くりやま、いわみざわ、あさひかわ!

(つづき)厚真町を出てからは、旭川に向けてゆっくりドライブ。途中、4、5年前に議会改革の取材で来たことがある栗山町に寄り道。あ〜駅前はこんなだったなぁ、とか役場はこれだ、とか。移住を検討する中で栗山町も当然調べて、クリエイター(栗だけに)を集めようとしていることも知ったので、駅前のクリエーターズマーケットの写真だけ撮って。

ゲストハウス「旭川公園」のチームに入ってくださっているyomogi8さんこと中村直弘さんが、栗山町内の牧場の什器やら看板を手がけられて、その周りが絶景だと聞いていたので、山手の方へさらに寄り道。

ひまわり畑みたいなのもあった。

栗山をまるごと見下ろせる高台にある牧場のまわりは確かに絶景で、「栗山にこんなところがあるなんて」と心底びっくりした。おみそれしました。

また旭川方面へ北上す。岩見沢まで下道で、前から気になっていた、農産加工品メーカーお店「ノースファームストック」さんにお邪魔。外観からパッケージまで、オシャレ感極まりない。

グラノーラバーも売ってた!強敵!💦 妻たちはクッキーなんかを買い占めて。雑貨もたくさん置いてて、いい感じ。個人的にはスイーツよりソースとかピクルスのが気になった。

岩見沢インターの近くでホクレン(農協)のガソリンスタンドに寄って会員カードをつくり、道民気分になって道央道に乗り込む。あとは一気に旭川だ!

もう紅葉が見ごろを迎えていて、「あ〜、来たな〜」と実感、まちなかに近い旭川鷹栖インターで降りてアパートを管理している大東建託に向かい、保険の手続きをして鍵を受け取り、アパートに入った。

なんやかんや家の用事をしていると夕方になってしまって、「あさひかわラーメン村」で早めの朝ごはん。初めて入った「いってつ庵」でソウルフードを掛け合わせた「ホルメン」を食す。旭川らしい醤油ラーメンと、ホルモンが入っているやつ。これ別のお店を入れると2回目だけど、イメージ変わるくらいうまい。魚介と豚骨のスープに、ホルモンが加わって、なんとも言えない深いコクがある。これはもう一度食べたいと思える。(でも昼はきついかも)

これが「ホルメン」
これは普通の醤油

満腹になった後は、旭川市の隣町・東川町にあるヴィラ「ニセウコロコロ」さんへ投宿。  引っ越しの家財が届いていないもんで、勉強であります。     (つづく)

 

北海道・厚真町で次男と手を合わせる

苫小牧港から北海道に上陸。定刻の朝6時ごろから下船作業が始まる。10℃以上はあった気がするけど、本州よりは肌寒く感じる。

苫小牧港にて

このまま旭川に向かってもいいんだけど、一度現場を見ておかないといけないと思っていた厚真町へ。9月6日の胆振東部自身では、震源の近い厚真町で大規模土砂崩れの映像が、何度も何度もテレビで流れていた。規模感にいまいち実感がわかなかったけれど、行けるところまで行ってみようと。

下道をひた走って、安平町から現地をめざす。安平の手前では気温は5℃を切っていて、空気も草も美しかった。安平のまちなかは、車で流すかぎりは被害は確認できず。テレビではよく出てたけど・・・。

厚真町の役場はボランティアさんの拠点となっている感じで、自衛隊の車両がひっきりなしに往来してた。被害がひどかった吉野集落を目指すも、途中で通行止めになっていて、土砂かガレキか、頻繁に行き来するダンプ以外に車の姿もない。山の周辺は、生活がそのまま消えてしまっていた。

土砂崩れのすぐ近くまで行けるところがあったので、次男・陽己(はるき)とともに見に行く。献花もされてあって、一緒に手を合わせる。

「ここにはお家がいっぱいあったんだけど、大きな地震で潰されてしまって、たくさんの人が死んでしまったの」

一緒に手を合わせながらそう話すと、寒くて震えていた次男も幼児なりにいろいろ思うところがあったようで、後々になっても「ほっかいどうで、おおきなじしんがあったでしょ。あれでどしゃくずれがあったんだよ。いえもつぶれちゃったんだよ」と口にするようことが何回かあった。

阪神大震災を経験した自分としては、大きな災害があった場所にはできるだけ足を運びたいし、子どもにも見せたい。実際に車を降りて、歩いて目に焼き付けないと分からないことってあるだろうと思う。そして、いつこの命が危険にさらされるか分からない。だから、やりたいことをやろうと思う。

この後に寄った町内のセイコーマートでは、災害ボランティアの車が止まっていた。現場仕事っぽい人もたくさん朝ごはんを買っていて、まだまだセイコーマートの役割は大きそうだなと勝手に思った。

いま、厚真の廃材のレスキューとか、いろんな動きがでてきている。目を離さず、できるだけ参画していこう。

いよいよ本州の最終日

(つづき)

陸前高田のまちなかを見た後は、奇跡の一本松(レプリカ)を横目に見て、久しぶりに気仙沼へ出かけることに。スイスイと進んで、お店の集積している漁港の近くの高台に上ると、一度見てみたかった「気仙沼ニッティング」のお店「メモリーズ」にたどり着いた。

ほぼ日刊イトイ新聞の震災支援プロジェクトで2013年に株式会社として立ち上がり、手編みの商品を届けている。

メモリーズは土曜日の営業でこの日は開いていなかったけど、細い路地に、溶け込みつつも存在感のある青い建物が見えてきた。外観見ただけで、商品を手に取りたくなる。

次は開いてる時に来よう。気仙沼をでて、本当はそのまま三陸の海岸線をつたってフェリーが出る八戸へ向かいたいとこだけど、どうしても盛岡近郊で見たいところがあるので、内陸の東北道に戻って、北上の旅を再スタート。

次の目的地は、岩手県紫波町の「オガール」。

紫波中央という駅の真ん前に、広大な空き地があって、町が購入したものの塩漬けになっていて、そこに「オガール(=東北の方言で「育つ」)プロジェクト」が立ち上がって、ぐんぐんと育ってきたまち。民間がリードして補助金に頼らず公共空間をつくっているのが特徴で、移転した町役場や体育館、保育所、テナントのショップ、企業オフィスが張り付いている。周辺は分譲住宅もあるし、コンパクトなまちづくりが進められている。小さな子どもから学校帰りの高校生、お年寄りまでもがオシャレなベンチで寛いでるのを見ると、こっちまで幸せな気分になってくる。

視察が相次ぎ(この日もどこかの議会が視察してた)、まちづくりや公民連携の分野では、最も有名な事例と言えるくらい。断熱や自然エネなどエネルギー面でも先進的な試みがふんだんにあって、もうほんとにすごいところ。

1時間ちょっとしかいられなかったけど、一見にしかずなので満足。本州にいるのもあとわずか。東北道に戻って車を北に走らせていると、「ああ、こっちに戻るのはどれくらい後になるのかなあ」と妙な感慨にふけってしまう。

19時すぎには八戸港のフェリーターミナルに到着。

食堂で夜ご飯をすませて、22時発、苫小牧行きのフェリーに乗り込む。このシルバーフェリーは初めてで、ことし春には室蘭から宮古の新航路もできている。この日の「シルバークィーン」はなかなか年季が入っていてお風呂も小さかった。

出港前に子ども3人を男風呂に入れて、疲れさせて雑魚寝の2等部屋で早々と寝かせようとする作戦を立案。でも下の2人は興奮してなかなか寝付けず、特に2歳の次女は寝床で声を上げてしまうので、共用スペースでだましだまし時間をつぶすことに。自販機のアイスとか、ほんと余計で(笑)すぐ目がさめる。2等のお客さんが少なかったのが不幸中の幸いで、しかも同室のご婦人が「私たちのことは気にしないでね」と温かい言葉をかけてくださったのに救われた。。。けっきょく、何度も子供の声で起きて、揺れもあって、ほとんど大人は寝れずだったけど。。。

ともかくも10日未明、無事に北海道に上陸!!

(北海道への旅シリーズはこれでおしまい)

足りなくなると、考えるようになる

こないだ行った旭川では、道路が陥没するとか、何かが倒れるとか、地震による目に見える被害というのは全くなかった。震源地から遠いこともあって、発災後にしばらく停電したくらい。農業とか工業ではひどい影響もあったけど、それもやっぱり電力不足に起因するものだった。列車の運休も甚大になった。

ゲストハウス「旭川公園」最寄りの永山駅で。こんな張り紙を発見。まだまだ大変だ

この電力不足がなかなかに深刻で、札幌駅のコンコースは昼なお暗い感じだったし、旭川のまちなかの店では、至る所で上のローソンの写真みたいな張り紙がしてあった。

でもふと思った。本当にコンビニって24時間営業しないといけないのか。飲み物の自動販売機ってあんなに煌々と存在感を主張しないといけないのか。

「それがお客さんの求めていることだから」と言われたら返しにくいけど、だったら客側も変わった方がいいのかなと。東北の震災で、けっこうみんな痛感したことだけど。

いつ店に行っても営業してるから買うわけで。でも、その営業を支えるために、膨大なロスが生じている。エネルギーも、食べ物も、労働力も。ローソンでは、キンキンに冷えた陳列棚でお弁当やオニギリが客を待っていた。もう、ほとんど平時に戻っているので、この弁当とオニギリの争奪戦が繰り広げられるわけじゃない。きっと売れ残るんだろう。それを消費者は、いまどき良しとするのかしら。

電気が止まったのなら、これまでの「普通」をちょっと角度を変えてみるのも案外楽しい。

いま住んでる浜松でも、台風24号が過ぎ去った10月1日の朝、広範囲に停電して信号が至る所で消えていた。いつも「青」をめがけてセカセカ通りすぎるだけの交差点だけど、みんな徐行して、ドライバー同士がお互いの目を見て、譲り合っていた。わずらわしいし、それどころじゃない人が多い状況ではあるけど、大事なことだなと思う。

 

キハに乗って仮住まいアパートへ

(つづき)

アサヒカワライドを出たのが遅かったので、ダッシュして旭川駅に飛び込むも、発車時刻と乗り場を案内する電光掲示板に、乗る列車がない。あと1分。自分と同じようにキョロキョロして困っている女性がいたので、代表して改札口の駅員さんに聞くと、「乗りますか?急いでください!」。運転士さんに電話で連絡してくれてそうだったので、またダッシュ。素敵だけどムダに?デカい旭川駅。エスカレーターを乗り継いで、よくないけど駆け込み乗車を成功させた。

涼しい空気が漂っていたのに車内では汗だく。キハ40という形式の気動車に揺られて、しばらくすると無人の南永山駅に到着。

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ここから30分以上歩いて、不動産屋の店舗に行き、仮住まいするアパートに連れていってもらう。

不動産屋の近くのセイコーマートで休憩
アベックの赤とんぼ。頑張れ!

車中、担当者といろんな話をしたのが楽しくて。北海道はチェーンを巻いたことある人が少なく、北見とか酷寒地では条例でスパイクタイヤが禁止されてなくてまだ販売されていること。最近はJR北海道が訪日観光客対策で通訳を雇っていて、その人が短期で住む物件の照会がけっこうあること。線路とお墓のある所は地盤が強いこと。などなど。

アパートは思った以上にきれいで、外側の冷気が入らない一歩奥まったところにトイレがあるとか、寒冷地らしい仕様をはじめて目撃。駐車場はオーナーさんの負担で月に一度、アスファルトが見えるように除雪されることも確認。そのアスファルトは機械が削った痕跡がいくつもあった。

物件探しはなかなか難航して、ゲストハウス予定地の近くでは全然見つからず。アパートやマンション自体はけっこうあるけど、いかんせん、いつ退去するか見通せない立場で、短期契約になるので、歓迎される客でないということで。近距離でタクシーに乗ろうとする感じ。

もともと10月17日付で会社を辞めるので、その日までに今のマンションを退居いないといけない。引っ越しの日程調整で安さから5日の荷出しとなって、「一週間以内に荷物を入れます」とのことで10日にとりあえず現地入りするスケジュールを組んでいるところ(早く荷物の入る日を教えてほしい)。アパートは10月1日からの契約になるし、早く地域を知りたいので、退職より早い入居になってしまった。そして自分たちの住宅が完成次第、そちらに移り住むというややこしい流れになってる。年内か、来春になるか…。

アパートは内覧してめでたく即契約となり、担当者さんにわざわざ送ってもらって旭川大学へ移動。ゲストハウス予定地から国道をはさんですぐ、歩いて4分くらいだけど、構内に入るのは初めて。この日は、先生たちと重要なアポが入っているのでドキドキ。

(つづく)

「ようび」で美しい雷に打たれた

(つづき)

雷に打たれましたね、これで

タルマーリーを出て30分くらいかしら、次の目的地・岡山県西粟倉村に到着。雨脚はどんどん強くなって、仮に汽車が動いていてもコンビニ傘で何十分も歩くのはつらい。ちょっとした嵐。レンタカーでほんと正解。

主張しすぎているわけじゃないけど、強烈な存在感を放つこの外観にまず見とれてしまった。全国の皆さんの力が集まって建てられたというストーリーも相まって。

これに見とれない人はいないだろう(きっと)

普段はこのショールームは予約制だけど、日曜日はフリーオープンらしく。着いてから電話して、担当の方に迎えていただいた。一歩踏み入れれば、そこは息を飲む空間で。

 

この「ようび」という家具メーカー、全国手にも知られた存在で、超絶なオシャレさだけでなく、底流する森やものづくりへのマインドがすっごく美しいのです。単なる「用の美」じゃないんです。地域の材に誇りを持ち、可能性を探り、次代につなげ、循環させて意識を高めていく。トータルでのデザインをしてるって感じかしら。旭川家具で課題として指摘されている、地域との掛け算的なことを、さまざまに考えられいるんだなーと思った。

ホームページにある文言にも、それはよく現れてる。

私たちが作りたいのは、「人に使ってもらって生活が楽しくなる物」。観賞用ではなく、使い勝手の良さと楽しさがあふれる「用の美」。相手の欲しいものを本気で作るとそこに「用の美」が生まれる。  ようびが工房を置く西粟倉村は全面積の95%が森林、村民1500人強は海抜300m台の盆地に暮らす。「50年まえに将来の子どもや孫のために植えた木を、立派な100年の森に育てていく」と、村ぐるみで英断。今や清流と自然にも恵まれた地域再生の成功モデルとして名高い

「ようび」ホームページより

村と会社が同じ方向を向いてるんだな、きっと。

そんでもってもう一つ、この職能集団にはストーリーがあって。「ツギテプロジェクト」っていうやつ。

2016ねん1月に社屋が全焼し、   木材を組み合わせる「継ぎ手」の意味だけど、次の時代への「継ぐ」という意味も込められている。5500本ものスギの間伐材を格子状に組み立てていく。全国から林業の関係者がやってきて、少しずつ形にしてきた。簡単に言えばボランティアだけど、この日ショールームで応対してくださった方は「ボランティアじゃない。忘れていた『ともしび』を付けに来たような感じでした」と振り返っていた。妙にしっくりきた。

という感じで、この「ようび」は只者じゃないんです。そしてショールームでは、只者ではない感を放っているスツールを目撃してしまった。瞬間、雷に打たれたような感じに。

超絶かわいいスツール

これです。前にブルータスでも特集されていた、人気テキスタイルデザイナーの氷室友里さんの作品。座り込むほどに、おもしろい「変化」を楽しめる。そして文句なしに、かわいい!かわいすぎる。

これに一目惚れしてしまったわけです。ただ、当たり前だけどこの作品には「旭川」のあの字もないわけで。そこに「うーん」とと思いながら、担当の方と話していると、「うちはいま近くの山をきれいにしようとやっていますが、本当は日本全国でやりたいんです。各地の材を使って、デザインを組み合わせて、新しいものをつくりたい。旭川の材でやりましょう!」とびっくりするくらい瞬間的に話がまとまった!

この後、ゲストハウス「旭川公園」のバックヤードの突哨山で木こりをしている清水省吾さんに連絡してみると、「なまらいいですね! やりましょう」とのこと。一気に旭川×ようび×氷室友里テキスタイル のコラボレーション企画が前に進むようになった。これ、絶対におもしろい。

「やがて風景になるものづくり」が「ようび」のコンセプト。旭川家具ももちろん置くけど、旭川公園でもこのスツールが風景の一つになるように育てていきたい。

(山陰の旅はまだまだ続く)

 

 

最後の宿直の未明に、北海道地震

もはや何が言いたいのか分からないけど、ショッキングな地震だったので書き留めないといけないと思った。

6日の朝5時50分ごろ。浜松にある会社の仮眠室で目をこすり、スマホをのぞくと、ただならぬ雰囲気のメッセージを発見。「地震大丈夫ですか!」「何か必要ありましたら、連絡ください」と入っていた。

ひょっとして、南海トラフ巨大地震でも起きて、自分が気付かないままだった・・・? とひやっとする。でもその1,2分後、テレビをつけた瞬間に飲み込めた。これから移り住もうという大地が、大変なことになっている。

1時間弱あとにも、かつて勤務していた地域の市長さんからメールが。「大丈夫ですか 何か必要なことあれば遠慮なくどうぞ言ってください」。

発災2日目の7日にかけても、LINEとかで同様なメッセージを多くいただいた。ありがたや。旭川は震源から離れていて、停電以外の被害はなさそうだった。

職場ではNHKを付けっぱなしにしていて、被害状況が随時入ってくる。高瀬アナと和久田アナが、「停電していてニュースも届きにくい。SNSで知り合いに状況を伝えてほしい。離れているからこそできることがある」みたいな事を、しきりに呼びかけている。状況に即してて、具体的。同業者として、「すごい」と舌を巻いた。たぶん普段から、どういう場合にどんな情報を届けるべきなのか、どうやって伝えるのかを、議論してるんだろな。

何度か同じ映像が流れて刷り込まれてくると、ふと我に返る。昨日から今日は、会社員として最後の宿直勤務。わざわざそのタイミングで、なぜか北海道で、10歳の時に西宮で経験したのと同じ「震度7」の烈震が起こるなんて。あっけにとられた感じになった。

スマホでフェイスブックをのぞくと、旭川の皆さんの投稿が次から次へと。無事の報告、店舗に残っている物資の状況、電気が復旧したATMの場所、自宅の一部開放やお店の電源開放といった情報・・・。ほんとに生きた情報が共有されている。情報がないと不安は増幅する。電気がないからこそ、SNSは強い。

事態がちょっとずつよくなりそうな情報に交じって、影響が長引きそうだなと心配になる投稿も。

士別市にある、トマト(ジュース)で全国的に有名な農家さんは「二次被害」として、収穫期のトマトが出荷できないこと、冷凍庫冷蔵庫も機能しないことを懸念されていた。産業面での混乱と収入への不安は、時間を追うごとに大きくなるのかもしれない。その時は、遠く離れていても応援する選択肢が増えていくはず。

今すぐ動きたい気持ちもあるし、現地に行きたいけど、節電が要請されている中で、中途半端では迷惑になるだけ。8日のビジネスコンテストも延期になったので、とりあえず4泊5日の道内予定をすべてリセットして、キャンセルの手続きに入った。

往路は羽田から新千歳のエア・ドゥ。不可抗力による欠航なのでキャンセル料がかからず、ホームページから試行錯誤して完了。10日に泊まる予定だった星野リゾートの旭川OMO7は直接電話するも、「このエリアではネットワーク障害で・・・」とアナウンスが流れ、何度かけてもつながらない。

電気は弱い。ネットは強い。

今回の特徴は、火力発電所がダメージを受けたことで「ブラックアウト」が起き、停電が北海道全域に及んだこと。道内の電力需要の半分を賄っていた苫東厚真(とまとうあつま)火力発電所が緊急停止して、急に供給力が落ちたことで発電力(供給)と使用量(需要)のバランスが狂い、周波数が乱れたことが原因らしい。全然知らなかった。1カ所に依存するのって、本当に脆い。

この先いつか、福島の原発事故で「エネルギーと暮らし」「一極集中のリスク」をみんなが考えたのと同じように、道内でも関心が高まっていく気がする。

木質燃料は薪ストーブなんかのおしゃれ感や憧れもあって注目されてるけど、なかなか見えない電気や水は、ちょっと事情が違う。でもいろんなことが可視化されて、けっこう大きなインパクトをもたらす予感がする。

「旭川公園」で予定してる井戸は、もう、何があってもマストだなと、あらためて。宿泊用の小屋(タイニーハウス)は、ほぼオフグリッド(独立電源)にするし。

悶々としながら、だらだらと、いろんな事を考えてしまう。

ともかくも行方不明者の捜索が進んで、多くの人が1日でも早く日常が取り戻せるように。そして被災地に降ろうとしている雨はどうか、手加減してほしい。

輝く人になれ

29日(水)は同じ編集局の大先輩が「寿(ことほ)ぐ会」を催してくださった。遠州鉄道の高架の近くで、床のタイルと昔ながらのスクエアな椅子がいい味を醸している、飾らない居酒屋で。カツオ旨し。

宿泊や飲食はクレーム産業であること、冬の集客見通しに甘さがあること、隣のアパートとちゃんと関係を築くべきこと、向こう3年間くらいの生活防衛資金が不安視されること・・・。これまで社内の方にいただいた指摘や激励のなかで、飛び抜けて具体的な助言をもらえた。このブログを読んでくださっているとのことで、近くにトイレがあったら籠もりたいくらいだったけども。

いろんな話をする中で、印象に残っているのは、「敵をつくらない、好かれるようになれ、頼られるようになれ、輝く人になれ」という言葉。

輝くって、いいな。

会社員を続けるかどうか悩んでいたころに、これまでの33年間の人生の経験と感動を棚卸しした。その時、自分が何をしていた時に一番輝いていたのか、ってことをよくよく考えた。それは、高校3年生の時の卒業旅行だった。

文字にするとなんだかな、とは思うけど、寝食を忘れてのめり込んだという意味で輝いていたんだろうし、楽しかった。でもそれより、自分のやったことに対して最高のリアクションがあったのが、一番うれしかった。その時は深く考えなかったけど、独りよがりで始めたことが、結果的に周りをちょっとはハッピーにさせることにつながったから、「輝き」だったのかなと。

その上司はこうも言った。「輝く人っていうのは、人を照らすっていうことだからな」。そうか。人を照らしてこそ、輝けるのか。会社だって社会福祉法人だって、お客さんや利用者さんが満足してこそ輝ける。自分にとっては、ゲストハウスの周りに住む地域の人であり、旅行する人たち。誰を照らすことができるのか、したいのかは、常に心に置いとかないと失敗するってことかな。あえて、そう解釈させてもらうことにした。

ちなみに二軒目のバーで、北海道・岩見沢市出身という、出張中のイケメンさんに遭遇。こっちが北海道の話ばっかりしてたので、声をかけてくださった。岩見沢のワインや、観光で通過されることを肴に楽しくウイスキーが進み、「おもしろいことしましょう!」と一致。フェイスブックでつながれたし、今後も情報交換をしていきたい。一期一会。飲み屋って楽しい。ああしたい、こうしたいと自分から声を上げていれば、ひょんな所から繋がるご縁もある。冷えたロックのグラスが、いつになく輝いて映った。

最後の東京出張(すごいチェアを見つけた編)

ドトールできんきんに体を冷やした後は、夜の待ち合わせまで時間があったので、表参道・青山に向かうことにした。

ぶらぶらしたり服を買いたいわけではなく、旭川が世界に誇る家具メーカー「カンディハウス」の東京ショップに行きたかったのです。

ひっさしぶりに表参道交差点に出て、コムデギャルソンの方面に歩く。それっぽい感じのオネエサン、オニイサン、メルセデスやアウディ、アルファードなんかが道を支配している。完全に旭川とは空気が違っているー。浜松とも。

奇異な建物が目を引くプラダのある交差点を、表参道ヒルズから見て右手に曲がり、ぐんぐん行くと、わがゲストハウスの総事業費のたぶん3倍は行くであろう超高級(そう)なマンションがあり、その向かいに東京ショップはあった。

東京ショップ外観

佇まいも、明らかに旭川ショップとは違う! そして確実に入りにくい(笑)脂汗がでてきていったん通り過ぎるも、「これを避けては成功はない」と自分に言い聞かせて、シャツがズボンの中に収まっているか確認して、深呼吸して、この異世界へ足を踏み入れることにしたのです。

エントランス近くで最初に目にしたテーブルに、どこかで見た黄色いシールが。そう、道産材をもっと使ってこーよ!っていう「ここの木の家具プロジェクト」です。うれしい。これを東京で見られるなんて。

ただ目を奪われたのはこのテーブルではなくて、そのそばにあった、木工品。

これでどのお酒を呑もうかしら・・・

静岡県出身で北海道に移住し、森林が9割を占める下川町で創作されている「クラフト蒼」の臼田健二さんの作品。ナラやサクラとかを使って、ショップの人によると、生木をくり抜いて作っている。大きいものはサラダボウルになるし、小さいものはぐい呑みにしてもいいんだと。洗った後にちゃんと拭くなど、丁寧なケアが欠かせないのも、愛着が増すようでうれしくなる。迷わず購入。

ショップ内をグルグル見渡して、本気で欲しいものにもう一つ、出会った。下の写真のイージーチェア。

なんとこれ、座面と背面に馬の革を張っているのです! 知る人ぞ知る、日本で唯一の馬具メーカー「ソメスサドル」(砂川市)とのコラボレーションってこと。憧れのソメス! 新千歳空港にもショップを構えてるので目にする機会は少なくないけど、いろんなストーリーがあって、一度本社のファクトリー・ショールームに行きたいとずっと思ってる。

このチェアは38年前に商品化されたものを復刻させたとか。当時よりより丈夫な革を使ってるのだそう。勧められたので、厳かに腰を落としてみた。張りがあって厚くて固くて、でも座るほどに体になじむ。多分これは、無二の座り心地。ストイックではないけどシャキッとくつろげる、っていう新しい感じ。真剣に欲しいけど、34万円ときては数年単位で考えないと(笑)

いろんな所にバックルがある。しなりを受け止めることで、なじんでいくんだろうなー  ※いずれも撮影、掲載許可済み

店を後にする時は、店員さんやフロアに立たない社員さん?、搬入の方々?とかいろんな人にお見送りされて、気分はすっかり青山のオシャレ住民。「ソメスサドルさんは青山にお店ありますので、お時間ありましたら是非」とショップカードを渡された、家具と馬具、パートナーとして互いに高め合ってるんだなと感じて、ほっこりした。素敵。

夜は日本国の中枢を担う人物を日夜追っている、金沢時代にお世話になった超多忙な先輩記者とアメリカンなお店で乾杯。ご縁に感謝!

東京、ありがとう

脱皮なるか、旭川空港

交通問題に興味はあるしけっこう使っていながら、知らんことばっかりでびっくりすることがある。

ちょっと古いけど、8月17日の日経新聞にでっかく「北海道の空 4陣営争奪」っていう記事があった。

新千歳、旭川、帯広、函館、釧路、稚内、女満別の7空港が2020年6月以降に民営化される。旭川は、市が管理していて、赤字に苦しむ典型的な地方空港なんだとか。市営だなんて知らなかった・・・

記事によるとコンセッション(公共施設等運営権)の入札が締め切られ、4陣営が参加したと。新千歳が国管理空港の中で、羽田に次ぐ収益力をもつことに注目が集まり、空港コンセッションは仙台や高松で成果を上げていることもポイントらしい。コンセッションは空港以外でも水道とか、各分野で流行ってるからなぁ。

今回の特徴は、7空港を30年にわたり一括運営すること。新千歳を目玉に、旭川をはじめとする赤字空港への集客増も目指されることになりそうだとか。外資だけじゃなくて、東急とか東武とか域外の鉄道会社も名乗りを上げているけど、これは内需中心の会社にとって、訪日客増の空港ビジネスは貴重な成長分野に映るらしい。

しょっちゅう使う新千歳やセントレア、羽田なんかはそりゃ規模がでかいので、買い物やサービスも充実しているのが当たり前な感じがある。民間の工夫をいろいろ感じるし、空港=メディアとしてこぞって競争している。

でもこないだ旭川空港をインで初めて使った時、古ぼけた感じというか、彩りのない到着ロビーに出迎えられ、めちゃくちゃ残念だった。出発側はよく採光もされていて明るく洒落た雰囲気なのに、同じ空港とは思えない。

旅行者からすれば、まずその地域の印象は、空港の到着ロビーやレンタカー、タクシー、バスなんだろうと思うけど、空間デザインや交通案内のサインとか見ると、確かに「典型的な地方空港」っぽい。

石川県政を担当してた時は、小松空港に県がかなり力を入れているのを見てきた。旭川市ではどうなんだろ。議会の議事録とかいろいろ見てみようかしら。ことし11月に国際線ターミナルビルができるんだから、大きく脱皮してくれるんだろうと期待して。