史上最大の断捨離

引越し前日の我が家の風景(恥)

浜松からの荷出し作業は10月5日と決まっていたものの、一週間前になっても旭川での搬入日が決まらず、それと関係ないけど作業も遅々として進まず。「子ども3人いるからなかなかね」「生活しながらだと限界あるよね」と温かい言葉をいただくけど、最大の理由は、本やノートや写真やらに気をとられるからであります。

「これ、取っといたら絶対あとで見返すと思う」「捨てるともったいない」

こういう思いがすぐ頭をもたげて、しばし鑑賞タイムに。これ、今までの引越しと同じダメなパターンで、時間だけがかかって一向にモノが減らない。

大学生のころ使ってたノートパソコン。データの移行とかで4時間くらいかかってしまった。懐メロがたくさん入っていたのも作業スピードを遅らせた

部屋が大きいとムダに荷物が多くなる。3LDKの浜松のマンションはモノを増やすのに格好の場所だったけど、今回は3トントラックで格安で運ぶので、かなり減らさないといけない。しかも「旭川公園」が完成した暁に住む管理棟は、5人家族が暮らすとは思えない狭小住宅。憧れの「小さな家」になる。だから、心を鬼にして断捨離することにした。

捨てる基準は、「浜松の3年間で一度も使っていないもの」「北海道に移ってこれがないと生活できないとは言えないもの」。作業すれば、ほとんどがいらないものだったことが分かってしまった。

だから仕事でお世話になったスイフトも、ノート類も、あっさりお別れ。社会人3年目くらいまでは、一冊1900円くらいした高級メモ帳「モレスキン」を使っていたので、隔世の感があるしもったいないとは思ったけど、歯を食いしばって。

お世話になったノート類の一部

クルマはさすがに売却代金や、所有するとした場合の運搬費・税金・保険・スタッドレスとかもろもろ計算したけど。ビッグモーターで10万円で売れたので、御の字ということで。寂しい気もするけど、これからの茨の道のことを思えば、ささいなこと。うん。

 

 

 

人に会うたび力になる

武田さん夫妻

九月の最終週は、お世話になった人への挨拶行脚。

トークセッションから一夜明けた25日は夜、会社の同期が開いてくれた送別会にはせ参じる。モンベルのかっこいい防寒着をプレゼントしてくれた!   これで今年の初めての冬は乗り切れそうー。26日は愛知県方面。学校や幼稚園が終わってから高速に乗って移動して、夜は初任地・瀬戸支局の皆さんと地元の名店・南大門で焼き肉。大先輩ばかりだけど、一緒に仕事をした、気心の知れた(と自分では勝手ながら思っている)方たちとの話は落ち着くし、根拠のない自信を持たせてくれる。ありがたや。

南大門の〆に欠かせないラーメン

27日は急きょだったけど念願かなって、特別な場所である岐阜に行くことにした。10年半勤めた新聞社は、入社後、7月いっぱいまでが研修の期間。その締めくくりに、新聞を配る販売店さんに40日住み込みで勤務する。この業界でも珍しい、自分たちの仕事が誰によってどう成り立っているのかを教えてもらう最高の研修だと思ってます。

自分は岐阜市のタケダ新聞店(武田健以知社長)でお世話になって、めちゃくちゃ濃い時間を過ごさせてもらった。地元の祭りでは地域の皆さんとたらふく飲み、ビルの空きフロアで映画を見て、武田社長にもいろんな所に連れて行ってもらった。飲みすぎて起きられず寝坊して大目玉をくらい、作業場の扉の前で仮したこともあるし、一緒に銭湯に入って諭されたこともある。地域の中で仕事をすることや、多くの人それぞれに役割があること、若い人にチャンスをあげて育てる人がまちには必要なこと、いろんなことを教わったなぁ。

この日も10年前と同じようにまちを歩いてみた。駅、居酒屋、台湾料理屋、工場、名鉄の踏切・・・。眺めていると、当時の気持ちが一緒に蘇ってきた。「あぁ、ここが自分にとって最初の社会だったな〜」とやけにしんみりした。

武田社長は、豪傑かつ気配りの人。今後を心配してくれ「 誰も言わんだろうから、苦言を言ってやる。お前は欲しいものはなんでもすぐに欲しがるからな。欲を出すな」。今でもかわいがってくれて涙が出る。

いわく。

商売で人を呼び込めるかどうか、人の流れをつくれるかは潮の満ち引きと一緒なんだとか。無理に引っ張ってくるものじゃなくて、いかに自然に引き寄せるか。変に狙っちゃいけない。なるほど、、、潮とおんなじだ!すごい。

だから、なんかおもしろいことをやってるなー、と思わせる空間づくりが欠かせない。やっぱり「旭川公園」の広場ではバーベキューをどんどんやるべきだろうと。うんうん。

宿泊だけやっていてもダメ。血液の流れが悪くならないように、つねにアンテナを張って、先手先手で新しい情報を発信していかないと意味がない。たしかに。

3年は無心でやれ。欲張るな。先に結果を求めず、一歩ずつ焦らずにやれば、結果はでてくる。と。はい!

帰り際、「また遊びに来いよ。なんかあったらすぐ電話をしろな。味方はおるでな」と、肩に手を添えてくれた。これで感極まらずにいろっていうのは無理でしょう。

そのあとは岐阜駅のドトールで、この会社に入るきっかけをくださった大先輩とお茶。会議の合間をぬって駆けつけてくださり、「コミュニティに入っていけば大丈夫。会社との縁は切れても、人とのご縁は大事にしていけよ。お子さんを育てるにもいい環境だろう。北海道の皆さんは寛容で、受け入れてくれるから」とアドバイスをくれた。

人に会うたびに、強くなっていけるような気がしてきた。このご縁を、もっと太くしていきたい。

ハローアゲイン旭川を叫んだ、浜松のトークナイト

3年前まで住んでた金沢を再訪する旅を終えると、一路浜松へ。この日の夜は、トークイベントが開かれるので。

お題は「なぜ⁉︎  個人が旭川に公園をつくるのか?

いつもゲストハウスづくりでお世話になっているメンバーは普段、「浜松PPPデザイン」というグループをつくっていて、まちづくりの文脈で活動されてまして。そのPPPとしてイベントを開いて私がしゃべる機会を設けてくださり、同年代の人たちが手伝ってくれて盛り上げてくれたのです。

photo:鈴木裕矢 (カラオケの写真以外)

北海道庁のビジネスコンテストでやったプレゼンをベースに計画をお伝えし、PPPの皆さんが突っ込みや補足を挟んでくれるセッション形式。 いくつか質問もいただき、「一番のターゲットに据えている関東の30代女性が、地域の人と交流するというのは、聞いただけではイメージにしくいけど、どういうこと?」「価格設定はどれくらいにするのか」などなど。初めての人に話して反応をもらえるのって、ほんとうにありがたい機会。どんどん増やさねば。試食用でちょっぴり出した、旭川公園オリジナルの味噌グラノーラは、すっごく評判がよく、楽観的かもしれないけど手応えを得たり。

妻からは「グラノーラは反応良かったね。トークはう〜ん、なんかウワーって喋って終わった、みたいな感じ」と正しい指摘が飛んできた。聞いてる人のことを考えてしゃべり方もスピードも調整しないと。反省。

1984年生まれのメンバーがやってるタイムドリップコーヒーさん(https://m.facebook.com/TIME-DRIP-COFFEE-380661939012571/)や自転車屋のハッピースラッピーさん(https://ja-jp.facebook.com/happy.Slappy.hamamatsu/)たちが出してくれたオニギリスタンドとドリップ味噌汁、フリーの日本酒も大好評。投げ銭をしてくれた皆さま、ありがとうございました! すてきなご縁もいただきました!

まちづくりやリノベーションをやっている浜松の方や、会社の後輩とか多くの方に来ていただき、さながら壮行会にもなった。終わった後は、久々に未明までのカラオケ。90〜00年代を中心に。締めの曲はマイラバ(My Little Lover)のハローアゲイン。ハローアゲイン@旭川を合言葉に、心地よい疲労感でジャンカラを後にしたのでした。

 

足りなくなると、考えるようになる

こないだ行った旭川では、道路が陥没するとか、何かが倒れるとか、地震による目に見える被害というのは全くなかった。震源地から遠いこともあって、発災後にしばらく停電したくらい。農業とか工業ではひどい影響もあったけど、それもやっぱり電力不足に起因するものだった。列車の運休も甚大になった。

ゲストハウス「旭川公園」最寄りの永山駅で。こんな張り紙を発見。まだまだ大変だ

この電力不足がなかなかに深刻で、札幌駅のコンコースは昼なお暗い感じだったし、旭川のまちなかの店では、至る所で上のローソンの写真みたいな張り紙がしてあった。

でもふと思った。本当にコンビニって24時間営業しないといけないのか。飲み物の自動販売機ってあんなに煌々と存在感を主張しないといけないのか。

「それがお客さんの求めていることだから」と言われたら返しにくいけど、だったら客側も変わった方がいいのかなと。東北の震災で、けっこうみんな痛感したことだけど。

いつ店に行っても営業してるから買うわけで。でも、その営業を支えるために、膨大なロスが生じている。エネルギーも、食べ物も、労働力も。ローソンでは、キンキンに冷えた陳列棚でお弁当やオニギリが客を待っていた。もう、ほとんど平時に戻っているので、この弁当とオニギリの争奪戦が繰り広げられるわけじゃない。きっと売れ残るんだろう。それを消費者は、いまどき良しとするのかしら。

電気が止まったのなら、これまでの「普通」をちょっと角度を変えてみるのも案外楽しい。

いま住んでる浜松でも、台風24号が過ぎ去った10月1日の朝、広範囲に停電して信号が至る所で消えていた。いつも「青」をめがけてセカセカ通りすぎるだけの交差点だけど、みんな徐行して、ドライバー同士がお互いの目を見て、譲り合っていた。わずらわしいし、それどころじゃない人が多い状況ではあるけど、大事なことだなと思う。