予定調和がない、という美しさ

静岡や愛知が台風の警戒で大変なことになってる。新幹線は運休を事前にアナウンスし、自治体職員の皆さんは夕方から未明にかけて缶詰めになるかもしれない。

そんな大型台風の影響を免れるためなのか、高校野球の静岡大会がきのう27日に無事、終わった。荒天のあおりを受けなくてほんと良かった。

夏の甲子園は朝日新聞が主催する。新聞業界で、他社がやっているのをこれだけどの社もエネルギー割いてやるってのは、高校野球ならでは。(大相撲とかもあるといえばあるけど)。結果を知りたいニーズは大きい。地域の代表同士がしのぎを削って上を目指す、というのが、なんともいえないドラマと関心を呼ぶんだろうなー。100回の伝統というのも、うなずける。

27日の県大会の決勝はすさまじいシーソーゲームだった。点を取られたら取り返し、流れを相手に持って行かれたように見えても、諦めムードなんてみじんも漂わず、笑みさえ浮かべて、これでもかとなかりに反撃を続ける。もう気持ちいいことこの上ないし、状況不利な場面を眺めて「あーあ、これでもうキツいよな~~」と、したり顔で中継を見つめていた自分がめちゃくちゃ恥ずかしくなる。

必死さがすさまじい。こっちは訳知り顔の評論家みたいな、勝手なことを言う外野。高校生たちはもう、2年間や3年間の自分のすべてをぶつけてきている。かっこいい。

しかししかし最近の高校野球。24時間テレビとか障害者を取り上げる番組と同じように「感動ポルノ」って言われることもあって、なんだかなーと思う。球児は泣かせるために頑張っているわけじゃないし、プロデューサーに打診されて野球をやってるわけじゃない。災害報道と同じくやたら美談に仕立てるのはどうかと思うけど、球児のドラマは作りものじゃない。グラウンドに予定調和はない。だから結果的に美しい。

高校球児の皆さんと比べるべくもないけど、自分も高校生のころは、がむしゃらな時期があった。修学旅行の企画をする立場にあったけど理想は実現できず不満だらけで、そのエネルギーを3年生の時の卒業旅行にぶつけた。そんでもってその卒業旅行が原体験になって、今の旭川公園に続いてる。不思議。 こっちも美しいものにしないと!

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