディアである。

突然、歌と踊りが始まった。旭川がきっと肌に合うんだろう

図書館では、第1候補地の登記事項証明書に書いてある所有者の住所と、候補地周辺のゼンリン住宅地図を閲覧して、親切で気持ちいい職員さんにコピーしてもらう。念のため電話帳(緑色、個人版)もチェックする。絵本コーナーには感謝してもしきれないわ、ほんと。助かった。

さあこれで道具はそろった。現地取材に向かおう! ここで決めなきゃもう勇気ある撤退も視野に入れないと。(つづく)

人とつながる旭川一泊の旅③ ありがたい助言

誰もが、北海道に住みたいと思うようなグリーンアスパラのナントカ

今宵の宿は、JR系の「JR inn」。旭川駅直結で、なぜかイオンと合体してる。土曜の夜7時前。駐車場に入るのにけっこう時間を取られて、時計を気にする。旭川もいくつかイオンがあるけど、〝イオン渋滞〟はどこの地方都市にも共通するんだろうなー。うーん、なんだかな〜、だけど。

やっと駐車場の空きを見つけてフロントを目指すも、一度5階に上がらないといけないらしい。フロントは中華系の訪日客でごった返している。やっぱ勢いすごい。当然、チェックイン後のエレベーターもなかなか乗れず。

部屋に荷物を置いて、次男を抱っこして傘をさし、急いで徒歩7分ほどの喫茶店へ。地元の名士に違いない、事情通で人脈も広い税理士の先生とのお約束。

何をしようとしているか、なぜこの場所か、資金計画と時期は・・・などなど一通りお話しして、真摯に耳を傾けてくださること90分。これまで、勢いよく起業したはいいものの、夢破れて消えた人をたくさん見てきたというだけあって、すべての言葉に重みがあった。ずしんと響く。

◆立地は中途半端なもので妥協するのは絶対ダメ。

◆やっつけで進めて秋オープンにするより、冬を越して3月にした方がいい。

◆やろうとしていることがダメになっても食べていけるような副業は絶対に必要。この安心感があるかないかが、大きな違いになって現れてくる。

ありがたい・・・・!

うすうす、自分の中で都合の悪いことを「まあいいか、なんとかなるか」と過小評価していたけど、戒めてもらえた。副業も、時期も、土地の代替案も、いちおう考えてはいるけど、見えにくいリスクや長い目でみた時の取るべき選択について、冷徹に考え抜こうと思った。

この方はすでに予定地の登記情報も取り寄せて、お知り合いの不動産屋さんにも、いろいろと取材してくださっていた。紹介されて初めてお電話したのが4日前の19日だったので、すごいスピード感。 脱帽するしかない。

この90分間、退屈した次男のSOSを振り切って熱中した。頑張ってお利口にしてくれた次男へのご褒美に(?)、繁華街で道内の海産物を食べられる地元資本の居酒屋へ。

疲れ果て、乾杯にもやらされ感が漂う次男

いくらこぼれ飯、時鮭といくらの長芋和え、干しコマイ、厚岸(釧路方面、最近はウイスキーで注目)の生牡蠣、襟裳のタコ塩炙り…。襟裳のたこわさびは、今まで食べてきた中で最高にうまかった(これまでは明石・魚の棚のだった)。

ちょっと食べてぐちゃぐちゃになったけど、厚岸の生牡蠣。あしたお腹痛くなりませんように。。。自転車で北海道回った時も、厚岸で牡蠣を大人買いして関西に送ったなあ
いくらこぼれ飯。美味しいけど、改善の余地あり。北海道で食べなくてもいいレベル。よくあることだけども
あんまり美味しそうに見えない写真だけど、まあまあウマイ。時鮭といくらの長芋和え。でもルイベにしたほうが鮭は喜ぶだろうなー

グリーンアスパラはゲストハウスの予定地から近い東鷹栖の「中谷農場」さんのもの。ご飯は同じく東鷹栖の「高見農場」さんの特Aななつぼし。食べてないけど、鷹栖町「新田ファーム」の牛肉もメニューにあった。日本酒は、予定地近くの「男山」のものがなかったので、駅近くの高砂酒造さんの「国土無双」でクイッと。

北海道は食料自給率が200%を優に超える。旭川は稚内、網走、釧路、十勝の各方面からうまいものが集まる「食の交差点」でもある。地物だけみてもすごいとこなんだけど、やっぱ旭川の総合力はおそるべし。

いい感じに流れが来てると勝手に思ってるので、明日は猛取材をかけていこう。明日が今後の全てを決める気がする。                                                                      (つづく)

 

人とつながる旭川一泊の旅② 舞い込んだ特ダネ

旭川駅からは、せかせかと歩いて日産レンタカーで。昨日電話をもらってたけど、ランクアップキャンペーンをやっていて、マーチクラスで予約したのに、まだ1100㎞しか走ってない、新車のエクストレイルを配車してくれた。

ステアリングは軽く、どっしり感はないけど、タウンユースで特に女性からしたら扱いやすそう。好みとしてはタイヤにもっと接地感がほしい。操作フィールやオーナメント、パーツに本物感や艶、しっとり感がほしい。ルームミラーが、かなり頭の近くにあって、強烈な違和感。大きくないボディなのに、取り回しが良くない印象になってしまってる。でも、予定地に向かう国道39号(その名も「大雪通り」、浜松の国道152号「自動車街通り」と雰囲気がめっちゃ似てる)では上手に路面のデコボコをいなしてくれた。快適。

さて予定地に着くと、もう夕方の5時40分。7時からまちなかで待ち合わせなので、時間がない! 「ママに持っていくんだー」と、予定地に咲き乱れる花を摘む次男をよそに、あたりをブラブラ。

ピンポンを押す前に、お向かいさんが庭で作業されていたので、お声かけ。世間話をしつつ、「ここに引っ越したい」「公園のような所をつくりたい」「小屋を並べて小さな宿にしたい」と伝える。怪訝そうなというか、「なんでこんな何もないところに?」と心配するような視線を投げかけてくださる。 そばにいた旦那さんも、「当麻町とか比布町、東川にした方がいいよ。こんなとこで宿やるなんて・・・」と苦笑い。うんうん、そうだよなーと、でも内心ではしたり顔に。だからこそ、面白いんであって。

めげずにお話をしていくと、予定地がかつて、町内会が管理(提案?)していた公園だったと教えてくれた。

なんと!  これは完全な特ダネ!

今から公園をつくろうとしているのに、予想だにしない奇跡の偶然の一致!  完璧すぎるストーリーを手にれて、天にも昇る心地だった。けっきょく所有者はわからずじまいだったけど。

これは幸先良さそうだとホクホク顔になって、まちなかにとんぼ返りすることにした。               (つづく)