旭川にゲストハウスをつくる3つの理由② 最初の挫折

北海道で人生の大逆転を狙おうと思ったはいいものの、悩んだのが場所選び。180近い市町村があって、良さげな自治体をしらみつぶしに調べていった。

条件はJRの駅があること。競合が多くないこと。空港から3時間以上かからないこと。通える学校があること。病院があること。

今や「くらしごと」みたいな、センスのいい道内の移住情報を紹介するサイトも多く、情報収集はそんなに苦労しなかった。ただ、条件に合うものを絞っていくのに時間がかかり、最初にヒットしたのが、沼田町というところだった。

旭川から45分、深川から20分ほど(確か)、留萌本線が通っていて今はその終着駅は留萌。その先の留萌~増毛が廃線になったばっかりのことは知っていたけど、沿線については全然知識も印象もなかった。

調べてみると、豪雪地帯で、「天然の冷蔵庫」「現代の雪室」とも言うべき、雪を活用した貯蔵施設が普及していた。雪で寝かせて一年中が「新米」と売り出せる雪中米とか、同じようにした酒、農産物とかが人気。〝寝かせる文化〟があり、「発酵」にも通じるな、と気になってどんどん興味がわいた。ネットで石狩沼田駅を見ると、乗降に使っていないホームがあって、コンテナのゲストハウスを置くのにぴったり!ときた。待合室も、交流スペースにふさわしい風情。

旭川から沼田町への道中。石狩沼田駅での、とんでもない着雪がある列車の写真とか、いろいろ消えてしまった

さっそく一カ月後の2月25日に家族5人+(なぜか)おかんで沼田町に行き、視察。役場で「駅活」のプレゼンをして、教育委員会に小中学校を案内してもらい、検討を深めていった。JR北海道本社にもお邪魔して、協力をお願いした。

でも、話は進むどころか、すぐ暗雲が立ちこめた。

まず、特別支援学校に通っている長男の大滋(中1)の受け入れが、事実上不可能で、原則的に60キロ離れた美唄市まで送り迎えする必要がでてきた。

それに、ゲストハウスをやる上で当時一番重視していた、駅ホームの活用が厳しい状況だった。留萌本線はものすごい赤字を抱え、老朽化した設備の維持更新ものしかかる。JRとしてはバス転換を訴えているものの、地元との協議には入れていなかった。しかもこれといった打開策・妙案もない。よくある話だけど、1つの自治体だけでは動けず、事実上、膠着状態になっていた。この厳しさは想定していたものの、沿線自治体はまったく動きがなく、現実的ではないと思って、なくなく断念したのでした。

ただ、ここで大きな収穫があった。面白いローカル資源はどこでも掘ればいくらでもあるし、なにより、何がやりたいのか輪郭が少しずつ明確になってきたことが大きかった。

沼田の場合は駅がキーワード。公共空間、メディアとしてもっとも好きな場所。これを豊かに彩りたい、いろんな人がまじって楽しくしたい、子ども達がふるさとを「いいな」と思えるきっかけにしたい・・・。「公民連携」というとおおげさかもしれないけれど、公共の空間に、自分のアイデアや「いいな」と思うものを加えて、みんなの力でデザインしていくプロセスにこそ興味があるんだと思い知った。そして、その思いがなぜ強いのかを認識することができた。

これまで10年間、新聞記者として取材したきた中で、少なからず心を揺さぶられる経験があった。まさにそれが、「多くの人が混じり合い、公共空間を豊かにしたい」という自分の価値観をつくっていた。                      (つづく)

 

旭川にゲストハウスをつくる3つの理由① 原体験としての卒業旅行

 

ユースホステルで開いた氷上運動会。スノーモービルを押す競争(だったかな)

なんで北海道?」「なんか北海道にゆかりあるの?」って、しょちゅう聞かれる。

そりゃそうか。突拍子もないような印象を持たれるけど、実はちゃんと理由があって、それは高校生時代にさかのぼる。

2年生の時だったはずだけど、旅行委員というのをやっていた。自由・自主・自律を校訓とするだけあって、卒業旅行の内容を自分たちで考えてみて、というミッションがあった。

旅行好きの自分は嬉しすぎて調べに調べ、どうすれば地元の人と交流できるか、安くなるかとか旅程をまとめて提案した。

でも、あらかじめプランが業者と先生の間で決まっているかのようで、どんな提案も一顧だにされない。もっと安くなるはずのフライト、面白くなるはずのコンテンツがあるのに。大手旅行会社がいかにも得意とするような、ありきたり、商業的なプランになった。なんにも新しくないし、定食みたいだった。完全に大人の都合で組み立てられた旅行で、こんなんで「学を修めることなんてムリ」と猛反発した。保護者から吸い上げたお金を搾取して10万近くとられて、怒り心頭だった。なめられた、一生この旅行社は使わない。

あまりにもムカついたので、じゃあ自分でやろうと、3年生のときに「卒業旅行」を企画した。

地元の人と交わり、ちゃんと空気を吸って、体で北海道を感じる旅。商業的な旅行ではなくて、ほんとに自分たちが楽しめるコンテンツを目指した。修学旅行ではできない旅を自分の手でつくろう。

自分の大学受験はほぼ諦め、授業中も北海道の資料を積み上げて勉強していた。なんどもノートにプラン案を練っては、休み時間に宿や観光協会に電話する。航空機や大きなホテルは大手旅行会社のほうが安くなるので、JTBさんに手配してもらい、破格の取り扱い料金(利益)でやってもらえるように交渉した。すべて大型ホテルに泊まるような提案もあったけど、ユースホステルにこだわって、JTBさんの信用も使わせてもらって、各地と直に相談。取り扱い料金は、修学旅行を担当した某社の半分くらい。某社はほぼぼったくりだったけど、教育旅行の闇を垣間見た気がしたなあ。

国立大学の後期試験の数日後に大阪を出発するプランで、教員の引率もつかないので、学校側や一部の保護者から反発があり、手紙を書いたり直接話したりして説得。受験で不安になってるクラスメートにも説得した。(今思えばけっこう強引だったけど)

そんなこんなで2002年3月17日、大阪駅を出発。特急「雷鳥」に乗って敦賀へ行き、フェリーで苫小牧に入ってトマムリゾート泊、翌日はスーパーおおぞらで釧路にいき、SL「冬の湿原号」に乗って屈斜路湖に向かい、ユースゲストハウスへ。オーナーの和さんと、ギターをききながら語りあい自然との向き合い方を学んだり、クロスカントリーをしたり。次の日は知床斜里方面にでて、ディープな店で鹿の精液をのんだり熊肉を食べたりして、小清水ユースホテルで「氷上運動会」をした。帰りは旭川空港から大阪に戻った。料金は修学旅行の半額くらい。

ユースホステルで開いた、氷上運動会のバレーボール

33人が参加してくれ、号泣するほど感動的な達成感があった。絶景よりも、地域の人と交流することにこそ旅の喜びがあった。この時からずっとメールアドレスは、vivahokkaido.specialthanksを使ってる。なんとなく、北海道にみんなが集まれる拠点をつくりたい、って思った。

自分の原体験のようなもので、33年間の人生でこれを上回るドキドキ体験はいまだにない。

新聞記者を辞めて新しい生き方を考えてるときに、自分のこれまでの人生を棚卸しした。やっぱり、この卒業旅行が一番大きな、圧倒的な存在感があった。これを超えるような、ドキドキ、ワクワクした人生をおくりたい、そうじゃないとモヤモヤは消えないと確信。家族には迷惑なはなしだけど、移住先は北海道しか考えられなかった。      (つづく)

 

 

Zは北海道に勝てなかった。偏愛こそバイタリティー

会社に入って2年目か3年目のとき。24歳で、日産のフェアレディZ version NISMOを男の60回ローンで買った。

すんなりと手に入ったわけじゃなかった。

はじめ、愛知から新幹線に乗って静岡市の日産にいったら、「頭金19万円では審査できない」と言われ、居酒屋でイルカの肉を食べながら泣いた(ほんとに)。

悔しくてたまらず、カップ麺生活で半年で150万円ためて、東京・葛西に買いに行った。総額432万円。脂汗がでそうになったけど、ハンコを押した。

学生時代にカタログを見て稲妻が走り、富士スピードウェイのイベントで現物を見て震え、やっとこさ、マイ・フェアレディ(貴婦人)にたどり着いた。人生で2番目に強い幸福感に浸った。

けっこう面白いというか、わりと強烈な、こんな経緯があったから、フェアレディZには特別な思いがあった。間違いなくファン。そして、こんなクルマを今の時代もつくってる会社、ってことで日産のファンにもなった。株も買った。

自分には偏愛的な要素がけっこうある、と自覚はしてる。

だから書店でこの本を取ったとき、「これを読まずして、どうして遊びにきてくれたゲストをファンにできるのか!」と直感的に思った。

佐藤尚之(さとなお)さんの「ファンベース」(ちくま新書)

一気に読了した。

ファン=企業・商品の価値を支持する人。これをいかに大切にするか、ということを、たくさんの事例とご経験で、やさしく教えてくれる。

▪テレビ・新聞といった「マス」で一方的に広告を打つ時代じゃない。新規顧客を狙うアプローチだけでは売り上げを増やすのは難しい。

少数のファンが売り上げの大半を占める。

▪情報とモノがこんなにあふれていて、瞬間的に認知されてもすぐに人は忘れる。

▪検索を活用している人は、ほぼ東京に一極集中している。東京は別の国

▪ファンがおススメしたくなる、言いたくなる状況をつくる

▪友人とは価値観の近い人。友人のオススメは最強メディア

▪ファンと一緒に、時間と手間をかけてコミュニティを熟成させていく作業は楽しいものだということ。それはすてきな人間関係をつくることだから、と。

ファンは20%と考える。少数。「全員にファンになってもらいたい」と望むのが一番の間違い。全員に好かれようとすると、全員を失う

▪差別化こそが大切な価値だった時代は過ぎ去ろうとしている。今はもっと体験価値

や情緒価値に注目する必要がある。

▪モノの背景に「人」がいることをどうやって感じさせるか。

▪SNSの企業アカウントは、一方的なおしらせに終始するのがほとんど。もっと根本的考え方、創業者の志、努力や失敗を投稿すべき。それらを継続することで、何を考え、何を目指しているのかが生活者に伝わるようになる

▪モノには物質的価値と精神的価値があるが、どんなビジネスでも精神的価値を提供することの重要性が高まっている(スノーピーク社長)

メモメモ。

そして、最終章の言葉もグッときた。

「あえてキレイゴトを言うが、あなたは人生において何を大切にするのかというを試されているとボクは思う。何のために会社に入り、何のために仕事をし、何のために生活者にその商品を売っているか」

まさに、人生で何を大切にするのか、ここ数年間考え続けてきた。

家族と向き合い、子どものために「地元」をつくり、どこかに根を張って、自分の力で生きてみたい。北海道への卒業旅行を脇目も振らずつくりあげた、高校3年の1年間を超える、ワクワク・ドキドキを日々楽しみたい。

18歳の冬に、間違いなく自分は北海道のファンになった。

今度は大好きなそこを舞台にして、ファンのつくりかたを勉強して、というか楽しんで、ファンを増やしたい。

フェアレディZはゴールデンウィークに手放した。泣いて手放した。

ゲストハウス計画に、いろんなものを集中させないといけないし、ファンとしての熱狂度で比べたら、Zより遥かに「北海道」だった。そこは迷わなかった。

でも、まちでZを見かけたらザワザワする。10年か15年くらい後には、買い戻してやろうと思う。北海道には叶わなくても、ずっとファンでいたい。

旭川の動物園が全国発信する、マジメないのちの話。

◆「旭山」を全国区にした飼育員さん

水を得たホッキョクグマがフサフサの白い毛をゆするように泳ぎ、ペンギンが氷の上をスタスタ歩き、アザラシがクルクルと狭い円形水槽を動き回る。そんな映像が全国のお茶の間に流れて、旭川市の旭山動物園は一躍、全国区になった。

旭川に興味なくても、旭山動物園に入ってみたい、って人は多いだろうし、ゴールデンウィークも旭川駅から動物園に行くバスの乗り場はすごい列ができてた。宿の人も、まず間違いなく「動物園みにきたの?」と聞いてくる。

一時は閉園がささやかれながら、徹底したお客さま目線に切り替え、つねにチャレンジする集団を育てたのが、前園長の小菅正夫(こすげ・まさお)さん。

わざわざ浜松に来られ、22日に地元信金の「浜松を元気にするセミナー」で講演された。本はたくさん書いていらっしゃる。生で拝見したのは初めて。

日本最北の小さな動物園。動物の種類で比べたら上野動物園の4分の1しかいない。50年ほど前の開園時の人口は30万人ほどだったとか。それでも日本一になり、来場300万人を成し遂げた。めちゃくちゃすごい方です。旭川の至宝!!

◆危機感からチャレンジの集団に

開園してしばらくは順調に客足はのびたものの、遊園地が全国に増えて家族連れがでかける選択肢が増え、数字が減ってきた。市の幹部も、廃園を匂わすようになってきて、小菅さんはすぐさま動いた。

飼育係として目の前の動物ばかり見てきたけれど、あまりの危機感から、お客さんがなにをみて、どうしたいのかを考えるようになったらしい。

「このまま同じことをしてたら、絶対になくなる。すべてがチャレンジ。考えてやるんではなくて、考えながらやる集団になっていた」と振り返ってらした。

で、どういう風にして考えを深めたのか。

◆原点回帰・・・どんな動物園にしたいのか?

動物園の歴史は3000年あるそうで、近代動物園からの役割を整理。

教育、自然保護、研究に加えてあるのが、「娯楽」だった。

娯楽といってもパチンコじゃないし、これを小菅さんは人間性回復=レクリエーションと場、ってとらえ直し、動物と一緒にいることに幸せを感じる人じゃないと野生動物を守れない、だからそういう人を増やしていかないといけない、と。だから野生動物の魅力を伝えて、野生動物の味方をつくる、と。だから、一番大きな目標は、「俺たちが野生動物を守り、地球を救うのだ!」というのにたどり着いたんだって。

それを意識して口に出す。「継続するやる気は、壮大な使命感から」

壮大だと終わりがない。だから続く。深い。

理論なくして社会は認知しない。理論なくして活動する信念は生まれない。でも理論だけでは人は動かない」。めちゃくちゃ刺さる!

◆理念を実現すべくうまれた「行動展示」

来園者アンケートで、問題点を把握。動物が動かない、人間が見てるだけ、っていうところに不満があったと分かったので、見せていく。魅力がわかるように見てもらおう。ここから有名な「行動展示」の発想がうまれた。

アムールヒョウは狩りをするところを見せた。「姿、形ではない。暮らしを見せるぞ!」って小菅さんは考えたらしい。カバが水中でジャンプし、ペンギンは水中のトレーに乗せたエサをついばむなんていう、みんなが驚く動きも発見できた。まだまだニンゲンは、動物のことを知らない。

「条例に違反する」と市当局が反対した、冬の朝の開園は「やってみなきゃわからん」と続けて数字を伸ばした。日中とは全然違う動物の行動と表情がみれて、大人気に。マイナス数十度でも関係ないんです

◆こんな管理職って理想

行動力と発想はすごすぎるけど、マネジメント力もすごい。

1人のリーダーが声をあげても組織は動かないので、全員がそれぞれ得意なことで、できることをする、と意識改革をされた。動物園を「メディア」として、一人一人が自分の考え方・発想で発信することを重視したそう。

結論をだすための会議のルールがあるそうな。①提案されて、反対する人は必ず意見を言う。沈黙=賛成。一番よくないのは、後になって失敗しそうになって「だから言ったろ」って言うこと ②多数決には従う

◆まだまだやれそう

行動展示は訪日客にも人気で、現園長は「これからは、海外の人に日本や北海道の動物を紹介する役割も重要。海外からの来園者はヒグマなど北海道の動物をよく見ている」「海外も意識し、こまめに情報発信していくことも大切。周辺地域を組み合わせた体験型観光も企画してみたい」と朝日新聞のインタビューに答えてる。

ゲストハウスの予定地から旭山動物園までは、わずか7km。

どの宿泊施設も動物園を意識してるので、あえて深く見てなかったけど、いろいろできそうな気がしてきた。ただ見て楽しい、ではなくて、動物園が本当に目指してるのはなんなのか、その「コト」を伝えられるようにしたいなー。

暮らしを見せれば喜んでくれる、っていうのは人間だけじゃないんだなー。ゲストハウスに来たら、動物の「普段着の暮らし」もわかる、って言えるくらい勉強しよ。

動物にとっての暮らしは、いのちそのもの。動物園って、深い

そもそもこの日の講演会、当直明けに職場から解放されてドンピシャの時間にスタート。まさに自分のためにあるようなもので、一方的に運命を感じてる。

髭剃ってスーツに着替えていったけど、名刺交換すらできなったのが残念すぎる。北海道でまたお会いしたい

行ったり来たり、のハイブリッドは楽しい

黄色い★マークが、旭川市永山1条のゲストハウス予定地。ちなみに、画像の下中央にあるGoogleのGの字あたりが、旭山動物園

仕事で新聞原稿をつくるときは会社から貸与されたノートPCを使って、移住&ゲストハウスのための作業は、買ったばかりの中古iPad Airを使ってと、慣れない作業に悪戦苦闘する毎日。

キーボードの並び違い、カーソルのあるなしとかいろいろ違っていてストレスがたまる。パワーポイントの資料をつくるときも、古いバージョンだとiPadで編集できなくて、ほぼ一から作り直したりして、うんざりすることもいっぱい。

でもこのまま会社員を続けてたら、ひょっとしたらiPadなんて買ってなかったかもしれないし、便利なアプリを知ることもなかったので、チャンスと刺激がたくさん舞い込んできた感じはする。うん、それは間違いない。

カメラだとデジタルとアナログのフィルム。クルマだとMTとオートマ、国産車か輸入車かで操作は真逆になる。せっかくなので両方とも楽しみたいって思っちゃう。

まちもそう。

初任地の瀬戸支局で担当した長久手町(当時。いまは長久手市)は、東西できれいに「農村」と「都市」が分かれていて、どっちも楽しめるハイブリッドなまちをつくってた。だから「農村と都市の交流」というアイデアもでてきて、直売所「あぐりん村」もすごい人気だった。愛知万博で注目されて、名古屋からすぐ近くっていう地の利もあったけど、ハイブリッド型はいいなあと、学校出たての青年はしみじみ。

長久手といえば、いま市長をされている吉田一平さんは、雑木林のなかで幼稚園から高齢者施設までなんでもやっちゃう「ゴジカラ村」をうみだした。「まざって暮らす」っていうコンセプトに心酔していたけど、これもハイブリッドといえばハイブリッド。しかも、一見すると全然ちがうものが同じ場所にいると、それぞれに役割がうまれて、生き生きするらしい。確かにそんな人がわんさかいた。一平さんは今もそんな感じで(たぶん)、「立つ瀬があるまち」をつくっている(はず)。

ゲストハウスも、両方を楽しめるところにしよう。

すぐ近くに農村や里山があって、それぞれにストーリーと役割があって、暮らしに取り込むことができる高いクオリティ。でも、まちに出かけようと思えば、ディーゼル列車に揺られて14分、バスで25分(確か)の繁華街に出たらいい。

見方によっては中途半端だとしても、両方あるってやっぱりいい。

そんな思いで探していた予定地。

Googleマップでみたら、農村とまちのハイブリッド具合がよく分かる!

アナログはお金がかかる、けど。

久々に、レジでお金を払うのをためらった。

きょうはカメラのキタムラに行って、明らかに使用期限の過ぎたネガフィルムを同時プリントしてもらった。

カメラはキヤノンNewF1、レンズはコシナ20㍉f3.8、フィルムはヴィーナス400の36枚撮り。うん、懐かしい。リバーサルよりももっとご無沙汰してた。

どうせキレイに色はでないだろうと、前に行った「森、道、市場2018」で適当に撮りまくったもの。

支払い時。千数百円くらいかなーと思って恐る恐るだったけど、なんと2130円とのこと!!  フィルムいくらか分からないけど、もう3000円コースじゃないですか

とまあ、値段の高さは噴飯ものだったけど、それだけ今や稀少な、けったいなことしてるからこそなわけで。

そういえば、新聞記者として必要に迫られてデジカメを導入して10年以上がたつけど、いまだにデジタル写真は好きになれない。

なんでか。

枚数を気にしないから一枚が軽くなる(プロの方すみません)、すぐ見れる、失敗したら消せる、修正もできる、なんか不自然に色がきれい。。。などなど

それに比べてフィルムは、露出に失敗したら真っ黒か真っ白だし、中高生のときなんて、撮影旅行から帰って開けてみたら、ちゃんと装填されてなかったなんてこともあった。泣きそうになりながらも、一枚一枚ちゃんと撮ろうっていう気持ちになったなー。現像があがってくる時間もまた、今思えばいい、じっくり写真に向き合うのにプロセスだった。

今やフィルムなんてお金がかかるばっかりで、スキャンも面倒だし、実用性は全然ない。でも現像されたフィルムという「モノ」が手元にあって、だからこそ撮った「コト」の実感は強烈なもの。

インバウンドもふくめて観光の分野だと「モノではなくコト消費」とずっと言われるけど、どこからでも取り寄せられたり、どこでも消費できそうなモノは、もうお腹いっぱいなんだろうな。

それより、お金や手間がかかっても、そこでしかない、身体をつかわないと分からない、アナログなことに惹かれるのかも。モノが溢れ過ぎた反動もあるんだろうなー。デジタルフォトの世界だって、カメラの外観とか、フィルムっぽい着色とか、揺り戻しみたいなのはあるし。

やっぱりアナログはやめられない

 

 

ゲストハウスのはじめかた

「ブランドのはじめかた~5つのケースでわかった経営とデザインの幸せな関係」(日経BP社)を読んだ。ブランド論の本は十年ぶりくらい。

筆者は、中川政七商店の中川淳さんと、エイトブランディングデザイナー代表でブランディングデザイナーの西澤明洋さん。

事例研究は、クラフトビールの地位を築いた「COEDO」、nana’s green tea、HASAMI(波佐見焼)、中川政七商店。

なぜ今、ブランドづくりやブランディングが必要なのか。

とくに中小企業(と書いてあったけど、実際は「小規模事業者」のが近いか)の関係者に参考になるようにまとめられてると思う。

 nana~は創業者の強烈な個性を知れて勉強になったし、HASAMIは瀬戸支局に勤務してたころ、長崎の波佐見焼産地まで行って思い入れがあったので楽しく読めた。

でも全体としては、読後感は今ひとつ。

大きな理由は3つ。

▼鼎談形式のところはともかく、筆者が誰なのか分かりにくい

▼2人の筆者が携わった成功事例をいくつか並べ事業内容を紹介しているが、その分▼量が多すぎて、全体として、手前味噌な感じ、楽屋話感が伝わってくる

その上で、こんご参考にしたいことをメモメモ

◆誤ってコンセプトが言語化されていない段階でいきなりデザインに落としこもうとしても、だめ(28ページ)

◆伝えるべきことをきちんと整理してしっかり伝える、ブランディングはそこに尽きますよね(29ページ)

◆社内にいるとわからなくなってしまうもの。だからこそ自分たちの本当の強みを見いだす段階で、外部の人にはいてもらうことが大切(3ページ)

◆ブランドにはチェーン展開に耐えうる明確なアイデンティティが必要(44ページ)

◆自分の子供のように無条件に事業を愛せるか(50ページ)

◆社長の仕事は、新しい価値を生み出すこと(52ページ)

◆敵がいないことが一番ですね(56ページ)

◆本人がやりたいことを素直に引き出すのがブランディングの基本(77ページ)

◆デザイナーが入る前段階、つまり「何のためにどんなブランドをつくるべきか」をきちんと考えること(82ページ)

◆「ブランディング」=「差別化」は「フォーカス」から生まれる(138ページ)

◆ブランディングデザイナーとして、「何をデザインすべきか」という問題もクライアントと一緒に決めていく責任がある(146ページ)

◆(理想とするブランドづくりのプロセス=)リサーチ→プラン→コンセプト→デザイン(147ページ)

◆差別化されたモノをつくるためにはお客様が発する声よりも半歩先にいっている必要がある(149ページ)

◆ブランドはあくまでお客様の頭の中にできるのであり、お客様の頭に届けるにはデザインの力が欠かせない(150ページ)

◆「コードの発見」=「〇〇らしさ」というものをつくっているデザイン的な表現の要素の構造を把握すること(151ページ)

◆「〝やりたいこと〟と〝できること〟を整理し上で〝差別化のポイント〟を見極める」(154ページ)

◆核になる考え方を明確にするため〝言葉として結晶化させてしまう〟 具体的に言うと1センテンス、たった1つの文にまで集約させます。その一言が、開発の方向性を示す軸、つまりはブランドコンセプト。外部にそのコンセプトを説明する際には、言葉不足になる場合もあるので、かみくだいた形で説明した、300~500文字程度のブランドステイトメントを用意するようにします(158ページ)

◆コンセプトを体現しないものは一切おこなってはいけない、という縛り。良かれと思って後から〝あれもこれも付け加えよう〟とでてくるのが常だからです。つくり手の性といってもいい(159ページ)

◆コンセプトからデザインまでのつながりは理詰めだけでは発見できない。クリエイティ・ジャンプと呼ばれる一種の飛躍が必要。最終的にはいくら考えを言葉で表したとしても、その言葉で売れるわけではなく、商品になったときのデザインであったり、キャッチコピーであったり、ネーミングであったりといった感性的な部分がイメージの直接の要因になります(164ページ)

◆ブランドは生き物。「連続性がある」とはつまり、ストーリーとしてその変化を語ることができるとも言い換えられます。人と同じです。私はこういう経験を通して、こういう変化をしてきたのだと。そのストーリー性が納得と共感を生む(196ページ)

◆ポジションを拡大しすぎない。ブランドとしての力がつけばつくほど、商品の幅を広げたくなるものです=「ライン拡大の失敗」(196ページ)

旭川のゲストハウスは、いったいなんなのか、何を目指すのか、何をしたいのか。どう生きたいのか。

を1センテンスで。ここめっちゃ大切なのでとりあえず寝よう

なんでここに朝市が?

浜松市の東区に、労災病院っていうのがあって、そのすぐ裏で、毎月第三日曜に、「蒲御厨」(かばのみくりや)おかげ朝市」ってのがありまして。

妻が好きで、たぶんこれまで10回くらいは来てる。お気に入りのパンとかお菓子、飲み物、オーガニックの食品が並んで、ピースフルな雰囲気。いつも、 何も考えないでちょっと離れた神社の参拝者用の駐車場に車をおいて、買い物にきていたわけであります。

今日はめずらしく自分もイスに座ってパンを頬張ってまったりしていて、初めてこの朝市のリーフレットを手にとってみたのであります。

そしたらそこには、

「開催地は、先年の昔、広く蒲御厨とよばれ、伊勢神宮の台所でありました」「『おかげさま』みえないモノを 私たちは カゲとよんでいました。昔々のもっと昔。古代の風から 新しい風の流れを共に育む朝市です」

と書いてあった。 え!伊勢神宮の台所?  「おかげ」ってそういう意味だったのー?

めちゃ衝撃的。全然しらんかった、めちゃおもしろいやん、と。中日新聞の記事でも神明宮の由来をかいたのがあったけど、こんなことに繋がってるとは全く想定してなかった。

しかも開催日は、「季節を祝う月次(つきなみ)祭」ということで、地球暦に基づいて意味があるみたい。なんかよく分からないけど、とにかくお伊勢さんと絡みがありそう。

「駐車する場合は必ず参拝をお願いします」とも書いてあった。どおりで、やたら蒲神明宮と結びついてるなーと思ってたけど、そんな深い意味があったとは。近くて、大きな駐車場があるから借りてるだけだと思ってた自分がはずかしい…

なんでこんな所でやってるんやろー、と思ったことはあったけど、ちゃんと調べなかった。知ってたらもっと真剣に買い物してた気がするわけでして

知らないのはもったいない。背景やストーリーを伝えていくのが大事よって、いろんな所で言われてるけど、それを身をもって感じることになった日曜日。これも祀神の蒲ノ大神さまの御利益なんだろうなー

旭川のゲストハウスはおかしなストーリーだらけだけど、ちゃんと伝わるように編集せねばー

ところで、おかげ朝市に出されてた、鳥取県は智頭町の「タルマーリー」のパンはめちゃうまかった。自家製のビール酵母をつかってる。発酵とかパンの世界ではめちゃ有名で、お店のカードには「発酵と地域内循環」と書いてあった。ローカルでの循環。自分のなかでの大テーマでもあるので、あらためてメモメモ。

お買い上げした自然栽培の雪下ニンジンは、ミコト屋というところで扱ってるらしい。こちらもメモ。

 

 

 

 

 

 

 

 

公園が教えてくれる、「心地よさ」の正体

天気が良かったので、今住んでる浜松で好きなスポットの3つに入る、佐鳴湖公園へ。

ここは本当に気持ちがよくて、ワンオペで子どもを遊ばせる時によく連れて来る。 

            

            

中心部からそんなに離れてなくて、まちなかよりよっぽど歩く人が多くて(見た目には)、里山や自然が多くて、車道に飛び出すことだけ注意しておけば、安心して走り回らせることができるもんで、すっかりヘビーユーザーになった。

今日も子どもたちは、道ゆく人たちに「こんにちはー」と声をかけまくり、散歩中のワンチャンにリアクションするので、お年寄りとか愛犬家の反応が最高によかった。

「えらいね~」「かわいいねえ」「やっぱり女の子っていいわよねえ」と目尻を下げられて、こちらも悪い気はしないどころか、全力でニンマリしてしまう。すみません

子どもたちは、木があれば登り、リスを探す。椅子になっている朽ちかけた木の皮をめくる。ひたすらアリを観察する。水辺でカニに話しかける。対岸に向かって♪屋根よーりーたかーいー鯉のーぼーりーと歌った。何をしたがるのか、全力で観察しといた。

周りのおじさんやカップルも、微笑ましそうに見てくれてた(たぶん)

そこで、歩きながら、なんで心地いいんやろう、って考えたわけです

この水辺の公園は、息を飲むような絶景があるわけじゃない。

「非日常」というより、日常の中にある、ホッとする空間。

散歩とかランとか読書とか、それぞれに思い思いに過ごしてる。

干渉されるわけじゃない。

でも言葉を交わせば気持ちいいし、ちょっとしたコミュニティー感すら生まれてる。

昔たくさんあった、知らない人も遊びに来た空き地。

親子連れとゲートボール中のおばあちゃん達が交わる、近所の公園。

例えて言えば、こんなところなのかなぁ。

ゆるい「つながり」のある場所とも言えるかなあ。

そんなところが、やけにしっくりくる。

先週行った、蒲郡の「森、道、市場2018」も似たようなとこがあった。

すごくセンスやクオリティの高いブースはもちろんだけど、自然に生まれる、周りの人とのかかわりがたのしい。

シャボン玉をしている家族と一緒になって遊んだり、子どもが寝てしまったら別のテントのお母さんが一緒に寝かせてくれたり。自然にやってくれる。

なんていうのか、人とつながる心地よさ、かしら。

それを、みんなで無理せずつくっている、ゆるい連帯感もあるのかも。

すれ違った人が、「雰囲気いいよねー」「気持ちいいよねー」と言っていたのもうなずける。所狭しと張られたテントは、会場の空気感をつくりあげるためのツールだと思えた

旭川のゲストハウスも、公園や空き地やマルシェ、野外フェスみたいな雰囲気をつくりたい。押し付けじゃなくて、それぞれの過ごし方で、気付けばつながってるような。

ゲストハウスといえば、「いろんな国の人がいるけど〝頑張って〟交わらないといけないの?」と腰が引ける人もけっこういると思う。

「宿泊者同士で交流せねば」、みたいなのじゃなくて、もっとゆるく、それぞれに。

どんどん地域に出て、暮らしを感じる交流をする場所ができたら理想!

完璧な「非日常」を感じるなら北海道らしいランドスケープの中にある宿泊施設がベストだろうけど、普段の自分のとはちょっと違う「日常」もあんがい楽しい。変に疲れないし

やりたいことがいろいろ繋がってきたー

いいまちには、いい自転車がある。

きょうは、近くにある自転車やさん「happy &slappy」で作戦会議であります!

伊藤さん提供。下の写真も。無条件にこれ欲しい

旭川への移住計画に協力してくれている皆さん(通称「digging 旭川」グループ)の皆さんとつながっていて、使われなくなったものを探してオモロいものをつくる建築ユニット「デッドストック工務店」ともいっしょに活動している、同い年の伊藤幸祐さんがやってるお店。

https://ja-jp.facebook.com/happy.Slappy.hamamatsu/

スポーツなやつとかタイヤが太い自転車から、ママチャリまで扱ってます。

地元の皆さんに愛されてる。オープンした時には、取材して記事にもさせてもらったなあ。自転車のある暮らしって楽しいじゃん!っていう空気が心地よく伝わってくるお店。

普段からイベントをたくさん打っていて、最近は蒲郡の「森、道、市場2018」にも発電自転車を筏に載せてた。すごすぎ

きょうは、ゲストハウスに置く自転車の相談へ。

北海道はどうしてもクルマで回るのがメーンになっちゃうけど、それだけじゃ地域のローカルな暮らしは分からない。そう、自転車がないと!

自転車で周りをグルグル回る光景をずっと妄想してきた。

ゲストハウスの近くの精肉屋さんでジンギスカンを買ってバーベキューしたり、銭湯いったり、里山のぞいたり、屯田兵の時代から続く自給的なやり方でお母さんたちがつくってる味噌や醤油手に入れたり、JAの直売所いったり、3時のおやつにおやき食べに行ったり、「上野ファーム」で北海道ガーデンに心奪われたり、道路をはさんですぐの旭川大図書館で読書したり、旭川家具や木工クラフトを物色したり、ラーメン食べたり。。

ゲストハウスは小屋=「小さな家」を並べるので、なんとなく外に出たくなるはず。ウロウロしたくなる。というか、その雰囲気を醸したい。その時、かわいい自転車があれば、トレーラーつきの自転車があれば、楽しくないわけない!

伊藤さんと話して、トレーラーは既製品をつけるだけじゃ面白くないんで、自作のものをいくつかお願いしようかと。お金も時間もかかるけど、どんな材を使うかとか、ストーリーが生まれてくるし。

松本憲さん撮影

夏の納車が楽しみすぎて困ってしまった