三週連続の旭川へ①  SKI SKI! SKYマーク

きのう金曜日に決めて、またまた急きょ旭川の旅。日曜日は宿直勤務なので、長女・七海(2才)を連れて日帰り。三週連続の旭川行きは人生初であります。

朝5時前にマイカーで浜松の家を出て、7時15分発の新千歳便に乗る。久々のスカイマーク

スカイマーク、激安のエア・アジアより使う頻度は低いけど、好きで好きで。コーポレートカラーから機内の雰囲気、ネスカフェと組んでるのでホットコーヒーとキットカットのサービスあるし、2才までは膝上抱っこなら無料で乗れる。エア・アジアみたいに前席の圧迫感がない。しかもこの日はもっと好きになるハプニングがあった。

搭乗口の手前にキッズスペースがあって、当然、長女にかなり強引に連れ込まれそうになる。どうしても搭乗前にトイレに行きたかったので、一緒に個室に入ってささっと済ませて、遊具へ急いで駆け込んだ。これがよくなかった!

手続きして自席に座った直後、お土産のうなぎパイをトイレの個室に置き忘れたことに気づいた。ダメ元でちょうど近くにいた爽やかなキャビンアテンダントさんに相談すると、間に合わないかもしれないと言いながら、(たぶん)グランドスタッフさんに連絡をとってくれた。この時、7時7分。

搭乗口から100mは離れてるし、男子トイレだし、とすっかり諦めてたのになんと、7時13分、何事もなかったように涼しい顔で荷物棚に入れてくれるではないですか!6分でこんなことできるのってどんだけプロフェッショナルよ。

ぜったいダッシュして誰かが取りに行ってくれただろうし、ギリギリの時間だったので焦らせたと思うけど、これには心底びっくり。軽く感動。せっかくならVSOP(高級なうなぎパイ)にしとけばよかったなーと思ったほど。

機体はボーイング737ー800。無駄に大きくなく、機内は白基調にベージュのレカロシート、鮮やかな紺色のカーペット。これだけでも快適で落ち着く空間だけど、この日はいっそう気持ちよく思えた。キットカットもコーヒーもいっそうおいしかった。

ちなみに帰りもスカイマークで、乗る前には機長さんたちが満面の笑みで思いっきり手を振ってくれたし、チョコを大量にもらい、絵本も届けてくれた。もう言うことなし!

ただ唯一残念だったのは、帰りにセントレアに着いてからのこと。スカイマークの早朝と深夜便で往復すれば、セントレアの駐車料金1500円が無料になるサービスがあって、それをお目当てにしてたんだけど、運悪く対象期間外だったようで。事前のアナウンス通りに手荷物受取所の職員さんに尋ねてそう教えてもらったんだけれど、ちょっとつっけんどんな感じで、知らなかったのが恥ずかしくなってしまった。。。旅は終わりの印象って大事だわ。

 

 

 

住宅街×ゲストハウス

5月に撮った、予定地周辺の写真。先週末に行った時は撮るの忘れてた・・・・

融資の相談をしている金融機関さんには、進ちょくや課題をそのつど報告しているんだけど、先日来、「地元の人間からすると、住宅街にゲストハウスというのはやはりイメージできない」というご指摘をいただいていた。

旭川では例がないと思うし、「なんであえて住宅街なんかに?」「近隣との関係でリスクが高いのでは」と言われるのも、さもありなん、であります。

理由を説明せよ!  と言われたら、こう答える。「地域のありのままを感じるには、そこに暮らす人に囲まれた方がいいに決まっているから。暮らしをシェアできるから

もう少し詳しめに。

「地域の暮らしを体で感じてほしいなら、人を通じて地元の空気感が分かる場所ほどいい。人里はなれた、自然があふれた場所や農泊は北海道らしいけれど、ご近所さんとの接点は限られる。もっとリアルに普段着の暮らしを知ろうと思ったら、町内会にチェックインするくらいのイメージがいい。まちなかのホテルがディープなまちを案内する企画とかはあるけれど、もっと自然体がいいんじゃない?  それには、ご近所さんの多い住宅街、その中でもいろんな人の入り混じる〝公園〟のような場所だったら最高です」

なんとなく分かってもらえる。論理的には破綻していないはず。ただ、これで全く前例に接したことのない人や興味のない人に伝わるかというと、そうではないと思う。じゃあもっと伝え方を工夫しないといけないし、脳みそに汗をかかないといけない。新人記者が原稿用紙に向かうように。

これだ!というレベルに言語化はまだできてないけど、手始めに、全国のゲストハウス例を調べてみた。同じ北海道の都市として札幌、そして次に鎌倉を。

なぜ鎌倉かというと、実は理由がありまして。旭川の永山地区で準備しているゲストハウスのペルソナ(最重視する想定の顧客層)は、横浜市に住む30代女性(実際はもっと細かく決めているけど・・・)。なので、旭川の中心部から永山地区まで行く心理的な距離と、横浜から鎌倉に行くそれが、同じくらいかなあと想定して。

ネットで簡単にみる限り、住宅街にあるゲストハウスは、札幌では二件、鎌倉でも二件あった。ほとんどが最寄駅から15分以上歩くところで、周りはほんとに普通の家。

おもしろかったのが、鎌倉に住んでいる高校のバレー部の先輩に連絡してみたら、鎌倉の一つのゲストハウスが行動圏内にあるんだと!  雰囲気を聞いたら、「もはや地元民しか行かないよーな住宅街なのに、外国のバックパッカーがたくさん来てる」「周囲にすごく馴染んでる」「目の前にあるドラッグストアでしょっちゅう買い物するけど、違和感なし! もしかしたら、ドラッグストアがあるおかげで自然と地元民が集まることで、ローカル感をさらに出しているのかも」と。

北先輩、めちゃ分かりやすいご明察ありがとございますー    見たことないけど、その通りなんだろな〜って感じがするし、住宅街にあるからこその存在感を醸してるはず。

都内の下町や京都なんかは住宅街のゲストハウスなんてごまんとあるし、仙台とか滋賀県の彦根、博多、沖縄のうるま、湘南とか、いくらでも同じような立地のゲストハウスが見つかった。富山市の「縁(えにし)」っていう宿は、「住むように、泊まる。住宅街の小さな宿。 Feel Local!」とコピーにあって、自分のゲストハウスと丸かぶり(実はホテルも含めて同じようなのは全国にけっこうある。それだけローカル志向が強まってる!)。

それぞれホームページとか紹介サイトとか見てみると、喧騒から離れて、ローカルな暮らしを感じられるよ!的なアピールポイントを打ち出してるところがチラホラあった。

久しぶりに事例研究っぽいことやったけど、ほんと大事やなと痛感!  他の人にわかりやすく説明するときの材料にもなるし、コンセプト磨きができるし、めちゃくちゃイメージがしやすくなる。

北国の信金と北先輩に感謝と最敬礼。

 

 

 

最高な住民アンケート

年度末のことし3月、ゲストハウス予定地がある永山地区でされたアンケート結果が発表されたみたい。最近知ったけど。まちづくり協議会、商工会、地元信金や旭川大学、商店街とかでつくる「永山地域経済活性中長期計画策定検討会」として、地域住民に聞き取ったもの。

サンプル数は100ほどと少なくいのがあれだけど、面白い結果が出てた。自分のためにあるかのような    ♪(´ε` )

今後の永山商店街のあり方に対する自由記述なら、こんなかんじ。ちょっと長いけど、引用↓↓↓

  • 大学が近くにあるのでもっと若者向けの店やおしゃれなカフェがあったら、若者の暇つぶしにもなると思うし、永山も少しは活性化するのでは(20代女性)
  • この地域は若者が遊ぶところが全くない。喫茶店のような落ち着ける場所が欲しい。(20代男性)
  • 古い建物、汚い景観。学生が寄り付かない理由の一つだと思う(20代男性)
  • 学生が空きコマを過ごせる場所がない。講義のない空きコマに行けるようなカフェがあったらうれしい(20代女性)
  • 市民の共有スペースがあるとよい。旭川大の学生の参加。(30代男性)
  • 買い物困難者への支援。移動販売車による販売活動(40代男性)
  • 愛されている老舗店舗の閉店に心が痛みます。月に一回マルシェの開催(50代女性)
  • 飲食を伴い多くの人が集まれる場の設置。(公民館は飲食ができない) (60代男性)
  • 人が集まれてふれあえる場の創出(60代女性)

ゲストハウスは子どもたちが遊びに来る公園みたいな場所をつくりたいと思ってるけど、子どもだけってことじゃなくて、お母さんたちも、おじいちゃんおばあちゃんも来てもらって、混ざり合ってもらえるのが理想!  ここで大事なのが学生さんの存在で、時間にも余裕があるし、勉強したことを実践してもらいたいし、中立的で利害関係がないから、どんどん来てほしい。学生もローカル資源

そう思ってたところに、このアンケート。学生さんは、時間がつぶせて楽しい、美意識が満たされる場所を求めてる。自分が学生の時も確かにそうだった。空き時間は背伸びして行くようなカフェか図書館か、バイト。机にコーヒーがあれば、なんでもできるし、くつろげる。

それに学生さんだけじゃなくてオトナも、コミュニティスペースを求めている。人が集まれる場所をほしがってる。ヒントが詰まりすぎたアンケートに感謝!

予定地は旭川大学から歩いて5分かからない。やっぱいい立地だわ。なんでもできそう。

 

 

 

 

災害が少ない?旭川

川のまち・旭川

北海道で大雨のニュース。テレビ画面に映し出されているのは、旭川、かつて移住を検討していた沼田町、その近くの留萌や深川の映像だった。大変なときに不謹慎だけど、妙に身近な感じがした。

旭川では忠和地区で冠水し、神居古潭の有名な橋の欄干間際まで荒々しい濁水が迫っていた。自然豊かで大雪山に抱かれた地域を流れるペーパン川も水勢はすごかった。ゲストハウス予定地も通る牛朱別川(うしゅべつがわ)では一時、氾濫危険水位を上回った。 被害が出ないことを祈るばかり。

旭川は「川のまち」ってよく言われる。市中心部の石狩川と歴史ある橋、大雪山はポストカードのような風景美を演出する。

永山地区も、石狩川と牛朱別川、人造の永山新川があって、ほんとうに惚れ惚れしてしまう。サケが遡上し、ハクチョウや渡り鳥が憩うところ。

日曜にみた石狩川は、まさに母なる河川という感じで、悠々たる佇まいだった。沖縄方面では台風の影響が言われていたけど、よそごとだと思ってた。なんとなく、北海道は災害が少ないイメージが強いので、麻痺した感じになってた。(まだ住んでもいないのに・・・・)

たぶん、「地震の少なさ」に引きずられてる。移住特集とかでよくアピールされてるのが、まさにこれ。過去20年で震度4以上は1回のみ。なんとなく災害が少ないっていうイメージがある。(http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/735/736/739/p006679_d/fil/03_saigairisuku.pdf#search=%27%E6%97%AD%E5%B7%9D+%E9%9C%87%E5%BA%A6%EF%BC%94%E4%BB%A5%E4%B8%8A%27

でも、そんな完璧な場所なんてなくて、ちょっと前に台風被害で全国に影響が広がったし、今回氾濫したペーパン川はかつて堤防決壊や浸水の被害もあった。だからペーパン地区からそんなに離れていない永山地区も、地元の関係者から、いっそうの水害対策を求める声が行政に寄せられていた。

雪だけじゃなくて、水害も台風もそりゃあるし、そういうことへのアンテナを高くしないとお客さん商売なんてできないだろなー。災害は忘れたころにやってくる。恵みがあるというのは、時には脅威にもなるってことだし。

こないだの日曜に散歩した時の、石狩川の様子

半分、自分ごと。

NHKの連ドラって不思議。毎日見てるわけじゃないのに、たまたま目にした時に、記憶に残るシーンや言葉がけっこうある。会社で当直勤務している時なんか、NHKつけっぱなしなんで、けっこうちゃんと見入ってしまう。

今朝3日は一場面だけ見た。ヒロインと同じように涙した。

前後関係がよく分からないけど、鈴愛(すずめ)が漫画家をやめるかどうか、っていう瀬戸際にいるらしく。公園で座って、中村雅俊演じる祖父の仙吉に電話をかけている。

鈴愛が漏らす。「まーあかんかもしらん」。そーかー、みたいな感じであっさりと返す仙吉は、今後のこととして、「このご時世、どうやったって生きていけるぞ」とアドバイスする。

なんか自分に言ってくれてるようで、これだけでもグッとくる。でもこの後がほんとうに素晴らしい。

仙吉は、初めて人に話すという、戦中の体験談を鈴愛に伝える。捕虜にならないように地元の人にかくまってもらった。場所は日の当たらない穴蔵。でも1日に15分だけ、太陽の光が差し込んでくるという。24時間のうちの、15分。

仙吉は語り始める。「15分、光が差すだけで、人はそれを楽しみに生きていける」。こちらの涙腺はすでに崩壊寸前。

どういうことなのか、さらに優しく、易しく、孫に教える仙吉。「どうにでもなるぞ。大丈夫やってことや。人間はな、強いぞ」

「ほっか」と泣きながらうなずく鈴愛。仙吉が「鈴愛はことのほか、強いぞ」と続けると、「ほっか。知らなんだ」と、またうなずく。そして弦を張り替えたばかりのギターで、「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌いだす。

こんな愛情深いやりとりってあるんだろうか・・・。自分にもし孫ができたら、こんな場面を演じてから死にたい。

ところで、鈴愛が仙吉と話す場に選んだのが、公園だったことは見逃せない! 自宅でも職場でもない、サードプレイス(第3の場所)。内省し、自分と向き合い、さらけ出す場所なんだな~。ほっとする公園って、まさにそういう所だと思うわ

 

真っさらな目で旭川を感じる強行軍③ 半端ない充実感

地権者さん方の近くに到着。全国民の心のふるさと・セイコーマートで買い物や一服をしてもらって、自分と次男がご自宅に向かい、深呼吸して呼び鈴を鳴らす。お留守っぽい。

いったんみんなの元へ戻り、お昼ご飯をとることに。地元の青年農家さんが始めた石蔵ダイニング「米蔵(マイハウス)」へ。車で10分ほど。ここは自分と家族にとって3回目の訪問。自家製ベーコンがめちゃウマ。蔵を活用した空間もいいし、イタリアンベースで地元の野菜がたくさん取れるのがいい。気取らない雰囲気と味で、いつもにぎわう。家族連れ、ご婦人の集まり、カップルと客層はさまざま。

料理を待つ間、ゲストハウスのある〝公園〟での物販についてみんなであーでもない、こーでもないと。妻の茜はパンとか焼き菓子とかも勉強しているけど、発酵も楽しいし。松島さんは「燻製いいですよ。始めやすい」「ビールとかどうですか」と。元パン職人の鈴木さんは、作りやすさ、販売のしやすさから菓子の可能性を熱く語る。 ビールつくりたくなった。石川県にいるとき、有名な小規模農家さんが自家製ビールをつくっていて、すごいおいしかったのを思い出した。

松島さんと松本(憲)さんはサッポロクラシックの生をジョッキでクイッと。このお店はクラシックの何か(すみません)に認定されていて、泡立ち、のど越しに二人とも満足してくれた。

食後は、もう一度地権者さんのもとへ。先ほどお尋ねしたお宅から少し目を転じると、あら、その離れのようなお宅に表札が。こんなこともあるのねー。いつだって見落としはあるし、見直し・再チャレンジって大事だな。「もう1回おたずねしてみましょう」と言ってくれたチームの皆さん、ありがとう。

玄関ドアの前で、深呼吸する。いつだって突撃訪問するときは心臓がバクバク。「新聞記者だから慣れてるんだねー」と言われるけど、いやいや確かにピンポンすること自体はそうだけど、なんてったってこれからの人生かかってますから。普段の仕事と違って「じゃあ次」とはいきませんから。わけのわからない若造が「土地欲しい」って来るなんて、もし自分がその立場だったら腰抜かしちゃうかも。

地権者さんのご家族がいらっしゃって、用件をお伝えする。すると、なんと他のご家族に電話でつないでくれ、お話しする機会をいただいた。感激・・・。帰り際、長女のためにお茶やお菓子もいただいてしまった。恐悦至極に存じます。あらためて書面で、こちらの思いをお伝えすることになった。

この後はひたすら道央自動車道を走り、空港方面へ。時計とにらめっこしながら、「yomogiya」さんこと中村さん宅にお邪魔しようと目論んでいた。ギリギリ行けそうだったので、岩見沢ICを下りて、下道で長沼町へ。田畑の景色が素晴らしく、周辺にスタイリッシュな宿やベーカリーがあるのも納得。

流しでは絶対に分からない、道から一歩入ったところに中村さんのお宅が見えた。となりのトトロのサツキたちの家のように、奥まったところ。

あった。うおーーーーーお、かわいい!

撮影:松本憲
なにか作っている途中なのかしら。中村さんは旭川のイベントに行っていなかったので、また聞いてみよ

たまりません。

お腹いっぱいになって新千歳空港に急行。帰りのエア・ドゥ便は出発が40分遅れで助かった。全国的に悪天候で、新千歳も霧が立ちこめ、欠航が相次いでたので、飛んだだけでもラッキーと思わねば。

羽田からは京急で品川。自由席しかないのでダッシュしてホームに向かうも、長蛇の列。通勤電車だと「次の列車をご利用ください」というレベルの混みようで、デッキに人があふれて入れない。心の中で土下座して人垣を押しのけて無理矢理8人、入れてもらった。子どもたちは疲れ果て、抱っこして眠りこけてしまった。静岡ってこんな遠かったっけ・・・。午後10時48分に浜松駅に到着。本州ってこんな湿度高かったっけ・・・。

これまでで一番、収穫のあった旅だった気がする。自信をもって進んでいけると確信できた! (おわり)

真っさらな目で旭川を感じる強行軍② 「yomogiya」さん、こんにちは

宿は旭川駅前の「WBFグランデ旭川」。なかなかお高いけど、部屋はきれいだし、和洋室で大人数でも使いやすい。ロビーには、「北海道生活」とか「&premium」とか「スロウ」とか好きな雑誌も置いてて、いい感じ。ちなみに訪日客はやっぱり中華系が多い。

朝食付きだと思い込んでたけど、確認したら「なし」。皆さんすみません。館内のビュッフェ形式の朝食を調べたら、1700円(宿泊者)と来た。高すぎるので、駅前のイオンに入っているサンマルクカフェを目指す。でも玄関で、なかなかの雨の強さに気が滅入り、「イオンで朝ご飯」への抵抗感も消えなかったので潔く諦めて大枚をはたく。

せっかくなんでイクラの小鉢を何個もたべ、旭川ラーメンを自分でつくった。地元産のものを使った料理は全体的においしかったし、こだわりがあった。嬉しかったのはご飯。先週の「JRinn」と同じで、ゲストハウス予定地のある永山地区のもの。

朝ご飯の後は、長男・大滋と温泉に入ってまったりして、長沼という場所(岩見沢と千歳の中間くらい)に住んでいる大工さんのご到着を待つことに。

大工さんは、「yomogiya」の屋号で仕事をされている中村直弘さん。「住みよさ」を追求して、旭川で小屋を作られた実績もある。文句なしにかわいくて、断熱も薪ストーブも「ならでは」の工夫があって。東京でシステムエンジニアをやっていて、HP制作やデザインなんかもされてる。もう、HPとかインスタグラム見たら、すぐやられます。

中村さんにこちらの計画をお伝えし、一緒におもしろがっていただけることになって、飛び上がりそうになっちゃった。地元のすごい人のつながりや技、知識をお裾分けしてもらわないと、どうしても立ちゆかなくなるし。

ホテルの駐車場では、中村さんの愛車・ハイエースを見せてもらった。説明する必要がないくらい、存在感が半端ない。今夜はここの荷台に泊まるんだって。やべえ。

中村さんとお別れしてからは、予定地がある町内会長さんに先週の結果をご報告。その後は、きびすを返して新たな地権者さんのもとへ向かうことになった。候補地は角地じゃないほうがいいような気が強くなってきたので、なんとかこちらの思いが伝われば、と。祈るようにして向かった。ドキドキ  (つづく)

真っさらな目で旭川を感じる強行軍① 感じないと始まらない

前の投稿から4日もブランクがあいちゃった。反省! 慣れるまでは質より量のはずなのに。心入れ変えよ。

6月27日(水)にゲストハウス候補地の角地が頓挫。失意に暮れていたその直後に打ち合わせし、帰り際、「都合つけば週末に旭川行きませんか? ここで悶々としててもしょうがない」と無茶ぶりをやってしまった。そこから仕事やご家族との予定を調整してもらい、翌日には自分の家族含め8人での弾丸ツアー催行が決まった。このスピード感が皆さんのメンバーのすごいところ。

スキルフルでクリエイティブなチーム(通称:「旭川公園グループ」、略称:AKG)の顔触れは、デザイナーで広告・宣伝・ネット・企画・撮影となんでもござれの鈴木裕矢さん、公民連携をいろいろ仕掛け普段は浜松城公園に日産・キャラバンを置いて「タタズミコーヒー」をやっている松島弘幸さん、ゴミを愛しなんでも作っちゃう、建築家の松本憲さん。

で、週末をつかって行ってきた。

今回も一週間前と同じくお昼のエア・アジア便。だいぶ到着が遅くなったけど、新千歳からデリカを借りて一気に旭川市の候補地へ。夕方4時半を回って、予定地近くに差しかかると、松島さん(確か)が「この辺の家、塀とかないんすねー」とぽつり。あ、確かに。狭い、閉じられたっていう感じがしないのは、そういうのが影響してるのかなぁと気付かされる。

家族チームはご近所さん家族と井戸端会議。旭川公園チームは、周辺を練り歩いてdigging。そばにある、旭川市で最古の小学校に雰囲気のいい丘があることとかを発掘してくれた。

感想は「ここはいいっすね~」「よく見つけましたねー」「〝公園〟をイメージできる」と、しっくりきたみたいで。

撮影:鈴木裕矢 やっぱプロが撮ると違う。
撮影:鈴木裕矢  このままジャケット写真にしてほしい

めちゃくちゃホッとした。これまで自分や妻・茜の中では「いいね」と思っていても、第三者の目、目の肥えた人の目にどう映るのか、魅力的なのかどうか不安なところもあったんで。

明らかに本州のそれとは違う、空の広さ。肺が喜んでる感じのする空気。線路に並行して続く家庭菜園。ディーゼルの普通列車が奏でる、コトン、コトンというジョイント音。空き地に咲く、なぞに色とりどりの花。ご近所さんのフレンドリーさ。確かに北海道らしさはあり、ローカルな暮らしのかおりがある。

なんでここに暮らしたいと思ったのか、3人のメンバーに分かってもらえた。離れた所で100回打ち合わせしても、現地に来て感じることにはかなわない。あとはこれをどう言語化するか。事業としてニーズが見込めるか説明できるようにするか。

これまで角地で検討を重ねてきたけど、そこにこだわらなくてもやれる。逆に角地じゃなくても、見通しの良い「L字型」の地面が確保できれば、そっちの方がいいんでは?という感触も得られた。ほんと来てよかったな~

この永山地区ではこの日、永山神社のお祭りが運良くあって、これでもかというくらいに人が旧市街地にあふれていた。こんなに人がいるなんて、正直意外。自転車で集まってきてるのがいい。パパとママが、子どもの手を引いているのもいい。

旭川公園チームはこのお祭りを見学。家族チームは、友人家族と夜ご飯の約束があったので、まちなかに向けて移動。

駅前の豪奢なホテル(直前で安宿が確保できず)に泊まり、夜は旭川公園チーム3人と自分、次男・陽己でホテル内の天然温泉へ。ほとんど移動だったけど気持ち良くベッドイン。明日もうまくいきそうな気がする。        (つづく)

 

 

 

「かつての公園」を、まだまだ諦めきれない

なんで土地を手に入れるのが難しいんだろう。
せっかく壁に直面しているので、ちょっと考えてみた。
たぶん理由は2つある。

①売りに出されていない地面を買おうとしてるから。
②だって土地は「人」が関わるものだから

①は文字通り。所有者の割り出し、譲ってくれるかの意思確認、値段交渉・・・。ぜんぶ素人が、一人でやらないといけない。

なので②について思うところを。

5月アタマの時点では、旭川のゲストハウス候補地に目を付けた区画の角地は、そんな苦労せず買えるんじゃ?と甘く考えていた。
地元の不動産屋さんに聞いても、ここは「売りに出しても売れないから」という理由で、売りに出る土地がそもそも少ないんだとか。
なんで安いのかは知らない。素敵な場所なので、こっちにしてみればラッキーでしかない。

でも安いから、高いから、長年使われていないから、というポイントでしか考えてなかった。
「土地はいろいろあるぞー」と言われ、デリケートだと知ったかぶりをしていても、開拓使が置かれてまだ150年の北海道だし、なんとかなる気がしてた。

ところがどっこい。
そんなもんじゃないってことに気付くのに、2ヶ月かかってしまったわ。

角地の1つを不動産屋さんに当たってもらったところ、はじめは親族の方から「売る方向で」とお話しがあったが、その後は連絡がつかなくなった
所有者は施設に入っていらっしゃる、高齢の方。業者さんと同様に、「親族の中でまとまらなかったのでは」、と推測している。
まあよくある話だし、引っかき回すのは本意ではなかったし。すぐ、次に進めた。

そして、もう一つの角地の経緯については、直前のブログの通り
所有者一人の考えだけでは、いかんともしがたいっていうケースに、またもや直面するなんて。

当たり前だけど、土地は買った人がいて、使う人が複数に及び、相続もされる。時間がたつほどに、関係する人が増えてくる。
売りに出されていない土地が簡単に手に入ると思ったのが、甘かった。

その反面、、所有者をなんとか辿れただけでもマシな方なかーと思う。

空き家問題はけっこうクローズアップされているけど、土地についても同じ問題がある。
所有者不明の土地がこれから、どんどん社会問題化していく。
地方からの人口流出、高齢化、人口減少。こんな、言い尽くされた状況が、所有者の把握を難しくしている。

6月上旬には、知事の判断で10年間は公益目的の使用や、取得手続きの簡素化ができる特措法が成立した。
「土地放棄制度」や、戸籍と登記簿との連動を検討する方針も打ち出された。
土地問題に後手後手だった国も、ようやく重い腰を上げないといけない状況に追い込まれたってことだろうなー。

でも、だからこそ余計に、この区画にこだわりたい。

所有者が本当に不明なら(特措法は別にすると)お手上げだけど、ここは違う。
未活用だった土地を使って、町内会が「ちびっこ広場」なる公園をつくっていた歴史がある。
子どもの声が響いていた、地域の記憶が詰まっている場所。そこにまた〝公園〟をつくれたら、文句なしに素敵でしょ!

この区画は、ホント雰囲気がしっくりくる。
ドラえもんに出てくるような、土管が似合う空き地。
そこに子どものハートと脳みそをくすぐるような、地元の材を使った遊び道具を添えたい。
おじいちゃんが散歩ついでに立ち寄って、座ってコーヒーを飲んで。
週末は時々、ママたちが、暮らしを豊かにするワークショップを楽しみにきて。

そんな〝公園〟があったらいい。そんでもって、その管理棟で暮らしたい。

ベースとなってるイメージは、実は千葉市にありまして。
「HELLO! GARDEN」というプロジェクト。
角地の空き地で、「小さな屋外喫茶」や、小さな農園「実験ガーデン」、「日替わり本棚」などを展開してる。
小屋(タイニーハウス)を使った「映画館」もある。
一度現地を見に行ったけど、雰囲気、色使い(自分が学生時代「イエロー」と言われてたので、黄色は欠かせない)ともに、まさにドンピシャすぎてびっくり。

千葉市にある「HELLO! GARDEN」で使われている空き地。子どもは自然と走り出す

旭川の公園ゲストハウスでも、コーヒーとか焼き菓子、極小農園は必須。
読書や宿題ができる机も並べたい。
冬は「かまくら」か雪室になる、木製ジャングルジムを置きたい。
大雪山の伏流水を汲む井戸と、その隣には薪を使ったキャンプファイヤーを・・・。

あかん、また妄想だけが膨らんできた。
まずは土地をしっかり固めないと。うん。

今週末もしっかり感じてこよ。

またもや躓いた、旭川の公園ゲストハウス

こないだの日曜日(6月24日)、ゲストハウス予定地の地権者さんとついにお話しすることができて、めちゃ感触がよかったので、ついに計画が進むかー!と期待はどんどん膨らんでいった。土地がイケる、という前提で暖房の検討(薪ストーブにするか、ペレットストーブにするか、ボイラーにするか)とかも月曜、火曜とやってきた。

そして水曜。地権者さんに意思確認の電話をする日を迎えた。もう前日からドキドキして、たまらなかった。不安よりも高揚感。いまの予定地の区画に限ってみても、地権者さんとの接触や割り出しに2ヶ月かけてたので、これまでで一番大きなターニングポイント。

宿直明けに部屋にこもってスマホを握りしめる。意を決して、日曜にメモした電話番号の数字をタップする。

「静岡県の松本です。日曜は突然すみませんでした、ご丁寧にありがとうございました。ご子息と昨日お電話をされるというお話でしたが、いかがでしたか?」

所有者の女性は落ち着いた口調で返す。

「(電話は)来ましたよ。なんかね、考えてることがあるから、『売らないでほしい』って言ってました」

あれ。え?

「あ、そうなんですね。何かされる予定なんでしょうか」と返すのがやっとで、情けないことに頭がフリーズ気味に。この後、どんな言葉を継いだのか覚えてないけれど、「またよろしくお願いします」と開き直ったように電話を終えた。

日曜は60分話し込んだけど、この日は56秒で終わった。

この後はちょうど、浜松市内でデザイナーさんや建築屋さん、設計士さん、公民連携の仕掛け人でつくるチームと打ち合わせ。進捗は伝えていたので、「うえ〜い!」と計画をスピードアップさせる場になるはずだったけど、一転してどよよ〜んとした空気が漂う。そして、やっぱりもう一押ししてみようとなり、再び地権者の女性に電話した。

浜松城公園のベンチに座って、深呼吸して、発信履歴をたどる。3コールくらいで出てくれた。

息子さんのお考えが第一なことは理解しているが、せめてお手紙をだすか、お話をしてこちらの思いをお伝えしたい。そうしないと諦めきれないー。

そんな話をしたけれど、女性は「中身は知らないけど息子はなにか考えているみたいだし、そんな話には応じることはない。もうやめてほしい。ご縁がなかったんですから」と取り付く島もない感じだった。

日曜の話では、息子さんはこの土地に一切興味を示さず、千葉に長くいて、地元に帰ってくる予定もない。女性は昭和40年代に、息子さんのためにと新聞広告で土地を買い、現地を一度も見たことがないくらいだった。なので、売ってくれるんじゃないかなーと甘く考えてた。

一方で、もし自分がこの息子さんの立場だったらと思うと、まぁそりゃそうなるよね、とも。母親が詐欺とかで騙されてるんじゃないかなと勘ぐるよね、と。息子さんはこの女性に、電話は留守電にしておいて相手が分かってから出るように、と普段からアドバイスしているくらいで、自分が警戒されているのは間違いないと思う。

さてどうしたものか。

地元の子どもも集まるコミュニティーとしての〝公園〟をつくろうとしていたので、この区画が数年前まで町内会の公園(ちびっこ広場)だった歴史を知って、勝手に運命感じてたし、そう簡単に諦めきれない。

道は三つ。

一つは、息子さんに接触することを目指し、時間をかけて地権者さんとコミュニケーションすること。何がなんでも、このベストの角地(350㎡)にこだわるパターン。

二つ目は、同じ区画の中で、売りに出されている土地(300㎡)をとりあえず買って住み、ゲストハウスと〝公園〟を作り、実際に見せて理解を得て行くパターン。今後のことを考えて、住宅のコンテナハウス、ゲストハウスの小屋(タイニーハウス)ともに動かすことはできるので。ただ角地じゃないし、半分はアパートと住宅に挟まれてる。万一、隣にアパートでも建ったら無価値になるリスクをはらむ。

三つ目は、まったく別の区画を新たに探す。コンセプトから作りなおす。これまでもだいぶ、旭川市外も含めて見てきてはいるけど・・・

立地は妥協してはいけない。それは大前提なのは分かっているつもり。ただ小さく産んで、大きく育てる考え方もある。今の区画も、この半年で三ヶ所目の候補だし、今ならここにたどり着くためにこれまでの二ヶ所がポシャったんだと思える。だから次に進むと、別のベストかベターが見つかるかもしれない。でも時間をかけて進む保証はない。なにより、公園だった地域の記憶はなんとしても生かしたい・・・

これまでのハードルとは異次元で、また躓いてしまった。退職の意思は伝えている。遠くないうちに退職時期も示さないといけない。10月から雪は降り始める。

焦ってはいけない、でも前に進みたい。

ブログを書いていていると、娘がひょっこり起きてきた。ふらふらと歩き、すぐに躓くように眠りこけた。朝になったら、また元気いっぱいなんだろな