クルマ屋さんにある公園の研究

浜松駅からクルマで10分くらい行ったところに、スズキアリーナのお店があって、車が売っている。当たり前だけど。でも二台しか展示してなくて、半分(それ以上?)のスペースは、常識はずれの子どもの遊び場になっている。

「LimoLimoもりた」っていう名前で、玩具で有名なボーネルンドがプロデュースしているキッズスペース。ボーネルンドはヨーロッパ各国のおもちゃを扱って、行政施設とか学校の校庭とかで「遊びの場」を手がけている。

近所の子供づれがふらっと遊びにこれるような存在で、これも公園といえば公園のようなもの。遊具がいつも一緒(のはず)だけど子どもたちは飽きずに楽しそう。

一番人気はボールプールで、そのプールに飛び込める滑り台付きの家みたいなやつにも登ったりするにも大好き。あとはおままごとや屋台ごっこ、クルマ型で運転している気分になれる遊具、赤ちゃんでもできる滑り台などなど・・・。

普通の公園にある、どこにでもある画一的な遊具となにが違うんだろう。まずボールプールは普通の屋外の公園にはない。全体的にデザインがよくてコンパクトにたくさんの種類が集められていて、素材の手触りがいい。子どもは飽きやすいからハマるし、親としても安心できる。雨の日も酷暑の日も遊べる全天候型。自然の中で体得するような遊びの要素はないけど、このコンテンツはめちゃくちゃ強い。この施設をつくってから、自動車関連の売り上げも伸びたとか。静岡市駿河区のお店にも、リモリモが導入されるようになった。

この日は猛暑日で1時間以上もお世話になっちゃった。快適で便利で、ほんと助かってます。

でも夕方の4時半を過ぎていったんお店を出て、長男がトイレに行きたいというので、もう一回入ろうとしたら、トイレでも断られてしまった。LimoLimoの時間が終わるから、とのこと。まあ企業のお店の中だからしょうがない。

自分のつくろうとしている公園ゲストハウスも、地域に開かれた場所にしたいけど、こっちにも生活があるので、24時間開放するわけにはいかない。家族でやるので人的資源には限界があるし、宿泊者との兼ね合いもある。決められた時間じゃない時に「トイレを貸してほしい」と言われたらどう対応するがベストなのかなーと考えこんだ。うーん

「公共R不動産」より②〜理想の公共空間〜

だーいぶ時間をあけてしまったけど、名著「公共R不動産のプロジェクトスタディー公民連携のしくみとデザインー」で刺さったところのメモ。1回目から1ヶ月ぶり。

本の終盤で、岩手県紫波町のオガールプロジェクトで広場を手がけた、ランドスケープアーキテクトの長谷川浩己さんのインタビューがあった。オガールプロジェクトは、公民連携で収益をあげていく大成功例として知られてて、盛岡市のベッドタウンの紫波町の駅前にある元空き地に、図書館、産直、体育館、エコ住宅、宿泊施設、保育園を集約させていて、デザイン、土地活用、ファシリティとかいろんな分野で賞を受けてる超有名な事例。

長谷川さんはこう言っている。「僕はよく、オープンスペースにおける『空き地性』と『庭性』について考えます。この双方をどういうバランスで確保するか、デザインの大きなポイントの一つ」。開かれた庭にしないと人を呼べないし、空き地性とは多様に展開するための余地、みたいなものだという。この、「開かれた庭」っていう考え方がめちゃくちゃしっくりする。ゲストハウスを〝公園〟と呼んでるけど、開かれた庭、と呼ぶ方が分かりやすいかも。オープンガーデンはたくさんあるし、そこに「遊び」の要素を強くだす、という感じになるし。

photo:鈴木裕矢 庭のような空き地。ここにゲストハウスをつくります

しかも特色あるオープンスペースをつくるために大事なのは、誰がオーナーなのか、なんだって。「公園や広場でも、そこに家守みたいな存在がいて、その人のセンスや趣味が反映され、価値観に共感した人がやってくる。デザイナーは、そのセンスや趣味を形にするサポートをする。そうして公共空間がおもてなしの場所としてまちに開かれているのが理想だと思います」

めちゃくちゃ理想。ドンピシャの理想。まさにこんなところを作っていきたいなーとおもってる。

住民向けワークショップでは、「何が欲しいか?」ではなくて「どう過ごしたい?」と訪ねていたそうな。希望を議論すれば揉めるので、できることや予算は限られているし、アクティビティを考える場所にしていたんだって。

ゲストハウスの公園でなにが欲しいかといえば、そりゃなんでもほしい。いまある(必須だと思っている)のは、管理棟を兼ねた住宅、ゲストが宿泊する小屋(中にも遊具あり)、共同棟、キャンプファイヤーみたいな焚き火、井戸、木製ジャングルジム、自転車、落書き看板、イス、テーブル、飲み物やお菓子を出す屋台。

ゆったりしたい人にはそうしてほしいし、遊びたい子どもは動き回る。近くの里山「突哨山」の薪や大雪山の伏流水を汲み上げることで、自給的な暮らしを感じてもらいたい。

お風呂とかまだまだ欲しいなと思うけど、なんでもできるわけじゃないし、やりすぎると何がなんだか分からなくなるので、「何がしたいのか」ちゃんと考えないと。

どうありたいのか、どう過ごしてほしいのか。そして、事業として持続可能なように、どうすべきなのか。考えることが山積み!!

 

 

甘酒と祝福の味

三連休に入ってしまった。落ち着かない。先週まで三週連続で旭川に行ってたので、現地にいないことに強烈なる違和感が!   なんにも準備してない!っていう不安に駆られる。

きょうはゆっくり寝て、甘酒教室へ。妻の茜は金沢に本拠地がある「発酵食大学」の通信制で勉強してきて、自分もこれまで何度か試飲したけど、あの甘さがはどうも苦手。でも「飲む点滴」って言われるほど体にはいいし、夏に冷やして飲むとけっこういい感じだし、味を工夫したら苦手な人でもちょっとずつ入りやすいなぁとは思っていて。

旭川のゲストハウス予定地のすぐ近くには「屯田の里」っていう、農家のお母さんたちの店があって、ここの麹(こうじ)を作って甘酒とかスムージーを作ろうともくろんでる。

屯田の里は、屯田兵だった先祖から脈々と伝えられてきた手づくりの味を生かして、味噌とか醤油、麹、ラーメン味噌、漬物とかを販売してる。添加物を使わないことにこだわって、農薬を使わなかったり減らして、自分たちの家族がつくった大豆や麦、米を原料に使ってる。味噌しか食べたことないけど、リピートするおいしさ。しっかりした味付けで、コクがあるけど、優しい。身近な資源をつかった自給的な暮らしっていうのは、ゲストハウスの世界観の象徴の一つ。

ということで、おいしい甘酒づくはマスターしないと。旭川でも商品化されてる缶の甘酒はあるけど、やっぱ自家製でやってみたい。(地ビールならぬ「自ビール」もやりたい)

ところで今日の甘酒教室で、部屋に入るなり「おめでと〜〜」って祝福された。先生が京都でゲストハウスを開く女性なんやけど、ブログを読んでくれてて、土地が決まったことを我が事のように喜んでくれた!

この先生だけじゃなくて、この数日「おめでとう」って言ってくれる友達がけっこういて、ほんと泣きたくなる。そんな友達多いほうじゃないのに、急に増えてきた感じ(笑) それもフェイスブック上のコメントだけじゃなくて、LINEとかメール、メッセンジャーとかでも。

「ついに進み始めたね」「OB会ぜひ旭川で。クラウドファンディングとかぜひぜひ協力させて!」「おめでとう!!」どなど。過酷なことを乗り越えた経験のある人から「思いを貫き続ければ、少数でも必ず理解してくれる人は出てくる」と言われた時には、そうそう、そうだよなーと膝を打った。自分も、結婚がまさにそうだったし…

こんなエールだけでも嬉しいけど、「最後はカネ。『引っ込みがつかないからやる』というのは絶対に避けて。勇気ある撤退であっても支持する」という友人もいた。なかなかこういう事を言ってくれる人は少ない。ありがたや。シビアであるべき所は絶対に気を抜いちゃいけない。

人によって言うことやアドバイスは違うし、関係が近い方が遠慮して都合の悪いことを言いにくくなる。でもそれを全部引っくるめて、自分で咀嚼して、判断していくことが、今までもこれからも続いていくんだな〜。

始めるのは簡単で、続けることこそ難しい。元気玉をもらって、いろんな声をいただいて、悩んで、行動して・・・。そんな積み重ねが、持続可能な暮らしや事業につながるはず。

夕方は次男の強い希望でプールへ。たまには頭を真っさらにしてゆっくりするのもいいな〜

古橋廣之進記念浜松市総合水泳場「トビオ」にて

 

 

 

最終出社日を宣告した金曜日

5月中旬、所属長や会社に退職したい旨を告げていたものの、じゃあいつ辞めるのかは言えないままでいた。なのでなんとなく、多くの人に言えないままだった。聞かれたら答える、くらいでなんとなく申し訳ない感じだった。

なんでかというと、やっぱり土地が決まっていなかったから。もし十分な広さが確保できなかったら、「かつての公園」じゃないところで妥協せざるを得ないのなら、越冬して勇気ある撤退も考えないとあかんかな、思ってたので。

でも土地のメドはたった。後は前に進むだけ。ということで昨日から就業規則を熟読し、今日、9月7日を最終出社日として、10月17日付で退職することを伝えてきた。少し緊張したけど、思ったほどではなく。「撤回してもいいぞ」と幹部に言われていたものの、迷うところは一切ないし、別に何言われても構わないから、少し肝っ玉がすわったかも(笑)

会社側に「今週中には言いますから」というのを3回延長してもらってたので、ようやくという感じだけども。大きな異動が絡む時期なので、ご面倒をおかけました・・・

住宅(管理棟)の打ち合わせは来週から本格化する。完成まで3ヶ月以上はかかるし、順調に進むかどうかも分からない。どうせ分からないなら、ということで、10月中旬からは、旭川市・永山地区のアパートに仮住まいすることにした。移住体験住宅よりも家賃安いし、地元を知るのが大事だし。

さぁ、ケツが決まった。記者業のほうでは悔いのないようにやることをやっていこう。移住&ゲストハウスづくりのほうは、引き算してスケジュールをしっかりこなしてこ。

 

ついに「地元」ができる!

パンパカパーン!決まりました、ついに。土地が。

photo:鈴木裕矢 ゲストハウス予定地の目の前を走るディーゼル列車

きょう夕方、会社で仕事をしていると、若手が駆け寄ってきた。「ハアハア。松本さん、旭川のFさんからお電話です!」

なんのことが分からず、「ん?ああー」と反射的に受話器を左手で取ろうとした。その瞬間、ギリギリのところで「地権者の娘さんからや!」と気づいた。

会社で移住の話が丸聞こえになるのも〜と思い、大声を出したかったけどグッとこらえて(笑)、落ち着いてハキハキと中くらいの声で電話に出た(つもり)

先方は、不動産屋さんに行って評価額を調べ、ご兄妹や、地権者であるご高齢のお父さんにも相談したことを教えてくださった。その上で「松本さんにお譲りしようと思います。そちらもいろいろ大変だと思いますし、値段も、もっと安くてもいいんじゃない?という話になりましてね。駆け引きするのは嫌なので、★★万円ならと思うのですが」

これを聞いて信じられないくらい驚いて、言葉に詰まりながら、深く深く深く、感謝を申し上げた。だって、8.6%引きなんですよ。消費税もびっくり!不動産屋さんに仲介手数料を払っても、往復の飛行機(正規運賃!)が払えるくらいの値引き額。このお心遣いに感激してしまって、デスクで頭を下げていると目が真っ赤になり、恥ずかしながら別室へ深呼吸しに行った。

なんでわざわざ、役所に書類を取りに行く労力をかけてまで、複数の親族の同意を得てまで、不動産屋さんに何度も連絡してまで、軽自動車の新車価格ほどの土地を譲ってくれたのか・・・。持っていても仕方ない、というのはあると思うけど、なんで大きな値引きをしてくださったのか。

実は不動産屋さんから、先方の思いや考えを聞いていた。前日に来店された際、「応援したい気持ちが少しある」と担当の方におっしゃっていたらしい。松本が生活できるのか、資金繰りについても気にかけてくださっていたという。

この交渉の取りまとめをしてくださった地権者のご長女とは、電話でしかお話したことがない。それも7月1日に次女さんのところに突撃訪問、翌週末の7日にも無理やり押しかけ、早めに見通しが立つとありがたい旨を申し上げた。それからわずか5日で、売買の運びと。

もし自分が逆の立場だったら、同じように振る舞えるかしら。いきなり「土地がほしい」とアポなしで来て、気候のいい静岡から移住すると。聞けば、なんでも〝公園〟をつくって小屋を並べると。どう考えても怪しいし、宗教関係かと思っちゃう。手紙やらプレゼン資料でどれだけこちらの思いが届いたのか分からないけれど、「応援したい気持ち」があるというだけで、これまでの2ヶ月、5回北海道に渡ったことが報われたーーー!

そんでもって、この不動産屋さんの担当者さんもアツい人で、うれしくなってくる。「(先方の)最高の言葉は、まるまま松本さんのエネルギーにして下さい!」「旭川を面白い街にしたいですね!」「値引きは、応援の気持ちだと思います!(^ ^)」「応援して下さる方がいらっしゃいますから何とか形にして成功させましょう!!」。温度の伝わる言葉が、メールにたくさん綴られている。

子どもができて、成長するにつれ、早く「地元」をつくってあげなきゃ。次男が小学校に入るまでに固めなきゃ、と何年も前から思っていた。ここにきて、ようやく「地元」になる地面が固まった。

photo:鈴木裕矢
このL字型の土地を使います

あとはどれだけこの地面に魂を込められるか。持続可能な事業と生活のあり方を、早い時期にデザインできるか。かつて町内会の管理していた公園のあった区画に、新しい〝公園〟をつくる準備ができる。絶対に成功させないと!

今宵は発泡酒じゃないビールで乾杯!  やっとスタートラインに立てた。明日からがいよいよ予選リーグ。

膨らむのは夢だけじゃない。総事業費も

地権者さんの側と相談中の土地の問題は、なんとなく良い方向に進んでる感じがする。なのでそれを前提に、総事業費を洗い直している。でもいろいろ考えてると、頭の中がお花畑になってきまして。

photo: 鈴木裕矢   かつて公園だったゲストハウス予定地の周りに咲くお花

おっきなところだと、土地は三筆で560~600万円ほど、住宅は1100~1500万円ほど、小屋は400万円以上・・・。ほかに謝礼のたぐい、申請費用、各種工事、井戸掘削、自転車、暖房関係、宣伝・広告・・・。3カ月はまったくお客さんが来なくても食っていけるようにしないといけないし。

最初にソロバンをはじいたのが五月の半ばだったような気がするけど、その時はなんやかんやで、2100万円くらいが総事業費のイメージだった。当時は土地は1筆。でも現実的にいろいろ詰めていくと、そんなんじゃ無理で、冬を生き抜くには計画性のある暖房システムが欠かせない。長い目で見たら、エネルギーとカネの地域内循環について手を抜くことはできない。

「借りれるだけ借りて、キャッシュを残しときなよ」「初期投資は過剰にならないように」「最初の集客が命。そこを削るなよ」・・・。ありがたいことに、いろんなアドバイスをいただく。いっぺんに何もかもできないとは思うけど、一方で走り始めこそが肝心だとも。

う~ん。逆立ちしても、酒絶ちしても、お金が足りない。使えるお金を集めるにはどうするのか。

①地元金融機関からの融資額を増やす

②政策金融公庫にもお願いする(そのつもりではいたけど)

③クラウドファンディングを頑張る

④フェアレディZに続いてファミリーカーを売る

⑤施設・設備を妥協する

うーん。。。確かにいろんな方法があるけど、本質的じゃないような気も。「持続可能な暮らし」とかカッコよさげな事をうそぶいているけど、そもそも事業として持続可能なのか。

売り上げや、本当の粗利がこんだけ見込める→だからこれだけ投資できる、という考え方が必要なのでは?

たとえ土地がうまくいっても、壁は絶え間なく立ちはだかりそう。まだまだスタート地点にも立てていない。

photo: 鈴木裕矢  予定地から見える宗谷本線の列車。毎日毎日、確かに前に進んでいる。でもそれは、どこで下車してよいか分からない各駅停車の旅

 

「里山部」に入りたい。木こりに会う旅

ゲストハウスの予定地から車で10分もしないところに、知る人ぞ知る里山がある。「突哨山(とっしょうざん)」という、かつてアイヌが生活していた場所。遠く望める大雪山のような知名度はないけど、まわりは農地やほどよい人家や刑務所があって、暮らしの一部になっている感じのところ。

観光的には、国内最大のカタクリの群生地として有名。日本酒の「男山」が一部を所有して「男山自然公園」を管理、公開している。(見ごろは4月下旬~5月上旬くらい)

でも自分としては、この山で「自伐型林業」をやっている木こりさんがいるのが、最大のコンテンツ!  1986年生まれの清水省吾さん。「里山部」っていう商号で活動されている個人事業主。突き抜け感があって、めちゃくちゃ面白いし、勉強になるし、地球にとって大切なことをされている。

「自伐型」っていうと聞きなれないけど、近ごろ静かに、じわりと浸透してきた。山林を所有したり借りたりしてる人が自分で森林管理をすること。枝打ち、伐採、販売まで。川上から川下まで見通しているので、まちの消費者も、山主さんの現状も身体で分かっていないといけない。森林組合とか企業のやるような、委託を受けてガバッと皆伐してしまったり、大規模にやったりとは真逆の林業。自分の中でのイメージとしては、として木を見つめ、どう活用することが地球や山にとっていいのかを考え、持続可能な形で次代につないでいこう、というスタイル。小さな林業

里山部のホームページには、こう自己紹介されてる。

「地域資源としての魅力と文化を、地域の子どもたちを含め、観光に訪れた方たちにも広く知っていただき、旭川の魅力の一つとして発信していきたいと思います。」

「異業種のワカモノを中心としたチームYAMABITO’S(やまびとーず)メンバー。里山部の森をシェアしながら、地域の里山コミュニティの形成を目標に、個の表現・生きる喜びを里山を通じて見いだすような活動を行なっています」

観光で来た人にも魅力を感じてもらう、山林シェア里山コミュニティ・・・。もう、よだれが出そうなキーワードが並んでいて、会いたくないわけがない!

三月、「米蔵(マイハウス)」でご飯食べた時に店内にあったチラシで里山部を知って気になってた。ゴールデンウィークに母と義母も連れて旭川に行った時には、直前にムリを言ったにもかかわらず、清水さんは時間をつくってくれて、里山部のフィールドでお会いした。マシンガントーク。山主さんの置かれた現状、旭川家具の業界に対する思い、エネルギー問題、観光、教育・・・。木や森を軸にした話は尽きることがなくて、「あぁ、ここに決めた!」と直感した。ゲストハウス周辺のコンテンツとして、一番打ち出させてもらいたいなと思うほど、ドキドキした!

ちょうどこの時、別の山にいたヒグマさんが高速道路を渡って突哨山に迷い込んできたようなんだけど、そりゃヒグマも居心地いいわな、と思える空間だった。わが子らも、ほんと楽しそうにしていて。

泣くほど楽しい里山

ゲストに、この里山や清水さんに会いに来てほしいし、森で遊んで何かをつくったりしてほしい。そんでもって、ゲストハウスや〝公園〟でも突哨山や清水さんを感じられるような仕掛けをつくりたい。遊具の一部に使うとか、ファニチャー類に材を使わせてらうとか。薪を買わせてもらって、割ってみるとか。思わず山や清水さんを見てみたいと思ってもらえるようなモノを置きたい。誰が、どこでどうやって作ったか分かるって豊かなことだし、小さいからやりやすい。自分の日常に戻ってからも、暮らしのヒントになる。というか、おかしな経済社会ができる前はみんなそうだった。

将来的には、あんなことやこんなことも考えてます。突哨山と清水さん、よろしくお願いします。

 

地球は怒ってる。なので新しい暮らしを考える

たまには観念的なことも。

今回の西日本の「記録的豪雨」の被害のすさまじさと言ったらない。テレビの映像や新聞の写真グラフを見るのがつらくなってくる。

ちょっと前まで、「局所的なゲリラ豪雨に注意」とか叫ばれてたけど、今回みたいな超広域で特別警報が出て、100人以上の命を奪う雨って、いったいなんなんだ。こんなことあっていいのか。ついこの間、北海道で大雨が降って全国ニュースになり、心配していたのが嘘のようなひどさ。

7月8日付の産経新聞の一面コラム、「産経抄」に、膝を打つ指摘があった。

「平成最後の夏を迎え、『異常気象』と呼ばれたものが日常となりつつある。防災も減災も、地球の異変に鈍感では成り立たないと、増え続ける犠牲者の数が教えている」

ほんとその通り。ずっとそう思ってた。地球がおかしくなっている。「このままではまずいだろ」って、地球が怒っているような気がする。

たぶん小学生か中学生のころから、地球温暖化と異常気象については学校で習ってきたし、気候変動が一躍世界的なテーマになって、広く知られるようになった。省エネから始まって、低炭素社会をつくろう、持続可能な開発をめざそうと、いろんなフェーズで叫ばれてきた。

でもどうやら、人間のここ数年、数十年の努力と変化は、地球の怒りと病気を癒やすには至っていない。スピードが追いついてない。科学的な知識はないけど、そう考えないと「異常気象の脱・異常化」は説明つかない気がする。

といってもすぐクルマを手放すことはできないし(一台は別の理由でお別れしたけど)、化石燃料をゼロにして文明を拒絶するなんてできない。ちょっとずつ、できる範囲で暮らしを変えることしかできない。だから同じ北海道でも、周囲に何もない、まちと隔絶された原野に移るのは難しかった。

移住を考えだしたときに、今までとは違う暮らし方ってどんなんやろーと、けっこう考えた。そこで目指したいと思ったのは、「できるだけ自分で作りだす、小さな暮らし」。助け合うのは大事だけど、無理のある既存のグリッド(網)に依存しすぎない。食べ物、建物、水、木、エネルギー。できるだけ近いところで、自分や近い人の手で賄える暮らし。

福島の原発事故を目の当たりにした日本人は、なんとなく、この大切さに気づくチャンスも多かったし、ある程度、実践する人も増えてきた。

「サステナブル」(持続可能)、「地産地消」、突き詰めて大げさに言えば「パーマカルチャー」(豪州発祥で、、永続可能な農業をベースにした文化、デザイン)・・・。言い方はいろいろだろうけど、かっこよくしたいわけじゃない。具体的に、ゲストハウスを予定する旭川・永山地区でやりたいことはいくつかある。

★近くの里山から木を切り出す。薪をエネルギー源にして暖房をとり、無垢材や端材で家具や遊具をつくる。

★太陽光で小規模発電、太陽熱で給湯

★屯田兵の時代から続くやり方でつくられた味噌や醤油、こうじ、漬物の素を日々いただく。

★井戸を掘って、遠望できる大雪山の伏流水の恵みをいただく(飲用できればいいけど・・・)

★ご近所さんと同じように、〝公園〟の敷地内にミニガーデンをつくって、食べたい野菜をちょっとだけつくる。そんで、ご近所さんと「おすそわけ」する。

★近くのJA直売所や、元気な農園さんで、永山の作り手の顔が見えるコメ、野菜をいただく

★大雪山の伏流水を汲める「男山」の日本酒を毎日飲む

「わがままじいじぃ」でおやつを食べる

★自転車でいける生活圏を確立する

★建物は断熱性を突き詰め、余計な冷暖房を避ける

★繁華街に飲みに行く時は鉄道で(旭川←永山駅は14分)

どこまで実現できるか。できれば全部やりたい。お金はどうしてもかかるけど、本当の問題はそこじゃないし。こういう暮らしが実現できたら、それもローカル資源になる。

 

 

三週連続の旭川へ⑥ とまらないポップコーン

北海道は夜の7時を過ぎてもまだまだ明るいけど、6時には旭川を出なきゃ。5時前後に行けるところといえば・・・。

わがままじぃじぃでしょう。

味のあるフォント

ゲストハウスの今の予定地にたどり着く前に調べていた、JR宗谷本線の北永山駅。そこからすぐの交差点に面していて、ご自宅の敷地内に畑とプレハブの店舗を構えている。同じ永山地区でも、デザインセンターとか旭川木工センターとは別世界のような雰囲気がまたいい!

安心でおいしい素材にこだわった〝3時のおやつ〟がそろう。人気はおやき(あん、クリーム)、濃厚なソフトクリーム、農薬を使わず育てたトウモロコシでつくるポップコーン。

お店に来るのは4回目になるかなー。おいしいのはもちろん、近所の駄菓子屋さんのような存在感が好き。

しかも、ご主人は全くワガママじゃなく超絶フレンドリー。小学生の見守り活動している紳士がおやきを焼いてる感じ。「わがまま」=「こだわり」、って解釈なんだろなー。

今回の旅でお供をしてくれている長女が好きなのは断然ポップコーン。ご主人にはお孫さんがいらっしゃり、「子どもさんも安心して食べれます!」と太鼓判を押す逸品。変な味付けはお断り。長女も最初はソフトクリームをペロペロしてたのに、詰め放題のポップコーンが目に入った瞬間「ポップコーン、食べるの」と言い出した。一度食べ始めると、まさにエンドレス。

わがままじぃじぃのポップコーンは止まらない

敷地内に自作の五右衛門風呂があるのもワクワクする。今は稼働してないけど、ちゃんと自分で動かせれば入れてもらえるチャンスがでてくるんで、実は前々から夢見ている。晴れた日は、ここから線路を望む絵が絶景で。すごすぎる。

井戸水を使えるようになっている。この辺では浅く掘っただけで大雪山の伏流水が取れるといい、ここでは6m掘ったら出てきたらしい。ゲストハウスでも井戸は作る予定。

庭にはいろんな野菜や色とりどりの花が植えられていて、お客さんが眺めていったりしてる。プレハブの中でテレビ見ながら世間話したり、庭の周りをうろちょろしたり。こんなローカル感のあるお店って、なかなかない。ローカルを求めている旅行者は楽しんでくれるはず!!

一番上の写真と反対側(旭川市中心部寄り)にあるお庭

移住してゲストハウスやることも「じぃじぃ」に報告。またあらためて、しっかり取材させてもらお。

インターに向かう前に、ちょっとだけ予定地を見ることに。近所の方にご挨拶がてら、線路や周辺でパシャパシャ。

ラッピングされたキハ40「北海道の恵み」シリーズ。「道北 流氷の恵み」に幸運にも遭遇したので、流し撮り!

やっぱりいいなぁ。落ち着く。今週くらいに、地権者さんから良い返事が来たらいいなぁ・・・。 なんて考えながらレンタカーに戻ったら、娘はポップコーンの袋を抱えながら沈没。

新千歳空港で意識がはっきり戻ったら、すぐにポップコーンを要求。いつもは寝てる時間だけど、ポップコーンが欲しいあまりに活動的になる。そのまま袋を持って保安検査場を通過し、ゲート前でもひたすら食べておりました。

新千歳空港でスカイマーク最終便を待つ。ポップコーン、止まらない

自宅には25時半に到着。娘よ、申し訳ない(ずっと寝てたけど)                          (おわり)

三週連続の旭川へ⑤ 地元の旅のプロの金言

JAの直売所を出て、「旭川ふるさと旅行」さんへ。永山地区の中心部で、永山神社の隣。2週間前にかじった中央公園のすぐ近くにあった。

突然のお願いだったのに、快く迎えてくださったのは、社長の喜久野夕介さん。全国転勤のある会社で働いていて、初任地が旭川。その後の転勤でまた旭川に住む機会はないと知らされて、11年前にこちらに移住された。すごい。旭川のいいところの1つが、まちも自然も楽しめることだとか。

主に手がけていらっしゃるのは、地元の人が旅行に行く時の企画・手配、道外などからの旅行のそれ、訪日客のそれ。

この事務所の近くには、もともと地元資本だったけど、ここ数年の間にチェーンに生まれ変わったホテルがあって。市中心部からは車で20分くらいと離れているけれど、このホテルのお客さんの顔触れは、個人訪日客や観光客の姿もあるらしい。市中心部のホテルで需要を賄いきれない時もある。なので、「永山という地区はポテンシャルがあると思います」とおっしゃっていた。一方で、訪日客の取り込みは事業をやっていく上ではやらざるを得ないともアドバイスいただいた。

国道沿いにある日本酒「男山」の酒造り資料館(実際には物販や試飲コーナー)も、旭川デザインセンターの前に昼ご飯で寄ったあさひかわラーメン村も中華圏の訪日客でいつもにぎわってる。市中心部のゲストハウスでも、訪日客がかなり多いんだとか。このインパクトはやっぱりすごい。

自分が永山でやろうとしているゲストハウスは、最重視するターゲットが「関東に住む30代女性」。準備も足りないし、と自分で言い訳をして、増え続ける訪日客を最初からは取り込もうと考えていなかった。地元のプロのアドバイスを胸に、ちゃんと考えていかねば!

なんで北海道なのか旭川を選んだ理由、新聞記者を辞めてまでなんでするのかとか、経緯を一通りお伝えする。「こちらでできることはなんでも言ってください」とありがたい言葉をいただく。同じ地域の住民に自分がなるかもしれないし、移住体験を取り扱っていらっしゃるので、どんどんお世話になります!

時計を見ると4時45分。あと1カ所か2カ所回って、新千歳空港に戻ろう。           (つづく。次でラスト)