家族全員で迎える宿に

いつもお世話になっている(でも実は初対面)沖電気工業の松山和馬さんと、ご紹介いただいたジャパンケーブルキャストの徳永慶一郎さんが旭川に来られた4月24日夕のこと。旭川の間違いない名店「ぎんねこ」で家族みんなでお迎えし、ご飯を食べる幸運にあずかった。

そこで松山さんも徳永さんも「家族っていいよなぁ、一緒にいるって大事だよなぁ」と口をそろえていらっしゃった。松山さんは知的障害のある長男・大滋(たいし)の小さい時(愛知県瀬戸市時代)からご存知で、底抜けフレンドリーなキャラクターも全部ふくめて、「家族の良さは、価値になるよ」とおっしゃった。

過分なお言葉で、自分の家族のことを文字にするのはめちゃくちゃ面はゆいけど、ゲストハウスをやる上ですごい大切なことを思い出した。

宿をやろうと思ったのは、①自分が旅・宿好きだから②地域の人と外の人も交われるメディアだから③地域のあらゆることに絡む裾野の広い存在だから―という理由があったけど、家族のことを考えた結果でもあった。そういえば。

自分がやりたいだけじゃなくて、妻や子どもたちにとっても楽しくて豊かに生きれること、もっといえば、全員で強みを生かせる仕事はなんやろかと考えてたんだった。そして宿、とくに民宿や家族経営のユースホステルのようなイメージが浮かんでいた。自分にとって原体験の卒業旅行で初めて行った屈斜路原野ユースゲストハウスも、そんな存在のあったかい宿だった。

松本家の子ども3人はまったく人見知りせず、図々しいくらいに大人の懐に入っていく。大滋も、同世代といるより大人と一緒にいるほうが大好きなようで、愛想を振りまき、外国人を見かけると、所かまわず「ハロー」と声をかける。だから、自然と笑顔を招く。

こういうのって、もし自分がゲストだったら嬉しいと思うし、地域暮らしを見せていく宿を展開するんだったら、家族をまるごと見せてなんぼ。自分たちそのものを売っていく、とも言えるかなと。家族みんなが旭川暮らしを全力で楽しんでいることを、どんどん出していく。そしてゲストに旭川や周辺のファンになってもらう。そんな循環ができたら嬉しいなって思う。

ゲストハウスといっても、いまやものすごく多様化していて、経営主体も家族から個人、学生仲間、株式会社とさまざま。

その中で、自分たちだからこそできるのは、自分の自慢できる家族でいろんな人たちをお迎えすること。お迎えというか、一緒に楽しむこと。松山さん、徳永さんとゲラゲラ3時間も笑って、久しぶりにそんなことを思った。

会社を辞めて北海道でゲストハウスをやると宣言したとき、「家族いるのに何考えてるの」とよく言われたけど、家族がいるからこそやりたいし、見せていきたいものがあったんだよね。そういえば。と、無理やり正当化してみる。

アツくなり始めた小樽

荻野さんの実家のお寺から見下ろした小樽の中心部。坂の多いまちだなんて、知らなかったなぁ

北海道には何度も何度も上陸しているけど、ド定番の観光地ってほとんど行ったことがない。小樽もその一つ。でも当麻町のスノーキャンプで荻野容子さん@小樽と知り合って、いろいろ現状を聞くにつれて興味が沸いたまちでもある。で、ちょうど取材の仕事で小樽行きが決まったので、(ちょうどホテルの取材で宿泊も!)ゆっくり歩いてきたわけです。

駅は出入り口が一か所しかなくて、熱海みたいな感じ。ロータリーは、タクシーや自家用車が見境なくごちゃごちゃしている。駅前の一等地にはパチンコ店がどでーんと構え、「東京」と名の付く雑貨店が幅を利かせ、あんまり風情が感じられない。風格のある石造りの建物にまじって、けっこうな数の中層マンションが幅を利かせている。なんだかなー。

北一硝子とかがあるメーン通りは土産物屋さんが所狭しと並んでいて、たしかに活気はあった。とにかく、アジア系の訪日客が多い、多い。どこを見渡しても歩いてる。すごい。旭川の買物公園の10倍くらいいそう。

噂によれば、香港あたりの投資家が小樽に注目して、有望な粒を探し回っているとか。ニセコ、札幌、富良野と投資家の目が向いている地域はいくつかあるけど、残念ながら旭川もという噂はまったく聞かない。

小樽は北海道新幹線も新たに延びてくるし、札幌からの近さも手伝って、ホテルの開発圧力も高まってる。小樽市としては、景観守るためにかなり厳しい要件も課しているみたいだけど。

荻野さんによれば、観光業界の界隈では一定の盛り上がりがあるけど、地元の暮らし(生活)とはちょっと離れたところに存在しているイメージ。過疎地に指定されていて、産業の広がり(裾野)も限定的で、地元経済はなかなか厳しい状況なんだとか。

ただ近年は、移住組やUターン組の若手がお店を持ったり、地元の小樽商大の学生がゲストハウスを開いたりして、新しい動きも出てきているそう。いいなぁ。

札幌とかとは違った背景で、地元がどんどん疲れていくのを見て面白いタネが徐々に花開いている状態なのかもー。

連れて行ってもらったカフェバー「石と鉄」は海外経験が長いオーナー・中源博幸さんが石蔵をリノベーションし、ハイセンスな空間を自ら創り上げていて驚愕! 圧倒的な存在感だわ。7月から「石蔵に泊まる」がコンセプトのゲストハウスもオープンするらしい。なんとしても泊まりにいこー。中源さん、後で知ったけど北海道新聞に出てたわ。

お昼ご飯は、札幌から移ってきた「なかよし食堂 ぺぺちゃん家」へ。荻野さんや店主ご夫妻が友達のように(実際に友達)おしゃべりを楽しんで、お客さんも知り合いがどんどん吸い込まれていく。コミュニティー感たっぷりの店。自分が旅の人だったら、こういう所にこそ行きたい。運河とかよりも。そこで暮らす人の息遣いが感じられるから。たぶんきっと、お客さんも濃い人たちに違いない!

案内してくれた荻野さんは「海外旅行でスーパーに行ったりすると、本当のその国のことに触れられる気がする。そこの普段の暮らしを見たいと思う人が増えていると思う」。旭川公園のコンセプトにも合ってるので、勝手ながら意を強くしてました。観光や旅行の専門家ではない、でも地元に熱い思いのある若い人が小樽のまちを変えていく。そんな予感がするなぁ。特定の産業におんぶにだっこじゃなくて、みんなで創っていきたい気分だわ。

米づくりのお手伝い、はじめました

茶碗一杯で、白米は3200粒くらいあるらしい。一本の稲穂からは70粒くらい。白米は一粒残さず食べることを30年以上やってきたけど、農家さんの苦労を知る機会はほとんどなかった。

2018年10月に旭川に移住してきて、近くの森に入って林業を間近にみることはあったけど、農業はシーズンじゃなかったので叶わなかったのもあって、ずっと、やりたいな~と思ってもいて。

そんなときに、東旭川の坂井ファームさんが人手不足で困っているとお声がけしてもらい、お手伝いをさせてもらえることになった。

田起こしこそしなかったけど、4月15日からまず種まきをさせてもらった。「まくday」という機械に土を入れて、苗箱を流し、パレットに積んでいくという作業。マット土は、ベッド代わりの「床土」と掛け布団代わりの「覆土」に使うのだけれど、1袋18㎏もある。すぐになくなるので、ひっきりなしに袋を持ち上げて機会に投入する。(時々、越冬したオツネントンボもまじってる) 種の入った苗箱を慎重に13枚重ねてパレットへ。苗箱は1万数千枚を用意するので、何日も何日もかかる。

苗箱は軽トラでビニルハウスに運ぶ。ハウスは50mくらいの長さがあって、大声をださないと反対側の人の耳に入らない。ほとんど隙間なく苗箱を敷き詰めていき、水をかけて、シルバー色のビニルをかけたり、アーチ状の骨組みに沿ってビニールをかけたりして保温する。ビニルをきれいにかけるだけでも、大汗をかくような重労働。これを家族中心にやっていくのだから、それはもう大変なこと。

自分にとっての楽しみは休憩タイム。作業している全員が集まって、コーヒーやジュースを飲んだり、お菓子を食べたりしてしゃべる。みんなで同じ時間を過ごすのがいかにも共同作業っぽくて、なんだかコミュニティー感もあって気持ちいいー。お昼にジンギスカンをいただいたこともあって、幸せすぎた。

田植えまでの一ヵ月は、ずっと気が抜けない。ハウス内の温度や芽の状態をこまめにチェックして、調整する日が続く。

2代目のお父さんは「自然には勝てねえ。勝ったり負けたりじゃなくて、負けて負けて、というのもある」と休憩時間によく話している。風や湿度を全身で感じながら、天気予報も確認し、作業のずっと前から天気を読む。この天気に収入を左右されるのだから、重みがある。

「いただきます」の一言にも、自然と気持ちが入りそうな経験をさせてもらっている。田植えを楽しみに、できる限りお邪魔したいなー。

白樺樹液あれこれ

雪解けが進んでくると、にわかに存在感を増す「森の恵み」がある。北海道を象徴するような白樺から抽出する樹液。「樹液いかがですかー」とお声がけいただき、いろんな味を楽しませてもらえる。幸せ。

いちばんのおススメはご飯。お水の代わりに樹液を入れて炊くと、艶、張り、みずみずしさ、ふっくら感すべて、いろいろ試した中で最高級だった。水道水じゃなくて天然水にしても、ここまでの違いはなかった。なによりも、口に含んだ最初の瞬間の甘さといったら・・・!

ほかにもいろいろ試してみた。スナックにも白樺樹液を持ち込んで、ウイスキーを割る水の代わりに入れてみた。めちゃ甘い。もともと水割りがそんな好きじゃなくロック派なのもあって、あんまり好みじゃなかった。焼酎にはもっと合うらしいので、早く試さなあかん。



しゃぶしゃぶにも使った。アクが出にくいらしいけど、正直そこまでよく分からなかった。でも、白樺の樹液を使ってしゃぶしゃぶしたお肉は、間違いなくおいしく感じられるわ。あと、コーヒーに入れても甘くなる。

甘さがかなり増すので好き嫌いが分かれるかもしれないけど、とにかくストレートの「一番搾り」を飲んでみるのがおススメかも。加熱して製品化されたものより、とろみと濃さがあって、「あぁ生きてる」と感じられる。この時期しか飲めないので、来シーズン、旭川公園に来てくれた人には振舞えるようにしよう!

白樺樹液を振舞ってくださる、当麻町のとうま振興公社の石黒さん

森からつくる、白樺スツール

豊かな山に囲まれて、年輪の密な北海道ならではの広葉樹が近くにあって、しかも全国的な家具の産地。そんな旭川に来たよそ者がゲストハウスをつくるんだから、自分で森に入って好きな木こりさんに切ってもらい、顔の見える職人さんに加工してもらって、ここだけの家具をつくりたい。そう思って始めたのが、オリジナルスツールづくり。

最初は北海道らしい(業界では高級材として引き合いの多い)ミズナラでやろうと思っていたけど、道立の林産試験場や旭川大学、地元の職人さんたちの間で「白樺プロジェクト」が動き出して、自分もお邪魔しているので、当たり前のように白樺にシフト。なんで白樺に着目しているのかは、またあらためて。

4月10日、ゲストハウス予定地から車で10分くらいの裏山「突哨山」に出撃。国内最大級のカタクリの群生地として有名で、アイヌの聖地でもある。

雪解けが進み、いたるところで小川のように水が流れ、せせらぎの音が気持ちいい。森を少し歩けば、春の装いに変わりつつある「里山部」のフィールドに入った。木こりの清水省吾さんが管理する、とっておきの私有林。

清水さんと一緒に森を歩いて、いちばん「適した」白樺を探す。適したというのは、▼まだ成長の余地がある=価値が大きくなるものはできるだけ切らない▼搬出・散策のための道から近い▼切った時に、周辺の木々に影響を与えない(ほかの木の成長を促す、倒れる原因になる風の影響をできるだけ避ける)▼真っすぐ立って、家具の板に使いやすい――といった条件を満たすかどうか。

何本か見て、きれいに樹皮が残り、樹齢70年くらい、径30センチくらいの立派な個体にたどり着いた。「よし、これでいきましょう」

すると清水さんはひざまずき、アイヌ式のお祈りをして「いただきます」の思いを伝えた。そして倒す方向を吟味する。樹上を何度も見て、周辺の木の生え方を繰り返し見て。ときどき道路で見かける、三脚を立てた測量みたい。

ここできちっと角度を見極めないと、ほかの幹や枝に干渉すると痛めてしまうし、搬出がめちゃくちゃ難しくなる。丁寧に、木と森のことを考えて生かし切るためにも、とっても大切な作業。重機でバサバサっと皆伐するのとはわけが違う。自然への向き合い方が違う。

チェーンソーで「受け口」という三角錐の形の切れ込みを入れ、何度も調整して、最後の一入れで狙い通りに倒す。無駄のない美しい仕事だから簡単そうに見えるけど、アーチェリーで的を射抜くような繊細な作業は、綿密な計算と集中の賜物。完成された仕事は、さらっとやっているように見えてしまうから、これまたすごい。

枝を払って、210センチごとに切って丸太にする。木口(断面)からは樹液があふれている。あぁ、生きてるんだなと。新聞記者時代に取材で入った静岡・天竜の森で、伐採直後の木口が濡れているのに驚いたことを思い出した。

切ってからが大変。環境のために重機を使わない〝漢気〟を身上とする清水さんは当然、人力で運び出す。2mちょっとになった白樺は、その可憐なイメージからは想像できないほど重い。60kgをゆうに超える重量級で、100mもない距離を、何十分もかけて運び出した。雪で足が取られて、丸太も雪でつっかえて、休憩しないとやっていけないほどの重労働。自分も全身バキバキになり、小学校のマラソン大会の後に吐きそうになった記憶がよみがえったわ。腰も逝ってしまいそう・・・。

でも雪解け水をろ過して喉に流し、うず高く積まれた薪を眺め、鳥のさえずりを聞いていると、すごい勢いでこの白樺が愛おしくなってきた。この森で育ち、重機でなくきちんと人の手がかけられた、美しい木肌の白樺。

清水さんは「これは世界で一番、大切にされている白樺です!」と。うん、そうしたい。無駄なく、生かし切りたい。せっかく家具にさせてもらうんだから、お客さんに一目ぼれしてもらって、座って幸せになって、可能なら作り手や生まれた森のことに思いをはせてほしい。小規模だからこそできる、顔の見える、丁寧で、ここにしかないものづくりをしたいなー。

終わってから林道入り口で、軽トラを囲みながら、清水さんと森や白樺プロジェクトについてああでもない、こうでもないとダベる。

北海道のあちこちで森がおかしくなっている。大きなメーカーや行政は森を見ていない。生態系に無理をしない木の使い方ってなに?→持続的に森の恵みをいただくってどういうこと?→森や森を暮らしに落とし込みたいよね→だから北海道ならではの里山だよね→1700種類の動植物に愛される、この里山だからこそできることあるね!

白樺も突哨山も清水さんのスタイルも、ポテンシャルの塊でしかない。

いろんものが詰まった、重い、重い白樺の丸太は、これから乾燥と製材に入っていく。そして、森づくりで有名な岡山県西粟倉村へ旅立つ。西粟倉のチャレンジングな職人集団「ようび」にはサンプルを既に送っていて、「白く美しい木肌。削りたては竹に似た香りですね」と良い手応えをもらっている。旭川に戻ってきたときに、この白樺をどう愛していこう。どう見せよう。ワクワクが止まらない。

ほとばしるエネルギーを感じたくて、十勝で「一年生」になった

旭川で会社を経営している方々とお話ししていると、面白いくらいに「十勝のエネルギーはすごい」と口をそろえる。確かに宿泊施設もおもしろいのが多いし、開拓者精神が強いイメージがある。ずっと気になっていたので、まっさらな目で見ようと、飛び込んでみた。

とかち帯広空港から車で10分のところに、更別村というまちがある。耕地面積は日本随一で、大規模農業を展開していて、高所得の農家さんも多い。人口は3200人。そこに2017年、「十勝さらべつ熱中小学校」ができた。

山形県を皮切りに始まった「大人の社会塾」で、地方創生を進めたい国の後押しを受けて全国に広まった。全国の一流の先生から刺激を受けまくるだけじゃなく、十勝なんかは部活動がめちゃ盛んなことが特筆すべき点。校長の山井太さん(スノーピーク社長)が部長を務める「野遊び部」、自然界のものだけでオリジナルクレヨンをつくる「クレヨン部」、小麦の新品種づくりから始める「ピザ部」とか、おもしろい動きばかり。みなさん、ここでの人の繋がりが好きで、何期も受講してる人が多い。

4月6日に第五期の入学式と特別授業があった。いやぁすごかった。180人超が受講する大所帯で、全国12の熱中小学校のなかで最大なんだとか。半年で22回(平均)の授業があって10,000円とか、もうタダに近いレベル。

更別村長の西山猛さんは挨拶で、「あなたにしかできないことが、ここならできる。人生の扉を開いてください。私は何もしないことが怖いです。変わらないためには、変わらないといけない。失敗してもいいんですよ」と元気はつらつ、呼びかける。月並みだけど少年のような満面の笑みをずっと浮かべてる。かっこいいリーダーだなぁ。

「これからは人づくりだ」と開校の打診を受け、自身も駆け回った西山村長

最初の授業は「道徳」で先生は、勉強を教えない塾を開かれている福田幸志郎さん。小中学校は同級生がいない、一人だけの環境で育った。中学校の教員をへてNPOで活動し、発想を鍛える塾を開業された。

授業は「環境を変えることで発想は広がる。心の国境を越えていき、味方を増やすにはどうするのか」というのが大テーマ。話の展開やテンポが絶妙で、実践するためのワークも負担にならず楽しめた。「物語」を通して自分を伝えていく上で、「現在への共感」「過去への理解」「未来への希望」を意識することが重要なんだとか。あらためて体系的に言われると、なるほど確かに!

2コマ目は「共生」で、地元のでっかい雑穀卸「山本忠信商店」の山本英明社長。歴史を紐解く大切さを説かれ、十勝でなぜ豆の生産・販売が盛んになったのかを紹介し、「農家寄り添って一緒になって作ってきたという誇りがある。社員にもそう思ってほしい」とマシンガントークでお話しされ、圧倒された。ミッションやビジョン、変化に対する仮説立てがいかに大事か、ほんと分かった。数分おきに聞く人を爆笑させるトークも見事すぎて、汗だくになるそのお姿に、パワーを頂かないわけがないわけで。

アツすぎる山本社長

山本社長は、十勝の開拓の祖と言われる依田勉三の生き様にも触れて「十勝人の気質、チャレンジ精神はここから出ているんです。ことごとく失敗しても諦めないでやった」とおっしゃった。なるほど、ここか。官に頼らず、民のパワーの源泉がこういう所にあるのかと。

夜は福田先生や、事務局の亀井秀樹さんや、アイヌのオシャレ極まりないデザイン雑貨を作っている小川基さん(ToyToy)らと飲んで、そのまま配信スタジオで収録。動画見たら顔真っ赤だし、ツマミを嚙み嚙みしてるのがそのまま写ってるし、恥ずかしいことこの上ない。。。かなり酔っぱらっていて、なに言ってたのか全然覚えてない。すべての北海道民にお詫びします。

||| 石黒康太郎さん ///「遊びをつくる」が仕事の当麻人。夢は仕事をつくり、ごちゃまぜの地域をつくること       

1980年、札幌市生まれ。福祉の道に入ろうと進んだ大学で、障害ある人を支える楽しさを知り、当麻町の施設で11年間、利用者と一緒に過ごしてきた。縁あって当麻町の振興公社に入り、まちづくりの世界へ。「これ、いけんじゃない?」「じゃあやりましょう」。スノーハイクやスノーシュー、鍾乳洞ナイトツアー…と矢継ぎ早に企画を打ち出し、やってみるという仕事を繰り返している。ただ自身は大きな「課題」を抱え、実現したいとっておきの「企画」を秘めているらしい。

高校3年の時、祖母が病気になり、ヘルパーが自宅に来るようになって高齢者福祉に興味をもった。道内の医療系の大学で実習に参加したが、コストや手間を惜しむことばかりが優先されていることに反発し、意見をして煙たがられた。紹介を受けて札幌で障害者ボランティアを始め、「こんな楽しい仕事をなんで知らなかったんだろう」と衝撃を受けた。施設で当直をして、明けてから授業に行くという生活を送った。

喜怒哀楽がストレートで、自分の感情に素直。自己防衛本能が強い。普段との些細な変化に気が付き、手を差し伸べる人もいる。「障害を持っている人にはかなわない。だから一緒に過ごしたい、働きたい」。そう思うようになり、卒業して2日後から当麻町の施設で働いた。

東日本大震災が発生し、北海道庁から派遣されて岩手県山田町の障害者支援施設でサポートした。「家族の助けがない利用者にとって、頼れるのは職員しかいない」と痛感。下の子どもが生まれたばかりだったが、自分の家族には「大きな震災があったら、みんなを置いて施設にいくから」と決意を伝えた。

年末年始に寄る辺のない利用者がいたら、一緒に年越しをした。帰省しだしたほかの利用者の動きが気になって調子を崩していた人も、妻の実家に招いて同じ時間を過ごすと、穏やかになっていくのが分かった。「この仕事をやってて良かった」と思えた。休みの日はバーベキューをしたり、屋久島に旅行に行ったりと、利用者第一の仕事をした。周囲からは「公私混同だ」と批判もあったが、意に介さなかった。

「『護ろう』という意味がある『介護』ではなくて、できることや得意なことをどう増やすかの『支援』。どうすればできるようになるか、という発想が大事で、行動や人生の選択肢は多いほうがいい」と言う。

当麻町に越してきてから、地域のイベントや団体の集まりには極力顔を出すようにしていた。地元の人が「見どころがない。なにもない。面白くない」と言うのならばと、面白いモノやコトを見つけようとした。人脈も広がっていき、人材の宝庫で、すぐに動けるコンパクトさがある当麻がどんどん好きになっていった。

2016年7月には「とうま振興公社」に転じ、20本近くの企画を放ってきた。「こういうのやりたいんだけど。これいけるんじゃない?」と言えば、周りから「だったらこうしたら?」とすぐボールが返ってきて、組織内で調整してすぐ試し、振り返って報告する。それをルーチンワークにしてきた。「自分が楽しいと思ったことを信じてやってきた。全部遊びから、新しい企画がうまれる。子どもの発想をもったおっさんの集まりなんですよ」とトレードマークの髭をさする。

実際のツアーやイベントでは、アウトドア全般の知識をフル稼働させて、子どもでは考えつかないようなリスク管理から、参加しやすい仕掛けまで手がける。雪上テントや、大樹のそばで、得意のコーヒーをいれて楽しませる。

地域づくりでは、「ごちゃまぜ」が一番いいと考えている。小さい町だからこそ町役場や公社、民間が垣根を越え、当麻以外の地域の人たちも巻き込んで一緒に動く。そして、それぞれの役割を認識し、意見をぶつけ合う。当麻町のまちづくりに関わって、初めて「強いチームってこういうことなんだ」と分かったという。

ごちゃまぜの地域をつくるには、障害のある人が楽しみ、力を発揮できる場所が必要だ。「例えば大雪山系の旭岳に登ろうと思ったら、それなりの準備やリスク管理がいる。でも当麻なら、もっと気軽に行けるフィールドがある。その時に、車いすを押すような仕事を障害のある人にやってもらうこともできる。当たり前に一般就労ができるようにしたい。障害を持っている人もない人も地域で仕事ができて、楽しく生活できるような町にしたい」

大学3年のとき、ボランティアで親しくなった障害のある女性が妊娠し、周囲から出産に猛反対されることがあった。「あたしと石黒と、何が違うの?」 そう聞かれた場面が、ずっと頭に焼き付いている。「生涯の課題。まだ答えを探してるんです」。全力で遊び、楽しんだ先の当麻にこそ、見つかるような気がしている。

森から始める家具づくり、はじまりました

ふだんお世話になっている、マニアックな住宅や店舗を手がけている㈱会社アーケンの藤原社長の企画で、新元号「令和」が発表された日に、旭川北部の江丹別に行ってきた。

江丹別といえば、「世界一の村」を本気で実現すべく飛び回る、ブルーチーズで有名な伊勢ファームの伊勢昇平さんの暮らすところ。伊勢さんはどんどん移住者を増やしていて、冬は旭川で一番寒いところなのに、最強にアツいというのはよく知られているはなし。

その伊勢さんの森に入って、地元で新築される建物に使うシラカバ材を切って、人力で搬出しようというのが今回の企画。藤原社長や、毎度おなじみの木こりの清水省吾さんとは極秘の「シラカバプロジェクト」でもご一緒していて、その一環としてもマストイベントだった。

4月1日というのに朝の気温はマイナス10度くらい。7時に雪に覆われた牧草地に集合して結団・出陣式。藤原社長は「建築や家具はどこのものを使っているのか、なかなか見えにくい。でもそれをアピールしていきたい」と挨拶された。 食べるもの、特に野菜とかお米、魚なんかはどこの誰が作った・獲ったものか気にする人が増えてきたけど、林産物はそうじゃない。でもこれってやっぱり、変だなと思う。

「木は口に入れるものじゃないから」と言う人もいるけど、これほど人間の暮らしに密接な資源で、これなしに生きていくことは不可能で、持続可能性を考えたら木質資源を効率的・合理的に活用せずに地球を延命させることはできないのに。

「自伐型林業」を〝漢気〟で展開する清水さんのスタイルもまさに同じことだし、「顔の見える、ここにしかないもの」を繋いでいくことが使命の旭川ゲストハウスとしても、ドストライクな考え方。

今回のイベントでは、家具職人や旭川大の学生さんやハンター、札幌や旭川の設計士さん、木こり見習いなど、めっちゃ幅広い顔ぶれの25人が参加。みんな、顔のみえるものづくりをそれぞれの分野で実現したいと考えているアツい方々ばかりだった。

みんなで手分けして伊勢さんの森に入り、まっすぐ伸びて6mくらいあるシラカバがないか、探し回る。いくつか候補を上げて、いざ選定。太さ、周囲の木々とのバランス、風の通りの見極めなどなど清水さんや藤原さんらが意見を出し合って、一本に決めた。

樹齢60年くらいで、径が40センチ弱もある大木。あと十年もしたら寿命を迎えるであろうこの木に寄り添い、清水さんは「木こりとしては腐らせたら負け。切らせてもらっても森への影響は大きくなさそうで、あと十年は生きる命だったとしても、大事に生かすことにしましょう」と参加者に呼びかけて作業に入った。

まずは2m弱積もっていた、根本近くの雪を掻きまくった。準備ができると、清水さんがアイヌ式の祈りで「いただきます」を唱え、その巨大な窪地に入り込んで、切り込みを入れていく。1ミリの狂いが、木の頭が着地する場所で1~2mのずれにつながる繊細な仕事。なんども目視で角度を確認する。少しずつチェーンソーの刃を差し込んで、クサビを打ち込む。木こり見習いのメンズ2人に向けて「あらゆる危険を想定する。『かもしれない』でやらないと、命を落とすから」と実地指導しながら。そして最後の一伐りで、狙い通りの角度で倒した。沸き起こる完成と拍手。清水さんはハイテンションんでガッツポーズをした。命をかけた緊張から解き放たれて、全員で「収穫」を喜ぶ。

木の命をいただく、まさに「収穫」の瞬間。ここから見て、ここでしかできない家具をつくれるとしたら、これ以上のものづくりはないんだろうなーと思う。施主は一人だとしても、それを今回みたいにみんなでシェアすることで、木や林産物への接し方も変わってくる。

伐って終わりとか、使うだけとか、そんな次元ではなく、「上流」と「下流」、木こりから製材、メーカー、販売者まで一本につながる素晴らしさ。この体験やものづくりをこそ、見せていきたいし、売っていきたい。豊かな資源があって、プレイヤーがうじゃうじゃいて、適度にくすぶっていて。その旭川だからこそできることっていっぱいある。

終了後は、伊勢さんや江丹別の「あらかわ牧場」、まちなかの「ジャパチーズ」の超絶おいしいチーズをたらふく乗せたピザをみんなでいただく。そしてみんなで、森づくり、地域づくりの可能性をかみしめたのでした。ごちそうさまでした!幸せ。