足りなくなると、考えるようになる

こないだ行った旭川では、道路が陥没するとか、何かが倒れるとか、地震による目に見える被害というのは全くなかった。震源地から遠いこともあって、発災後にしばらく停電したくらい。農業とか工業ではひどい影響もあったけど、それもやっぱり電力不足に起因するものだった。列車の運休も甚大になった。

ゲストハウス「旭川公園」最寄りの永山駅で。こんな張り紙を発見。まだまだ大変だ

この電力不足がなかなかに深刻で、札幌駅のコンコースは昼なお暗い感じだったし、旭川のまちなかの店では、至る所で上のローソンの写真みたいな張り紙がしてあった。

でもふと思った。本当にコンビニって24時間営業しないといけないのか。飲み物の自動販売機ってあんなに煌々と存在感を主張しないといけないのか。

「それがお客さんの求めていることだから」と言われたら返しにくいけど、だったら客側も変わった方がいいのかなと。東北の震災で、けっこうみんな痛感したことだけど。

いつ店に行っても営業してるから買うわけで。でも、その営業を支えるために、膨大なロスが生じている。エネルギーも、食べ物も、労働力も。ローソンでは、キンキンに冷えた陳列棚でお弁当やオニギリが客を待っていた。もう、ほとんど平時に戻っているので、この弁当とオニギリの争奪戦が繰り広げられるわけじゃない。きっと売れ残るんだろう。それを消費者は、いまどき良しとするのかしら。

電気が止まったのなら、これまでの「普通」をちょっと角度を変えてみるのも案外楽しい。

いま住んでる浜松でも、台風24号が過ぎ去った10月1日の朝、広範囲に停電して信号が至る所で消えていた。いつも「青」をめがけてセカセカ通りすぎるだけの交差点だけど、みんな徐行して、ドライバー同士がお互いの目を見て、譲り合っていた。わずらわしいし、それどころじゃない人が多い状況ではあるけど、大事なことだなと思う。

 

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