人とつながる旭川一泊の旅⑥ ついに所有者さんに!

予定地から12キロ離れた、ゲストハウス予定地の所有者とみられる方のところへ、環状の国道12号をひた走る。隣の次男は、町内会長さん宅でお話ししている時、車内で一人ぼっちになったと思って、ずっと泣いている。「ジュースかアイス買おうか」と安易な言葉をかけ、なだめながら向かう。

15分ほど走って、セイコーマートが見当たらなかたので、セブンイレブンでスイカアイスを購入。車内で食べてもらい、機嫌をとる。自分もパーカーを羽織っていたが、我慢ならないくらい暑くなって、ここで半袖になった。緊張なのか興奮なのか、ドキドキもしてきた。いよいよ最大のヤマ場。

近くにメルセデス・ベンツ旭川のある交差点から、高台に入った。豪邸が並んでいて、芦屋とか田園調布みたいな雰囲気が漂う。そこからさらにのぼっていくと、ややカジュアルな住宅地が見えてきた。山の斜面を切り開いて造成したような、なかなかに傾斜のある、暮らしやすいすてきな所。

雪よけシェルターのような、ガレージの外壁を取っ払ったような細長い玄関先を歩いて、ピンポンを押す。沈黙の時間。お庭に伸びた雑草と白い花がまぶしい。緊張が高まる。

「どちらさん?」とおばあちゃんの声が聞こえて、「旭川に引っ越しようとしている、静岡県からきた松本と申します。場所は永山で考えていて、ずっと土地を探してます。お尋ねしたいことがありまして」と言うと、出てきてくれた。

促されて細長い玄関先にあるイスに腰掛けていると、おばあちゃんは「ちょっと待ってて。留守電にしてくるから」といったん宅内に戻った。しばらくして、今度はアイスの「モナ王」を持ってこられ、次男に「どうぞ、食べていいよ」と進めてくれた。照れてゴモゴモする彼。嬉しかった。

80歳を過ぎたこの女性は、これまで20年以上、里親になる活動をしていたんだという。子どもに向ける眼差しは文句なしに温かい。このイスに座って、毎朝学校に向かう子どもたちに「おはよう」と挨拶しているらしい。いいなぁ、こんなところに暮らしたいんだわ。

移住、引っ越しを考えるに至った経緯をお話しした。このまま転勤ばかりの生活を送るよりも、次男が小学校に入るまでに、どこかに根をおろしたかったこと。自分の意思で「地元」をつくりたかったこと。隣の人の名前も知らない生活ではなく、近くの子どもやママたち、おじいちゃん、おばあちゃんと混じり合うように育ってほしい、ということ。じっくり率直に伝えると、女性は「うん、うん、そうだねえ」と静かに頷いてくれた。

女性は、三度の飯よりゴルフ、麻雀、パチンコが好きなんだという。式場のコンパニオンとして働いていて、収入があったので、遠慮せず遊んでいたらしい。他界されたご主人は地位のある方だったけど、自分で自分の人生を楽しんできた。

脳梗塞やガンを経験し、今では自由な外出はできなくなった。病院通いが続いている。ただ、市のタクシー補助をあえて受け取っていないんだとか。「市の財源が減るでしょ」とさらっとおっしゃる。かっこいい。

このシェルターみたいなところは、近所のお年寄りがやってきては座り、おしゃべりを楽しんでいるそうな。どおりでテーブルもあるし、イスもたくさんあるんだな。これは立派なコミュニティだし、幸せな地域だなと思う。

電話や贈りものをしてくれるお孫さんやお子さん、お嫁さんの話になると目尻が急に下がる。1人暮らしで、みんなが気にかけていることがよく分かった。幸せそうだった。

さて、予定地は登記上はこの女性が所有しているものの、実際には息子さんにあげた形になっていると教えてくれた。関東で忙しく活躍されている息子さんが旭川に戻った時のことを思って、1971(昭和46)年に新聞広告を見て購入したらしい。とりあえず息子さんに、売ってもいいかを確認していただくことになった。その電話は26日(火)になされると。    ドキドキ!

(つづく)

 

人とつながる旭川一泊の旅⑤ 熱を帯びる「地取り」

図書館から車で3分。ここが、ゲストハウス候補地の登記書類に書かれていた、土地所有者の住所があるエリア。ただ昭和40年代の資料で、丁目までしか書いていない。住宅地図にも該当する名前はない。

畑作業をしていた男性に話しかけて、事情を説明し、「この女性を探している」と協力をお願いする。ご丁寧に家に戻って、地図を持ってきて、町内会長や、もっとも長く住んでいる〝長老〟を教えてもらう。

さっそく突撃。長く住む方々は「まったく知らないなあ、分からんなあ」と申し訳なさそうな返事。町内会長さんも親身になって聞いてくれ、頭をひねって下さったが、分からずじまい。でも皆さん「ご苦労さま」「がんばってね」と励ましてくれて、うれしくなる。

ここで5人に当たったけど厳しそうだったので、候補地の永山地区へ。まず、書類上の同じ姓の家を一軒あたってから、昨日の夕方に引き続き、近くの方に聞いてみることにした。

まず候補地の経緯や思い出を教えてもらう。昔はやはり、町内会が管理する子どものための公園だったという。町内会のみんなで葦を借り、一通りの遊具もそろえて、盆踊りもやったそうだ。ますますここが欲しくなった。盆踊りをしていたなんて、完璧なまでのストーリー。けっして特別じゃないにしても、地域の記憶が詰まった場所だったということ。すぐに、みんなで踊っている光景を思い浮かべた。

町内会長さんを紹介してもらって、さっそくご自宅へ。いろいろ思い出してもらっている時に、奥様が援軍となってくださり、「(登記上の所有者と)下の名前が同じ人がいた気がする!」とアシスト。会長さんは昔、「ちびっこ広場」を運営していた時と閉鎖するときの資料ファイルを引っ張り出してくれ、ページをめくってくれた。すると、

あった!          下の名前が同じ女性の名前が!

確かに登記上の住所は違うけど、ここを訪ねればご本人がいらっしゃるか、親族が住んでおられるかも、と大ハシャギ。

3人で永山の魅力を語り合った。空気がきれい、大雪山がある、石狩川がある、まちに近い、暮らしやすい・・・。最近は子どもが減って寂しくなったことや、近くの人工河川「永山新川」ができるまでは、みんな井戸を使っていたこと、大学ができて区画開発がされ、昭和50年代に急速に人が増えたこと・・・。めちゃくちゃ勉強になった。

自分からは、「子どもやママ、お年寄りと、いろんな世代が混じり合う場をつくりたいし、そこで子どもを育てたい」「地域の人がふらっと来れるコミュニティをつくりたい」と計画を説明。

奥様からは「ぜひ実現させて! 盛り上げてよ!」とエールを送ってもらう。もう百人力ですよ。これだけでビールを浴びたい気持ちになったが、家の前に停めた車内で次男が号泣しているのが聞こえ、失礼することに。今後のご協力もお願いした。うれしすぎる。

徹底して周辺に聞き込みをする「地取り」で成果があったときの、あの喜び。新聞記者をやっててよかった・・・!

さっそく、所有者の現住所に急ごう!             (つづく)

人とつながる旭川一泊の旅④ 公園と図書館で準備体操

客室からの眺め。かわいい

次男は朝6時に起きてきたので、4時間しか寝れなかった。。。そのまま大浴場に入って朝食を食べることに。

お風呂はきれいで、お湯は温泉みたいな風情はないにしても、すっきりしてて◎。

朝ごはんは、イオンの4階の一部を間借りした感じのレストランで、地物にこだわったビュッフェ。ゲストハウス予定地でもある、旭川市永山地区のお米(ななつぼし)をはじめ、一通り地元産を網羅した感じで、予想以上だった。

一番気に入ったのは旭川ラーメンで、朝からスープまで飲み干してしまった。お椀に入れていただくので、そんなに罪悪感はなく。具はチャーシューとメンマ、ネギ。必要にして十分。周りを見回したら、ラーメン率がけっこう高くてびっくり。中華系の訪日客の皆さんのお盆を覗いたけど、和の人もいるし洋の人もいるし。いろいろ。そりゃそうか。

ホテルは全体的に、スタイリッシュな印象にまとまっているけど、木目調の壁紙がめくれて木じゃないことがモロ見えだったり、中途半端にモダンなアイテム(電話とか机とかイス)が多いのが残念。イオンっぽい軽さのある、どこでもあるホテル。木製のティッシュケースは、なぜか越前漆器だったし。なんでJR北海道のホテルで。。。?

でもフロントそばにあるラウンジや図書コーナーは良かった。本はJRだけあって鉄道関連や旅、スポーツ、酒といろいろで、ちょっと古めかしたハードカバーが揃っているのがそそられる。館内至る所にあるサインも併せて参考にしよう。

部屋に置いてあった利用の手引き。参考にしよう

ただ部屋に戻ってもテンションは高まらず、「きょう調べて、土地所有者が不明のままだったらどうしよう」という不安が先に立ってしまう。とはいっても部屋にいても仕方ないので、8時半前にはチェックアウト。中央図書館に向かう。

図書館は9時半からなので、旭川のセントラルパークたる「常盤公園」を散策。この公園の中に、図書館や公会堂、道立美術館が備わっている。上川神社も。

池の周りを歩いていると、カワウソみたいな動物がひょっこり水中から現れて、次男の好奇心を刺激してくれる。小径は気分が良く、市民が思い思いに時間を過ごしているのがいい。空気もいっそう美味しい。次男は久々に解き放たれて楽しそうで、だんだんとこちらもやる気がわいてきた。

その土地の空気を吸って、その土地にいる気分になってくる。ほんとに朝は大事だなあと思う。地元の人の生活感も分かるしね。公園は最適なメディアである。

突然、歌と踊りが始まった。旭川がきっと肌に合うんだろう

図書館では、第1候補地の登記事項証明書に書いてある所有者の住所と、候補地周辺のゼンリン住宅地図を閲覧して、親切で気持ちいい職員さんにコピーしてもらう。念のため電話帳(緑色、個人版)もチェックする。絵本コーナーには感謝してもしきれないわ、ほんと。助かった。

さあこれで道具はそろった。現地取材に向かおう! ここで決めなきゃもう勇気ある撤退も視野に入れないと。(つづく)

人とつながる旭川一泊の旅③ ありがたい助言

誰もが、北海道に住みたいと思うようなグリーンアスパラのナントカ

今宵の宿は、JR系の「JR inn」。旭川駅直結で、なぜかイオンと合体してる。土曜の夜7時前。駐車場に入るのにけっこう時間を取られて、時計を気にする。旭川もいくつかイオンがあるけど、〝イオン渋滞〟はどこの地方都市にも共通するんだろうなー。うーん、なんだかな〜、だけど。

やっと駐車場の空きを見つけてフロントを目指すも、一度5階に上がらないといけないらしい。フロントは中華系の訪日客でごった返している。やっぱ勢いすごい。当然、チェックイン後のエレベーターもなかなか乗れず。

部屋に荷物を置いて、次男を抱っこして傘をさし、急いで徒歩7分ほどの喫茶店へ。地元の名士に違いない、事情通で人脈も広い税理士の先生とのお約束。

何をしようとしているか、なぜこの場所か、資金計画と時期は・・・などなど一通りお話しして、真摯に耳を傾けてくださること90分。これまで、勢いよく起業したはいいものの、夢破れて消えた人をたくさん見てきたというだけあって、すべての言葉に重みがあった。ずしんと響く。

◆立地は中途半端なもので妥協するのは絶対ダメ。

◆やっつけで進めて秋オープンにするより、冬を越して3月にした方がいい。

◆やろうとしていることがダメになっても食べていけるような副業は絶対に必要。この安心感があるかないかが、大きな違いになって現れてくる。

ありがたい・・・・!

うすうす、自分の中で都合の悪いことを「まあいいか、なんとかなるか」と過小評価していたけど、戒めてもらえた。副業も、時期も、土地の代替案も、いちおう考えてはいるけど、見えにくいリスクや長い目でみた時の取るべき選択について、冷徹に考え抜こうと思った。

この方はすでに予定地の登記情報も取り寄せて、お知り合いの不動産屋さんにも、いろいろと取材してくださっていた。紹介されて初めてお電話したのが4日前の19日だったので、すごいスピード感。 脱帽するしかない。

この90分間、退屈した次男のSOSを振り切って熱中した。頑張ってお利口にしてくれた次男へのご褒美に(?)、繁華街で道内の海産物を食べられる地元資本の居酒屋へ。

疲れ果て、乾杯にもやらされ感が漂う次男

いくらこぼれ飯、時鮭といくらの長芋和え、干しコマイ、厚岸(釧路方面、最近はウイスキーで注目)の生牡蠣、襟裳のタコ塩炙り…。襟裳のたこわさびは、今まで食べてきた中で最高にうまかった(これまでは明石・魚の棚のだった)。

ちょっと食べてぐちゃぐちゃになったけど、厚岸の生牡蠣。あしたお腹痛くなりませんように。。。自転車で北海道回った時も、厚岸で牡蠣を大人買いして関西に送ったなあ
いくらこぼれ飯。美味しいけど、改善の余地あり。北海道で食べなくてもいいレベル。よくあることだけども
あんまり美味しそうに見えない写真だけど、まあまあウマイ。時鮭といくらの長芋和え。でもルイベにしたほうが鮭は喜ぶだろうなー

グリーンアスパラはゲストハウスの予定地から近い東鷹栖の「中谷農場」さんのもの。ご飯は同じく東鷹栖の「高見農場」さんの特Aななつぼし。食べてないけど、鷹栖町「新田ファーム」の牛肉もメニューにあった。日本酒は、予定地近くの「男山」のものがなかったので、駅近くの高砂酒造さんの「国土無双」でクイッと。

北海道は食料自給率が200%を優に超える。旭川は稚内、網走、釧路、十勝の各方面からうまいものが集まる「食の交差点」でもある。地物だけみてもすごいとこなんだけど、やっぱ旭川の総合力はおそるべし。

いい感じに流れが来てると勝手に思ってるので、明日は猛取材をかけていこう。明日が今後の全てを決める気がする。                                                                      (つづく)

 

人とつながる旭川一泊の旅② 舞い込んだ特ダネ

旭川駅からは、せかせかと歩いて日産レンタカーで。昨日電話をもらってたけど、ランクアップキャンペーンをやっていて、マーチクラスで予約したのに、まだ1100㎞しか走ってない、新車のエクストレイルを配車してくれた。

ステアリングは軽く、どっしり感はないけど、タウンユースで特に女性からしたら扱いやすそう。好みとしてはタイヤにもっと接地感がほしい。操作フィールやオーナメント、パーツに本物感や艶、しっとり感がほしい。ルームミラーが、かなり頭の近くにあって、強烈な違和感。大きくないボディなのに、取り回しが良くない印象になってしまってる。でも、予定地に向かう国道39号(その名も「大雪通り」、浜松の国道152号「自動車街通り」と雰囲気がめっちゃ似てる)では上手に路面のデコボコをいなしてくれた。快適。

さて予定地に着くと、もう夕方の5時40分。7時からまちなかで待ち合わせなので、時間がない! 「ママに持っていくんだー」と、予定地に咲き乱れる花を摘む次男をよそに、あたりをブラブラ。

ピンポンを押す前に、お向かいさんが庭で作業されていたので、お声かけ。世間話をしつつ、「ここに引っ越したい」「公園のような所をつくりたい」「小屋を並べて小さな宿にしたい」と伝える。怪訝そうなというか、「なんでこんな何もないところに?」と心配するような視線を投げかけてくださる。 そばにいた旦那さんも、「当麻町とか比布町、東川にした方がいいよ。こんなとこで宿やるなんて・・・」と苦笑い。うんうん、そうだよなーと、でも内心ではしたり顔に。だからこそ、面白いんであって。

めげずにお話をしていくと、予定地がかつて、町内会が管理(提案?)していた公園だったと教えてくれた。

なんと!  これは完全な特ダネ!

今から公園をつくろうとしているのに、予想だにしない奇跡の偶然の一致!  完璧すぎるストーリーを手にれて、天にも昇る心地だった。けっきょく所有者はわからずじまいだったけど。

これは幸先良さそうだとホクホク顔になって、まちなかにとんぼ返りすることにした。               (つづく)

人とつながる旭川一泊の旅① 北海道スイッチ

朝の8時15分に浜松駅に着き、セントレア直行バスに乗りこんだ。座り心地の悪い古い遠鉄(遠州鉄道)のバスだったけど、運転技術はその辺の路線バスとは異次元。北鉄(石川県、北陸鉄道)や名鉄でも一緒。やっぱり高速バスなんかは運転手さんのレベルが違うなあと実感する。例外はあるけど

セントレアでゆっくりエア・アジア便を待つも、到着機材の遅れとかで30分ほどのディレイ。新千歳着も同じくらい遅れて、予定してた列車に乗れず。今日はできる限り「地取り」しようと思ってたので、この30分はでかい。

札幌までは快速エアポート。次男の陽己(はるき、4歳)はさかんに話しかけられ、幼稚園での様子を根掘り葉掘り聞かれて、上機嫌に。でも最近、「恥ずかしい」とか言って、前みたいに聞かれてもいないのに名前とか自己紹介することがなくなった。これも成長なのかしら。

札幌駅で、同じホームに入線してきたスーパー北斗。キハ261系が導入されてからは乗ってない

札幌で乗り換えて特急「ライラック」に。自由席は乗車率80%ほどに見えるけど、指定は30%くらい。もっと賑わってほしいところだけど、バスとの競合もあるのかしら。

次男がすごくよく寝たので、そしてパワーポイントが文字化けしてフリーズしたので、これからのことに車内でじっくり思いを馳せてみた。

しばらく本業に追われていて、旭川移住とゲストハウスのことが頭から離れていたこともあって、この一週間はけっこうネガティブな状態だった。冷めた目で「ほんとに自分やるんかいな」「一生楽しめるのか」「うまくいくのかしら」とか心配してたけど、なんのことはない。北海道に足を踏みれたら、簡単にマインドに切り替わった。もとの自分に戻れた。しかも、いっそう(思いが)強くなって。

夫婦も一緒かもしれないけど、突っ走ってばかりだと、ろくなことはない。ときどきブレーキをかけてもらって考えを深めたり、違う目で思いのほどを確かめるのって大切だわ。

同じ編成でも、シートにはいろんな色がある。緑が主体なのに一部だけブルーがあったり、赤基調なのに緑が混じったり。変化球というか、多様性の演出みたいなのが好き
この色すごい好き。青森からよく昔乗った、スーパー白鳥と同じ色のままかしら?かわいい
旭川駅の同じホームで出発を待っていた、旭川始発、網走行きの特急「大雪」。自由席は厳しかったけど、ハイデッカーのグリーン車はほとんど埋まっているという謎

ライラックは16時55分、定刻通り旭川駅に滑り込んだ。

                                                                             (つづく)

 

フェリーで目指す北海道

室蘭と岩手県・宮古を結ぶ「宮蘭(みやらん)フェリー」が6月22日、就航した。東北としては復興の後押しを期待し、北海道に多い訪日客を取り込もうと熱視線を送っているようで。新しい人の流れができたらステキ。

国内の新航路は19年ぶりなんだと。直近は1999年、敦賀-新潟-秋田-苫小牧が就航したのが最後。この航路、ゴールデンウィークに乗ったなあ。

浜松から八王子と長野を経由して新潟港へ。生まれて初めてマイカーを詰め込んだ。野球ができそうなくらい広い駐車スペースでは、10人はいただろうか、まさに職人たちが手際良く誘導していた。

間隔は必要十分にして無駄がない。
トラックや荷台はこれまたガッチリと整然と並べられ、このクルマや運転手さんがいて、いつも北の大地の食べ物が本州で流通してるんだ、としみじみ。

階段をのぼって客室階に行くと、いかにもトラック野郎、という風情のオトコたちが缶ビールを飲んでるのが目に飛び込んできた。気持ち良さそうに、ガハハと声が聞こえてくる。
船旅らしい、懐かしい光景にうれしくなった。

宮蘭フェリーの就航を伝える新聞記事にもあったけど、トラックの陸送をフェリーで一部代替できることで、働き方改革にもつながるんだって。船内にはドライバー専用の宿泊ゾーンもあるし、だいぶ負担は減るんだろうなー

家族づれも多いし、老夫婦も少なくない。高校生や大学生もまじっている。この雑多な感じがしっくりくる。飛行機と違って、いろんな人の顔が見えるしね。

高校3年の時の卒業旅行も、敦賀から苫小牧東までフェリーでいった。みんなでわいわいやって、たっぷりしゃべった。そんな懐かしさもあって、船旅はたまらない。

いざ、旭川。「地取り」の旅へ

「旭川」の文字にドキドキする

明日からの土日は久々に旭川へ。前に行ったのが5月28日(日帰り)だったから、ほぼ一カ月ぶり。えらく時間があいちゃった。それだけ進展が鈍かったんだなー

急ごしらえの、「地取り」のための旅。取材っぽい旅。ゲストハウス予定地を詰めんなん。

いま、慌ただしく準備してます。
今回もいつもと同じく、セントレアから新千歳にエア・アジア便で入る。2人で片道2万円ちょい。
平日の安いときは4000~5000円台だけど、まあ仕方ないかー。

本当は旭川⇔セントレアor羽田でサクッと行ってみたいところやけど、旭川線はJAL/ANA・エアドゥしか飛んでないので、高くて高くて。
新千歳から旭川までは道央道をビュン!と走っても、なんやなんや2時間以上かかるし、眠いし、疲れる。
もっと旭川便が増えて安くなればなぁ・・・。エア・アジアほどじゃなくても。

エア・アジア便だけ数日前に確保していたものの、帰りの便がなかなか決まらず。昨日、やっと固まった。
ほとんどの便と座席が埋まってるし、高い!!
道内の記者によれば、観光シーズンに入り、2万人が来場するデザインウイークの期間中でもあるからでは、とのこと。これは夏のハイシーズンは恐怖でしかない。。。

帰りの足はさまざま検討した。
ベストは、新千歳→セントレアのスカイマークかエア・アジア、小牧着のジェットスター。つまりLCCを使う。
でも全滅。
新千歳→羽田のスカイマークを見たけどやはりダメで、エア・ドゥも厳しい。

そこでついに、初となる旭川発も調べ、セントレア行きや羽田行き、羽田経由のセントレア行きをチェックした。
これというのがなく、新千歳→神戸・大阪、新千歳→仙台も見たものの、できるだけ長く旭川に滞在できることや、運賃をひっくるめて考えて、19時半発の旭川→羽田のエア・ドゥをセレクト。大人3.5万円で合計5.3万円。

高い・・・。しかも最終の「ひかり」で浜松に戻る強行軍になる。次男よ、申し訳ない。

でもしかし、必死になって旭川までの空路を調べてみると、ほんとたくさん選択肢があってびっくりしたし、お金さえあれば旭川は遠くないんだと痛感。新千歳⇔羽田なんて、JR特急よりよっぽど多いんじゃないかと思うくらい。

浜松から空港までの足も考えないといけない。行きのセントレアまでは、バスがいいか、新幹線がいいか次男(4歳)に選んでもらったら、「バスがいい」と言う。
すぐに3000円強の空港直行バスをセレクト。膝上で130分はきついし、トイレに行きたいと言い出したら恐怖以外にないけど、新幹線より1300円くらい安いから◎。

新千歳からはいつも「カーレンタル北海道」で小型車(1日3000円!)で借りるけど、次男がいるので、快速「エアポート」と特急「ライラック」を乗り継いで旭川へ向かうことに。(昔はこの特急、「スーパーカムイ」って名前で、妙にワクワクした)

旭川駅に着いたら、日産レンタカーで借りて移動する。二日間借りて、コミコミ6600円。

次男との初めての2人旅でもある。
ホテルの部屋で寝かせたら夜の街には行けないけど、いい経験になりそう。人と会う時におりこうにしていたら、JR北海道の789系(特急「カムイ」か「ライラック」)のプラレールでも進呈しようかしら。

北海道に、少しでもいいイメージを持ってもらうための姑息な先行投資である!

ローカルへ、もっと奥へ

6月21日の中日新聞(手元にあるのは東海本社発行版)の特報面で、整備に向けて自民党が躍起になっているカジノを取り上げ、訪日客の関心が薄いことを指摘している。

特報面は、東京本社にある特報部という部署がつくり、各地に配信して各地で必要に応じて編集している。特に東京本社(=東京新聞)としては代名詞とも言える目玉コーナーで、政権や社会面にとことん切り込む、骨のある記事が紙面を飾る。自分も学生時代、東京新聞のこのページを穴が開くように読み込み、この会社に入りたい! と思うようになった。

もちろんカジノなんて国が旗を振ってつくるもんじゃないと思うし、なんのためにやって、どれだけの効果があるのか、お金じゃなくて人を豊かにするのか、納得のいく形で示されていないので、いらない。

というのはさておき、この記事では、外国人観光客にカジノのことを質問しまくってて、その一つが目に留まった。

イギリス出身の方いわく「外国人観光客が求めているのは、日本らしさ」「最初は京都や東京などの都会に行っても、リピーターは『本来の日本』を求めて、地方に足を延ばすようになる。どの国でも地方のほうが、その国の空気感を感じられるからだ」と。

まさに地方の時代。「らしさ」の形は地方や地域の数だけあるんだから、チャンスがいっぱい転がってる。飲食も宿泊も、生命線はリピーター。空気感=生活感とも言えるし、普通の旅では飽き足らない人に、ローカルならではの暮らしを体験してもらう。

ゲストハウスに泊まったら、そんな場所にするつもり。

辞め時は、吉田兼好が教えてくれる

最近しょっちゅう、会社の同僚たちに「いつ辞めるの?」って聞かれる。ゴミを捨ててるだけなのに「おっ、整理始めたねえ」なんて言われることもある。

自分でも、いつ辞めるのか分かってない。早く決めたいけど、決められないんです!土地が決まらないので。。。

土地が契約できないと、ゲストハウスも住宅(管理棟)も、現地調査ができない。設計図も書けない。そう、何も始まらない! 完成の見通しがつかないと転校の手続きも取りづらい。引っ越しの日程も踏まえて、会社の定期異動も踏まえて、退社する時期を決めなあかんのに、決められない。

はたから見たら、辞める時期をきめられない、完全に優柔不断なヤツに見えてるはず。

会社側に退社したい旨をいったのが、5月中旬。その時も、聞きつけた幹部に〝事情聴取〟されたからカミングアウトしたまでだけど、いつ辞めるのかってホント難しい

今の仕事が落ち着いたら。やりたいことをやり終えて後悔がなくなったら。独立の準備が整ったら。 いろんなタイミングがあると思うけど、あんま考えすぎても、どうしようもないんじゃないかと、つねづね思っているのです。

中日新聞の一面に「中日春秋」というのがあって、5月30日に、こんな良いことが書いてあった。

「出家が現役引退を意味した時代、吉田兼好は『徒然草』の中で決断の難しさを述べている。何かの始末をつけてからとか、慌てずに何かを待ってからなどと思っていては、一大事などは決行できない。心に残る事柄をそっくり捨てなければできない、などといった具合だ」  だって。

兼好さんはやっぱいい事言うな〜。ほんと、そうよね。考えて考えて考えて、考えたら、答えが見つかるといえばそうじゃない気がする。特に日々、事件事故がいつ起こるか分からないような職場にいると、なんやかんや追われて、仕事以外のことを考えられなくなっちゃうし。

引き際は、エイヤ!とやるのも大事なんだろうし、エイヤ!しといてよかったーって思うことは既に何度もあるわけで。