早いもので【5周年】です!

旭川公園ゲストハウスは、9月19日でオープンから5年を迎えました。2018年の10月に本州から移住して、その1年後にゲストハウスができました。「来年はどうなるのか…」と毎年びくびくしてましたが、あっという間でした。

あっという間と言いながら、当初の計画通りにいかなかったことばかりの5年でした。オープンから半年でコロナ禍が始まりました。札幌の冬まつりをきっかけに全国に広まったような感じになって、北海道というのは特に厳しい目で見られましたね・・・。

コロナが徐々に明けると、ゲストも戻ってきました。「北海道の夏は涼しい」「お盆過ぎたら寒いよ」と言った人を恨むくらい、旭川は暑かったです。夏の繁忙期はヘトヘトで、「早く冬になれ」と願っていました。

冬になれば水道管の凍結に怯え、屋根の雪が落ちないか気をもみました。「雪ハネはジムいらずだから」と、ポジティブシンキングが芽生えました。本州の豪雪地帯に比べてたら楽だと思いますが、それでもドカ雪が降れば1時間では終わりません。年に数回は、厳冬・多雪の洗礼をしっかり受けました⛄

コロナを契機に管理人はライター業との「複業」を本格化させ、ありがたくも、いろんなアンテナや出会いを授かりました。それでもゲストハウス業での出会いというのはやっぱり特別です。日本各地から、海外からあらゆる属性の方がいらっしゃり、一期一会を重ねていけます。ゲストとホストだけでなく、ゲスト同士も然り。新しい旅仲間や仕事、作品が生まれることもありました。ゲストの皆さんと夜遅くまで一緒にお酒を飲んだり、中学レベルの英語で「ヘルシーでウェルビーイングなライフ」を語り合ったり。「ずっとここにいたい」「帰りたくない」と言ってくれるお子さんもいます。この地域を好きになって移住してくれた人もいます。

「なぜこんな住宅街で宿をやっているのか」「旭川のどこに惹かれたのか」という質問は、数百回は受けたでしょう。それなりにお答えはしたものの、やっぱり暮らすように滞在してもらい、散歩して、星を眺め、鳥のさえずりで目を覚まし、地元の人に会い、手仕事にふれるというローカル体験を通じて、その答えを見つけていただきたいという思いでした。

旭川の永山という地域に徐々に根を下ろし、暮らして仕事をする中で、いろんな人と交わって生きることの楽しさと面倒くささが、ちょっと分かるようになりました。町内会やPTA、地域づくりに関わりつつ、(事業ではありませんが)放課後の居場所づくりも始めました。自分の至らなさとだらしなさを感じるとともに、地域の課題と可能性に対する解像度は上がり、「もっとこんなことができる!」という熱量も高くなってきました。

今から5年後にどうなっているのか分かりませんが、スタートからはもう5年経ちました。なのでそろそろ、新しいステージを切り拓いていこうかと思います。人生も40代という後半戦に入ってきましたし。

新しい挑戦のキーワードは「農業と福祉」、「駄菓子屋」や「たこ焼き」です。もちろん、旭川公園の価値を高めていくことにもつなげます。管理人は飽きっぽく、とげとげしく、せわしないタイプ。管理人の妻は、じっくり耕し、おおらかで包容力があり、のんびりなタイプ。そんなデコボコがあり、毎年どちらかが結婚記念日を忘れるような夫婦(&子どもたち)ですが、これからもよろしくお願いします🤲

「自転車で北海道を走る」という共通体験の喜び

美瑛で再会したライダーさんとファミリー

今年の夏を振り返れば、自転車旅(チャリダー)の方との出会いが印象的です。

というのも、管理人も昔はチャリダーとして北海道を少しだけ(苫小牧~襟裳~厚岸~美幌だけですが💦)回ったり、横浜から碓氷峠経由で新潟・直江津に向かったり、行き当たりばったり?の自転車旅をしていたので、ついつい長く話し込んでしまうのです。

1人、自転車の画像のようです

自転車が走っていると、道路状況によっては後続のクルマは思うように追い越せません。だからイライラして、幅寄せしてきたりします。トンネルは、バイクや大型トラックの轟音が響き、(北海道は特に)暗いのも手伝って、死の恐怖を感じることもあります。これは自転車に乗ってみないと分かりづらいんですが、自転車でいらしたゲストの皆さんとは、「そうそうそう!」と話が弾むので、めちゃくちゃ嬉しくなるのです。一方で、クルマのドライバーからエールをもらったり、訪れた先で親切にしてもらったり、というほっこりエピソードも少なくなく、共感してもらえます。

管理人も通りすがりの身ながらバーベキューをご馳走になってそのまま泊めてもらったり、上等な旅館に1,000円で泊めてもらったり、いろんな思い出が北海道にあります。40歳のおじさんになった今では、若いチャリダーに何か「恩送り」したくてたまりません!

さて今年は、同じ日に宿泊された自転車乗りの男性とファミリーがチェックアウト後に美瑛でばったり再会することもありました。飛行機に自転車を預けたら破損して意気消沈したものの、気を取り直して北海道を別の方法で楽しんでいる自転車乗りさんとは、仕事の話や人生の話、いろいろ語らうことができて宿屋冥利に尽きるといったところでした。

1人、自転車の画像のようです

自転車旅というだけで、いろんな話ができるので、来年もたくさんの自転車乗りさんに出会えたら幸せです! 長時間のライドで疲れた身体を癒すのに、ちょうどいいプライベート空間と優しい朝ごはんでお待ちしております!

線路と駅が、すぐそこにある価値

旭川公園にお越しになる方は多くがレンタカーですが、JRを利用される方も一定数いらっしゃります。タイミングなどが合えば、そしてご希望があれば最寄りの永山駅か北永山駅に送迎するのですが、「歩くので、歩きたいので大丈夫です」というゲストもいらっしゃいます。

電車、鉄道の画像のようです

お盆過ぎに、カナダから来られた男性もそうでした。30℃超えが普通だった夏の盛りでしたが、車を借りることもなく、お出かけになる時はJRやバスを利用されていました。

チェックアウトをされる時、ある理由からついに永山駅までお送りする機会が訪れました。朝6時17分発の始発列車に乗って稚内を目指すとのことです。旭川から稚内まで直通する、唯一の下り普通列車。永山を通過するときは、だいたい2両編成です。今では長距離を走る鈍行は貴重で、しかも国鉄時代の車両なので、タイムスリップした気分になれる特別な列車です🕰️訪日客の皆さんにとっては特に、鉄道で移動できる価値というのはかけがえのないものだと、あらためて思わされました。

ある日本人のファミリーは、クルマでご来園されたのにクルマを置いて、JRで旭川駅へ。そしてまちを歩いて、旭川市博物館へ。国鉄時代のキハ40に「懐かしい!地元の四国で、通学でずっとキハに乗っていたの!」と感激しておられました。揺れるし、JRじゃないJNRと書かれた扇風機しかないし、音も大きい古い車両です。でもそれが何十年も前の記憶と結びついて、いまだに頑張ってる姿を見せてくれるなんて、とってもステキ。鉄道マニアじゃなくても、こんな公共交通の楽しみ方があるんだなと気づかされました。

また、普段からよくあることですが、お子様連れのゲストは朝ごはんの前後にお散歩をされ、すぐ近くの線路際で列車に手を振る姿が見られます。大都会でせわしなく走っている通勤電車とは違い、トコトコと心地よいスピードとジョイント音で癒されるようです。

歴史ある永山駅や、田んぼの上にあるような北永山駅が最寄りです。普段お住まいの地域とは違う駅、そして駅から目的地までの時間を味わうのも、ローカル旅の醍醐味なんだと思います。

「わがままじぃじぃ」の裏手から、JR宗谷本線のレールが見えます。

5回目の夏が始まりました

最高気温が連日30℃をうかがうようになった旭川です。なんとなく体も慣れてきて、日陰の場所や風が通ったときは涼しくて、めちゃくちゃ気持ちいい。

7月上旬は沖縄にいて、とんでもない湿度と35度アタリマエの灼熱に適応しかけていたので、ほんとうに北海道の夏は国宝級の貴重さだなと痛感。気候変動の影響は、緯度の高い北海道のほうが多いと言われているので、どこまで涼しさがキープできるのか心配ですが……。

ゲストハウスがオープンして5回目の夏を迎えます。年々暑くなって、特に昨シーズンはお盆を過ぎて9月まで蒸し暑かったのでついに白旗を上げ、初めてトイレ・ロフトつきのタイニーハウス「森」(ファミリータイプ)にクーラーがお目見えしました。

暑さの残る夕方、ゲストさんをお迎えする時はクーラーを入れられるので、ホストとしても、熱がこもった室内を前にヤキモキストレスをためる、ということがなくなって、とってもとっても快適です。

7月中旬の時点ではエアコンをがんがん効かせないと寝られないという夜はなく、ゲストの皆さんはエアコンを切って窓を開けていらっしゃいます。やっぱり、無理やりキンキンに冷やしたような涼しさより、北海道らしさを感じる涼しい風のほうが幸福度高いですよね。

写真は、上下ベッドのあるタイニーハウス「風」からの景色。お掃除をしていても、ふっと心が軽くような風に救われます。このまま昼寝したら、どんだけ気持ちいいかな~

北海道のゲストハウスなのに…クーラーはじめました。

いつもお世話になっている、ゲストハウス至近の旭川市立大学

「投稿がご無沙汰してしまい…」と書くのも恥ずかしいくらいなので見て見ぬふりをしておきたいのですが、久々となってしまいました。いくつもの季節が巡ってしまい、旭川にも遅い春がやってきました。この間なにをしていたのか。いろんなことを悶々と考えてきたのですが、その無視できないボリュームを占めるのが、夏の対策なのであります(真剣に)。

悩んで悩んで、ついにタイニーハウス「森」にクーラーを導入することになりました!

北海道の夏といえば、暑くてもそれはお盆まで、とか、夜は涼しいくらいだ、とかよく聞きます。沸騰している本州とは違って、まだまだ「聖域」のようなイメージでした。実際に、本州から移住してすぐの頃は、「やっぱり北海道の夏は涼しい!」と満足していたし、「体温調節が苦手な長男にもこれは最高!」と思えていたのでした。

しかししかし、2021年の夏は30度半ばの日も珍しくないほどの酷暑で、だんだんとエアコン導入のことを考えるようになりました。

ただ、心理的なハードルがとっても高かったのです。まず、小さいお部屋に、エアコンがどーん!と鎮座するのは、雰囲気的に違和感が強すぎるなと。暑いといっても数週間なので、そのために何十万円も投じるのは、どうなのかと。そして何より、本州出身者として「これしきの暑さで暑いとは言ってられない」「北海道でクーラーなんてもってのほか!」と無駄な強がりがわが身を覆っていたのです。

それでも2つの転機がありました。

1つは、2023年夏の暑さです。猛暑日が過去最高レベルに連続し、夜も暑い日が当たり前になりました。しかも、お盆を過ぎてずっと、9月くらいまで暑さが続くではありませんか。なんと湿度を伴って! そうなんです、この「湿度」にやられました。気温が高いだけなら、かつての北海道のようなら、扇風機でなんとかしのげましたが、湿度がずっと高いともうお手上げ。クーラー以外に頼れるものはありません。

これまでいろんな試みをしてきました。特殊なシートをタイニーハウスにかぶせて直射日光をできるだけ遮り、室内に熱がこもらないようにしたり。冷風扇から大型の扇風機まで、さまざまな機器を使ってみたり。無駄な抵抗と分かりつつも、夕方近くなればホースで水をかけて、タイニーハウスの壁に向けた「打ち水」なんかも。

ただ、天気の悪い時はどうしようもないですし、ロフトがあって背が高く、位置的に日射を浴びる時間が長い「森」は熱が「風」「土」に比べてこもります。頭の中では分かってはいませいたが、限界でした(屋根を二重にして「断熱」することも検討しましたが、工事費が高額になるわりに効果が限られそうでした)。「もういよいよ、クーラーしかないか。。。」 そう観念したのが2023年の9月です。

もう1つの転機は、薄くてデザイン的にも違和感が少ない機種に出合ったこと。ダイキンのrisora(リソラ)というもので、薄さがわずか185ミリというスリムさで、スタイリッシュなたたずまい。コンパクトな空間に置いても異物感が少なくなるかも?と思えました。まさに指名買い。これがなければ、もう少し導入を悩んでいたかもしれません。

需要が高まっているのでかなり納期と工期が長引くことを覚悟していましたが、迅速に設置していただき、5月に取り付けが完了。すでに続々と夏のご予約をいただいておりますが、安心してお迎えできるので、うれしい限りです(去年まではクーラーがないこと、北海道も暑いことをお伝えして、キャンセルいただくことも少なくはありませんでした)。

まだまだクーラーを稼働させうような時期ではありませんが、今年の北海道も暑くなるという長期予報もあり。早く活躍する姿を見てみたい!と思うと同時に、こんな地球にしてしまった責任の一端を担いでいるので、ちょっとでも生活を見直していこうと思います。

マスクでモヤモヤしませんように

すっかりご無沙汰してしまいました。。。なんどもしていますが、猛省です💦

5月は旭川も暑くなり、近くの「わがままじぃじぃ」でソフトクリームもいただいておりましたが、6月に入るとストーブを焚くほど寒い日が続いております🔥

旭川公園では2023年に入ってから、マスクを外すゲストが増えてきました。ホストの私たちは決してマスク好きではなかったものの、施設内は広くはなく、直接ご説明するシーンが多いので、なるべくご不安にさせないようにと、着用しておりました。(それでもお酒をご一緒する時なんかは、どうしようもなくなりますが)

それも3月13日に「個人判断」となってほぼノーマスクとなり、5月8日からは自信満々で外しております。もちろんマスクをされるかどうかはゲストそれぞれですが、気を遣って着用されることはないよう、チェックイン時にお声かけのみ差し上げています。

ゲストの方とお話しする時はもちろんですが、ライター業もしている管理人としては、インタビューをしている時に口元が見えないというのは、かなりモヤモヤしてしまいます。おたふくソースのないお好み焼きのようで、一番大事なところを欠いてしまっているイメージです。

旭川に住んでいると、密になる場面はかなり少ないと感じています。満員電車もないし、ごった返すデパ地下もありません。ゴールデンウイークもそうでしたが、この夏も一切の行動制限がありません。広い空、おいしい空気と景色を存分に楽しむためにも、マスクでモヤモヤすることなく、北海道のベストシーズンを楽しんでいただければと思います!

ちょっとだけ関係があるので、毎月寄稿している『あさひかわ新聞』のコラムを貼り付けます↓↓↓

薪ストーブまで、あと少し。「煙筒の横山」の職人のおかげで準備万端!

今年の夏が終わろうとしています。

暑くて寝苦しい夜なんてなく、昨シーズンは30℃半ばがけっこう続いたのでかなり警戒していたけれど、夜は涼しいくらいの日も多くて、拍子抜けするほどでした。強力な扇風機を増設して備えていたものの、出番はまったくナシでした。クーラーをどうしようか・・・と悩んでいたのも杞憂に終わり、あっという間に夏が駆け抜けていきました。

そんな中、今年も薪ストーブのメンテナンスをやりました。施工からお世話になっている、旭川市内にある「煙筒の横山」さんの“筒師”と呼ばれる職人2人にお越しくださいました。

「煙筒の横山」さんにはゲストハウスだけではなく、ライター仕事でもお世話になっていて、(株)LIFULLが運営しているメディア「LIFULL HOME’S PESS」の取材で協力をいただき、この夏にはKADOKAWAから発売された「後悔しない街選び 超データBOOK ウォーカームック」にも掲載されました㊗

薪ストーブは、たとえ本体が立派で高価であっても、煙突がしっかりしてないと、性能を引き出せません。煤(すす)がたまって、火災の原因になることも…。効率よく燃やし、熱をしっかり室内に届けるには、定期的なメンテナンスがあってこそなんです。

職人さんは、ひょいひょいっと屋根に上って、オリジナルの掃除道具で煙突の上から作業。部屋の中からは、燃焼室の中はもちろん、煙突を分解してきれいにしてくれました。

揺らぐ炎を眺めながら、雪に囲まれてコーヒーを飲む、至福の時間が今から待ち遠しい…!

“前坂の味”を受け継ぐ「ジンギスカンの博」

宿泊のゲストさんから、「前坂さんなくなったみたいですけど、食べられますか?」というお問い合わせをちょくちょくいただきます。このホームページなどをご覧になって、道外の方も「前坂さん」に興味を持ってくださる方がいて、うれしい限りです。そして、あの味を受け継いだ、お店の情報をしっかりお届けできておらず、すみません💦

 「ジンギスカンの博」というお店です。「前坂」で十八年勤めた大橋陽子さんが切り盛りされています。水回り設備の施工会社を営むご主人の名前から「博」と名づけたそうです。

 お店の入り口の頭上には、ジン鍋のオブジェが! こういう 内外装にも ご主人やお仲間の思いが詰まっています。まさに手作りのお店。店舗は、前坂の調理場だった一階を改装しました。ちなみに、二階は以前からご主人の倉庫だったそうです。すごい縁!

 大橋さんは「前坂」ではベテランの域で、閉店の1年ほど前に閉じることを知らされても、当初は引き継ぐ考えはなかったようです。それでも、常連客の熱望を受けた女将さんから「やってみないかい?」「やってごらん」と打診されて、思いを固めました。設備を譲り受けるなどサポートも受けて、周囲の期待に押されるように、予定より一か月以上早くオープンしました。

 準備はドタバタだったものの、技術や運営面での継承はスムーズだったようです。大橋さんは「十八年やってきたので、スライスからタレ作り、配達まで全部できます。あまり苦労しませんでした」と笑います。六十六年続いた味を守るのはプレッシャーがありそうなものですが、「前坂」のご主人や女将さんが近くで見守ってくれて、やりやすいといいます。

 十八年間、一つの家族のような温かい前坂で働いた大橋さん。その味の魅力を「タレはリンゴをすり下ろすところから。体に悪いものは使わず、全部手作りで手を抜きません」と語りました。二大看板のジンギスカンやホルモンは、そのまま引き継ぎました。

 一方で、時代に合わせた進化も目を見張るものがあります。

 子どももお腹いっぱいになるように、臭いを避けたい人も気軽にと、ラムより手頃な値段であっさりした「豚ジンギスカン」が新登場!コンパクトな店内で混雑しないよう、ラムも量り売りはせず、500グラムと1キロのみの設定にしました。ラム以外は冷凍とし、すぐ渡せるようにしました。すでに地方発送も始め、人気だった餃子の復活も計画中です。

 今回の“復活”に常連は「ジンギスカン難民だった」「やっぱりこの味じゃないと」と喜んだそうです。「地元の人に愛される味。できる限り長く残していきたいです」と大橋さん。

「ジンギスカンの博」は旧前坂から約五十メートルで、永山支所駐車場の向かいです。旭川公園ゲストハウスでは、焼き台・炭・トング類・紙皿などをご提供するプラン(税込み1,000円/人)と、食材調達(ラム肉、野菜、〆のうどん)から調理まで含めたお任せプラン(同2,700円/人、お子様は召し上がる量に応じてご相談)があります。 ※屋外で召し上がっていただくのは、午後8時30分までとなっております。 

 

冬が終わって、冬を待つ

またまた更新が滞ってしまい・・・。気づけば春になってました💦

2022年の冬(2021→2022シーズン)は、自分にとって記念すべきものとなりました! 念願、というかこれまでなんとなく避けていたスキーに初挑戦したのです。

この「あさひかわ新聞」にも書いたのですが、きっかけは次男のスキー教室。子どもが挑戦しているのに、親もやらないと示しがつかない!と高所恐怖症なのに一念発起しました。

旭川公園ゲストハウスとしては、スキーをメーンに滞在される方は多くはないものの、やっぱり「どこがいいですか?」とは決まれます。こんなスキー場だらけの旭川に暮らしているので、もちろんある程度のことは知っているし、必要に応じて詳しい人に聞くようにしてましたが、やっぱり、身が入らないというのが正直なところで・・・。

そりゃ、スキーは中学の時の合宿で恐怖を覚えてからは経験は皆無で、唯一あるのは大学生の時、名寄で人生初のスノーボードをやったくらい(なぜかボードは滑れた!)なので、「ここが楽しいですよ!」なんて適当なことは言えないわけで。

で、2022年2月、よっとこさスタート。カニさん歩きやハの字から始めて、高さにも慣れていって、ぴっぷスキー場(比布町)で3回、芦別国設スキー場(芦別市)とカムイスキーリンクス(旭川市)でそれぞれ1回ずつ経験。富良野スキー場(富良野市)では、春スキーもやってみました。

結果は、やればやるほど楽しくて、時間に余裕があって雪があれば、すぐにでも行きたいと思えるくらいに。想像以上の進歩です! 北海道に来てよかった~と、久々にしみじみです。

お客さんと滑る楽しみもできたし、来シーズンが楽しみすぎる。3年くらいしたら、華麗にターンできるようになるのかなーと想像しつつ、夏と秋が終わるのを今か今かと待ち焦がれています。

学び多き2021年、遊び多き2022年へ

今年もあとわずか。紅白を見ることもなく、ゲストさんとの時間をビールと日本酒で楽しんでいます。幸せ。

2020年に引き続いてのコロナ下での営業となりました。開業は2018年9月なので、いまだかつて、「普通」というものが分かりません。平年値、と言ったほうが正しいでしょうか。だいたい、年間を通してこのくらい、というのを経験していません。

それでも、やっぱり7月や8月は忙しいし、12月や1月は落ち着いています。どれだけ人が動いても、3室6名様しか受け入れられないキャパなので、お1人 お1人 とじっくり時間を過ごせるというのは変わらず、幸せなことだと、あらためてかみしめています。

閑散期に入った10月、近くの有名な施設への取材を兼ねて滞在された方がいらっしゃいました。たまたま、そこの責任者と管理人が知り合いだったので、ご紹介して、一緒にお話をしたら、ご縁がつながって一緒に仕事をすることになりました。その知らせを先日、このゲストから伺いました。

12月には、ご自身が登壇されるオンラインイベントの仕事で、チェックアウト時間(朝10時を過ぎて5時間半も滞在された方がいらっしゃいました。「仕事するのには快適すぎて、ずっといたい」とおっしゃいました。暮らすように滞在しつつ、無音の静けさが、このゲストにとって無上の価値だったようです。

そのあと、連泊された方は「居心地がよくて、ドアを開けた瞬間に『自然』を感じました」と言っておられました。大自然が目の前に広がっているわけでも、高級ホテルのような設備やしつらえがあるわけでもありません。それでも「居心地がいい」と思っていただけるのは、ひとえに“空気”なんだろうと思います。そしてその空気は、この地域と空間だからこそ、成しえるわざ。ほかにはない、自然体で、独自のものになっていると思います。

泊まるだけ、泊まって終わりではなく、関係が続いていく。なんでもなさそうな中に、何かを感じ取る。日常に戻っても、旭川やそこで体験したことが、体の一部に余韻となって残る。そんな新しいカタチをつくりたくて、宿をやっています。ゲストにとっても、ホストにとっても、忘れられない出会いを生んでこそ、旅の醍醐味なんだろうと思っています。

そんな素敵な出会いを、今年もいっぱい味わうことができました。幸せ。(前坂精肉店の閉店という悲い出来事は想定外でしたが・・・)

ゲストハウス業だけではなく、ライターとしての仕事も急ピッチで充実した1年でした。よりいっそう、ゲストハウスを楽しめる土壌づくりができたと思います。

2022年も、そうした出会いを一つずつ、積み重ねていこう。みんなにとって幸せなだと思える瞬間を少しでも生んでいこう。そう思える1年でした。コロナがあったからこそ、その丁寧な営みのありがたさを感じられたのかも。

2022年も、どうぞよろしくお願いいたします。