「コミュニティ」がついた木工キャンプ

ずーっとずーっと前から気になっていた旭川木工コミュニティキャンプ(AMCC)に、初めて参加してきた。(初だけど実行委員として…)今回で11年目だけど、わけあって「0回目」という位置づけ。

6月22日からの一泊。旭川駅やデザインセンターで集合してバスに乗り、当麻町の地域おこし協力隊の原弘治さんの森「IKAUSI CLASS」へ。

キハダって本当に肌が黄色い。歓声があがったわ
雨でも何度も空を見上げて

丸太の上へ順々にあがって自己紹介。雨の中みんなでゆっくり歩いて、原さんが木それぞれの個性や生き残り戦略、森の成り立ちと使い方をガイドしてくれる。

お昼は当麻の奥のほうにあるRICOのカレー。辛い中にもココナツの甘味がいいバランスなんだよなー。

特筆すべきは、このお昼ご飯の後。薪割り、木の色鉛筆づくり(講師:協力隊の長多さん)、チェーンソー体験(森ねっとの中村さん)、火おこし(とうま振興公社の石黒さん)、足踏みロクロ(協力隊の荒木さん)。一級のプロたちがそろい踏み。この層の厚さが当麻であり、旭川! 参加者の皆さんはもう没頭につぐ没頭で、笑い声がいろんな所から聞こえてきた。

お宿は東川町のキトウシ森林公園。「ミーティング」としてグループワークがあって、森を使ってどんな新ビジネスをつくるのか案を出し合う。「ツリーハウスホテル」「森の図書館」とか、10分ちょいで斬新で実現できそうなアイデアが続々、ゾクゾク。すごい。

これまでAMCCは「10年やろう」ということで続けてきた。でも一区切りを迎えたことで、立ち止まって次の10年を考えよう、という趣旨で「0回目」になった。だから「AMCC」ではなく「AMCC2」になっている! ミーティングでは、この辺も話し合った。個人としては、「木工」という切り口で、ほかの産業や地域ともっと絡んでいこうというアイデアにグッときた。

アイスプレジェクトの小助川泰介さんのリーダーシップや場の取り回し方、バランス感覚、すげー。これが実行委員長かー

夜の懇親会は、わが地元・永山の前坂精肉店のジンギスカンで実に誇らしい。この懇親会とキャビンでの2次会はAMCCの中ですごく大切にされている。それは、ホストもゲストもない「キャンプ」であり、交流によって「コミュニティ」をつくるものだから。家具とクラフト、メーカー同士、道内・道外、職人とデザイナー…。あらゆる垣根を超えて、産地だからできる体験をして、想いを紡ぐ場所。

確かにこれは、「コミュニティ」をつくる場だ。だから響く。ゲストハウスづくりにも通じるなぁー

道新にデビューしました

北海道新聞の朝刊に、松本一家が移住してきてゲストハウスをやるんだってことを紹介してもらいました。思ったより目立つ感じで、嬉しいやら、恥ずかしいやら。朝5時に紙面開いたけど、お昼くらいまで本文は読めなかったわ。

見出しでは「8月開業へ」とあり、まだ確定ではないのでそこだけ説明して回ってるけど…。本文は「8月にも」と〝逃げ〟の余地がありますが。

ところで、新聞に出てから、もう驚きの連続。

農業バイトをさせてもらっている坂井ファームで、妻のパート先のコープさっぽろで、永山おおぞらこども園で、東川養護学校で、スクールバス乗り場で、長男・大滋が通院する旭川厚生病院で、デイサービスで。あちこちでお声がけいただく。

直接、松本の取り組みをご存知の方からの反応は予想していたけど、こんなにも反響があるなんて、正直予想外だった。

去年の秋まで新聞記者をやっていたので、なんとなく新聞の伝播力(影響力)のすごさは分かっているつもりだったけど、若い人に読んでもらえていない実感があったので、どこまでか掴めないでいた。

記者としての立場で、取材に応じてくれた人から「新聞を読んだたくさんの人が来てくれました」「共感してくれる人から寄付があった」「だれだれの思いを広く伝えてくれて嬉しい」と幸せな反響をいただくことはあって、やりがいをすごく感じていたけど、当事者になると、確かにそうだなーと妙に納得してしまった。

今回紹介してもらって、「すごいですね」「どうやったら載れるの?」と言われることが多いけど、事業としては別にすごくないとしても、新聞というメディアに掲載されるのは「狭き門」で、信用されているからなんだろうと実感! まだまだ、ちゃんとした情報が広く届けられているっていう存在というか。もともといた業界なので、嬉しいなぁ。

次の「あさひかわ新聞」にはゲストハウスの進捗を書くことにしようー。編集長からの提案もあったし。少しずつ地元で理解が深まっていけば、こんな嬉しいことはないなぁ。

「1番地」まで、あとちょっと

予定地に立った「1」を示す(?)標

5月15日と21日、司法書士や地権者さんと面談して、3筆の土地を購入させてもらい、所有権移転をしてもらった。これで、文字通り地盤が整った。一安心といえば一安心だけど、融資の関係で自己資金で先に土地を取得することになったので、口座残高はすでに危険水域になって冷や汗・・・!

21日の朝には地盤調査も入った

これで順調に進むかと思いきや、やっぱりそんなもんじゃないんだと痛感させられることがあった。

17日(金)に旭川公園のメンバーから連絡があり、「建築当局から、『ロフトは面積に含まれず、収納扱いになる』という指摘があった」。

ロフトというのは、タイニーハウス(宿泊棟)の3人用の棟で、計画していたもの。ここも立派な滞在空間であるという前提で、旅館業法で定められている面積要件(1人当たり3.3㎡の客室面積)をクリアできると踏んでいた。というか、建築当局や保健所との事前の協議でその話で進んでいた。

ところが、建築基準法で「収納」となることがこの段階になって分かり、旅館業法で「客室面積」に算入できない疑いが強まってしまった。急きょ17日に保健所に行って相談。前例のないことなのですぐ答えがでず、週末を挟んで21日(火)に回答がきた。保健所さんは事例を調べたりして手を尽くしてくれたけど、やはりダメだった。3人分の面積要件を満たせないことになり、建物を大きくすると新規で申請が必要で、膨大な時間とお金がかかう。

この週末、3人の定員が確保できなかったことを想定して、チームのメンバーで話し合った。大工の中村直弘さんが作る予定だった新規タイニーハウスをモデルとして置かせてもらって定員を増やそうか、取得した土地の一部を「内部分筆」して、時間差で工事を進めようか・・・。などなど。

困ったときに旭川公園メンバーは、どんどんアイデアを出してくれる。これまでも何度もそうで、ほんと最強の布陣だわ。仕事とはいいながら、他人のプロジェクトを本気で楽しみ、自分ごととして昼夜を問わず知恵を絞ってくれるなんて・・・。といつも、施主ながらびっくりする。

自分としても、保健所や消防で確認したり、日本政策金融公庫に相談したりしながら、ああでもない、こうでもないと悩みに悩んだ。その結果、3人用タイニーハウスの定員を2人に減らし、全体の定員を6人にすることに決めた。

計画の数字上はマックス7人収容が6人になるので、事業として、とっても厳しいものになる。でも小さく始めて、じっくり丁寧に育てていくのがベストだと判断。焦って取り繕っても、いいクオリティのものはできないと考えた。

さぁこれで、建築確認(建築基準法)と旅館業法のクリアは間違いないものになった。あとは認可を待つだけ。丁寧に準備してきたつもりでも、いざ実行となるといろんなことが出てくるんだなぁと思い知ったわ。これからもどんどん、予想外の困難を楽しんでいこう。追い込まれないと、アイデアは出てこないから。

21日は地盤調査も入った。着工まで、あと少し。

夏のオープンに向けて、やっと「0番地」

「いつオープンするの?」と、これまで200回くらい聞かれたような気がするけど、やっと見えてきました。夏です。8月の終わりか、9月の上旬というイメージ。まだ幅はあるけど、そこを目指してやっていきます。ご迷惑をおかけします。

なぜ見通しがついてきたかというと、建築確認申請を5月9日(木)に旭川市役所へ出したから。そして土地の購入・所有権移転の手続きが5月中旬くらいに完了し、融資も決まったからです。

これまで浜松のフォルム建築設計室にお願いしてきた図面は、修正に次ぐ修正で、とても大きなご負担をおかけした。なかでも最大は、敷地内に予定していた松本家の住宅建設を当面見送るというもの。図面まで用意してもらったけど、2018年12月になって大変更をすることになった。その後、旭川のアーケンさんという住宅メーカーに加わってもらい、最高の布陣となって再スタート。フォルムさんと手を取り合いながら、スムーズに準備を進めていただいた。アーケンの藤原立人さんがいなかったら、松本は路頭に迷っていたことは間違いありません。

融資は、はじめ民間だけでやる可能性もあったけど、なかなか進まず、感触もよくなく、さまざまな方からのアドバイスをもらって日本政策公庫にメーンでお願いすることにした。なんの後ろ盾もない、経験もない素人の個人に、早い段階から「最大限お支えする」とおっしゃってくださった。身震いする。事業のえげつなさも、世の中の厳しさも知らないのに、大きな大きな、どこまでも重い意味のある助け舟を出してくださった。

旭川公園メンバーの鈴木裕矢さんは「お金は、松本さんに対する期待値。増やしてやりましょ!」と。そうか、期待値。プレッシャーというより、期待と考えてそれを超えていくほうが楽しいもんね。さすが鈴木さん!

これまで経験したことのないお金を管理することになる。必要経費としてでていく数百円、数千円、サービスの対価としていただくことになる数百円、数千円。その積み重ねで事業を回していくことを忘れずに、丁寧に扱っていこう。

土地の取得も、振り返ればとっても難航したけれど、うまく3筆を確保できた。それにしても、地元の不動産業者・大和(だいわ)の若林雄大さんがずっと全力で応援してくれて、スムーズな交渉とともに、大きな値引きも実現してくださった。仕事の速さ、熱意。こんな業者さんがいるのかと、仰天の連続だったわ。

当麻町には、道北バスの停留所「当麻0丁目」がある。まだ1丁目1番地にもたどり着いていない、文字通りの0だけど、スタート地点に近づいてはきた。

最近お手伝いをさせてもらっている東旭川の坂井ファームさんでは、イネやトマトの苗を育てている。ハウスでは温度管理にものすごく気をもむ。氷が張る朝もあるけれど、日中は汗だくになる。気を抜かず、余計な力は抜いて、じっくり「旭川公園」を育てていこう。

目的の本がなくても、お出かけの目的になる本屋

妻のリクエストで、札幌にほど近い江別市にある蔦屋書店に行ってきた。蔦屋は東京の代官山以来だったけど、久々にガツんときてサイコーでした。

自分の中での目的は2つ。なぜ集客力があるのかを感じることと、北海道の蔦屋書店として、旭川ゆかりのものがどれだけあるかをみること。

江別はレンガや小麦がたくさん作られてきたことで有名なまち。(江別のレンガを周りに積んだ薪ストーブを下川町で見て初めて知った😅)。だから駐車場から建物の外観をみて、「江別らしいな」とすぐ認知できた。分かりやすいのって大事。

<知><食><暮らし>の三つの棟から成っていて、まずはスターバックス以外が本棚である<知>に入り、つぎに洒落た飲食テナントが入る<食>へ、アウトドアや子どもの遊び、雑貨をメーンにした<暮らし>へと進んでいった。

入った瞬間から、キョロキョロしっぱなし。圧倒的な刺激量。目を前後左右、そして上下に忙しく動かす。「自分の興味がある本がないわけはない」という気分になって、本を買いに来たわけじゃないのに、なんとなく歩き回って探してしまう。

憎いほどいいなと思ったのは、おそらくコンシェルジュさんが作ったであろう、本のジャンルごとのおススメ文。キャッチーな写真も添えてある。ポップとは違ってスマートすぎるけど、思わず読んじゃうクオリティ。かなり力入ってる。

そして当然のように、その近くにはそれに関連するグッズが置いてある。旅行ならその行先を、お弁当ならその中身を、どうしても想像してしまう。これはもう、体験価値を提供してるようなもんだ。

そしてそして、3棟のうち、1つに足を運べば、どうしたって他も見たくなる。

すると、「食」「旅」「キッチン雑貨」「器」「子育て」「アウトドア」「洋服」と、暮らしのあらゆる要素がつながってくる。否応なしに、自分はどんな暮らしがしたいかなってイメージする。ライフスタイルを提案されてるな、自分。完全にCCC(運営会社)の術中にはまっているな…と思いながらも、まぁ楽しいからしょうがないよね。

子ども本のコーナー。いいなぁ
どどーんと贅沢にマリメッコを紹介

本に囲まれたり、本を選んでいる時間を楽しませることに主眼を置いているんだろなーと、来る前は思っていたけれど、それだけじゃなかった。

スタバのスペースで観察していると、本を持ち込んで(清算前でも読める)ドリンクを楽しんでいる人は、半分もいなかった。この「蔦屋書店」という空間で仕事したり、自習したり、おしゃべりしたり、ネットサーフィンしたりといった体験に価値を見出してるんだろな。たぶん。

ところで、にわか「おにぎり研究家」の松本家としては、フードコーナーのおむすび屋さん「Hakodate Omusubi函太郎」で大人食いしないわけにはいかない。

鮭と山わさび、二番目に高価な「岩海苔と雪たらこ」(550円)、日替わり味噌汁をオーダー。

ごはんは、道南で生まれたという「ふっくりんこ」の特別栽培米。ほんのり甘く、ほんのり塩味がして、ふっくらして瑞々しく、バランスがある。わが家で試行錯誤しているお米に比べて、透き通った感じがするし、粒感は弱くても粒ごとの存在感は生きている。うーむ! 

炊き立てご飯の水分の逃がし方、握り方、ノリの巻き方もめちゃ参考になった。調理場が丸見えなので、じーっと観察してしまった(すみません)。

おにぎり屋さんの楽しさの一つは、家庭ではできない種類の多さ。価格の幅が大きすぎて、ついつい高級メニューも食べたくなるじゃん! お米や具、みそ汁まで全体で「道南」を感じさせる演出にも驚いた。

そうそう、旭川周辺ゆかりの作家さんや商品もたくさんあった! ▼大雪木工(東川)のチェア、▼アカエゾマツのアロマ「はぐりら」(旭川)、▼旭川公園ゲストハウスでも使う瀬戸晋さん(東旭川)の漆拭きの木食器、▼ロクロ挽きで薄い質感の「kamiシリーズ」が人気の木工メーカー「高橋工芸」(旭川)、▼日本茶ブランド「USAGIYA」(旭川)。けっこういっぱいあって、うれしかったな~。

ゴールデンウイーク最終日。子どもを保育所やデイサービスに預けている間のとんぼ返りの小旅行だったけど、お腹いっぱいになれて幸せでした。

絵を描くように、植物たちをデザインする。ナチュラルな上野ファームについて



4月下旬、いよいよ旭川が誇る上野ファームがオープンした。全国のガーデナーの憧れの地で、このゴールデンウイークもさっそく賑わっている。連休中は2回、ヘッドガーデナーの上野砂由紀さんが案内するガーデンウオークもあって、すごい人気だった。

この時期に咲いている花は、まだまだ少ない。特に今年は雪解けが遅かったことも影響してるんだとか。最盛期ではないからそりゃそうなんだけど、けっして背伸びせず、それぞれの季節ならではの見せ方をしている表れでもある。

5月4日のガーデンウオークには50人超が参加。上野さんは冒頭「この時期のガーデンを知ると、もっと咲いた時の感動が大きくなります。100倍楽しめますよ」と切り出した。

ガーデン内は植物の名前が書かれたラベルがない。来園者からは表示を求める声もあるけれど、「自然な雰囲気で楽しめるようにしたいので」とあえて対応していないんだとか。だからこそ、上野さんから直に聞ける機会はまたとないチャンス。いつもより100倍耳の穴を大きくして、ゆっくり歩いた。


左右対称に植えている「ミラーボーダー」のエリアでは、チューリップが開花を待っていた。ここの球根類は植えっぱなしで、掘り上げることはしない。花が終わったら周りのほかの植物が伸びて、自然とバトンタッチするようにしているんだとか。

前後左右に植えることで開花期を調整し、6月~9月に「なんかしらが咲いている」状態をつくりだしている。「調整して、結果が出るのが一年後。それを繰り返していきます。気の長い作業ですが、うまくいくと嬉しいですね」と上野さん。

気軽にできるガーデニングのコツも教えてくれた。同じチューリップでも早咲き、中間咲き、晩成咲きの3種類を組み合わせることで、色が変わって長く楽しめるガーデンがつくれるという。

来園者が小人(こびと)になった気分で楽しむ「ノームの庭」でも、季節ごとに見せ場を変えている。チューリップが終わる頃には、アリウムが存在感を増すように演出。通路に近いところには常緑の植物を置き、花が終わっても楽しめるよう計算している。



「毎年同じ庭はありません。雨や気温で高さ(丈)も変わる。デザインは生きているので、日々変わるのがガーデニングの一番の面白さですね。絵を描くようなガーデニングです」

1時間のガーデンウオークも終盤。かつて屯田兵が訓練をした「射的山」のふもとでは、上野さんはクリスマスローズとルピナスを紹介した。「本州なら、クリスマスローズは日の当たるところはNG。でもここならどんどん大きくなります。植物は暑くなるとエネルギーをつかうので、それほど大きくならないんですが、北国では本州の2倍くらいになるのもあります。ここの植物を関東に持っていっても、3分の1くらいは枯れるはず。北海道だからこそのガーデンがつくれるということを知っていただきたいです」とまとめた。「北海道ガーデン」という言葉が、これまでで一番しっくりきた。

季節に逆らわず、花の組み合わせをイメージして長く楽しむって新鮮。上野ファームでやっていることを、普段の暮らしにも取り入れることができそうだし。草花の織り成す景色は春から夏、秋にかけての季節の変化だけでなく、1週間単位でめまぐるしく変わっていくというのも、生き物らしくて楽しい。農家の上野家が、お客さんをもてなすために始めたプライベートガーデンだからこその、自然体の魅力も大きいんだろうなーと思う。

暇さえあれば、季節ごとのグラデーションを見にいこう。準備するのはカメラと年間パスポートだけでいい。

||| 鳥越弘嗣さん ///コーヒーのように、ブレンドの楽しさを伝えるお米マイスター。一人ひとりに合った味でもてなす元ホテルマン

1965年、北海道・紋別市生まれ。札幌の有名ホテルでバイヤーとして経験を積み、妻の実家である旭川の「上森米穀店」の暖簾を守るために45歳でお米の世界に入った。この10年で、地元の園児からこだわりの飲食店、名だたるホテルまで、多くのファンの舌を肥やしてきた。

札幌の専門学校で経理やコンピューターを学び、ホテルでは徹底した原価計算のできるバイヤーとして年間で8~10億円を動かしていた。料理長と一緒に商品開発したり、イベントを考えたりと現場で走ってきた。

義父が病気で倒れたことを受けて、2010年に旭川へ。自身の実家は旅館で、経営者になることが夢だったので、抵抗なく未知の世界に踏み入れることができたという。

食糧管理法がなくなり、流通が大変化して、お米はどこでも買えるようになった。先代のころから、「もうお米屋さんの時代ではない」と言われてはいた。ただ、前職の経験から「どの業界にいても勝ち負けはある。(事業が)続いていたら勝ち。昔のような商売ができなくなったとしても、いろんな売り方がある」と確信。単に農家から仕入れて売るだけでは、立ち行かなくなることは明白だった。

ごはんソムリエ、雑穀マイスターとして何ができるか―。たどり着いたのが、客に合ったブレンドの提案だった。かつてブレンド米は「くず米を何かに交ぜる、まがいもの」というイメージがあったが、「本来は良いものと良いものを掛け合わせて、もっと良くするためのもの」だ。コーヒーならブレンドするのが当たり前。それがお米となると、すぐには理解されない。ここをなんとか打破したかった。

新米の時期、年を越したころ、夏場と、どうしてもお米の味は変わっていく。精米してから2週間で酸化は進行する。天候や農家による、質のばらつきも無視できない。だからこそ、ブレンドがものを言う。多くの農家とパイプがあり、エンドユーザーとつながる問屋の出番だ。

お客がどんな米が好みで、味や楽しみ方をどう変えていきたいのか。普段食べているお米に不満はないか―。「バサバサして甘みや粘りがないなら、『おぼろづき』を入れたらおいしくなりますよ」「『ゆめぴりか』だけと『ななつぼし』だけ、どう違うか試してみませんか」「たまには雑穀で食物繊維と鉄分を補いませんか」。客のニーズを探り、提案する。

理想としているのは、「カレーだから黒米にしようか」「どんぶりご飯だから『ななつぼし』かな」「白魚がメーンだから『ふっくりんこ』はどう??」と、食卓にどのご飯を使うかの話題がのぼる光景という。

精米のブレンドにとどまらず、見せ方や楽しみ方を提案することに余念がない。

飲食店や美容室で大人気の「黒米茶」や、木工イベント(旭川木工コミュニティキャンプ、AMCC)から生まれたキューブ状のパッケージ商品「きゅーと米」など、多彩な商品展開で知られている。当麻町の原弘治さんの森「IKAUSI CLASS」では、古い一升炊きの羽釜を持ち込み、おむすびに合うようお米をブレンド。ホウバに包んで香りを楽しみながら食べるイベントに携わった。

お茶のショップ「USAGIYA」本店で紹介されている黒米茶

かねて、食育には強いこだわりがある。旭川市内の保育所へは雑穀を含めたブレンド米や、みそ汁のだしの具を卸している。ミネラル不足が叫ばれているからこそ、だしを取る大切さを伝える。「和食は本来、日本人に合う食事で、栄養を考えるととても理にかなっているんです。体と頭をつくる朝ごはんの大切さとおいしさを覚えてもらいたい」と力を込める。「日本一の給食」で知られ、NHK「プロフェッショナル」にも取り上げられた置戸町の佐々木十美さんのイベントでご飯を炊き、サポートしている。

仕入れているのは、旭川市内や東川町、東神楽町など近郊の農家の米。旭川公園のお膝元の永山地区の農家とも付き合いが深い。この辺りのお米がおいしいのは、「日本酒にも使われているほど、大雪山の伏流水がきれいなことですね」。この地域の米を紹介する先は地元にとどまらず、遠くは沖縄の料亭に、宿では「北海道ホテル(帯広市)や旅館「中村屋」(糠平温泉)など人気施設に卸している。

「小さい米屋だから、できるんです」。地元の農家が丹精した一等米を預かり、マニュアル仕様の機械で丁寧に精米し、お客ごとに最高の形で届ける。旭川公園の朝食で提供するブレンド米づくりでも協力する。

店内の小さな黒板には、ブレンド米を勧める文言のそばで、大きな思いを添えている。

「お米は人々のこころのふるさとです」

家族全員で迎える宿に

いつもお世話になっている(でも実は初対面)沖電気工業の松山和馬さんと、ご紹介いただいたジャパンケーブルキャストの徳永慶一郎さんが旭川に来られた4月24日夕のこと。旭川の間違いない名店「ぎんねこ」で家族みんなでお迎えし、ご飯を食べる幸運にあずかった。

そこで松山さんも徳永さんも「家族っていいよなぁ、一緒にいるって大事だよなぁ」と口をそろえていらっしゃった。松山さんは知的障害のある長男・大滋(たいし)の小さい時(愛知県瀬戸市時代)からご存知で、底抜けフレンドリーなキャラクターも全部ふくめて、「家族の良さは、価値になるよ」とおっしゃった。

過分なお言葉で、自分の家族のことを文字にするのはめちゃくちゃ面はゆいけど、ゲストハウスをやる上ですごい大切なことを思い出した。

宿をやろうと思ったのは、①自分が旅・宿好きだから②地域の人と外の人も交われるメディアだから③地域のあらゆることに絡む裾野の広い存在だから―という理由があったけど、家族のことを考えた結果でもあった。そういえば。

自分がやりたいだけじゃなくて、妻や子どもたちにとっても楽しくて豊かに生きれること、もっといえば、全員で強みを生かせる仕事はなんやろかと考えてたんだった。そして宿、とくに民宿や家族経営のユースホステルのようなイメージが浮かんでいた。自分にとって原体験の卒業旅行で初めて行った屈斜路原野ユースゲストハウスも、そんな存在のあったかい宿だった。

松本家の子ども3人はまったく人見知りせず、図々しいくらいに大人の懐に入っていく。大滋も、同世代といるより大人と一緒にいるほうが大好きなようで、愛想を振りまき、外国人を見かけると、所かまわず「ハロー」と声をかける。だから、自然と笑顔を招く。

こういうのって、もし自分がゲストだったら嬉しいと思うし、地域暮らしを見せていく宿を展開するんだったら、家族をまるごと見せてなんぼ。自分たちそのものを売っていく、とも言えるかなと。家族みんなが旭川暮らしを全力で楽しんでいることを、どんどん出していく。そしてゲストに旭川や周辺のファンになってもらう。そんな循環ができたら嬉しいなって思う。

ゲストハウスといっても、いまやものすごく多様化していて、経営主体も家族から個人、学生仲間、株式会社とさまざま。

その中で、自分たちだからこそできるのは、自分の自慢できる家族でいろんな人たちをお迎えすること。お迎えというか、一緒に楽しむこと。松山さん、徳永さんとゲラゲラ3時間も笑って、久しぶりにそんなことを思った。

会社を辞めて北海道でゲストハウスをやると宣言したとき、「家族いるのに何考えてるの」とよく言われたけど、家族がいるからこそやりたいし、見せていきたいものがあったんだよね。そういえば。と、無理やり正当化してみる。

アツくなり始めた小樽

荻野さんの実家のお寺から見下ろした小樽の中心部。坂の多いまちだなんて、知らなかったなぁ

北海道には何度も何度も上陸しているけど、ド定番の観光地ってほとんど行ったことがない。小樽もその一つ。でも当麻町のスノーキャンプで荻野容子さん@小樽と知り合って、いろいろ現状を聞くにつれて興味が沸いたまちでもある。で、ちょうど取材の仕事で小樽行きが決まったので、(ちょうどホテルの取材で宿泊も!)ゆっくり歩いてきたわけです。

駅は出入り口が一か所しかなくて、熱海みたいな感じ。ロータリーは、タクシーや自家用車が見境なくごちゃごちゃしている。駅前の一等地にはパチンコ店がどでーんと構え、「東京」と名の付く雑貨店が幅を利かせ、あんまり風情が感じられない。風格のある石造りの建物にまじって、けっこうな数の中層マンションが幅を利かせている。なんだかなー。

北一硝子とかがあるメーン通りは土産物屋さんが所狭しと並んでいて、たしかに活気はあった。とにかく、アジア系の訪日客が多い、多い。どこを見渡しても歩いてる。すごい。旭川の買物公園の10倍くらいいそう。

噂によれば、香港あたりの投資家が小樽に注目して、有望な粒を探し回っているとか。ニセコ、札幌、富良野と投資家の目が向いている地域はいくつかあるけど、残念ながら旭川もという噂はまったく聞かない。

小樽は北海道新幹線も新たに延びてくるし、札幌からの近さも手伝って、ホテルの開発圧力も高まってる。小樽市としては、景観守るためにかなり厳しい要件も課しているみたいだけど。

荻野さんによれば、観光業界の界隈では一定の盛り上がりがあるけど、地元の暮らし(生活)とはちょっと離れたところに存在しているイメージ。過疎地に指定されていて、産業の広がり(裾野)も限定的で、地元経済はなかなか厳しい状況なんだとか。

ただ近年は、移住組やUターン組の若手がお店を持ったり、地元の小樽商大の学生がゲストハウスを開いたりして、新しい動きも出てきているそう。いいなぁ。

札幌とかとは違った背景で、地元がどんどん疲れていくのを見て面白いタネが徐々に花開いている状態なのかもー。

連れて行ってもらったカフェバー「石と鉄」は海外経験が長いオーナー・中源博幸さんが石蔵をリノベーションし、ハイセンスな空間を自ら創り上げていて驚愕! 圧倒的な存在感だわ。7月から「石蔵に泊まる」がコンセプトのゲストハウスもオープンするらしい。なんとしても泊まりにいこー。中源さん、後で知ったけど北海道新聞に出てたわ。

お昼ご飯は、札幌から移ってきた「なかよし食堂 ぺぺちゃん家」へ。荻野さんや店主ご夫妻が友達のように(実際に友達)おしゃべりを楽しんで、お客さんも知り合いがどんどん吸い込まれていく。コミュニティー感たっぷりの店。自分が旅の人だったら、こういう所にこそ行きたい。運河とかよりも。そこで暮らす人の息遣いが感じられるから。たぶんきっと、お客さんも濃い人たちに違いない!

案内してくれた荻野さんは「海外旅行でスーパーに行ったりすると、本当のその国のことに触れられる気がする。そこの普段の暮らしを見たいと思う人が増えていると思う」。旭川公園のコンセプトにも合ってるので、勝手ながら意を強くしてました。観光や旅行の専門家ではない、でも地元に熱い思いのある若い人が小樽のまちを変えていく。そんな予感がするなぁ。特定の産業におんぶにだっこじゃなくて、みんなで創っていきたい気分だわ。

米づくりのお手伝い、はじめました

茶碗一杯で、白米は3200粒くらいあるらしい。一本の稲穂からは70粒くらい。白米は一粒残さず食べることを30年以上やってきたけど、農家さんの苦労を知る機会はほとんどなかった。

2018年10月に旭川に移住してきて、近くの森に入って林業を間近にみることはあったけど、農業はシーズンじゃなかったので叶わなかったのもあって、ずっと、やりたいな~と思ってもいて。

そんなときに、東旭川の坂井ファームさんが人手不足で困っているとお声がけしてもらい、お手伝いをさせてもらえることになった。

田起こしこそしなかったけど、4月15日からまず種まきをさせてもらった。「まくday」という機械に土を入れて、苗箱を流し、パレットに積んでいくという作業。マット土は、ベッド代わりの「床土」と掛け布団代わりの「覆土」に使うのだけれど、1袋18㎏もある。すぐになくなるので、ひっきりなしに袋を持ち上げて機会に投入する。(時々、越冬したオツネントンボもまじってる) 種の入った苗箱を慎重に13枚重ねてパレットへ。苗箱は1万数千枚を用意するので、何日も何日もかかる。

苗箱は軽トラでビニルハウスに運ぶ。ハウスは50mくらいの長さがあって、大声をださないと反対側の人の耳に入らない。ほとんど隙間なく苗箱を敷き詰めていき、水をかけて、シルバー色のビニルをかけたり、アーチ状の骨組みに沿ってビニールをかけたりして保温する。ビニルをきれいにかけるだけでも、大汗をかくような重労働。これを家族中心にやっていくのだから、それはもう大変なこと。

自分にとっての楽しみは休憩タイム。作業している全員が集まって、コーヒーやジュースを飲んだり、お菓子を食べたりしてしゃべる。みんなで同じ時間を過ごすのがいかにも共同作業っぽくて、なんだかコミュニティー感もあって気持ちいいー。お昼にジンギスカンをいただいたこともあって、幸せすぎた。

田植えまでの一ヵ月は、ずっと気が抜けない。ハウス内の温度や芽の状態をこまめにチェックして、調整する日が続く。

2代目のお父さんは「自然には勝てねえ。勝ったり負けたりじゃなくて、負けて負けて、というのもある」と休憩時間によく話している。風や湿度を全身で感じながら、天気予報も確認し、作業のずっと前から天気を読む。この天気に収入を左右されるのだから、重みがある。

「いただきます」の一言にも、自然と気持ちが入りそうな経験をさせてもらっている。田植えを楽しみに、できる限りお邪魔したいなー。