人とつながる旭川一泊の旅① 北海道スイッチ

朝の8時15分に浜松駅に着き、セントレア直行バスに乗りこんだ。座り心地の悪い古い遠鉄(遠州鉄道)のバスだったけど、運転技術はその辺の路線バスとは異次元。北鉄(石川県、北陸鉄道)や名鉄でも一緒。やっぱり高速バスなんかは運転手さんのレベルが違うなあと実感する。例外はあるけど

セントレアでゆっくりエア・アジア便を待つも、到着機材の遅れとかで30分ほどのディレイ。新千歳着も同じくらい遅れて、予定してた列車に乗れず。今日はできる限り「地取り」しようと思ってたので、この30分はでかい。

札幌までは快速エアポート。次男の陽己(はるき、4歳)はさかんに話しかけられ、幼稚園での様子を根掘り葉掘り聞かれて、上機嫌に。でも最近、「恥ずかしい」とか言って、前みたいに聞かれてもいないのに名前とか自己紹介することがなくなった。これも成長なのかしら。

札幌駅で、同じホームに入線してきたスーパー北斗。キハ261系が導入されてからは乗ってない

札幌で乗り換えて特急「ライラック」に。自由席は乗車率80%ほどに見えるけど、指定は30%くらい。もっと賑わってほしいところだけど、バスとの競合もあるのかしら。

次男がすごくよく寝たので、そしてパワーポイントが文字化けしてフリーズしたので、これからのことに車内でじっくり思いを馳せてみた。

しばらく本業に追われていて、旭川移住とゲストハウスのことが頭から離れていたこともあって、この一週間はけっこうネガティブな状態だった。冷めた目で「ほんとに自分やるんかいな」「一生楽しめるのか」「うまくいくのかしら」とか心配してたけど、なんのことはない。北海道に足を踏みれたら、簡単にマインドに切り替わった。もとの自分に戻れた。しかも、いっそう(思いが)強くなって。

夫婦も一緒かもしれないけど、突っ走ってばかりだと、ろくなことはない。ときどきブレーキをかけてもらって考えを深めたり、違う目で思いのほどを確かめるのって大切だわ。

同じ編成でも、シートにはいろんな色がある。緑が主体なのに一部だけブルーがあったり、赤基調なのに緑が混じったり。変化球というか、多様性の演出みたいなのが好き
この色すごい好き。青森からよく昔乗った、スーパー白鳥と同じ色のままかしら?かわいい
旭川駅の同じホームで出発を待っていた、旭川始発、網走行きの特急「大雪」。自由席は厳しかったけど、ハイデッカーのグリーン車はほとんど埋まっているという謎

ライラックは16時55分、定刻通り旭川駅に滑り込んだ。

                                                                             (つづく)

 

フェリーで目指す北海道

室蘭と岩手県・宮古を結ぶ「宮蘭(みやらん)フェリー」が6月22日、就航した。東北としては復興の後押しを期待し、北海道に多い訪日客を取り込もうと熱視線を送っているようで。新しい人の流れができたらステキ。

国内の新航路は19年ぶりなんだと。直近は1999年、敦賀-新潟-秋田-苫小牧が就航したのが最後。この航路、ゴールデンウィークに乗ったなあ。

浜松から八王子と長野を経由して新潟港へ。生まれて初めてマイカーを詰め込んだ。野球ができそうなくらい広い駐車スペースでは、10人はいただろうか、まさに職人たちが手際良く誘導していた。

間隔は必要十分にして無駄がない。
トラックや荷台はこれまたガッチリと整然と並べられ、このクルマや運転手さんがいて、いつも北の大地の食べ物が本州で流通してるんだ、としみじみ。

階段をのぼって客室階に行くと、いかにもトラック野郎、という風情のオトコたちが缶ビールを飲んでるのが目に飛び込んできた。気持ち良さそうに、ガハハと声が聞こえてくる。
船旅らしい、懐かしい光景にうれしくなった。

宮蘭フェリーの就航を伝える新聞記事にもあったけど、トラックの陸送をフェリーで一部代替できることで、働き方改革にもつながるんだって。船内にはドライバー専用の宿泊ゾーンもあるし、だいぶ負担は減るんだろうなー

家族づれも多いし、老夫婦も少なくない。高校生や大学生もまじっている。この雑多な感じがしっくりくる。飛行機と違って、いろんな人の顔が見えるしね。

高校3年の時の卒業旅行も、敦賀から苫小牧東までフェリーでいった。みんなでわいわいやって、たっぷりしゃべった。そんな懐かしさもあって、船旅はたまらない。

いざ、旭川。「地取り」の旅へ

「旭川」の文字にドキドキする

明日からの土日は久々に旭川へ。前に行ったのが5月28日(日帰り)だったから、ほぼ一カ月ぶり。えらく時間があいちゃった。それだけ進展が鈍かったんだなー

急ごしらえの、「地取り」のための旅。取材っぽい旅。ゲストハウス予定地を詰めんなん。

いま、慌ただしく準備してます。
今回もいつもと同じく、セントレアから新千歳にエア・アジア便で入る。2人で片道2万円ちょい。
平日の安いときは4000~5000円台だけど、まあ仕方ないかー。

本当は旭川⇔セントレアor羽田でサクッと行ってみたいところやけど、旭川線はJAL/ANA・エアドゥしか飛んでないので、高くて高くて。
新千歳から旭川までは道央道をビュン!と走っても、なんやなんや2時間以上かかるし、眠いし、疲れる。
もっと旭川便が増えて安くなればなぁ・・・。エア・アジアほどじゃなくても。

エア・アジア便だけ数日前に確保していたものの、帰りの便がなかなか決まらず。昨日、やっと固まった。
ほとんどの便と座席が埋まってるし、高い!!
道内の記者によれば、観光シーズンに入り、2万人が来場するデザインウイークの期間中でもあるからでは、とのこと。これは夏のハイシーズンは恐怖でしかない。。。

帰りの足はさまざま検討した。
ベストは、新千歳→セントレアのスカイマークかエア・アジア、小牧着のジェットスター。つまりLCCを使う。
でも全滅。
新千歳→羽田のスカイマークを見たけどやはりダメで、エア・ドゥも厳しい。

そこでついに、初となる旭川発も調べ、セントレア行きや羽田行き、羽田経由のセントレア行きをチェックした。
これというのがなく、新千歳→神戸・大阪、新千歳→仙台も見たものの、できるだけ長く旭川に滞在できることや、運賃をひっくるめて考えて、19時半発の旭川→羽田のエア・ドゥをセレクト。大人3.5万円で合計5.3万円。

高い・・・。しかも最終の「ひかり」で浜松に戻る強行軍になる。次男よ、申し訳ない。

でもしかし、必死になって旭川までの空路を調べてみると、ほんとたくさん選択肢があってびっくりしたし、お金さえあれば旭川は遠くないんだと痛感。新千歳⇔羽田なんて、JR特急よりよっぽど多いんじゃないかと思うくらい。

浜松から空港までの足も考えないといけない。行きのセントレアまでは、バスがいいか、新幹線がいいか次男(4歳)に選んでもらったら、「バスがいい」と言う。
すぐに3000円強の空港直行バスをセレクト。膝上で130分はきついし、トイレに行きたいと言い出したら恐怖以外にないけど、新幹線より1300円くらい安いから◎。

新千歳からはいつも「カーレンタル北海道」で小型車(1日3000円!)で借りるけど、次男がいるので、快速「エアポート」と特急「ライラック」を乗り継いで旭川へ向かうことに。(昔はこの特急、「スーパーカムイ」って名前で、妙にワクワクした)

旭川駅に着いたら、日産レンタカーで借りて移動する。二日間借りて、コミコミ6600円。

次男との初めての2人旅でもある。
ホテルの部屋で寝かせたら夜の街には行けないけど、いい経験になりそう。人と会う時におりこうにしていたら、JR北海道の789系(特急「カムイ」か「ライラック」)のプラレールでも進呈しようかしら。

北海道に、少しでもいいイメージを持ってもらうための姑息な先行投資である!

ローカルへ、もっと奥へ

6月21日の中日新聞(手元にあるのは東海本社発行版)の特報面で、整備に向けて自民党が躍起になっているカジノを取り上げ、訪日客の関心が薄いことを指摘している。

特報面は、東京本社にある特報部という部署がつくり、各地に配信して各地で必要に応じて編集している。特に東京本社(=東京新聞)としては代名詞とも言える目玉コーナーで、政権や社会面にとことん切り込む、骨のある記事が紙面を飾る。自分も学生時代、東京新聞のこのページを穴が開くように読み込み、この会社に入りたい! と思うようになった。

もちろんカジノなんて国が旗を振ってつくるもんじゃないと思うし、なんのためにやって、どれだけの効果があるのか、お金じゃなくて人を豊かにするのか、納得のいく形で示されていないので、いらない。

というのはさておき、この記事では、外国人観光客にカジノのことを質問しまくってて、その一つが目に留まった。

イギリス出身の方いわく「外国人観光客が求めているのは、日本らしさ」「最初は京都や東京などの都会に行っても、リピーターは『本来の日本』を求めて、地方に足を延ばすようになる。どの国でも地方のほうが、その国の空気感を感じられるからだ」と。

まさに地方の時代。「らしさ」の形は地方や地域の数だけあるんだから、チャンスがいっぱい転がってる。飲食も宿泊も、生命線はリピーター。空気感=生活感とも言えるし、普通の旅では飽き足らない人に、ローカルならではの暮らしを体験してもらう。

ゲストハウスに泊まったら、そんな場所にするつもり。

辞め時は、吉田兼好が教えてくれる

最近しょっちゅう、会社の同僚たちに「いつ辞めるの?」って聞かれる。ゴミを捨ててるだけなのに「おっ、整理始めたねえ」なんて言われることもある。

自分でも、いつ辞めるのか分かってない。早く決めたいけど、決められないんです!土地が決まらないので。。。

土地が契約できないと、ゲストハウスも住宅(管理棟)も、現地調査ができない。設計図も書けない。そう、何も始まらない! 完成の見通しがつかないと転校の手続きも取りづらい。引っ越しの日程も踏まえて、会社の定期異動も踏まえて、退社する時期を決めなあかんのに、決められない。

はたから見たら、辞める時期をきめられない、完全に優柔不断なヤツに見えてるはず。

会社側に退社したい旨をいったのが、5月中旬。その時も、聞きつけた幹部に〝事情聴取〟されたからカミングアウトしたまでだけど、いつ辞めるのかってホント難しい

今の仕事が落ち着いたら。やりたいことをやり終えて後悔がなくなったら。独立の準備が整ったら。 いろんなタイミングがあると思うけど、あんま考えすぎても、どうしようもないんじゃないかと、つねづね思っているのです。

中日新聞の一面に「中日春秋」というのがあって、5月30日に、こんな良いことが書いてあった。

「出家が現役引退を意味した時代、吉田兼好は『徒然草』の中で決断の難しさを述べている。何かの始末をつけてからとか、慌てずに何かを待ってからなどと思っていては、一大事などは決行できない。心に残る事柄をそっくり捨てなければできない、などといった具合だ」  だって。

兼好さんはやっぱいい事言うな〜。ほんと、そうよね。考えて考えて考えて、考えたら、答えが見つかるといえばそうじゃない気がする。特に日々、事件事故がいつ起こるか分からないような職場にいると、なんやかんや追われて、仕事以外のことを考えられなくなっちゃうし。

引き際は、エイヤ!とやるのも大事なんだろうし、エイヤ!しといてよかったーって思うことは既に何度もあるわけで。

NHKとの〝和解〟

ついにNHKの受信料を払うことにした。

ちょっと前に、NHKの委託を受けて受信料の徴収をしている会社の担当者さんがマンションにやってきた。わが家が1年以上、衛星契約のお金を払っていないから。

もともと、自分が不在の時、別の会社の担当者が家にきて、「おたくのマンションはBSが見れる環境ですから」と一方的に話をして、それまでの地上契約はダメだからサインを、と妻に迫ったのがきっかけ。

やり方に腹が立ったので問い合わせても、チューナーを買えば見れるからと埒が開かず、NHKに聞いても、「現場に言ってくれ」といった感じで汚れ仕事はしたくない様子。法的な解釈論について言うと、現場の人はNHKに聞いて、の一点張り。まず現場の説明してほしいと言っても一度来たくらいで、ぜんぜん納得のいく話はなかった。

ところがところが。今回来てくれた人は、「今までの受信料について云々ではなくて、これからの契約をお願いしたい」と切り出した。

あれ、これまでとアプローチが全然ちがう。

こちらはすかさず「NHKさんには高いクオリティの番組で子どもがお世話になってる。見ている分についての対価なら、今すぐお支払いする。これは今までも言っている。地上契約で未納はなかったでしょ。でもBSはやっぱり映らない。それに月1000円上乗せするのはおかしいでしょう。それ契約ですかと」。放送法上の義務についても触れながら。

するとあちらは、「そうですよね、では映るかどうか見てもらえないか」と。

お、なんかいい感じ。

ほんとに映るのなら払おう、と自分は密かに思い始めていた。そこから、ケーブルをどこの端子と繋ぐとかいろいろ試行錯誤して、言われた通りにやってみた。でも、どうやっても、BSがつかないことが証明されてしまった。

そこでどうするかと思っていたら、担当さんは「はい、つかないことが確認できたのでお客さまは地上契約でお願いできれば」と潔く即応。すごい。すぐさまハンコを押すことになった。こっちもスッキリできて嬉しい。

「面倒な客でごめんなさいね」と言うと、「いやいや、優しい方でよかったです。物投げられることもよくありますから」と担当さん。ほんと大変な仕事だなあとしみじみ。いろんな嫌味を言われて、暴力に近いこともされて、やってられないことも多いだろうな、とあらためてしみじみ。

同じ、契約を取るという仕事でも、組織や人が変わると、こうも違うのかとびっくり。最初からすべてを得ようとせず、相手の話に上辺だけじゃない共感を示す。その上で譲歩を引き出しやすいポイントを絞って、実際に体験してもらって納得いてもらい、気持ちよくお金を払ってもらう。

勉強になるなあ。

進まない土地選び。もう「地取り」しかない

6月18日、旭川の不動産屋さんに久々に電話をかけた。ゲストハウス予定地として、稚内につづく線路に面した350㎡の土地の所有者と交渉してほしい旨を伝えて、ちょうど2週間たったので。

なかなか土地が決まらない。モヤモヤ、ドキマギする状態はけっこう続いているわけで・・・

法務局に行けば登記事項はすぐ確認できるので、そこから所有者のお名前とだいたいの住所が分かった。けど、実際にその住所をたどってみても、当事者らしき人には行き当たらなかったということ。所有者は女性なので、美容室なんかも当たろうとしていただいたみたいだけど、現時点で見当がつかないとのこと。これは仕方ない。どこまでもお金にならない仕事をお願いするわけにもいかない。

空き家問題が全国的に言われて随分たつ気がするけど、土地にしてもおんなじで、所有者が亡くなったり、相続されても登記されていなかったり、転居してそのままになっていたりと、持ち主が不明なケースはごまんとある。すごい勢いで進めば、大げさでなく国土の荒廃にもつながるので、国もうまく処理・活用できる法整備?かを進めているみたい。逆立ちしても活用できない土地が増えていくんだから、よく考えたら大変な問題。「もったいない」どころじゃない。こんな身近なところで、自分ごととして立ちはだかるとは!

どうしたものかと、地元新聞社の友人や地元の情報通の方を通じて、司法書士(兼土地家屋調査士)の先生に聞いてみた。すると、「昔はできたけど、いまは個人情報をそこまで辿れない。境界で争いがあるとか特殊な事情がない限り、土地を買いたいだけでは調べることは職権でできない。法的にはどうしようもない」とのこと。

げ!

もう、ひさびさに雷に打たれたような感じで、けっこうなショックを受けてしまった。土地ってこんな難しいのね・・・。いろいろあるとは思ってたけど。土地は5月に決める腹づもりだったけど、もうリミットの6月末が迫ってきてるんだなー。変に焦ったり妥協したりはダメなんだけど。

ということで、この週末に現地に行くことにした。なぜか次男を連れて。

事件とかの取材で、現場や関係者の周辺をあたるとき、一軒一軒お家とかをピンポンして、お話を地道に集めていく取材を「地取り」と呼んでます。この土日、まさに旭川で地取りをして、予定地のご近所さんに所有者の行方を聞いたり、登記上の住所の周辺を探ったりしてみようと思う。これ以上、静岡で事件が起きませんように。。。

年内の移住にも暗雲が垂れ込め始めたなー

「阪神大震災」の記憶

高槻市を中心に大きな被害を出した大阪府北部の地震。震度6弱は近代的な観測が始まって以来初というのもびっくりやけど、関西の人にとっては、1995年の阪神大震災の記憶がよみがえって苦しくなった人もいたんじゃないかと思う。

西宮にある実家は今回、食器が割れたらしい。出勤途中の叔母は電車が動かず、足止めをくらった。それだけでも軽いことではないけど、あの時は今思えば、すさまじまった。

23年前も、建て直す前の実家は、これ以上ないというくらいに食器という食器は割れ、玄関のドアは開かず、水槽が割れた。二階で寝てたけど飼っていたセキセイインコがけたたましく鳴き叫び、その直後にドン! と襲われた。タンスが倒れてきて、打ちどころが悪ければ親も無傷ではいられなかったと思う。電気がつかず暗いなか、ピチピチと跳ねる金魚を踏みつけて一階の様子を探った。

阪急電車や阪急電車は、特撮のゴジラ映画みたいにレールが波打ち、慣れ親しんだ駅舎はボコボコになっていたところもあった。JRもしばらくずっと寸断されていて、発災から時間がたってから、避難していた金沢から神戸市の祖父母宅に向かう時なんかは、日本海側まで迂回していたくらい。鉄道がつながっていない状態は、精神的にもなかなかきついものだと、子供ながらに思ったなぁ。

地震の起きた日は、小学校の体育館で一夜を明かし、そのあとは親戚の家を転々とした。ボランティアのおばちゃんから体育館でもらったオニギリがおいしかったこと。長い列に並んだ給水の時、小学四年生の自分にとってポリタンクは重いからか、知らないお兄ちゃんがスケボーを貸してくれたこともあった。居候している家のトイレは流れないから、家族以外の汚物も一緒にどんどんたまっていった。

自然の揺れひとつで、人はこんなにも不自由するのかと思うと、水や電気、交通といったインフラが当たり前にあることは実は当たり前じゃないんだ、と分かった。

今回も報道されていないところで、大変な思いをされている人がたくさんいるはず。散乱した家の中の片付け一つとっても、途方にくれてなかなか手につかないはず。通勤・通学の時間帯を襲ったこともあって、都会は災害に脆弱だなあと、しみじみ、あらためて考え込んだ。

亡くなった4人の方々に手を合わせる。9歳の女の子も先を閉ざされてしまった。いつも通う学校にある、何度も見て慣れ親しんだ壁が、絵の描かれた可愛らしい壁が、自分に覆いかぶさるという恐怖を想像する。

倒れてきたブロック塀の下敷きになることは、これまでもあったらしい。大きな地震はどこでも起きる。絶対に繰り返したくない。明日は静岡で起こるかもしれない。

袴田事件からの看護師遺棄事件

一日一本は書こうと思ってブログを初めて、1ヶ月たった。そのタイミングで、さっそく更新が一週間ちょい滞った。

6月11日(月)は、裁判のやり直しを求めて闘っていた浜松市の袴田巌さんがどうなるかという分岐点だった。4年前に静岡地裁で裁判のやり直し(再審)と釈放がいったん決まり、「冤罪だ」というムードが一気に高まったものの、死刑囚のままだった袴田さん。この日、東京高裁は一転して再審を認めず、 また袴田さんの闘いは続くことになった。ニュースは全国でもトップ級で、久しぶりに目の回る一日。

これと並行して大きな事件も起こった。9日には藤枝市の山中で、看護師女性の遺体が土に埋められた状態で見つかった。浜松のスポーツジムの駐車場から自分の車に押し込められるという、信じがたい凶行。当然、全国ニュースになり、ワイドショーが連日取り上げる騒ぎになった。2人は逮捕されたけど他に関与した人物がいるとされ、しかも犯人はネットの掲示板で知り合ったという。聞けば聞くほど、恐ろしさと卑劣さに、なんとも言えない気分になる。許せない。ちゃんと調べて、警鐘を鳴らさないといけない要素もたくさんある。被害者の方のためにも、なんとか早く解決してほしい。

事件担当は一年前に卒業したけど、事件取材にどっぷり関わることになり、旭川のことはまったく考えられず・・・。本当は一度に皿を何枚も回せるようにならないといけないんだろうけど、事件が事件だけに、そこまでのキャパはなく。キャパはもしあっても、そんな気持ちになれないだろうけど。

たまには本業のことだけを集中して考えてみると、ゲストハウスと移住の展望や本気度を試されている気分になった。距離を置いてみるのも、それはそれで、悪くない。

 

「公共R不動産」より①〜再開発アレルギー〜

6月8日(金)に、待ち焦がれていた「公共R不動産のプロジェクトスタディ〜公民連携のしくみとデザイン〜」が発売された。 よく行く本屋に置いてなかったので、後日、電車で浜松駅に行った時に、ようやく入手。

刺さるところが多すぎるので、随時、何回かに分けて紹介せずにはいられない!

60ページに、クリエイティブな再開発について書いたコラムがある。ライターは飯石藍さん。

高度成長期の建物が寿命に近づいて建て替えられる時のダメな点について指摘する中で、こんなくだりがあった。

「さらに大きな問題なのは、再開発によって、まちの記憶がごっそりなくなることだ。昔ながらの居酒屋や横丁、地元に愛された店が再開発により姿を消して、ナショナルチェーンが軒を連ねる商業施設になってします。まちに息づいていた文化が、そこで断ち切られていまうのだ」

すぐに、兵庫県西宮市の阪急・西宮北口駅前を思い出した。

西宮は自分の地元で、高校生まで過ごした。小学4年の時には阪神大震災があった。実家は全壊し、西宮北口駅前は見るも無惨に風景が一変した。

いちばんショックだったのは商店街で、小学生時分だったので文房具屋くらいしか行かなかったけど、おばちゃんおじちゃんが自転車で買い物や暇つぶしをしていて、ワイワイガヤガヤした雰囲気だった。それがごっそり、地震で消えた。

その後、駅前には住宅と一緒になった高層の複合施設ができて、商店街にあったいくつかのお店も入居した。

でも、なんか違う。ハコはきれいになって、買い物の便は良くなったけど、申し訳ないことに買い物したい気持ちになれない。やってる人は同じでも、違和感を拭えなかった。

ちなみに実家の背後にあった、裏山みたいな里山みたいな謎の遊び場も、所狭しと住宅が建ち並んだ。オニヤンマのヤゴを捕ったり沼でザリガニを釣ったり、焼き芋を焼いたり畑を走り回ったりした楽しい共有地(まぁ実際は私有地なんだろうけど)は、なにもなかったかのように消え去った。

西宮だけじゃなく、神戸も似たような所があった。復興の象徴として再開発という名のまちづくりを急ぐあまり、どこにでもある高層マンションやらが林立した。東北の例を出すまでもなく、合意形成はめちゃくちゃ難しかったと思うけど、無機質で人のにおいがしない、そんな場所に変わり果てた地域があった。

西宮北口の駅前も神戸の一部も、共通しているのは「まちの記憶」が見えなくなっていることだと思う。そのまちならではの空気や人の流れ、顔ぶれ・・・。そういうものが全然感じられなくなってしまった。

それが影響しているのかどうか、今も「再開発」と聞くと条件反射的に拒否感が前に出るし、あまりにもきれいに整えられた今どきの住宅街や、分譲地なんかは、全く住む気になれないでいる。落ち着かない。

飯石さんはコラムで続ける。

「まちの記憶を感じるには、整然とした街並みだけでなく、こっそく隠れて楽しめる小さな店があったり、顔なじみのマスターがいるバーがあったりと、猥雑な要素が欠かせない。匂い立つようなまちの要素を、どうヒューマンスケールを超えた再開発と共存させていくのか」

いろんなものが混じり合って猥雑さが感じられる〝公園〟を旭川につくりたい。そこに住みたい。と同時に、まちの記憶をしっかり捉えて大切にしないと。