NHKとの〝和解〟

ついにNHKの受信料を払うことにした。

ちょっと前に、NHKの委託を受けて受信料の徴収をしている会社の担当者さんがマンションにやってきた。わが家が1年以上、衛星契約のお金を払っていないから。

もともと、自分が不在の時、別の会社の担当者が家にきて、「おたくのマンションはBSが見れる環境ですから」と一方的に話をして、それまでの地上契約はダメだからサインを、と妻に迫ったのがきっかけ。

やり方に腹が立ったので問い合わせても、チューナーを買えば見れるからと埒が開かず、NHKに聞いても、「現場に言ってくれ」といった感じで汚れ仕事はしたくない様子。法的な解釈論について言うと、現場の人はNHKに聞いて、の一点張り。まず現場の説明してほしいと言っても一度来たくらいで、ぜんぜん納得のいく話はなかった。

ところがところが。今回来てくれた人は、「今までの受信料について云々ではなくて、これからの契約をお願いしたい」と切り出した。

あれ、これまでとアプローチが全然ちがう。

こちらはすかさず「NHKさんには高いクオリティの番組で子どもがお世話になってる。見ている分についての対価なら、今すぐお支払いする。これは今までも言っている。地上契約で未納はなかったでしょ。でもBSはやっぱり映らない。それに月1000円上乗せするのはおかしいでしょう。それ契約ですかと」。放送法上の義務についても触れながら。

するとあちらは、「そうですよね、では映るかどうか見てもらえないか」と。

お、なんかいい感じ。

ほんとに映るのなら払おう、と自分は密かに思い始めていた。そこから、ケーブルをどこの端子と繋ぐとかいろいろ試行錯誤して、言われた通りにやってみた。でも、どうやっても、BSがつかないことが証明されてしまった。

そこでどうするかと思っていたら、担当さんは「はい、つかないことが確認できたのでお客さまは地上契約でお願いできれば」と潔く即応。すごい。すぐさまハンコを押すことになった。こっちもスッキリできて嬉しい。

「面倒な客でごめんなさいね」と言うと、「いやいや、優しい方でよかったです。物投げられることもよくありますから」と担当さん。ほんと大変な仕事だなあとしみじみ。いろんな嫌味を言われて、暴力に近いこともされて、やってられないことも多いだろうな、とあらためてしみじみ。

同じ、契約を取るという仕事でも、組織や人が変わると、こうも違うのかとびっくり。最初からすべてを得ようとせず、相手の話に上辺だけじゃない共感を示す。その上で譲歩を引き出しやすいポイントを絞って、実際に体験してもらって納得いてもらい、気持ちよくお金を払ってもらう。

勉強になるなあ。

進まない土地選び。もう「地取り」しかない

6月18日、旭川の不動産屋さんに久々に電話をかけた。ゲストハウス予定地として、稚内につづく線路に面した350㎡の土地の所有者と交渉してほしい旨を伝えて、ちょうど2週間たったので。

なかなか土地が決まらない。モヤモヤ、ドキマギする状態はけっこう続いているわけで・・・

法務局に行けば登記事項はすぐ確認できるので、そこから所有者のお名前とだいたいの住所が分かった。けど、実際にその住所をたどってみても、当事者らしき人には行き当たらなかったということ。所有者は女性なので、美容室なんかも当たろうとしていただいたみたいだけど、現時点で見当がつかないとのこと。これは仕方ない。どこまでもお金にならない仕事をお願いするわけにもいかない。

空き家問題が全国的に言われて随分たつ気がするけど、土地にしてもおんなじで、所有者が亡くなったり、相続されても登記されていなかったり、転居してそのままになっていたりと、持ち主が不明なケースはごまんとある。すごい勢いで進めば、大げさでなく国土の荒廃にもつながるので、国もうまく処理・活用できる法整備?かを進めているみたい。逆立ちしても活用できない土地が増えていくんだから、よく考えたら大変な問題。「もったいない」どころじゃない。こんな身近なところで、自分ごととして立ちはだかるとは!

どうしたものかと、地元新聞社の友人や地元の情報通の方を通じて、司法書士(兼土地家屋調査士)の先生に聞いてみた。すると、「昔はできたけど、いまは個人情報をそこまで辿れない。境界で争いがあるとか特殊な事情がない限り、土地を買いたいだけでは調べることは職権でできない。法的にはどうしようもない」とのこと。

げ!

もう、ひさびさに雷に打たれたような感じで、けっこうなショックを受けてしまった。土地ってこんな難しいのね・・・。いろいろあるとは思ってたけど。土地は5月に決める腹づもりだったけど、もうリミットの6月末が迫ってきてるんだなー。変に焦ったり妥協したりはダメなんだけど。

ということで、この週末に現地に行くことにした。なぜか次男を連れて。

事件とかの取材で、現場や関係者の周辺をあたるとき、一軒一軒お家とかをピンポンして、お話を地道に集めていく取材を「地取り」と呼んでます。この土日、まさに旭川で地取りをして、予定地のご近所さんに所有者の行方を聞いたり、登記上の住所の周辺を探ったりしてみようと思う。これ以上、静岡で事件が起きませんように。。。

年内の移住にも暗雲が垂れ込め始めたなー

「阪神大震災」の記憶

高槻市を中心に大きな被害を出した大阪府北部の地震。震度6弱は近代的な観測が始まって以来初というのもびっくりやけど、関西の人にとっては、1995年の阪神大震災の記憶がよみがえって苦しくなった人もいたんじゃないかと思う。

西宮にある実家は今回、食器が割れたらしい。出勤途中の叔母は電車が動かず、足止めをくらった。それだけでも軽いことではないけど、あの時は今思えば、すさまじまった。

23年前も、建て直す前の実家は、これ以上ないというくらいに食器という食器は割れ、玄関のドアは開かず、水槽が割れた。二階で寝てたけど飼っていたセキセイインコがけたたましく鳴き叫び、その直後にドン! と襲われた。タンスが倒れてきて、打ちどころが悪ければ親も無傷ではいられなかったと思う。電気がつかず暗いなか、ピチピチと跳ねる金魚を踏みつけて一階の様子を探った。

阪急電車や阪急電車は、特撮のゴジラ映画みたいにレールが波打ち、慣れ親しんだ駅舎はボコボコになっていたところもあった。JRもしばらくずっと寸断されていて、発災から時間がたってから、避難していた金沢から神戸市の祖父母宅に向かう時なんかは、日本海側まで迂回していたくらい。鉄道がつながっていない状態は、精神的にもなかなかきついものだと、子供ながらに思ったなぁ。

地震の起きた日は、小学校の体育館で一夜を明かし、そのあとは親戚の家を転々とした。ボランティアのおばちゃんから体育館でもらったオニギリがおいしかったこと。長い列に並んだ給水の時、小学四年生の自分にとってポリタンクは重いからか、知らないお兄ちゃんがスケボーを貸してくれたこともあった。居候している家のトイレは流れないから、家族以外の汚物も一緒にどんどんたまっていった。

自然の揺れひとつで、人はこんなにも不自由するのかと思うと、水や電気、交通といったインフラが当たり前にあることは実は当たり前じゃないんだ、と分かった。

今回も報道されていないところで、大変な思いをされている人がたくさんいるはず。散乱した家の中の片付け一つとっても、途方にくれてなかなか手につかないはず。通勤・通学の時間帯を襲ったこともあって、都会は災害に脆弱だなあと、しみじみ、あらためて考え込んだ。

亡くなった4人の方々に手を合わせる。9歳の女の子も先を閉ざされてしまった。いつも通う学校にある、何度も見て慣れ親しんだ壁が、絵の描かれた可愛らしい壁が、自分に覆いかぶさるという恐怖を想像する。

倒れてきたブロック塀の下敷きになることは、これまでもあったらしい。大きな地震はどこでも起きる。絶対に繰り返したくない。明日は静岡で起こるかもしれない。

袴田事件からの看護師遺棄事件

一日一本は書こうと思ってブログを初めて、1ヶ月たった。そのタイミングで、さっそく更新が一週間ちょい滞った。

6月11日(月)は、裁判のやり直しを求めて闘っていた浜松市の袴田巌さんがどうなるかという分岐点だった。4年前に静岡地裁で裁判のやり直し(再審)と釈放がいったん決まり、「冤罪だ」というムードが一気に高まったものの、死刑囚のままだった袴田さん。この日、東京高裁は一転して再審を認めず、 また袴田さんの闘いは続くことになった。ニュースは全国でもトップ級で、久しぶりに目の回る一日。

これと並行して大きな事件も起こった。9日には藤枝市の山中で、看護師女性の遺体が土に埋められた状態で見つかった。浜松のスポーツジムの駐車場から自分の車に押し込められるという、信じがたい凶行。当然、全国ニュースになり、ワイドショーが連日取り上げる騒ぎになった。2人は逮捕されたけど他に関与した人物がいるとされ、しかも犯人はネットの掲示板で知り合ったという。聞けば聞くほど、恐ろしさと卑劣さに、なんとも言えない気分になる。許せない。ちゃんと調べて、警鐘を鳴らさないといけない要素もたくさんある。被害者の方のためにも、なんとか早く解決してほしい。

事件担当は一年前に卒業したけど、事件取材にどっぷり関わることになり、旭川のことはまったく考えられず・・・。本当は一度に皿を何枚も回せるようにならないといけないんだろうけど、事件が事件だけに、そこまでのキャパはなく。キャパはもしあっても、そんな気持ちになれないだろうけど。

たまには本業のことだけを集中して考えてみると、ゲストハウスと移住の展望や本気度を試されている気分になった。距離を置いてみるのも、それはそれで、悪くない。

 

「公共R不動産」より①〜再開発アレルギー〜

6月8日(金)に、待ち焦がれていた「公共R不動産のプロジェクトスタディ〜公民連携のしくみとデザイン〜」が発売された。 よく行く本屋に置いてなかったので、後日、電車で浜松駅に行った時に、ようやく入手。

刺さるところが多すぎるので、随時、何回かに分けて紹介せずにはいられない!

60ページに、クリエイティブな再開発について書いたコラムがある。ライターは飯石藍さん。

高度成長期の建物が寿命に近づいて建て替えられる時のダメな点について指摘する中で、こんなくだりがあった。

「さらに大きな問題なのは、再開発によって、まちの記憶がごっそりなくなることだ。昔ながらの居酒屋や横丁、地元に愛された店が再開発により姿を消して、ナショナルチェーンが軒を連ねる商業施設になってします。まちに息づいていた文化が、そこで断ち切られていまうのだ」

すぐに、兵庫県西宮市の阪急・西宮北口駅前を思い出した。

西宮は自分の地元で、高校生まで過ごした。小学4年の時には阪神大震災があった。実家は全壊し、西宮北口駅前は見るも無惨に風景が一変した。

いちばんショックだったのは商店街で、小学生時分だったので文房具屋くらいしか行かなかったけど、おばちゃんおじちゃんが自転車で買い物や暇つぶしをしていて、ワイワイガヤガヤした雰囲気だった。それがごっそり、地震で消えた。

その後、駅前には住宅と一緒になった高層の複合施設ができて、商店街にあったいくつかのお店も入居した。

でも、なんか違う。ハコはきれいになって、買い物の便は良くなったけど、申し訳ないことに買い物したい気持ちになれない。やってる人は同じでも、違和感を拭えなかった。

ちなみに実家の背後にあった、裏山みたいな里山みたいな謎の遊び場も、所狭しと住宅が建ち並んだ。オニヤンマのヤゴを捕ったり沼でザリガニを釣ったり、焼き芋を焼いたり畑を走り回ったりした楽しい共有地(まぁ実際は私有地なんだろうけど)は、なにもなかったかのように消え去った。

西宮だけじゃなく、神戸も似たような所があった。復興の象徴として再開発という名のまちづくりを急ぐあまり、どこにでもある高層マンションやらが林立した。東北の例を出すまでもなく、合意形成はめちゃくちゃ難しかったと思うけど、無機質で人のにおいがしない、そんな場所に変わり果てた地域があった。

西宮北口の駅前も神戸の一部も、共通しているのは「まちの記憶」が見えなくなっていることだと思う。そのまちならではの空気や人の流れ、顔ぶれ・・・。そういうものが全然感じられなくなってしまった。

それが影響しているのかどうか、今も「再開発」と聞くと条件反射的に拒否感が前に出るし、あまりにもきれいに整えられた今どきの住宅街や、分譲地なんかは、全く住む気になれないでいる。落ち着かない。

飯石さんはコラムで続ける。

「まちの記憶を感じるには、整然とした街並みだけでなく、こっそく隠れて楽しめる小さな店があったり、顔なじみのマスターがいるバーがあったりと、猥雑な要素が欠かせない。匂い立つようなまちの要素を、どうヒューマンスケールを超えた再開発と共存させていくのか」

いろんなものが混じり合って猥雑さが感じられる〝公園〟を旭川につくりたい。そこに住みたい。と同時に、まちの記憶をしっかり捉えて大切にしないと。

寝かせた本こそ最良の教科書や〜その②〜

 

大学でメディアやコミュニケーションを専門にする研究所にいたころ、博報堂コピーライター出身の恩師に、「情報のシャワーを浴びるのが大事」と叩き込まれた。

別の、やはり博報堂出身の恩師には読売新聞の名物一面コラム「編集手帳」のスター記者をご紹介いただき、その記者から、徹底的に情報を整理して引き出す、つなぎ合わせるメソッドを教えてもらった。

新聞記者になってしばらくは、教わったことを実践すべく新聞を6紙購読していて、すごいお金をかけてた。それこそ膨大な情報量だったので、しっかりしたスクラップブックをつくって、「国際問題」「教育」「地域」「経済」とテーマ別に分けて、ひたすら貼り付けていた。でもスクラップブックを見返すことはずっとなく、お金的にも持続可能じゃなくなって、一年くらいで休眠状態になっちゃった。

そんなことがあった前後かと思うけど、博報堂ケトルCEO(少なくとも当時は)の島浩一郎さん著の「アイデアのつくり方」(2007年)を手に入れた。申し訳ないことにしっかり読むことなく段ボールに眠っていたままだったけど、最近、本がまた好きになったので取り出してみた。

 

社会人一年目のときに、ちゃんと読んどけばよかったなーと深く後悔した。書いてることは今じゃ目ウロコじゃなかったけど、もっと昔に知っておくべきだった。

嶋さんいわく、情報はとにかくどんどん集めて俯瞰し、整理せず、〝放牧〟すべしと。うまく〝交配〟できると、思いもよらない情報同士が化学反応を起こして、画期的なアイデアや企画が生まれるんだ、とおっしゃっている。

ゲストハウスのあり方をもっともっと考えて磨き上げないといけないので、参考になる言葉がいくつかあった。(ほんとは書ききれないくらい)

  • シンプルに説明できる企画が一番強いと確信している。一言で説明できる企画であるほど、多くの人を巻き込む力を持つ。情報のカオスからシンプルな企画を生むのは勇気がいる
  • ジャンプ力こそ企画力。意表をつく組み合わせ。でも奇をてらうことではない 。きちんとした根拠と、緻密な計算が必要
  • 情報にゴミはない。一流も三流もない。どんな情報にも新しい何かを生み出すポテンシャルがある。

ありとあらゆるメモをたくさん取って、寝かせて、奇をてらわず組み合わせよう。寝かせた本は、ほんといい味が出る

手づくりマーケットは学びの宝庫

岡崎へ。家康で有名な岡崎城を望む乙川沿いで、手づくり雑貨とかが並ぶイベントに行ってきた。「ハンドメイドセレクトマーケット(ハセマ)」というらしい。初めて聞いた。愛知は、なんやかんやいろいろやってるなぁ。「森、道、市場」も、「橋の下世界音楽祭」も。

ブースの数じたいは40くらいと少なくて、こじんまりとして歩きやすい。河川敷なので動線が分かりやすくて、ごみごみせず、手づくり感があってしっくりする。

けっこう人気だったのが、ハンコ雑貨のお店。セミオーダーもできるらしく、かわいいのはもちろん、自分ならではのを作れるのが楽しい。

このハンコ、一方的にすごく注目してる。ゲストハウスの、公園みたいな敷地で、ワークショップ的なことをやりたくて、そのうちの一つにmyハンコ作りを夢想中。旭川には、旭山動物園で働いていた経験をお持ちで、動物たちや自然の絵を描いている岩崎彩香さんというイラストレーターがいらっしゃる。お会いしたことはないけど、女性が喜ぶのは間違いない可愛くて優しいタッチが特徴。ぜひ一緒になにかやりたい、って一方的に思ってる。

プリン屋さんにも引かれた。春日井市にある「Notari」というお店。自分はプリン苦手なので什器をまじまじと観察。春日井のトリムソウ(TRIMSO)という家具メーカーさんでオーダーメイドしたとか。商品を陳列している裏っ側の棚=お店の人がいる側にはお金とかいろいろ置けるようになっていて実用的。これほしい。

他に惹かれたのは、カレー屋さんになってた軽トラの上のタイニーハウス(小屋)。このテイスト好きなので、ゲストハウスの小屋の参考にしよう。

こちらのテーブル兼ベンチもいい。階段の段差を生かしたデザインもいいし、風合いが優しくていい。

あと勉強になったのは、決済アプリSquare(スクエア)を導入してるブースがけっこうあったこと。たいていのクレジットカードに対応してて、決済手数料は3%強〜4%弱。初期費用は実質かからないみたい。

どのイベントでも勉強になることがたくさんで嬉しいー。

子どもの数が少ないとラク、ってことはない

この週末は長男の大滋(たいし、12歳)と次男の陽己(はるき、4歳)が、兵庫県西宮市の自分の実家へ、お泊り遠足に行った。親から離れる、初めてのチャレンジ! 母(子どもたちから見たらばあば)が浜松へ来て、連れていくことに。

みんなで天竜川駅から電車で浜松駅へ。一番下の七海(ななみ、2歳)がつり革を持ちたがるので、抱っこしていると、中学生か高校生かの男子が、照れくさそうに「代わりましょうか?」と席を譲ることを申し出てくれた。

すぐ駅に着いてしまうし、どうせ七海が落ち着かないだろうしと、「いいですよ、ありがとね」と断ってしまった。でもこういう時は素直に譲ってもらったほうが善意を無駄にしないかなー、しまったなーと悶々としてしまった。こういうことも車じゃ考えないから、まあよしとしよう。

新幹線ホームに上がる。男の子2人はちょっと不安げな顔になりながらも、車内の席に着いてしまえば笑顔で出発。七海は「ななもー!」と予想通り騒いだので、忍ばせておいたアンパンマングミで落ち着かせた。

ここからは、貴重な親子3人の時間。いつもの5人だとできないことをしようと思いつつ、取りあえず欲しい本があったので、浜松最大(と思われる)本屋で。夫婦で交代で七海を見ながら本を選んでいると途中で七海は夢の中へ。夜に寝なくなるのは困る、ってことで隣の遠鉄百貨店に移動。キッズペースやおもちゃ売場で、体力を消耗させる作戦にでた。

そして気づけば夕方の5時。もう何もできないので天竜川駅に戻り、近くの居酒屋でご飯。早く寝かせて本をしこたま読もうと頑張ったけど、お風呂あがりに寝落ちしちゃうというオチがついてよくある自己嫌悪に。

子どもが3人いたら大変でしょう、とよく言われる。確かに親の数より子どもが多いと疲弊することも多いけど、疲れ方って相対的なもの。1人なら1人で、3人より疲れ方が3分の1になるわけじゃないと思う。

1人ならもっと自由になるかなーと思いながらそうじゃないので、諦めのつく3人の時よりガッカリ感がある。大滋1人の時だって新婚旅行(大滋は連れ子なので。東京→旭川→礼文島→那覇→竹富島→石垣島)行った時は、もう旅行なんてしたくないと思ったほど疲れたけど、いま3人連れて旅行するのと、そんなに変わんない。 だから、子どもを連れているママやパパを見るだけで、妙な連帯意識を感じてしまう。

旭山動物園のなかまたち

Yahoo!ニュースに「ショボい」水族館になぜ行列ができるのか?っていう記事がドーンと載ってた。このところ、どうやって人を集めるのか、的な本や記事にすごく反応しちゃう。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180608-00000044-zdn_mkt-bus_all

取り上げているのは、愛知県蒲郡市の竹島水族館。愛知に住んでたころはよく聞いたし、行ってみたいと思いながら、そのまま。運営が大変で、最近いろんな工夫がされてるなんて全く知らなかったなー。浜松から近いのに。

読んでびっくり。旭山動物園のブログでも書いた、旭山動物園の工夫や再生物語と、まんま一緒!!

  • 公立施設で来場者激減→一部の人から危機感を共有
  • 専門的な目でしか見られない飼育員さんたちの、改革への反発
  • お客さんを観察し、意見を吸い上げ、楽しませるという視点を獲得。手書きのPOPの活用
  • プロダクトアウト→マーケットインへの転換
  • 飼育員さんたちが自発的に動き出す  

 ライター大宮冬洋さんは記事の最後に、「環境が悪ければ悪いほど、『お客さんが求めることをなりふり構わずにやってみよう』と開き直ることもできる。起死回生の改革案や本当に顧客に喜ばれるアイデアはそこから生まれるのだ」と書いている。まさにそうなんだろうなぁ

佐藤尚之さんの名著「ファンベース」の考えにも通じるし、自分はまだまだターゲット層の絞り込みや、お客さんの求めること、ライフスタイル、ゲストハウスに来て得られることのブラッシュアップができてないなーと反省しきり。

10月オープンめざし、夜な夜な作戦会議

旭川のゲストハウス計画を手伝ってくださっている、浜松の誇るクリエイティブな男3人と打ち合わせ。

ウェブ、グラフィックやカメラマン、企画プロデュースのプロデザイナー、廃棄物とかゴミを拾ってきて別のものに生まれ変わらせる「アップサイクル」に生きる喜びを感じる建築家、公民連携プロフェッショナルスクールで、全国の猛者からまちづくりを学んだコーヒー店主。すごすぎて、マックすら使えない自分がいつも恥ずかしくなる。

8日夜は、まず大まかなスケジュールの確認。

*6月は返事待ちになってる土地の契約を見込んで、いろんな事前準備。ロゴマークやウェブ制作、名刺づくりに着手。

*7月はいよいよ現地調査と現地めぐり。全体のプランニングと模型づくり。SNSをはじめて写真撮影も本格化させる

*8月は図面制作や見積もり。

*9月はコンテナハウスの住宅(管理棟)完成見込みで、ゲストハウスは図面完成、確認申請。ゲストハウスHPの解説やツール類を作る。告知もスタート

*10月から順次着工で、雪を見ながら作業、という感じ

あーでもない、こんなんどう?と4時間近く。

最重視するターゲット層をもっともっと細かくした方がいい、その人のライフスタイルは?、客単価をどれくらいまで高められるか、どう自分をブランド化していくか、どんな小屋が好きなのか?  いろんな指摘をもらって嬉しいなー。こうやってちょっとずつ(でもあんま時間ない)焦らずブラッシュアップしていきたい。土地が決まれば一気に動こう!