人とつながる旭川一泊の旅③ ありがたい助言

誰もが、北海道に住みたいと思うようなグリーンアスパラのナントカ

今宵の宿は、JR系の「JR inn」。旭川駅直結で、なぜかイオンと合体してる。土曜の夜7時前。駐車場に入るのにけっこう時間を取られて、時計を気にする。旭川もいくつかイオンがあるけど、〝イオン渋滞〟はどこの地方都市にも共通するんだろうなー。うーん、なんだかな〜、だけど。

やっと駐車場の空きを見つけてフロントを目指すも、一度5階に上がらないといけないらしい。フロントは中華系の訪日客でごった返している。やっぱ勢いすごい。当然、チェックイン後のエレベーターもなかなか乗れず。

部屋に荷物を置いて、次男を抱っこして傘をさし、急いで徒歩7分ほどの喫茶店へ。地元の名士に違いない、事情通で人脈も広い税理士の先生とのお約束。

何をしようとしているか、なぜこの場所か、資金計画と時期は・・・などなど一通りお話しして、真摯に耳を傾けてくださること90分。これまで、勢いよく起業したはいいものの、夢破れて消えた人をたくさん見てきたというだけあって、すべての言葉に重みがあった。ずしんと響く。

◆立地は中途半端なもので妥協するのは絶対ダメ。

◆やっつけで進めて秋オープンにするより、冬を越して3月にした方がいい。

◆やろうとしていることがダメになっても食べていけるような副業は絶対に必要。この安心感があるかないかが、大きな違いになって現れてくる。

ありがたい・・・・!

うすうす、自分の中で都合の悪いことを「まあいいか、なんとかなるか」と過小評価していたけど、戒めてもらえた。副業も、時期も、土地の代替案も、いちおう考えてはいるけど、見えにくいリスクや長い目でみた時の取るべき選択について、冷徹に考え抜こうと思った。

この方はすでに予定地の登記情報も取り寄せて、お知り合いの不動産屋さんにも、いろいろと取材してくださっていた。紹介されて初めてお電話したのが4日前の19日だったので、すごいスピード感。 脱帽するしかない。

この90分間、退屈した次男のSOSを振り切って熱中した。頑張ってお利口にしてくれた次男へのご褒美に(?)、繁華街で道内の海産物を食べられる地元資本の居酒屋へ。

疲れ果て、乾杯にもやらされ感が漂う次男

いくらこぼれ飯、時鮭といくらの長芋和え、干しコマイ、厚岸(釧路方面、最近はウイスキーで注目)の生牡蠣、襟裳のタコ塩炙り…。襟裳のたこわさびは、今まで食べてきた中で最高にうまかった(これまでは明石・魚の棚のだった)。

ちょっと食べてぐちゃぐちゃになったけど、厚岸の生牡蠣。あしたお腹痛くなりませんように。。。自転車で北海道回った時も、厚岸で牡蠣を大人買いして関西に送ったなあ
いくらこぼれ飯。美味しいけど、改善の余地あり。北海道で食べなくてもいいレベル。よくあることだけども
あんまり美味しそうに見えない写真だけど、まあまあウマイ。時鮭といくらの長芋和え。でもルイベにしたほうが鮭は喜ぶだろうなー

グリーンアスパラはゲストハウスの予定地から近い東鷹栖の「中谷農場」さんのもの。ご飯は同じく東鷹栖の「高見農場」さんの特Aななつぼし。食べてないけど、鷹栖町「新田ファーム」の牛肉もメニューにあった。日本酒は、予定地近くの「男山」のものがなかったので、駅近くの高砂酒造さんの「国土無双」でクイッと。

北海道は食料自給率が200%を優に超える。旭川は稚内、網走、釧路、十勝の各方面からうまいものが集まる「食の交差点」でもある。地物だけみてもすごいとこなんだけど、やっぱ旭川の総合力はおそるべし。

いい感じに流れが来てると勝手に思ってるので、明日は猛取材をかけていこう。明日が今後の全てを決める気がする。                                                                      (つづく)

 

人とつながる旭川一泊の旅② 舞い込んだ特ダネ

旭川駅からは、せかせかと歩いて日産レンタカーで。昨日電話をもらってたけど、ランクアップキャンペーンをやっていて、マーチクラスで予約したのに、まだ1100㎞しか走ってない、新車のエクストレイルを配車してくれた。

ステアリングは軽く、どっしり感はないけど、タウンユースで特に女性からしたら扱いやすそう。好みとしてはタイヤにもっと接地感がほしい。操作フィールやオーナメント、パーツに本物感や艶、しっとり感がほしい。ルームミラーが、かなり頭の近くにあって、強烈な違和感。大きくないボディなのに、取り回しが良くない印象になってしまってる。でも、予定地に向かう国道39号(その名も「大雪通り」、浜松の国道152号「自動車街通り」と雰囲気がめっちゃ似てる)では上手に路面のデコボコをいなしてくれた。快適。

さて予定地に着くと、もう夕方の5時40分。7時からまちなかで待ち合わせなので、時間がない! 「ママに持っていくんだー」と、予定地に咲き乱れる花を摘む次男をよそに、あたりをブラブラ。

ピンポンを押す前に、お向かいさんが庭で作業されていたので、お声かけ。世間話をしつつ、「ここに引っ越したい」「公園のような所をつくりたい」「小屋を並べて小さな宿にしたい」と伝える。怪訝そうなというか、「なんでこんな何もないところに?」と心配するような視線を投げかけてくださる。 そばにいた旦那さんも、「当麻町とか比布町、東川にした方がいいよ。こんなとこで宿やるなんて・・・」と苦笑い。うんうん、そうだよなーと、でも内心ではしたり顔に。だからこそ、面白いんであって。

めげずにお話をしていくと、予定地がかつて、町内会が管理(提案?)していた公園だったと教えてくれた。

なんと!  これは完全な特ダネ!

今から公園をつくろうとしているのに、予想だにしない奇跡の偶然の一致!  完璧すぎるストーリーを手にれて、天にも昇る心地だった。けっきょく所有者はわからずじまいだったけど。

これは幸先良さそうだとホクホク顔になって、まちなかにとんぼ返りすることにした。               (つづく)

人とつながる旭川一泊の旅① 北海道スイッチ

朝の8時15分に浜松駅に着き、セントレア直行バスに乗りこんだ。座り心地の悪い古い遠鉄(遠州鉄道)のバスだったけど、運転技術はその辺の路線バスとは異次元。北鉄(石川県、北陸鉄道)や名鉄でも一緒。やっぱり高速バスなんかは運転手さんのレベルが違うなあと実感する。例外はあるけど

セントレアでゆっくりエア・アジア便を待つも、到着機材の遅れとかで30分ほどのディレイ。新千歳着も同じくらい遅れて、予定してた列車に乗れず。今日はできる限り「地取り」しようと思ってたので、この30分はでかい。

札幌までは快速エアポート。次男の陽己(はるき、4歳)はさかんに話しかけられ、幼稚園での様子を根掘り葉掘り聞かれて、上機嫌に。でも最近、「恥ずかしい」とか言って、前みたいに聞かれてもいないのに名前とか自己紹介することがなくなった。これも成長なのかしら。

札幌駅で、同じホームに入線してきたスーパー北斗。キハ261系が導入されてからは乗ってない

札幌で乗り換えて特急「ライラック」に。自由席は乗車率80%ほどに見えるけど、指定は30%くらい。もっと賑わってほしいところだけど、バスとの競合もあるのかしら。

次男がすごくよく寝たので、そしてパワーポイントが文字化けしてフリーズしたので、これからのことに車内でじっくり思いを馳せてみた。

しばらく本業に追われていて、旭川移住とゲストハウスのことが頭から離れていたこともあって、この一週間はけっこうネガティブな状態だった。冷めた目で「ほんとに自分やるんかいな」「一生楽しめるのか」「うまくいくのかしら」とか心配してたけど、なんのことはない。北海道に足を踏みれたら、簡単にマインドに切り替わった。もとの自分に戻れた。しかも、いっそう(思いが)強くなって。

夫婦も一緒かもしれないけど、突っ走ってばかりだと、ろくなことはない。ときどきブレーキをかけてもらって考えを深めたり、違う目で思いのほどを確かめるのって大切だわ。

同じ編成でも、シートにはいろんな色がある。緑が主体なのに一部だけブルーがあったり、赤基調なのに緑が混じったり。変化球というか、多様性の演出みたいなのが好き
この色すごい好き。青森からよく昔乗った、スーパー白鳥と同じ色のままかしら?かわいい
旭川駅の同じホームで出発を待っていた、旭川始発、網走行きの特急「大雪」。自由席は厳しかったけど、ハイデッカーのグリーン車はほとんど埋まっているという謎

ライラックは16時55分、定刻通り旭川駅に滑り込んだ。

                                                                             (つづく)

 

フェリーで目指す北海道

室蘭と岩手県・宮古を結ぶ「宮蘭(みやらん)フェリー」が6月22日、就航した。東北としては復興の後押しを期待し、北海道に多い訪日客を取り込もうと熱視線を送っているようで。新しい人の流れができたらステキ。

国内の新航路は19年ぶりなんだと。直近は1999年、敦賀-新潟-秋田-苫小牧が就航したのが最後。この航路、ゴールデンウィークに乗ったなあ。

浜松から八王子と長野を経由して新潟港へ。生まれて初めてマイカーを詰め込んだ。野球ができそうなくらい広い駐車スペースでは、10人はいただろうか、まさに職人たちが手際良く誘導していた。

間隔は必要十分にして無駄がない。
トラックや荷台はこれまたガッチリと整然と並べられ、このクルマや運転手さんがいて、いつも北の大地の食べ物が本州で流通してるんだ、としみじみ。

階段をのぼって客室階に行くと、いかにもトラック野郎、という風情のオトコたちが缶ビールを飲んでるのが目に飛び込んできた。気持ち良さそうに、ガハハと声が聞こえてくる。
船旅らしい、懐かしい光景にうれしくなった。

宮蘭フェリーの就航を伝える新聞記事にもあったけど、トラックの陸送をフェリーで一部代替できることで、働き方改革にもつながるんだって。船内にはドライバー専用の宿泊ゾーンもあるし、だいぶ負担は減るんだろうなー

家族づれも多いし、老夫婦も少なくない。高校生や大学生もまじっている。この雑多な感じがしっくりくる。飛行機と違って、いろんな人の顔が見えるしね。

高校3年の時の卒業旅行も、敦賀から苫小牧東までフェリーでいった。みんなでわいわいやって、たっぷりしゃべった。そんな懐かしさもあって、船旅はたまらない。

いざ、旭川。「地取り」の旅へ

「旭川」の文字にドキドキする

明日からの土日は久々に旭川へ。前に行ったのが5月28日(日帰り)だったから、ほぼ一カ月ぶり。えらく時間があいちゃった。それだけ進展が鈍かったんだなー

急ごしらえの、「地取り」のための旅。取材っぽい旅。ゲストハウス予定地を詰めんなん。

いま、慌ただしく準備してます。
今回もいつもと同じく、セントレアから新千歳にエア・アジア便で入る。2人で片道2万円ちょい。
平日の安いときは4000~5000円台だけど、まあ仕方ないかー。

本当は旭川⇔セントレアor羽田でサクッと行ってみたいところやけど、旭川線はJAL/ANA・エアドゥしか飛んでないので、高くて高くて。
新千歳から旭川までは道央道をビュン!と走っても、なんやなんや2時間以上かかるし、眠いし、疲れる。
もっと旭川便が増えて安くなればなぁ・・・。エア・アジアほどじゃなくても。

エア・アジア便だけ数日前に確保していたものの、帰りの便がなかなか決まらず。昨日、やっと固まった。
ほとんどの便と座席が埋まってるし、高い!!
道内の記者によれば、観光シーズンに入り、2万人が来場するデザインウイークの期間中でもあるからでは、とのこと。これは夏のハイシーズンは恐怖でしかない。。。

帰りの足はさまざま検討した。
ベストは、新千歳→セントレアのスカイマークかエア・アジア、小牧着のジェットスター。つまりLCCを使う。
でも全滅。
新千歳→羽田のスカイマークを見たけどやはりダメで、エア・ドゥも厳しい。

そこでついに、初となる旭川発も調べ、セントレア行きや羽田行き、羽田経由のセントレア行きをチェックした。
これというのがなく、新千歳→神戸・大阪、新千歳→仙台も見たものの、できるだけ長く旭川に滞在できることや、運賃をひっくるめて考えて、19時半発の旭川→羽田のエア・ドゥをセレクト。大人3.5万円で合計5.3万円。

高い・・・。しかも最終の「ひかり」で浜松に戻る強行軍になる。次男よ、申し訳ない。

でもしかし、必死になって旭川までの空路を調べてみると、ほんとたくさん選択肢があってびっくりしたし、お金さえあれば旭川は遠くないんだと痛感。新千歳⇔羽田なんて、JR特急よりよっぽど多いんじゃないかと思うくらい。

浜松から空港までの足も考えないといけない。行きのセントレアまでは、バスがいいか、新幹線がいいか次男(4歳)に選んでもらったら、「バスがいい」と言う。
すぐに3000円強の空港直行バスをセレクト。膝上で130分はきついし、トイレに行きたいと言い出したら恐怖以外にないけど、新幹線より1300円くらい安いから◎。

新千歳からはいつも「カーレンタル北海道」で小型車(1日3000円!)で借りるけど、次男がいるので、快速「エアポート」と特急「ライラック」を乗り継いで旭川へ向かうことに。(昔はこの特急、「スーパーカムイ」って名前で、妙にワクワクした)

旭川駅に着いたら、日産レンタカーで借りて移動する。二日間借りて、コミコミ6600円。

次男との初めての2人旅でもある。
ホテルの部屋で寝かせたら夜の街には行けないけど、いい経験になりそう。人と会う時におりこうにしていたら、JR北海道の789系(特急「カムイ」か「ライラック」)のプラレールでも進呈しようかしら。

北海道に、少しでもいいイメージを持ってもらうための姑息な先行投資である!

ローカルへ、もっと奥へ

6月21日の中日新聞(手元にあるのは東海本社発行版)の特報面で、整備に向けて自民党が躍起になっているカジノを取り上げ、訪日客の関心が薄いことを指摘している。

特報面は、東京本社にある特報部という部署がつくり、各地に配信して各地で必要に応じて編集している。特に東京本社(=東京新聞)としては代名詞とも言える目玉コーナーで、政権や社会面にとことん切り込む、骨のある記事が紙面を飾る。自分も学生時代、東京新聞のこのページを穴が開くように読み込み、この会社に入りたい! と思うようになった。

もちろんカジノなんて国が旗を振ってつくるもんじゃないと思うし、なんのためにやって、どれだけの効果があるのか、お金じゃなくて人を豊かにするのか、納得のいく形で示されていないので、いらない。

というのはさておき、この記事では、外国人観光客にカジノのことを質問しまくってて、その一つが目に留まった。

イギリス出身の方いわく「外国人観光客が求めているのは、日本らしさ」「最初は京都や東京などの都会に行っても、リピーターは『本来の日本』を求めて、地方に足を延ばすようになる。どの国でも地方のほうが、その国の空気感を感じられるからだ」と。

まさに地方の時代。「らしさ」の形は地方や地域の数だけあるんだから、チャンスがいっぱい転がってる。飲食も宿泊も、生命線はリピーター。空気感=生活感とも言えるし、普通の旅では飽き足らない人に、ローカルならではの暮らしを体験してもらう。

ゲストハウスに泊まったら、そんな場所にするつもり。

辞め時は、吉田兼好が教えてくれる

最近しょっちゅう、会社の同僚たちに「いつ辞めるの?」って聞かれる。ゴミを捨ててるだけなのに「おっ、整理始めたねえ」なんて言われることもある。

自分でも、いつ辞めるのか分かってない。早く決めたいけど、決められないんです!土地が決まらないので。。。

土地が契約できないと、ゲストハウスも住宅(管理棟)も、現地調査ができない。設計図も書けない。そう、何も始まらない! 完成の見通しがつかないと転校の手続きも取りづらい。引っ越しの日程も踏まえて、会社の定期異動も踏まえて、退社する時期を決めなあかんのに、決められない。

はたから見たら、辞める時期をきめられない、完全に優柔不断なヤツに見えてるはず。

会社側に退社したい旨をいったのが、5月中旬。その時も、聞きつけた幹部に〝事情聴取〟されたからカミングアウトしたまでだけど、いつ辞めるのかってホント難しい

今の仕事が落ち着いたら。やりたいことをやり終えて後悔がなくなったら。独立の準備が整ったら。 いろんなタイミングがあると思うけど、あんま考えすぎても、どうしようもないんじゃないかと、つねづね思っているのです。

中日新聞の一面に「中日春秋」というのがあって、5月30日に、こんな良いことが書いてあった。

「出家が現役引退を意味した時代、吉田兼好は『徒然草』の中で決断の難しさを述べている。何かの始末をつけてからとか、慌てずに何かを待ってからなどと思っていては、一大事などは決行できない。心に残る事柄をそっくり捨てなければできない、などといった具合だ」  だって。

兼好さんはやっぱいい事言うな〜。ほんと、そうよね。考えて考えて考えて、考えたら、答えが見つかるといえばそうじゃない気がする。特に日々、事件事故がいつ起こるか分からないような職場にいると、なんやかんや追われて、仕事以外のことを考えられなくなっちゃうし。

引き際は、エイヤ!とやるのも大事なんだろうし、エイヤ!しといてよかったーって思うことは既に何度もあるわけで。

NHKとの〝和解〟

ついにNHKの受信料を払うことにした。

ちょっと前に、NHKの委託を受けて受信料の徴収をしている会社の担当者さんがマンションにやってきた。わが家が1年以上、衛星契約のお金を払っていないから。

もともと、自分が不在の時、別の会社の担当者が家にきて、「おたくのマンションはBSが見れる環境ですから」と一方的に話をして、それまでの地上契約はダメだからサインを、と妻に迫ったのがきっかけ。

やり方に腹が立ったので問い合わせても、チューナーを買えば見れるからと埒が開かず、NHKに聞いても、「現場に言ってくれ」といった感じで汚れ仕事はしたくない様子。法的な解釈論について言うと、現場の人はNHKに聞いて、の一点張り。まず現場の説明してほしいと言っても一度来たくらいで、ぜんぜん納得のいく話はなかった。

ところがところが。今回来てくれた人は、「今までの受信料について云々ではなくて、これからの契約をお願いしたい」と切り出した。

あれ、これまでとアプローチが全然ちがう。

こちらはすかさず「NHKさんには高いクオリティの番組で子どもがお世話になってる。見ている分についての対価なら、今すぐお支払いする。これは今までも言っている。地上契約で未納はなかったでしょ。でもBSはやっぱり映らない。それに月1000円上乗せするのはおかしいでしょう。それ契約ですかと」。放送法上の義務についても触れながら。

するとあちらは、「そうですよね、では映るかどうか見てもらえないか」と。

お、なんかいい感じ。

ほんとに映るのなら払おう、と自分は密かに思い始めていた。そこから、ケーブルをどこの端子と繋ぐとかいろいろ試行錯誤して、言われた通りにやってみた。でも、どうやっても、BSがつかないことが証明されてしまった。

そこでどうするかと思っていたら、担当さんは「はい、つかないことが確認できたのでお客さまは地上契約でお願いできれば」と潔く即応。すごい。すぐさまハンコを押すことになった。こっちもスッキリできて嬉しい。

「面倒な客でごめんなさいね」と言うと、「いやいや、優しい方でよかったです。物投げられることもよくありますから」と担当さん。ほんと大変な仕事だなあとしみじみ。いろんな嫌味を言われて、暴力に近いこともされて、やってられないことも多いだろうな、とあらためてしみじみ。

同じ、契約を取るという仕事でも、組織や人が変わると、こうも違うのかとびっくり。最初からすべてを得ようとせず、相手の話に上辺だけじゃない共感を示す。その上で譲歩を引き出しやすいポイントを絞って、実際に体験してもらって納得いてもらい、気持ちよくお金を払ってもらう。

勉強になるなあ。

進まない土地選び。もう「地取り」しかない

6月18日、旭川の不動産屋さんに久々に電話をかけた。ゲストハウス予定地として、稚内につづく線路に面した350㎡の土地の所有者と交渉してほしい旨を伝えて、ちょうど2週間たったので。

なかなか土地が決まらない。モヤモヤ、ドキマギする状態はけっこう続いているわけで・・・

法務局に行けば登記事項はすぐ確認できるので、そこから所有者のお名前とだいたいの住所が分かった。けど、実際にその住所をたどってみても、当事者らしき人には行き当たらなかったということ。所有者は女性なので、美容室なんかも当たろうとしていただいたみたいだけど、現時点で見当がつかないとのこと。これは仕方ない。どこまでもお金にならない仕事をお願いするわけにもいかない。

空き家問題が全国的に言われて随分たつ気がするけど、土地にしてもおんなじで、所有者が亡くなったり、相続されても登記されていなかったり、転居してそのままになっていたりと、持ち主が不明なケースはごまんとある。すごい勢いで進めば、大げさでなく国土の荒廃にもつながるので、国もうまく処理・活用できる法整備?かを進めているみたい。逆立ちしても活用できない土地が増えていくんだから、よく考えたら大変な問題。「もったいない」どころじゃない。こんな身近なところで、自分ごととして立ちはだかるとは!

どうしたものかと、地元新聞社の友人や地元の情報通の方を通じて、司法書士(兼土地家屋調査士)の先生に聞いてみた。すると、「昔はできたけど、いまは個人情報をそこまで辿れない。境界で争いがあるとか特殊な事情がない限り、土地を買いたいだけでは調べることは職権でできない。法的にはどうしようもない」とのこと。

げ!

もう、ひさびさに雷に打たれたような感じで、けっこうなショックを受けてしまった。土地ってこんな難しいのね・・・。いろいろあるとは思ってたけど。土地は5月に決める腹づもりだったけど、もうリミットの6月末が迫ってきてるんだなー。変に焦ったり妥協したりはダメなんだけど。

ということで、この週末に現地に行くことにした。なぜか次男を連れて。

事件とかの取材で、現場や関係者の周辺をあたるとき、一軒一軒お家とかをピンポンして、お話を地道に集めていく取材を「地取り」と呼んでます。この土日、まさに旭川で地取りをして、予定地のご近所さんに所有者の行方を聞いたり、登記上の住所の周辺を探ったりしてみようと思う。これ以上、静岡で事件が起きませんように。。。

年内の移住にも暗雲が垂れ込め始めたなー

「阪神大震災」の記憶

高槻市を中心に大きな被害を出した大阪府北部の地震。震度6弱は近代的な観測が始まって以来初というのもびっくりやけど、関西の人にとっては、1995年の阪神大震災の記憶がよみがえって苦しくなった人もいたんじゃないかと思う。

西宮にある実家は今回、食器が割れたらしい。出勤途中の叔母は電車が動かず、足止めをくらった。それだけでも軽いことではないけど、あの時は今思えば、すさまじまった。

23年前も、建て直す前の実家は、これ以上ないというくらいに食器という食器は割れ、玄関のドアは開かず、水槽が割れた。二階で寝てたけど飼っていたセキセイインコがけたたましく鳴き叫び、その直後にドン! と襲われた。タンスが倒れてきて、打ちどころが悪ければ親も無傷ではいられなかったと思う。電気がつかず暗いなか、ピチピチと跳ねる金魚を踏みつけて一階の様子を探った。

阪急電車や阪急電車は、特撮のゴジラ映画みたいにレールが波打ち、慣れ親しんだ駅舎はボコボコになっていたところもあった。JRもしばらくずっと寸断されていて、発災から時間がたってから、避難していた金沢から神戸市の祖父母宅に向かう時なんかは、日本海側まで迂回していたくらい。鉄道がつながっていない状態は、精神的にもなかなかきついものだと、子供ながらに思ったなぁ。

地震の起きた日は、小学校の体育館で一夜を明かし、そのあとは親戚の家を転々とした。ボランティアのおばちゃんから体育館でもらったオニギリがおいしかったこと。長い列に並んだ給水の時、小学四年生の自分にとってポリタンクは重いからか、知らないお兄ちゃんがスケボーを貸してくれたこともあった。居候している家のトイレは流れないから、家族以外の汚物も一緒にどんどんたまっていった。

自然の揺れひとつで、人はこんなにも不自由するのかと思うと、水や電気、交通といったインフラが当たり前にあることは実は当たり前じゃないんだ、と分かった。

今回も報道されていないところで、大変な思いをされている人がたくさんいるはず。散乱した家の中の片付け一つとっても、途方にくれてなかなか手につかないはず。通勤・通学の時間帯を襲ったこともあって、都会は災害に脆弱だなあと、しみじみ、あらためて考え込んだ。

亡くなった4人の方々に手を合わせる。9歳の女の子も先を閉ざされてしまった。いつも通う学校にある、何度も見て慣れ親しんだ壁が、絵の描かれた可愛らしい壁が、自分に覆いかぶさるという恐怖を想像する。

倒れてきたブロック塀の下敷きになることは、これまでもあったらしい。大きな地震はどこでも起きる。絶対に繰り返したくない。明日は静岡で起こるかもしれない。