コンテナハウスは夢のまま幻に

9月23日朝10時すぎ、旅行先の金沢。コインランドリーで洗濯物を放り込もうとしたら、スマホが鳴った。今年春から相談をしていた、八王子にあるコンテナハウスのメーカー社長からだった。

今回のゲストハウス計画は、全体で5つもの建物を1つの敷地に建てるので、建築基準法上、なかなかやっかいなパターンだった。複数のものを同時に同じ敷地に造ることができないので、住宅を管理棟として位置付けて、そのほかと従属関係を持たせないとクリアできない。だから、住宅とそのほかの部分で設計者が違うと、誰か代表を置いて市役所に申請を出さないといけない。誰でも好んでやってくれるわけじゃない。だから一緒に楽しんでくれる人とやらないといけない。

その住宅をコンテナ(海上輸送コンテナではなくて、建築用のコンテナ型重量鉄骨)で建てようと思って、ずっと計画を練ってきた。でも、担当の人ががなかなかこちらの意図や事情を理解・伝達してくれず、数ヶ月単位で時間だけが過ぎていき、設計にも全然話を通しておらず、あまり意味のない打ち合わせをすることもあった。そのたびに、八王子まで片道3時間以上かけてお邪魔していた。

電話をくれたその社長はステキな理念をお持ちで、推進力があり、おもしろがる能力に秀でていて、正直かなり惹かれていた。でもその社長には、土地利用の事情がきちんと伝わっていなかったようで、この時の電話では「こちらは特殊な工法でコンテナハウスを造るので、守秘義務のこともあって、ほかの設計者と組むことはできない。住宅とそのほかの部分とを分けて申請すると思っていたけど、今回のような形なら協力はできない」ということだった。

え?   それ、いま言う?

ここ一週間くらいで担当の方が社長にケツを叩かれてやっと動き出したと思ったら、組織内でぜんぜん認識が共有されていないことがだんだん分かってきた。前日22日も「え?それ今までに言ってますよね?」ということを電話で何度も聞かれ、挙げ句の果てには「いま言ったことをメールでまた送ってほしい」と訳の分からないことをおっしゃる。そのたびに、長い、長いメールを送らないといけない。

思わず乾燥機を蹴飛ばしたくなって、関係各所に「コンテナハウスがダメになった」と連絡。

間違いなく、これまでで最大のピンチであります。

住宅が建てられなければ、開業はできない。これまで、雪が降る前に基礎を打つというスケジュールでやってきて、それを信頼し、見越して退職時期を決め、いろんなことを調整してきた。それが全部、振り出しに戻ったかたち。

担当の方は、こちらが金沢や名古屋にいる間、二度浜松に足を運び、詫びを言いたかったみたいだけど、一からやり直さすために動かないといけないので、当然そんな時間もなく。メールでいろいろと苦言を言っても、「お優しい言葉、有難うございます」と来て、あーほんとに伝わらないことってあるんだなぁ、としみじみ。これまでのモヤモヤが妙に納得できたし、「多分この方は、一応こっちの人生もかかっていたプロジェクトなんだと理解されることはないんだろうな」と確信。こちらに甘さがあったし、「なんかおかしい」と感じた時に、方針転換しておくべきだった。

まぁなんかやろうと思えば、予想外にいろんなことがある。そのたびに自分も試される。いい勉強にはなった。

そしてこの話がおもしろいのは、これで気分が沈んだままにならなかったこと。すぐに信頼できる仲間と前を向いて、新しく最良の道を見つけることができた。(つづく)

 

 

 

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