いよいよ本州の最終日

(つづき)

陸前高田のまちなかを見た後は、奇跡の一本松(レプリカ)を横目に見て、久しぶりに気仙沼へ出かけることに。スイスイと進んで、お店の集積している漁港の近くの高台に上ると、一度見てみたかった「気仙沼ニッティング」のお店「メモリーズ」にたどり着いた。

ほぼ日刊イトイ新聞の震災支援プロジェクトで2013年に株式会社として立ち上がり、手編みの商品を届けている。

メモリーズは土曜日の営業でこの日は開いていなかったけど、細い路地に、溶け込みつつも存在感のある青い建物が見えてきた。外観見ただけで、商品を手に取りたくなる。

次は開いてる時に来よう。気仙沼をでて、本当はそのまま三陸の海岸線をつたってフェリーが出る八戸へ向かいたいとこだけど、どうしても盛岡近郊で見たいところがあるので、内陸の東北道に戻って、北上の旅を再スタート。

次の目的地は、岩手県紫波町の「オガール」。

紫波中央という駅の真ん前に、広大な空き地があって、町が購入したものの塩漬けになっていて、そこに「オガール(=東北の方言で「育つ」)プロジェクト」が立ち上がって、ぐんぐんと育ってきたまち。民間がリードして補助金に頼らず公共空間をつくっているのが特徴で、移転した町役場や体育館、保育所、テナントのショップ、企業オフィスが張り付いている。周辺は分譲住宅もあるし、コンパクトなまちづくりが進められている。小さな子どもから学校帰りの高校生、お年寄りまでもがオシャレなベンチで寛いでるのを見ると、こっちまで幸せな気分になってくる。

視察が相次ぎ(この日もどこかの議会が視察してた)、まちづくりや公民連携の分野では、最も有名な事例と言えるくらい。断熱や自然エネなどエネルギー面でも先進的な試みがふんだんにあって、もうほんとにすごいところ。

1時間ちょっとしかいられなかったけど、一見にしかずなので満足。本州にいるのもあとわずか。東北道に戻って車を北に走らせていると、「ああ、こっちに戻るのはどれくらい後になるのかなあ」と妙な感慨にふけってしまう。

19時すぎには八戸港のフェリーターミナルに到着。

食堂で夜ご飯をすませて、22時発、苫小牧行きのフェリーに乗り込む。このシルバーフェリーは初めてで、ことし春には室蘭から宮古の新航路もできている。この日の「シルバークィーン」はなかなか年季が入っていてお風呂も小さかった。

出港前に子ども3人を男風呂に入れて、疲れさせて雑魚寝の2等部屋で早々と寝かせようとする作戦を立案。でも下の2人は興奮してなかなか寝付けず、特に2歳の次女は寝床で声を上げてしまうので、共用スペースでだましだまし時間をつぶすことに。自販機のアイスとか、ほんと余計で(笑)すぐ目がさめる。2等のお客さんが少なかったのが不幸中の幸いで、しかも同室のご婦人が「私たちのことは気にしないでね」と温かい言葉をかけてくださったのに救われた。。。けっきょく、何度も子供の声で起きて、揺れもあって、ほとんど大人は寝れずだったけど。。。

ともかくも10日未明、無事に北海道に上陸!!

(北海道への旅シリーズはこれでおしまい)

震災から7年。陸前高田のまちなかを訪ねる

(つづき)

箱根山テラスをおりて、まず向かった先は「りくカフェ」。ランドスケープアーキテクトで公共空間づくりをされている木村智子さんの紹介で訪問。「陸前高田まちのリビングプロジェクト」の一環でNPO法人さんがされている、コミュニティカフェであります。

手作り感あふれる壁が素敵

「旭川公園」の公園文庫に置くことが決定

隣にはお医者さんや薬局があって、自然と人が集まる場所に立地している。ここでコーヒーとハーブティーをテイクアウトして、おいしくいただきました。お店の人たちとお話しながら、ゆっくり時間を過ごすのもいいなぁ。

その後は、高台から降りていって、まちなか方面へ。

工事中のところがまだまだ多い

鉄路がなくなって誕生した、線路敷地にバスが走るBRT(バス高速輸送システム)の陸前高田駅とその周辺へ。列車は来ないけれどもみどりの窓口はあって、気仙沼とかに向かうバスが発着していた。お客さんはこの時はほとんど乗っていなかったけど。

駅前はすごくきれいに整えられているけど、鉄道がなくなるとこんなに町の風景が変わるものなのか、とびっくり。BRTになって、「レールでつながっている安心感が鉄道にはあった」という声をどこかの新聞で読んだことがあるけど、さもありなんと感じてしまった。

近くに追悼施設と、「復興まちづくり情報館」があったので、そちらにも足を運ぶことに。あまり記念館のような場所は行く習慣がないけど、ここは特別。

子供たちも手を合わせてくれた

情報館では、被災前後のまちの様子、復興まちづくり計画、発災直後の動きとかがパネルで紹介されていて。いちばん記憶に残ったのは、この「ヤミ屋のオヤジ」。国の施設なので国交省関係の内容だからあれだけど、思わず見入って涙腺が緩んだ。

当事の国交省・東北整備局長から市町村長にむけた手紙。なんでも言いつけてほしい、所管外でも棺でもと。本気度を示すために、現場が遠慮しないように、異例の表現で思いを伝えたものらしい。手紙の主は、その後に事務次官になった徳山日出男さん。お名前は聞いたことがあったけど、震災当時にこんなことをされていたなんて、知らなかった。逆に、それほどの、未曾有の災害だったことが分かる手紙。

施設を出て、周辺から海側を望む。重機の出す金属音と、トラックのエンジン音がいつまでも耳から離れなかった。震災から、まだ7年しかたっていないことに気づく。

 

 

箱根山から感じる心地よさといったら

(つづき)

至福の朝食

宿泊した「箱根山テラス」は、宿泊滞在施設を通じて「木と人をいかす」「木と人の健やかな循環」がコンセプト。代表の建設会社社長が、木質バイオマスでの地域熱供給を進めていて、震災をきっかけに「地域内循環」の必要性を感じられ、新しい暮らしのあり方を創っていこうというもの。

めっっちゃ共感できる、これ。被災地だからこその要素もあるけど、民間でこんな動きがいろんなところで出てくると、日本はもっと面白くなるだろうなー。西粟倉村もそうだったけど、地域内循環は避けては通れないテーマ。

箱根山テラスのロビーにあるストーブはペレット。パンフレットによると、ペレットは薪割りが難しい暮らしの中でも安定的に使える木質資源。たしかに。そういう見方ができるなぁ。あと、屋根に雨水を貯めて、手押しポンプで汲み出せるようにしているらしい。

テラスから、カキで有名な広田湾のほうを望むと、スギが伐採されてるのが分かる。地元の方が間伐したらしく、森で過ごせる場づくりを進めてるんだそう。いいなぁ。めちゃんこ参考になる。

馬みたいな形のオブジェ(乗り物?)も見える

そして朝ごはんがめちゃくちゃおいしい。高いお店で食べるようなおいしさではなく、長年の経験に裏打ちされた、丁寧に丁寧に手作りされたってのが分かる、優しい味。何度も噛みたくなる、おかわりしたくなる味。朝ごはんにこそふさわしい。「旭川公園」も、こういうの目指したい。

朝食のメニュー

広大で高低差のある、名物ウッドデッキでコーヒーを飲むのもいいし、中のサンルームでゆっくり本を読むのもよし。もう本当に居心地がいい。たまらない。

二階はワークショップルームになっていて、地域の集まりにも使われるのだそう。コミュニティにもなっているのかも。いいなぁ。このブックシェアリングというか、まちなか文庫というか、本を持ち寄ったり開放したりする取り組み、「いいな」と思った地域や場ではけっこうな頻度で見かける。やっぱりコミュニケーションツールとして本は欠かせない。

スタッフの方もめちゃ温かくて、ぜひリピートしたくなった。これから山をおりて、津波被害を受けたまちなかへ。

(つづく)

那須から仙台経由、陸前高田ゆき

(つづき)

Chus(チャウス)で眼が覚めると、あたりは真っ暗だった昨夜とはまったく違う光景に驚いた。こんなにたくさんのショップが張り付いているなんて! しかもどれも、「丁寧な暮らし」が好きそうなお店ばかり。パッと見る限り11時開店のとこばかりだったので行けそうにはないけど、首都圏からわざわざ足を運ぶお客さんがいるのも頷ける。

憧れの上げ床式の花壇。ゲストハウス「旭川公園」でもいつかやりたい!ハーブとか植えたい!

昨晩も見た、小さな古本屋やさん。夜もいいけど、昼もいい。景色になっている

チャウスだけではない、人気のスコーンショップ「SHOZO」とか秀逸なショップがいくつもあわさって、一つの「景色」になってる。ここの場合はお店だけど、「ここに行けばなんか面白いできそう」と思わせる仕掛けとしては最高なクオリティだなぁと思った。

チェックアウトして、また東北道で仙台へ。ちょうど息継ぎするのに良かったのと、ぜひ見たい公園があったので。

あまりにも当たり前すぎて恐縮しちゃうくらいだけど、東北随一の繁華街・国分町に車を停めて、にぎわっている商店街の一角にある牛タン「利休」でランチ。なんか普通の旅行みたいになってきた。でも安定してうまい。

たくさん頼んで子どもが食べきれず、けっきょく自分がご飯を3杯くらいいただくことになってパンパンにお腹が膨らんだので、小走りで「肴町公園」を目指す。

肴町って、浜松にもあってよく行ったから懐かしいなぁ。ほどなくして到着。観光名所でもなんでもないけど、センス良さげな若い男子2人組や、若い子連れ数組が憩っていた。

実はここ、2016年に コーヒーやお菓子の屋台を並べて、ハンモックも置いて、ブランコのペンキ塗りワークショップもするイベントが開かれまして。代表の本郷さんという有名な方たちが、公園のような自然に人が集まる、セミパブリックな場所をつくろうとコーヒースタンドを作り、その流れでイベントも企画された。ひと気の少ない公共空間を活用しようという、公民連携の分野では知られた取り組み。

百葉箱をつかったライブラリー。子ども向けの本が手に取れる。これはやっぱ楽しい
SENDAI COFFEE STAND さんでコーヒーをいただく。チャイとかお菓子もある

 

で、コーヒーを飲みながら自分たちも一服してみた。百葉箱を使った文庫「フリーライブラリー」で次男が本を読みたがって泣きじゃくって、憩いどころじゃなかったけど。どんどん北上しないといけないので、許しておくれ。

後ろ髪を引かれながら一気に一関市まで東北道でいき、そこから延々と下道を通って、陸前高田に到着。峠を越えて、なかなか疲れる道中だったけど、真っ暗な中にも、この一帯が津波で更地になったことを感じさせるのには十分だった。工事中だと分かる自発光式のコーンに導かれる道路ばかりで、大きな大きな空き地が道の両側に広がっていた。

震災の爪痕は翌日見ることにして、とりあえず今宵の宿「箱根山テラス」へ。暗闇の中、急な山道をのぼってたどり着く、静謐な空間。貸切で、よけいに静かに感じられたのかも。チェックインしてまた車にのってご飯を食べ、きょうは早く寝て疲れを取ることにしようー。

このゲストハウス、この空間で一泊7000円ほど。地元の建設会社社長が、震災の後にエネルギーの循環の大切さを痛感して、「木と人を生かす」をコンセプトに始められた、すごいところ。詳細はまた次回に。                          (つづく)

 

ただのゲストハウスとちゃうChus(チャウス)

(つづき)

今回の旅は、全国的に有名なゲストハウスや施設をちょっとでもたくさん見てみようというのがテーマの一つ。一晩めの東京のゲストハウスはキャンセルになってしまったので、那須・黒磯のChus(チャウス)が実質的に第一号。

那須のごちそうを中心に地域の魅力を凝縮したことプラットホームという位置付けで、一階の直販コーナーでは地元産の野菜やら加工品、乳製品がこれでもかと並ぶ。泊まらなくても、地元の人がぶらりとデイリーユースできる感じ。雑貨や化粧品は地元に限らず、全国のいいものを揃えてるので、地元の人にとっていい場所に違いない! 日用品店の役割も兼ねているらしいから、なるほどそうか!と。クッキーのようなお菓子で人気の「バターのいとこ」も置いてあって、すごい人気ぶりだった。いいものに包まれてる感が尋常じゃない。

どっちかというと、物販スペースやレストランを楽しんで、その上にゲストハウスがくっついてる、っていうのが近いかもしれない。受付(レセプション)も物販・レストランのレジでスタッフにお願いする形になってる。

生産者と始めたマルシェに端を発しただけあって、直売コーナーの充実ぶりには目を見張る。しかもおしゃれ。

外観からおしゃれ。周囲に似たようなショップが多く、駐車場も一目では分からないので、日が暮れてから到着するときは調べておいた方がよいかも。

物販スペースの横からのびる階段を上がると、宿泊者専用のフロアになる。この動線だと、絶対に一階で売っているものをなんかしら欲しくなってくるのが不思議。「この上で寝るんだ!」というマインドに無意識になっているのかも。

階段をあがると、ミニラウンジのようなスペースが現れる。ここも当然おしゃれ。思い出ノートが置かれているけど、これも当然しゃれている。食事や空間を絶賛するコメントがあふれておりました。

ドミトリーだと思い込んでいたけど、案内されたのは個室。やったー。当然おしゃれで、子どもは当然のように大はしゃぎで階段をのぼって「おーい!」とやる。案内してくれた方は「ロフトつくったらお子さんが喜ぶかなーと、思いつきでつくりました」と控えめに言っていたけど、この部屋だけじゃなくて、ちゃんと子連れ家族のことも考え抜かれた空間になってた。アメニティも安心できる、上質なものばかり。

 

3階が共同スペースとしてのラウンジになっていて、ゆったりとしたソファでうたたねするのもよし、作業するのもよし。カウンターには小さな冷蔵庫があって、ビール(ハートランド)やジュースが置いてある。野菜の無人販売所みらいに、ざるの中に小銭を投じるスタイル。これはいい!真似させてもらおうかなー。

朝は、前の晩にご飯を食べたレストランと同じ場所。ちょっと雰囲気を変えて、二階のイスに陣取ることに。

二階からの眺めも良い良い

グラノーラ、旭川公園の参考にしよー

(つづく)

恩人の皆さんに会う東京から、那須・黒磯へ

(つづき)

一日遅れの東京ステイ。夜は日本橋にある「住庄ほてる」という、一階に料理屋のある宿に泊まり、遅めに出発した。コインパーキングが5100円と表示されて吹きそうになるのをこらえ、代々木方面へお出かけ。11時半に、京王線・笹塚駅近くでランチの予定があるのです。

その前に、溜まり溜まった家族5人分の服を洗濯できるところがないか、探索。ネットで調べると笹塚駅の近くでコインランドリーが5軒くらいあったけど、臨時休業だったり、洗濯機と乾燥機が分かれていたり(一回店に戻らないといけない)、全部埋まっていたりして、1時間ほどグルグル回っても見つからず。都内だから簡単に見つかると思いきや、こんな大変だったとは。子連れで旅行する時はランドリー探しはほんと重要・・・。

あっという間に11時半になり、デニーズに入店。慶応大の学生時代、広告やジャーナリズムを学ぶ「メディア・コミュニケーション研究所」というところに所属していまして。そこでお世話になった、博報堂出身の升野龍男さんと俶さんご夫妻に久々にお会いすることに。

俶さんと長女・七海

升野さんはブリヂストン「タイヤは命を乗せている」AGF「コーヒーは香りの手紙です」など名コピーを数々編み出し、紙おむつ「ムーニーちゃん」の開発もしたコピーライターで、最近では熊本市のシティブランディングを手がけていらっしゃる。70才半ばとは思えないほど、10年前と変わらぬ快活さと明晰さで圧倒される。俶さんにも学生時代、そして卒業してからも気にかけてくださり、フォトグラファーとして動いていらっしゃる。いつかはこうなりたい・・・と思える、全人類にとってお手本のような素敵なご夫婦です。2人の周りにはいつも、ソフトで透明感ある空気が漂っている感じがする。心酔する教え子多数。

お昼を食べながらお話ししたあとは、大崎に移動して、写真関係でお世話になった方とお茶。関次さんは自分が写真を熱心にやっていた学生のころ、レイル・マガジン編集部の名取紀之編集長(当時)と一緒に仕事をさせていただいた縁で、ずっとお世話になっていて、いつも気にかけてくださってる。北海道を舞台にして、その方は仕事でいろいろ絡んでいるので、今後もっと楽しくなりそうーと直感。

東京の大学に行ってよかったなーと思うし、まだご縁が続いているのってほんと幸せ。もし自分の子どもが将来「北海道を出てみたい」と言ったら喜んで出そう(出せる余裕があるのか不安だけど!)

大崎でお別れしたあとは、今宵の宿がある栃木県の那須・黒磯へ東北道をひた走る。東北道、久々すぎてテンション上がってしまい、学生のころ度々行った青森ドライブを思い出す。途中、休憩で寄った佐野サービスエリアのトイレでは、センスある飾り物がいっぱいあって、ほっこり。これだけでも旅の小さくない印象になるなぁ。

手洗い場では秋を感じさせる置き飾りが

19時すぎには、那須塩原市のChus(チャウス)という、すごいゲストハウスに到着。この業界では全国区で、一度は見ておきたいところだった。周囲は暗くてよくわからないけど、ただものではない感じのショップが並んでいる。

小さな古本屋さん
実は衣料品店のこちら。エントランスには農家さんの野菜が置かれている!
有名なスコーンショップ「SHOZO」

続きは次回に。。。                                 (つづく)

写真の楽しさを思い出す新宿からきりたんぽの四ツ谷まで

開拓の地・北海道へ向かう北上の旅が始まった。

東名の磐田インターから東京方面へ。順調に進んだけど、首都高が大渋滞。自分は11時に新宿で約束があるので、横浜青葉インターで降り、東急田園都市線に乗り換えることに。

待ち合わせ場所は、新宿のリコーイメージングスクエア。

 

1960年代の地方私鉄を撮りためた風間克美さんの写真展の会場になっていて、ここで学生時代にお世話になった名取紀之さんと落ち合い、近くのレストランで近況報告を。名取さんはレイル・マガジン編集部でアルバイトしていた時の編集長で、業界では大変知られた方でいらっしゃる。いまは鉄道図書出版の「OFFICE  NATORI」で仕事をされている。

そこで拝見したのがこの本。名取さんが手がけられた、「C62重連 最後の冬ー「ニセコ」を追った21日間ー」。

国鉄広報部の専属カメラマンだった荒川好夫さんによる記録。1971年の厳冬期、3クール21日間にわたって、函館山線を走った「ニセコ」の勇姿をおさめたもの。

静謐な画面にもSLの生命力が溢れる写真が並び、しばらくページをめくると、時刻とともに「ニセコ」の動きを文章で添える。出庫準備、小樽出発、長万部(おしゃまんべ)到着と要所要所で機関車や機関士、周囲の空気を織り込んでいく。ロードムービーのような仕立てになっていて、生き物かのような蒸機(SL)の鼓動と、それを動かす人たちの動きが、胸に迫ってくる。

この後千葉市に移動。千葉都市モノレールの「千葉公園」からすぐのところにある、「椿森コムナ」(http://tsubakimorikomuna.com/about/)という素敵空間があり、そこを視察するために!

入る時は裏口からになってしまったけど、周りは普通の、けっこう密集した住宅地

面から入ると分かりやすいけど、わが一行は迷ってしまい、裏口から入ることに。所狭しと一軒家やアパート・マンションが建ち並んでいるエリアで、この特殊な空間を見つけたときは、メイがトトロの棲家に迷い込んだ時のようなときめきを覚えるものでありました。

中はとにかくすごいクオリティの構造物がならんでいた。ツリーハウスも登るたびに大きく太い幹に触れるし、建てつけがしっかりしていて、急階段だけ注意すれば安心して子どもを遊ばせられる。ハンモックも上質で、ドリンクスタンドやトイレの小屋もしゃれてる!

コムナとは、エスペラント語で「共有」を意味するらしい。プロデュースしたのは、グッドデザイン賞に何度も輝いている地元の住宅設計会社で、米・ポートランドのまちづくりを参考にして空間をつくったとのこと。住宅街に残った小さな森をいかし、廃屋とか建築現場の残材も組み合わせて、みんなが集えるコミュニティをつくった。すてき!

気持ちが満たされたあとは、東京・四ツ谷の秋田料理屋「太平山酒蔵」で晩ごはん。学生時代からかれこれ15年弱通っていて、社長の高橋ご夫妻に退職と移住のご報告を。今日もおいしいきりたんぽ鍋と、セリのお浸しと、稲庭うどんなどなどでした。

長い1日。文章もダラダラ長く、すみません。。(つづく)

ドタバタの引っ越し&最後の夏休み

ドタバタしない引っ越しなんて経験したことないけど、今回ばかりはすごく特殊なケース。

前日になっても搬入日が決まらないまま、荷出しの10月5日がやってきた。

こちらも梱包が終わってなかったので偉そうなことは言えないけど、5日になって業者からようやく「12日になりました」と連絡が入った。

午後2時からの荷出し予定だったけど、午前中の現場が遅れたとかで到着は夕方5時に。現場のお兄さんたちはすごく気持ちの良い人で一生懸命やってくれたけど、いかんせん2人しかいない。これじゃあ、どうしたって遅れるよね。

普通に運び出せば2時間、最長でも3時間と聞いていて、マンションの部屋のオーナーの立ち会いをお願いしていたけど、「なんだ。全然だめだな、これ」と捨てゼリフを吐かれて流れてしまい、けっきょく作業が終わったのは23時5分。

この日は東京のゲストハウスで勉強する予定だったけど、途中の段階でレイトチェックアウト(+1000円)の25時も間に合わないことがわかって、泣く泣くキャンセル。

こういう時に頼れるのは、気のおけない友達しかいない。磐田に住む尾高家に夜9時すぎ。「ゲストハウスだめだったら、泊めてくれない・・・?」と妻から。みなちゃんは二つ返事でオッケーしてくれ、日付が変わったころに押しかけてしまいました。おつまみとゴミ袋をお土産に💦

けっこうぺちゃくちゃしゃべり、自分はソファーで寝させてもらって、翌朝は8時前に出発!わざわざ朝ごはんまで作ってもらって・・・。ありがとー。これから人生最後の夏休み、いってきます!

尾高家で記念写真

掛川で、「互産互消」のポテンシャルを知る

(左から)佐野デスク、筆者の松本、佐藤さん

「地産地消」ってもはや聞き飽きた感があって、ゲストハウスの食事や使う木材の話をするときも、自分からはあんまり言わないようにしている。もう市民権を得た言葉だし、本来は当たり前のことなので。。。

この地産地消に比肩するというか、むしろ新しい言葉に出会ったのが9月中ごろ。会社の大先輩の佐野デスクと飲んだとき、「互産互消を静岡と北海道でやっている人がいる。松本さんにぴったりだと思うので、会いに行きましょう!」とおっしゃった。すぐに盛り上がり、紹介してもらうことが決まった。

互産互消という言葉はこの時初めて聞いたけど、イメージはすぐ湧いた。自治体間でよくあるナントカ協定とかではなく、民間レベルで商いや人の流れをつくろうというもの。いちいち東京を介さない、ローカルtoローカル。それぞれの生活文化をシェアしあう感じ。しかも静岡×北海道ときた。

で、静岡県で大規模停電があった次の日の10月2日、掛川に「合同会社  互産互消機構」の佐藤雄一さんを訪ねた。もちろん、佐野デスクと一緒に。

佐藤さんからは商慣習の類似点、商圏、静岡にかけられている期待、互いのマーケットから見た潜在ニーズ、サイクルツーリズムの可能性などなどうかがった。旭川では深く事業展開をしていないようで、今後、連携できることを探っていきましょう!となった。新しいご縁もいただいた。楽しみー。

事務所を出たあとは、掛川駅の近くの粋な居酒屋「酒楽」で一献。 漁師さんから直接仕入れてるらしい刺し身がめちゃんこ美味。毎日でも通いたい飲み屋に、久し振りに出会えた。ごちそうさまでした!

 

 

管理棟の絵が見えてきた!

10月2日は松本憲さんの事務所で打ち合わせ。コンテナハウスが頓挫して、住宅(兼 管理棟)も憲さんのところでほかの建物と同様にお願いすると決まったのが9月25日、コンテナハウスのメーカーと破談になったのがその2日前だから、なんという、恐ろしいほどのスピード感! 睡眠時間やお子さんとの時間を削って仕上げてくれたであろう、奥さんのしのちゃん、憲ちゃん、所長、ありがとうございます💦

提示されたのは、この図面。

図面のほんの一部

「どうですか?」と言われて、もう「どうもこうもありません」と答えるのがやっと。限られた敷地と予算、「旭川公園」全体の世界観との統一性をぜんぶ満足してくれて、動線やレイアウトも素敵すぎて・・・。

よく、「期待以上、言われた以上のことをしてこそ仕事」みたいに言うけど、それを字でいくようなクオリティの仕事に脱帽&感激!組む相手によって、こうも違うものなのか…。

お気に入りのポイントはいくつかあるけど、一番大きいのはリビングからの景色と、宿泊棟・広場との動線。

景色といっても絶景があるわけじゃないけど、ご近所の家の向こうにそびえる大雪山の方向に、出入り口にもなるリビングの大きな窓があって、それが空き地を向いていて。なおかつ、ウッドデッキを(すぐじゃなくてもいつか)設けることで隣接する宿泊棟からのアクセスがしやすくなるし、デザイン的にもつながりを感じやすい。

それに、ペレットストーブの配置や小上がりの和室も最高の。これが、宿泊棟・広場から(カーテン閉めてない時に見ようと思えば)見えるようになっている。

直前の25日の打ち合わせでは、あくまで平屋にして、2階部分は将来的にロフトのようなものを設けられるような余地を残しておこう、という方向でまとまったけど、所長の方からは「一番大事な予算のことはあるけど、どうせなら最初から入れるプランにしました」と説明をいただいた。2段ベッドを置けて、ゆくゆくは子どもの机を置けるようなスペースや納戸やらを、秘密基地のように控えめに配置する提案をしてもらい、「そりゃあもう、2階はあったほうがいいに決まってますので」と即決。

すごく効率的で機能的なレイアウトで、狭小住宅ならではの「小さな暮らし」ができそう。これなら楽しくモノを減らせるし、減らした甲斐があったなぁ。これは〝間違いない管理棟〟になりそうだわ🤗