すごいぞ西粟倉

(つづき)

すっかり気に入ってしまった西粟倉村。次の目的地は岡山県の津山市だけど、ちょっと寄り道をば。

「酒うらら」さんの店舗

廃校になった旧影石小学校というところには、日本酒屋さんや帽子屋さん、木製楽器の工房、間伐材の木くずを使って昨夜いただいた「森のうなぎ」の養殖場とかが入っている。淡いピンクがかわいい外観で、なかはまんま小学校という感じ。ソトコトの熱心な読者なら、一度見たことある人も多いのでは、というくらい有名なところ。

ここで地酒を買って車を走らせていると、村役場の隣に保育園らしき建物が。「こどものもり」というらしい。窓を閉めていても木の香りがプンプン鼻に入ってくるようなステキ施設。迷わず途中下車&撮影。

すごいわ、西粟倉。どれだけのお金を村内で回せているのか、循環や自立の度合いがどれだけなのか気になるけど、この人口1500人の村に「いい空気」が漂っているのは間違いない。行けなかったけど、油やイチゴ、ベリーの専門店なんかもあって、想像だけど若い人たちのエネルギーを感じる。50年、森を守ってきて、さらに次の50年につないでいこうという「百年の森林(もり)構想」を実践している村。その精神が各事業者に通底している気がするなあ〜。ああ、また来たい。

(山陰の旅はまだまだ続く)

「あわくら温泉 元湯」の冷めない心地よさ

(つづき)

「ようび」を出てから、今宵の宿であるゲストハウス「あわくら温泉 元湯」に向かうには早すぎたので、道の駅でも行こうかとブラブラ車を走らせることに。

道の駅には団体バスツアーのご一行が複数組いて、パッと見て関西の人っぽかった。どんなルートで寄ったのか気になるところ。買い物するには良さそうだけど、道の駅自体は普通の感じ。びっくりしたのは隣にある公衆トイレであります。

こんな美しいトイレ見たことない。ここなら、飲みすぎてお腹痛くなっても自分を許せてしまうわ。

宿には5時半くらいに着いて、ゆっくり温泉に入って疲れを癒すことに。ここは「こどもの笑顔がまんなかにある大きな家」がコンセプトで、キッズスペースや遊び場「こどもばんだい」がある。廃業した温泉施設を蘇らせていて、地元に愛されているのがよく分かるところだった。

子連れに優しい配慮が随所に

お湯が気持ちいいのは当たり前だけど、湯上りにいただいた晩ご飯がおいしいのにびっくり。

リベンジかなった、タルマーリーのビール。こんなおいしいクラフト飲んだことない
棚田の米で作られたライスビールと、森のうなぎ燻製

西日本豪雨の被災地に300円が寄付される「おうえんプレート」(1500円)と、木のまちならではの、木質バイオマスを燃料に使うとか資源・エネルギー循環を意識してる「森のうなぎ燻製」(600円)、買い忘れたタルマーリーのビール(セゾン、800円台、岡山県の棚田でつくられた米をつかったビール。けっこう頼んじゃって、宿泊の3240円を大幅に上回る売り上げに貢献したのでした。村内に限らず、周辺の本当にいいもの、ストーリーのあるものを提供していて、うれしくなる。「旭川公園」のカフェスペースの参考になるわ。

共同スペースは本や雑誌、近隣のお店の情報がたくさん集まっていて飽きないし。地元の人がふらっとお風呂に入ったり、宴会をしたり、生活感が漂っていて、心地いい!

廊下には味噌も置いてる

キッズスペース
キッチンを望む
こどもばんだい。秘密基地

ドミトリーはこんな感じ。雑魚寝の湯治場みたいな感じ。

隼駅近くのゲストハウス「8823BASE」のベッドと比較して思ったけど、自分で畳の上に布団を敷くのって、縛られないかんじで、これはこれでいいなと。あらかじめ決められた、セットされた所に寝るのより、自分の意思とタイミングで場所や角度、レイアウトをカスタマイズできる。他のお客さんは長期の1人だけで、大広間だから消灯に気を使うけど。

共同スペースからドミトリーに続く廊下。味がある
ドミトリー入り口

朝ごはん(600円)は有機無農薬の卵と、出雲の古式しょうゆがお目見え。タルマーリーのパンでも思ったけど、毎日のもので噛みたくなる食べ物って、すごく幸せを感じる。価格設定は参考になる。

卵がめりこんじゃって、うまく撮れなかった。。。お代わりできるので、もちろんオーダー

昨日は大雨で周囲がよく分からなかったけど、周りのロケーションはめちゃよかった。川もきれい。

昨夜とは打って変わって心癒される空気感

宿の隣には温泉の自動販売機が

(山陰の旅はまだまだ続く)

「ようび」で美しい雷に打たれた

(つづき)

雷に打たれましたね、これで

タルマーリーを出て30分くらいかしら、次の目的地・岡山県西粟倉村に到着。雨脚はどんどん強くなって、仮に汽車が動いていてもコンビニ傘で何十分も歩くのはつらい。ちょっとした嵐。レンタカーでほんと正解。

主張しすぎているわけじゃないけど、強烈な存在感を放つこの外観にまず見とれてしまった。全国の皆さんの力が集まって建てられたというストーリーも相まって。

これに見とれない人はいないだろう(きっと)

普段はこのショールームは予約制だけど、日曜日はフリーオープンらしく。着いてから電話して、担当の方に迎えていただいた。一歩踏み入れれば、そこは息を飲む空間で。

 

この「ようび」という家具メーカー、全国手にも知られた存在で、超絶なオシャレさだけでなく、底流する森やものづくりへのマインドがすっごく美しいのです。単なる「用の美」じゃないんです。地域の材に誇りを持ち、可能性を探り、次代につなげ、循環させて意識を高めていく。トータルでのデザインをしてるって感じかしら。旭川家具で課題として指摘されている、地域との掛け算的なことを、さまざまに考えられいるんだなーと思った。

ホームページにある文言にも、それはよく現れてる。

私たちが作りたいのは、「人に使ってもらって生活が楽しくなる物」。観賞用ではなく、使い勝手の良さと楽しさがあふれる「用の美」。相手の欲しいものを本気で作るとそこに「用の美」が生まれる。  ようびが工房を置く西粟倉村は全面積の95%が森林、村民1500人強は海抜300m台の盆地に暮らす。「50年まえに将来の子どもや孫のために植えた木を、立派な100年の森に育てていく」と、村ぐるみで英断。今や清流と自然にも恵まれた地域再生の成功モデルとして名高い

「ようび」ホームページより

村と会社が同じ方向を向いてるんだな、きっと。

そんでもってもう一つ、この職能集団にはストーリーがあって。「ツギテプロジェクト」っていうやつ。

2016ねん1月に社屋が全焼し、   木材を組み合わせる「継ぎ手」の意味だけど、次の時代への「継ぐ」という意味も込められている。5500本ものスギの間伐材を格子状に組み立てていく。全国から林業の関係者がやってきて、少しずつ形にしてきた。簡単に言えばボランティアだけど、この日ショールームで応対してくださった方は「ボランティアじゃない。忘れていた『ともしび』を付けに来たような感じでした」と振り返っていた。妙にしっくりきた。

という感じで、この「ようび」は只者じゃないんです。そしてショールームでは、只者ではない感を放っているスツールを目撃してしまった。瞬間、雷に打たれたような感じに。

超絶かわいいスツール

これです。前にブルータスでも特集されていた、人気テキスタイルデザイナーの氷室友里さんの作品。座り込むほどに、おもしろい「変化」を楽しめる。そして文句なしに、かわいい!かわいすぎる。

これに一目惚れしてしまったわけです。ただ、当たり前だけどこの作品には「旭川」のあの字もないわけで。そこに「うーん」とと思いながら、担当の方と話していると、「うちはいま近くの山をきれいにしようとやっていますが、本当は日本全国でやりたいんです。各地の材を使って、デザインを組み合わせて、新しいものをつくりたい。旭川の材でやりましょう!」とびっくりするくらい瞬間的に話がまとまった!

この後、ゲストハウス「旭川公園」のバックヤードの突哨山で木こりをしている清水省吾さんに連絡してみると、「なまらいいですね! やりましょう」とのこと。一気に旭川×ようび×氷室友里テキスタイル のコラボレーション企画が前に進むようになった。これ、絶対におもしろい。

「やがて風景になるものづくり」が「ようび」のコンセプト。旭川家具ももちろん置くけど、旭川公園でもこのスツールが風景の一つになるように育てていきたい。

(山陰の旅はまだまだ続く)

 

 

タルマーリーに会いにいく

(つづき)

鳥取駅にバスで着いてすぐにレンタカーのリサーチを開始。ちょうど郡家(こおげ)駅からのバスで、降りる時に「キャルレンタカー」という言葉を聞いていたので、どうせ大手は高いし、ここを探してみた。

強雨の中、たどり着いたのはここ。予想通り、ガソリンスタンドの中だった。

運良く小型車(マーチくん)が空いていると電話で確認していたので、スムーズに手続きをしてくれた。免責保証は高いけど、入らずにしておいて、24時間で3700円くらい(はっきりし覚えておらず。4000円は切っていた)。

ナビに、パンやビール、発酵で有名な「タルマーリー」(https://www.talmary.com/about-us)の電話番号を入力して、さっそく出発。途中、鳥取道が大雨で急きょ部分的に通行止めになっていて、迂回する時に道に迷ったけど、1時間ちょっとで到着。 すごい。列車移動だと、隼駅から3時間はかかってたのに。人口の少ない山あいに複雑な路線図が敷かれていて、移動の効率が悪いので、車の威力を身をもって痛感する。

小学校の隣にあって、保育園をリノベーションした施設。それっぽい雰囲気が随所に。イートインのカフェはセミセルフで、注文してお金を払ってから席に運ばれるのを待つスタイル。それまでの間、飲食スペースの周りを見学。

オーダーしたのはイノシシ肉のハンバーガーとコーヒー。

パンは表面がパリッとして中は柔らかすぎないフンワリさで絶妙! 風味も豊かで。ほんのり広がる甘み。パンとか白米とか、毎日食べるものがおいしい、噛みたくなるっていうのは幸せなことなんだと思い知る。イノシシ肉は臭みがなくて、食感は弾力がありすぎずジューシーさも感じられる。「こんなにおいしいものだっけ」と、これまた幸せになる。

タルマーリーの渡邉夫妻は、福島の原発事故を契機に「水」を求めて千葉県から岡山県に移り、野生酵母だけで発酵させるクラフトビールをつくるために、ここ智頭町に移住された。レジでお土産のパンをしこたま買い、旦那さんが書かれた「田舎のパン屋が見つけた腐る経済」の文庫版を購入。発酵とはなんぞや、腐る経済とはなんぞや、地域内循環の真髄はなにか。いまの「人生最後の夏休み」の課題図書として勉強しよう!

と息巻いたものの店を出てから30分くらいして、ビールを買い忘れたことに気づいて動揺する羽目に。。。

(山陰の旅はまだまだ続く)

「昭和」に乗って

(つづき)

若桜鉄道で運良く2日連続で乗ったのは、水戸岡鋭治さんデザインの「昭和」号。鮮烈なブルーが印象的で、下回りの赤茶色もあかわいい。

隼駅から乗って、終点の郡家(こおげ)駅であらためて舐め回すように観察してみた。

車内外は良くも悪くも、一目で水戸岡デザインとわかる。一時期、全国の観光列車は水戸岡デザインばかり続いたことで、これに対しては鉄道好きからは辛辣な意見も上がっていた。でも鉄道という公共空間に、デザインの大切さを持ち込んで考え抜いたパイオニアは水戸岡さんだろうし、そのあとの多様な観光列車につながっている、と思う。そして何より、水戸岡さんが「なんのために公共空間をデザインするのか」についてインタビューもしたし心酔しているので、無条件に好きなんだけれども。

座席のテイストは他の水戸岡デザインの列車とどうしても同じ感じになってしまうけど、やっぱり心地いい。ずっと座っていたくなる。

郡家駅では、大雨の影響で乗るはずだった因美線(智頭方面)の列車が運休するとホワイトボードに書かれていて、2時間以上、時間をつぶすはめに。その間、駅のコミュニティスペースから「昭和」を見ていたけど、観光バスが駅に横付けして、おじさんおばさんたちが大挙して「昭和」に乗り込んでいった。貴重な収入源なんだろうなぁ。

2時間くらいたって、あらためて駅窓口にいったら「全列車が運休」に変わっていた。「スーパーはくと」も「スーパーいなば」も。急いで荷物をまとめて、駅前のバス停から鳥取駅に向かうことにした。今朝、公共交通機関でコンプリートしようと誓ったばかりなのに。。。まあ列車が動かないなら仕方ないわね。

(山陰の旅はまだまだ続く)

 

隼の聖地を訪ねれば、浜松を思い出す

(つづき)

隼駅にやってきた水戸岡さんデザインの車両

8823(ハヤブサ)BASEを出て10分ほど。昨夜見えなかった景色が見えて、激しい悪天候ながら心癒される。

隼駅では大雨警報の影響で25分遅れ。すでに靴下が絞れるまでビショビショ。「隼駅を守る会」が管理しているグッズ売り場を見ながら列車を待つ。浜松でおなじみの、鈴木修会長のご尊顔も! こんなとこで浜松を感じるなんて(笑)

久しぶりに見たなー。旅ノート。ライダーが全国から、聖地を訪ねてる
守る会が管理している、隼関連のコーナー。駅事務室を使って「聖地」をアピール

こんな時、レンタカーがあれば便利なのになぁという考えがよぎる。いやいや、今回は公共交通機関だけでコンプリートするぞ! と決意をあらたに。

昨夜の八東駅もそうだけど、若桜鉄道、駅舎めちゃすごいね。SL関係で保存・活性化運動やってるのはいろんなところで聞いてきたけど、条件不利なところで奮闘しているのがなんとなく分かった。運賃も良心的。もっとじっくり味わいたい。水戸岡鋭治さんの車両は次の記事でー

(山陰の旅はまだまだ続く)

「8823(ハヤブサ)BASE」を貸し切りに

(つづき)

ホルモン焼きそばを食べた後に時間をつぶしていた若桜鉄道の八東駅に、21時6分、定刻通り鳥取方面の最終列車がやってきた。よかったー。このまま、この真っ暗な駅周辺に取り残されたら・・・と心配だった。タクシーも営業終了だし

やって来たのは、水戸岡鋭治さんデザインの青い車両。二駅だけ乗って、隼駅に到着するもあたりは土砂降りで、なんとなく宿を探し始める。スマホのバッテリーがゼロなので不安になりながらも、あらかじめ駅の北側徒歩6分とは覚えていたので、ほんとなんとなく歩き回った。

この隼駅、浜松のスズキが誇る高性能バイク「」の聖地で、全国からライダーや愛好家が集まってくる。今夜はそれを見るどころじゃないけど、宿はこのバイクにちなんだゲストハウスなんです。

5分ほど歩くと、ランタンみたいな光が暗闇に浮かび上がっているのが見え、明らかに周囲の民家と違って雰囲気なので「あそこや!」と確信し、さらに5分ほど歩いて到着。全国的に有名な「8823BASE」であります。ブログで再三お名前を借りている高藤宏夫さんが施工。8823=隼。

頭を低くかがめて垣のエントランスをくぐり、受け付けでチェックイン。古民家をリノベーションしてるんだと中に入って初めて分かった。小さい階段を上がってある土間のような共用スペース、その奥が客室。今夜は貸し切りらしく、男性ドミトリーに案内されて我が物顔を満喫することにした。

泊まったドミトリーの部屋
ヘルメットが掛けられるフック。これはライダーには嬉しい。ジャケットを掛けやすいハンガーラックも
女性用に使うことが多いというドミトリー
女性には必須のアイテムがずらり

充電と細かい作業をしてからチェックインしたカウンターに行き、瓶ビールを注文。ハイネケン系だったかな。。。今日応対してくれたお兄さんは自分と一つ違いで、某大企業の新幹線の運転士を辞めて、こちらに移ってきたんだと。なんかすごいなぁ。26時くらいに就寝。

これはマニアには嬉しい演出だなーーー
洗面所。すごくきれい

朝ごはんは、いつもは隼駅近くの飲食店「8823HOME」から持ってきてくれるけど、昨日からレクサスが絡んだイベント「ダイニングアウト」というので出払っていて臨時休業。なのでゆっくり作業して過ごし、列車の時間を見計らってカウンターへ。昨日は真っ暗だったけど、ようやくこのゲストハウスの全貌が見えたわ。

確かに民家だなー、ベースは
共同スペース。バイクの雑誌とかもたくさん
くつろぐのにちょうどいい大きさ。庭に面してるので開放感もある
晴れてたら、右奥のベースに愛車を飾ってコーヒーでも飲んだら最高だわ
左奥がエントランス。「また晴れの時にいらしてください」と見送られた
ゲストハウス隣の田んぼ。雨が降って、より美しい。エンジンを始動できる時間帯を制限していて、ちゃんと周囲にも配慮されてる

(山陰の旅はまだまだ続く)

 

鳥取の山あい、八東駅前に名店を発見

(つづき)

パーリー建築の皆さんと浜村温泉でバイバイした後は、保木本さんの車に乗っけてもらい、鳥取・智頭方面へ。なんと、今晩の宿と、保木本さんの自宅が同じ町だったので!

鳥取道(無料区間)の河原インターを出て下道をずっと行く。やがて山あいのところに差し掛かり、街灯が全然ないところが続く。懐かしいなぁ、この感じ。夜が暗いって当たり前のこと。それぞれのおうちも、電気が漏れてない。

宿の人におススメされていた(周辺に飲食店が少ない)のは、若桜鉄道・八東駅前にある「中嶋商店」。昔ながらの駅前商店といった感じで、引き戸を開けると、お菓子やらカップ麺、生活雑貨の陳列棚がまずあって、その奥で鉄板がこちらをうかがっていた。そんな店構え。

こちらが「まだ大丈夫ですか」と声をかけると82歳のご主人がじっと座っていたけどおもむろに立ち上がった。気の利いた音楽やラジオの一つもない、静寂が支配する、ちょっと薄暗いカウンター。

もう、この時点で雰囲気にやられた。駄菓子屋の奥に、イートインコーナーがある感じ。お店の人とコミュニケーションしないと、食べ物にありつけないような、秘密基地感。

たまらないね、手書きメニュー

聞けば、お店は80年になり、鉄板はご主人が始めて50年になると。ゆっくりゆっくり、噛みしめるように冷蔵庫に歩いていって、時折「おーい」と奥さんに助けを求めながら、手慣れた風ではホルモン焼きそばを焼き上げてくれた。

まるで餃子のたれのように、いつから継ぎ足してるか分からない秘伝っぽいタレが運ばれてきた。たまらず勇気を振りしぼって「ビール、、、あったりしませんかね」と聞くと、またゆっくりゆっくりと冷蔵庫から取り出してくれた。メニューにはなかったけど聞いてよかったー。

タレがよく絡み、ホルモンの滋味深さとコリコリが主役級で、たまらなくうまい。再訪必至レベル。汽車(地元の人が若い人もみんなこう言う)の時間まで10分ちょっとしかないので、急いで食べたのが悔やまれる。

ご主人は何度も「若いから、な」と繰り返し、北海道の話をするとオーバーリアクションよろしく驚いていた。ともかくも、自分の中で焼きそばでは3本の指に入る名店だわ。

ご馳走さまをして、大雨の中、急いで八東駅へ。15秒くらいで着いた。でも定刻になっても、待てど暮らせど列車は来ない。雨の影響かと思い込んでいたけど、スマホで「乗換案内」を見てがっくり。八東駅→隼駅とすべきところを、逆にして検索していた。で、1時間半待ちが決定。有形文化財の駅舎を撮影したところでスマホのバッテリーがなくなり、おとなしく新聞を読み、靴下を乾かし、ゲストハウス「旭川公園」に思いをはせる。

八東駅、有形文化財の価値を感じるには十分すぎる時間を過ごせた

こういうの久しぶり。昔、中高生、大学生のときは旅とはずっとこうだった。待ち時間というものがない車移動でもないし。何かに追われるでもなく、静かに待つ時間。これは貴重だ。最近の出張や今回の旅でも、スマホばかりに気を取られてたなーと反省。これじゃ気づくことにも気づけない。

(山陰の旅はまだまだ続く)

鳥取でパーリー建築のミラクルを見た

(つづき)

商店街をぐるっと見てから、鳥取駅に戻って普通列車に乗り込む。目指すは高藤宏夫さんが作業していた浜村温泉。ご本人は用ができてすでに現場を離れたけど、「パーリー建築」さんがいると聞いては、行かないなんてあり得ない。

まずは腹ごしらえ。駅から歩いて10分くらいの自動車屋さん「ホット・エアー」がラーメン屋をやってると高藤さんに教えてもらい、直行。インパクトある外観!

これは知らないと通り過ぎるわ。人通りの多い立地じゃないし
どう見たってうまい。

味も負けずにインパクトある。「贅沢極み塩」1000円。鹿野地鶏のアブラとかを使ったスープで勝負してる。鳥取豚レアチャーシューも激ウマ。噛んで噛んで幸せ。すごいこだわりと完成度、自信。こんな自動車屋やん見たことない。

見てるだけでおいしいので、もう一度

当然の義務として完飲して、罪滅ぼしとばかりに歩く、歩く。とりあえず日本海に向かって。

国道9号にでると、鳥取らしい河口の風景が広がっていた。

砂が堆積して、その上にかわいいクローバーみたいな葉っぱが
防風林の赤ちゃん(とみられる)

国道を、教えられた地点にむかって歩くも、これといった建物は見当たらず。ボロボロの製材所が道路脇の下がったところにあったので、入って尋ねることにした。入り口を入って、「すみませーん」と声をかけたら、あぁ、パーリー建築さんっぽい方を発見して、あーここか!と。挨拶したら、「あー、聞いてます」と。

この方が、宮原翔太郎さんであられます(写真左)。

宮原さん(左)と保木本さん

パーリー建築さんとは何者か? 全国各地を渡り歩き、空き家に住み着いて、近くの住民や施主と一緒につくりあげる建築集団。歌いながら、パーティーするように。この界隈ではすごい有名な方々です。これからの建築のあり方を旅しながら模索しているんです。

きょうは宮原さんと、この日に高藤さんの紹介で初めて会ったという、保木本弘生さんがいらっしゃった。音楽をかけて現場作業中。このどデカイ製材所をフェスのライブ会場にするらしい。えー、来てみたい。

せっかくなのでとコーヒーブレイク。外の風に当たりながら製材所で木のにおいをかいで。上の世代はどうバトンをつないでいくか考えてほしいなーとか、なんとなく社会をよくするために生きることとか、次の世代にどういう視線を向けるかとか、暮らし方の選択肢とか、いろんな話をしたなー。ぜひ旭川にもいらしてほしい。

2時間以上も滞在してしまい(すみません)、作業時間は終了。そのまま宮原さんたちが根城にしている喫茶「ミラクル」に案内してもらった。

駐車場をてくてく歩いて喫茶「ミラクル」へー。町民しか入れない温泉もこの辺にあるんだとか。

元美容室とスナックで、自分たちで常に改良を重ねてつくった、めちゃおもしろい空間。つねにフルで営業できるわけじゃないけど、地域の人や子どもが集まるにはもってこいだなー。パッと見たら良い意味でカオスなところがあるけど、それが落ち着きにつながってるんだから摩訶不思議。この2階に住み着いてるらしい。

パーリー建築すごい。生きる力がすごい。財布を保木本さんの車に置いてきたのでパー建Tシャツ買えなかった。。。

みんなと握手を交わし、保木本さんのインプレッサに乗せてもらって、今宵の宿がある方へー。ひとり旅は最高だわー

(山陰の旅はまだまだ続く)

鳥取駅前を歩けば

(つづき)

とりあえず鳥取駅に降りてみたけど、強烈な目的があったわけじゃなかったので、コンコースにある観光案内所で商店街の場所を聞いて、遅い朝ごはんで「砂丘そば」を食べて、ドトールでひたすら充電することに。

美しいほど潔くシンプルな「砂丘そば」

そのあと、北口を出て地下道をくぐり、大丸の隣にあるドーム状の不思議な空間を抜けて、商店街を目指す。

鳥取の中心部は初めて来たけど、びっくりするくらいの広範囲で、アーケードが残っている。一歩脇にそれたら寂しい感じのところが多かったけど、メーンの通りは個人の専門店が健在で、これまたびっくり。

メーン通りから一歩入るとこんな感じ

いま、時の人になっている石破茂さんの事務所もありましたよ。金沢に来られた時、夜行列車のことを軽くお話したのが懐かしいなぁ。

石破事務所。至る所に、そして地元紙にも石破さんの名前と顔が。さすが地元

いちばん衝撃的だったのは、メーン通りはすべて歩いてみたけど(片道15分以上はかかった)、コミュニティ施設はあったのにコンビニが一軒もなかったこと! いまどきすごい。規制してるのか、自然にこうなったんだけなのか分からないけど、嬉しいなぁ。

商店街のある「川端」というエリアが気になって、メーン通りから一本入った「川端銀座」というところを歩いてみた。古い旧商店みたいなのにまじって、イマドキな感じのショップが何軒もまじっていて。この混在してる感じがいいわ。

これはこれで味がある。ステキな角地

この川端銀座以外にもリノベーションされてそうなお店がいくつかあって、地方都市の商店街としてはその割合はけっこう多いと思う。市が力を入れているリノベーションと関係あるのかは分からないけど、シャッターばかり見えるのが今やどこでも普通になったので、心強い。

商店街のもつ「場のちから」ってすごいなとあらためて痛感。でも地元の人に聞くと、例に漏れず鳥取も北のほうの郊外イオンができて、そっちにかなり流れたらしい。それで駅前もかなりキツくなったとか。鉄道での移動に頼れないっていう限界があるのはすごく感じたけど、寂しいは寂しい。

ちなみに、この後出会うことになる、リノベーションスクールの経験者によると、スクールがきっかけでブックカフェ「ホンバコ」というのがオープンしたものの、閉店してしまったんだとか。持続させるためにプレイヤーをどう確保し育て、ソフト面を整備していくかは、ハード面のリノベーションと違った難しさがあるんだろなー

(山陰の旅はまだまだ続く)