公園ざんまいの東京さんぽ

ビジネスコンテストでのプレゼンに先立ち、18日には東京・八王子でコンテナハウスの打ち合わせ。日程すり合わせに1ヶ月かかり、やっとの思いで行ったのに、あちらからの提案という意味での進展はなにもなく。さすがに社長さんが「せっかく来ていただいたのに、今日は設計を交えて詰めるべきだった。ちゃんと報告しろ」と指導してくれたので、若干スッキリしたけど、打ち合わせを何のためにやるのか、どこまで進めるのかがはっきりしてなくて、これまで時間だけが流れていく感じだった。ずっとモヤモヤ。こっちの考えもきちんと共有されていないようで、「今さら」の事ばかり聞かれる。こういうのってやっぱりあるんだなあ。とにかく住宅の遅れを取り戻さないと、もうちょっとで雪が降り始めるし、春まで仮住まいのアパートにいなくちゃなんない。

こんな状況なので、社長さんの指示で今回は高尾駅まで送ってくれ、次回は一週間後の25日に、浜松まで来てくれることになった。異例の対応。また東京まで無駄足を運ぶことはなくなったけど、月単位の遅れはキツい。

午後は気を取り直して都心部に向かった。高尾から初めて京王線で。JRより200円弱安くて360円で新宿まで行けた。これはデカい。学生時代に行った立ち食い寿司(600円のランチ+コハダ)を食べて、中古カメラ市場っていうディープなカメラ屋を覗いて、池袋。慶応大の鉄研(鉄道研究会)OBの方々が、「冬の北海道」をテーマに写真展をされていたので、拝見。

1970年代にやった写真展をもう一度開いたとか。かっこいいな、そういうの。単なる回顧とかじゃなくて、今の北海道の鉄道と当時のを比べてみることはできて楽しい。蒸機(SL)って生き物なんだよなーって再認識したり。比布とか旭川とか、ゲストハウス 予定地の近くで撮られた写真もあった。ひさしぶりに写欲をそそられる。あっちに引っ越したら、できるだけ毎日写真を撮ろう。

そこから、歩いてすぐの「南池袋公園」に急ぎ足で。公民連携の分野ではめちゃくちゃ有名な公園で、ビルに囲まれた場所で、エアポケットのような空気感があった。 よく本とかで紹介されているまんまの、心地よい光景。無料で貸し出されてるゴザを敷いて、ゴロゴロ、おしゃべりや昼寝やら。いいなぁ。親子連れは滑り台みたいなエリアでも遊んでるし、カフェでシードル飲んでるお兄さんもハマってる。

ここには絶景があるわけじゃないし、特段緑が多いわけではない。みんな何を求めてきてるんだろと考えたら、この場の空気に他ならないんだろなーと。弱い、緩やかにつながってる感じなのかもしれないし。 そんでもって、他の人が楽しそうに寛いでるのを見るのって、すごく幸せな気分になれるなーと再認識。「旭川公園」でも生かしてこ。

次の目的地は、池袋からメトロ丸の内線で向かった銀座。9番出口直結の「銀座ソニーパーク」を見学。改札を降りてすぐの所からパークエリアで、ローラースケートのリンクがあった。地上フロアに上がると、そこは数寄屋橋交差点に面した空間が。いろんな大きい植物が、デザインされるように配置されていて、スマホを向ける人多数。公園らしく、足を伸ばしてくつろぐおじさんも。企業や個人が、公園を開く時代の象徴のような場所だった。どんだけ金かかってんだろ。ソニーも再建ができてきたってことなのかなー。

続いて表参道。電通のコピーライター・阿部広太郎氏とお茶。博報堂のインターンで一緒になり、今や雲の上のような存在だけど、ずっと刺激になっている。近況報告や、いま世の中がどんな感じになっているのか、これからどうなるんやろーとか。知的興奮! こんごのコミュニティーづくりですっごくいいヒントをもらえたわ。超多忙なとこありがと!

夜は大学の広告の講義でお世話になった、博報堂出身で今は大学で教えている池田諸苗さん、その講義で知り合った栗田宏美さんと、代々木上原で焼き鳥会。楽しすぎて、別れぎわに改札口で通りがかりの人に無理やり記念写真を頼んでしまった。気持ちよすぎて目をつぶっちゃった。

宿は馬喰町(東日本橋)だけど、寝過ごして戻るための終電を逃し、タクシーで2300円もかかってしまった。宿代と同額じゃん。東京ってこわい。ウカウカ寝てられない。

(つづく)

「スーパーはくと」のエンジンに力をもらう

 

三ノ宮駅で

津山から鳥取駅を目指す。伊豆天城峠みたいなループをわたって鳥取道(無料)をひた走り、レンタカーを返却。3時間?くらいの延長料金とガソリン代を含めて3000円ちょっとのプラス。素晴らしい!

午後3時くらいだったけど、鳥取駅の構内にある居酒屋で遅めのお昼ご飯。隠岐の岩ガキうまし。海鮮丼は・・・まぁその辺の居酒屋のレベル。

気持ちよくなって酔い覚ましにドトール(今回2回目)でスマホを充電。16時54分発のスーパーはくと12号を待つ。

岡山に「スーパーいなば」で行って新幹線で実家の西宮を目指すのもいいけど、ここは中学生のころから憧れている「はくと」しかない。午前中は大雨の余波で運休してたけど、通常に戻ってよかったー。

知らぬ間に車内がリニューアルされれて快適。号車ごとにシートのデザインも違っていて、北海道や九州の特急みたい。充電用のコンセントもあった。すごいぞ智頭急行!

昭和〜平成初期のグリーン車のような、ゆったり大振りなシート。でも沈み込みすぎなず、快適

自由席の2号車。最近の高速バスのように、小振りながらしっかり身体をサポートするシート
九州新幹線「つばめ」みたい

ワイドな展望運転席、大きな窓、豪快で生き物のようにキュ弱の激しいエンジン、台車の古さを感じさせる揺れ。どれも素晴らしいー。動いてるな、旅してるな、って気分!

楽しすぎて、車内で作業しようと思ってたのに全然作業できない・・・。でも幸せ

(山陰視察の旅はこれで終了)

「昭和」に乗って

(つづき)

若桜鉄道で運良く2日連続で乗ったのは、水戸岡鋭治さんデザインの「昭和」号。鮮烈なブルーが印象的で、下回りの赤茶色もあかわいい。

隼駅から乗って、終点の郡家(こおげ)駅であらためて舐め回すように観察してみた。

車内外は良くも悪くも、一目で水戸岡デザインとわかる。一時期、全国の観光列車は水戸岡デザインばかり続いたことで、これに対しては鉄道好きからは辛辣な意見も上がっていた。でも鉄道という公共空間に、デザインの大切さを持ち込んで考え抜いたパイオニアは水戸岡さんだろうし、そのあとの多様な観光列車につながっている、と思う。そして何より、水戸岡さんが「なんのために公共空間をデザインするのか」についてインタビューもしたし心酔しているので、無条件に好きなんだけれども。

座席のテイストは他の水戸岡デザインの列車とどうしても同じ感じになってしまうけど、やっぱり心地いい。ずっと座っていたくなる。

郡家駅では、大雨の影響で乗るはずだった因美線(智頭方面)の列車が運休するとホワイトボードに書かれていて、2時間以上、時間をつぶすはめに。その間、駅のコミュニティスペースから「昭和」を見ていたけど、観光バスが駅に横付けして、おじさんおばさんたちが大挙して「昭和」に乗り込んでいった。貴重な収入源なんだろうなぁ。

2時間くらいたって、あらためて駅窓口にいったら「全列車が運休」に変わっていた。「スーパーはくと」も「スーパーいなば」も。急いで荷物をまとめて、駅前のバス停から鳥取駅に向かうことにした。今朝、公共交通機関でコンプリートしようと誓ったばかりなのに。。。まあ列車が動かないなら仕方ないわね。

(山陰の旅はまだまだ続く)

 

隼の聖地を訪ねれば、浜松を思い出す

(つづき)

隼駅にやってきた水戸岡さんデザインの車両

8823(ハヤブサ)BASEを出て10分ほど。昨夜見えなかった景色が見えて、激しい悪天候ながら心癒される。

隼駅では大雨警報の影響で25分遅れ。すでに靴下が絞れるまでビショビショ。「隼駅を守る会」が管理しているグッズ売り場を見ながら列車を待つ。浜松でおなじみの、鈴木修会長のご尊顔も! こんなとこで浜松を感じるなんて(笑)

久しぶりに見たなー。旅ノート。ライダーが全国から、聖地を訪ねてる
守る会が管理している、隼関連のコーナー。駅事務室を使って「聖地」をアピール

こんな時、レンタカーがあれば便利なのになぁという考えがよぎる。いやいや、今回は公共交通機関だけでコンプリートするぞ! と決意をあらたに。

昨夜の八東駅もそうだけど、若桜鉄道、駅舎めちゃすごいね。SL関係で保存・活性化運動やってるのはいろんなところで聞いてきたけど、条件不利なところで奮闘しているのがなんとなく分かった。運賃も良心的。もっとじっくり味わいたい。水戸岡鋭治さんの車両は次の記事でー

(山陰の旅はまだまだ続く)

鳥取の山あい、八東駅前に名店を発見

(つづき)

パーリー建築の皆さんと浜村温泉でバイバイした後は、保木本さんの車に乗っけてもらい、鳥取・智頭方面へ。なんと、今晩の宿と、保木本さんの自宅が同じ町だったので!

鳥取道(無料区間)の河原インターを出て下道をずっと行く。やがて山あいのところに差し掛かり、街灯が全然ないところが続く。懐かしいなぁ、この感じ。夜が暗いって当たり前のこと。それぞれのおうちも、電気が漏れてない。

宿の人におススメされていた(周辺に飲食店が少ない)のは、若桜鉄道・八東駅前にある「中嶋商店」。昔ながらの駅前商店といった感じで、引き戸を開けると、お菓子やらカップ麺、生活雑貨の陳列棚がまずあって、その奥で鉄板がこちらをうかがっていた。そんな店構え。

こちらが「まだ大丈夫ですか」と声をかけると82歳のご主人がじっと座っていたけどおもむろに立ち上がった。気の利いた音楽やラジオの一つもない、静寂が支配する、ちょっと薄暗いカウンター。

もう、この時点で雰囲気にやられた。駄菓子屋の奥に、イートインコーナーがある感じ。お店の人とコミュニケーションしないと、食べ物にありつけないような、秘密基地感。

たまらないね、手書きメニュー

聞けば、お店は80年になり、鉄板はご主人が始めて50年になると。ゆっくりゆっくり、噛みしめるように冷蔵庫に歩いていって、時折「おーい」と奥さんに助けを求めながら、手慣れた風ではホルモン焼きそばを焼き上げてくれた。

まるで餃子のたれのように、いつから継ぎ足してるか分からない秘伝っぽいタレが運ばれてきた。たまらず勇気を振りしぼって「ビール、、、あったりしませんかね」と聞くと、またゆっくりゆっくりと冷蔵庫から取り出してくれた。メニューにはなかったけど聞いてよかったー。

タレがよく絡み、ホルモンの滋味深さとコリコリが主役級で、たまらなくうまい。再訪必至レベル。汽車(地元の人が若い人もみんなこう言う)の時間まで10分ちょっとしかないので、急いで食べたのが悔やまれる。

ご主人は何度も「若いから、な」と繰り返し、北海道の話をするとオーバーリアクションよろしく驚いていた。ともかくも、自分の中で焼きそばでは3本の指に入る名店だわ。

ご馳走さまをして、大雨の中、急いで八東駅へ。15秒くらいで着いた。でも定刻になっても、待てど暮らせど列車は来ない。雨の影響かと思い込んでいたけど、スマホで「乗換案内」を見てがっくり。八東駅→隼駅とすべきところを、逆にして検索していた。で、1時間半待ちが決定。有形文化財の駅舎を撮影したところでスマホのバッテリーがなくなり、おとなしく新聞を読み、靴下を乾かし、ゲストハウス「旭川公園」に思いをはせる。

八東駅、有形文化財の価値を感じるには十分すぎる時間を過ごせた

こういうの久しぶり。昔、中高生、大学生のときは旅とはずっとこうだった。待ち時間というものがない車移動でもないし。何かに追われるでもなく、静かに待つ時間。これは貴重だ。最近の出張や今回の旅でも、スマホばかりに気を取られてたなーと反省。これじゃ気づくことにも気づけない。

(山陰の旅はまだまだ続く)

米子駅と鳥取駅に、多彩な車両たち

(つづき)

米子駅からはとりあず鳥取駅を目指すことにした。

デッドストック工務店が夏の森、道、市場@蒲郡   に参加した関係でつながらせてもらった、鳥取が誇る凄腕大工さん・高藤宏夫さんの地元なので。リノベーションスクールやってるので。高藤さんに連絡したら、浜村温泉というとこで、フェスのステージをつくっているとのことで、じゃあ鳥取でスマホ充電してから向かおうと。

次に鳥取まで行く優等列車は、「スーパーまつかぜ」。キハ187系に初めて乗ることになって、ドキドキする。たったの2両編成だけど、長蛇の列。ほぼ満席。倉吉⇄倉吉の都市間輸送に活躍してるみたい。けっこうな頻度で走ってるし。

スーパーまつかぜ が米子駅に入線

待ってる間、米子は交通の要衝だからいろんな車両が行き交っていて、目の保養になった。

災害ばかりだ、とあらためて
岡山とを結ぶ「やくも」

「スーパーまつかぜ」はなかなか絶好調で、感覚的には110〜120km/hくらい出してる。ディーゼルエンジンには唸りの緩慢があるので、生き物のようで楽しい。力強く回ると、ちょっと強引な感じに躯体を引っ張る。内外装のデザインは残念だけど、走りはかっこいい。

鳥取は米子から100キロくらい離れているようで、意外に遠いんだとびっくり。この車両には快適設備はほとんどないけど、軽快感ある走りにだいぶ救われてる気がする。

鳥取駅もこれまた楽しい。「スーパーはくと」、普通列車のキハ47、「コナントレイン」と多彩な顔ぶれ。関西出身なのに、鳥取圏はいつでも来れると思って後回しになってた。デザイン的に惹かれるのは、昔から憧れてた「スーパーはくと」くらいだけど。帰りは乗りたいなー

スーパーはくと
キハ47系の普通列車
コナントレインだそう

(山陰の旅はまだまだ続く)

サンライズエクスプレスで山陰へ

最終出社日は夜勤だったので、挨拶した後に拍手で送られ(ちょっと泣きそうに)、自宅でシャワーを浴びて、目の前の天竜川駅から終電で浜松駅へ。きょうはこれから、念願のサンライズエクスプレス!ドキドキ。

駅前の居酒屋で、記者生活10年半を振り返るために山崎12年をロックで引っかけようと思ったものの、チェーンも含めてほとんどが閉店。仕方なく、安っぽい24時間営業の居酒屋でビールと刺身だけ注文して、そそくさとコンビ二でビールと日本酒、つまみを買いこんで、戦いに備える。

25時12分、定刻通り、ベージュに赤のラインをまとった285系が入線してきた。浜松からの乗車はぱっと見、5人ちょっと。貴重な停車駅だけど、まあこんなもんか。

ほろ酔いだけどちゃんとスマホで追いかけた。そして流し撮りは失敗

寝台料金のいらない「のびのび座席」へ。周りのお客さんはすでに寝静まっていて、自分のコンビニ袋のくしゃくしゃ音が気になる。隣の人とのパーテーションになるカーテンがあったような記憶があったけど、どこにもついてなかった。

のびのび座席の12号車

この285系が登場した時、確か中学生だったけど、同級生のつっちゃんと一緒に大阪駅に行って、一般公開のセレモニーに参加したのが懐かしい。「動くシティホテル」みたいなコンセプトで、大手住宅メーカーが手がけたか、監修したかっていうことを聞いた記憶がある。その当時から昔ながらのブルートレインは凋落傾向で、これからは客車じゃなくて電車の、個室重視の洗練されたものが出てきて、そうすれば夜行列車にも未来はある!とテキトーに思った。

今見てもデザイン的には時代遅れな感じはしない。まあビジネスホテルみたいに無味無臭な感じはするけど、快適だし。個室に泊まりたかったけど、この日は「のびのび」一席しか空いておらず。普段から乗車率80%以上とか聞いてるけど、ほんと人気なのねー。いいことだわ。

ただ気になったのは、そのスムーズな加速。機関車に引っ張られる客車とちがって、モーター制御だから、ガタつきがなく、リニアな動きなんです。ほとんどの、変態じゃない人は気にならないだろうけど、「これいつも乗ってる電車と一緒のフィーリングやん!」となるわけですよ。非日常性、ワクワクがない。

あとは、通路にイスがなかった点。むかしの客車寝台は、通路に折り畳み式のイスがあって、寝付けない人や車窓を見たい人が使っていて。缶ビールやワンカップなんか飲みながら。隣のお客さんと故郷の話なんかしながら。いま思えば、列車内の「縁側」みたいなもので、良かったなぁ〜。

出世できなかったのでご当地の「出世城」を

さて、荷物を置いてすぐラウンジコーナーにいき、明日以降のことを調べたり、宿を予約したり、インスタやラインをやったり。やっぱり個室でしっぽり飲むのが好きだけど。3時くらいになると睡魔に勝てず、カーペット席に戻って即沈。

岡山で半分以上の人がおりたようだけど、自分は米子到着の20分前ギリギリまで二度寝。車掌さんのアナウンスで大山を見逃さずにすんだ。浜松駅から米子まで8時間弱。ちょうどいい時間かな。

これは1階
これは2階部分

これまで、現役時代を知っているものはほぼ全ての寝台列車に乗って来たけど、カシオペア(定期列車は死去)とサンライズだけ未経験だったのが気にかかっていた。長年の胸のつかえがとれて、すがすがしい朝になった!

外から見たのびのびシート
米子駅にて。お疲れさん

(山陰への旅はまだまだ続く)

最後の東京出張(なんだかな編)

28日(火)は久々にして、たぶん会社員としてはラストの東京出張(しみじみ)。二日酔いなので、迷わずお茶の水駅前の「富士そば」へ。学生時代から、お酒が残っている時のお昼ご飯は、ここと決まっている。ほうれん草とそば湯が定番。唸るような味ではないけど、ソウルフードと化している。

インタビューする場所は神保町界隈。スマホのネット使用上限を使い切ってしまってほとんど動かず、さらに道に迷ってしまって、大汗をかいて急ぐはめに。スマホに依存しきって事前の調べを怠ってる。恥ずかしい・・・

無事に取材が終わって、カフェに移動する道すがら、わが青春の「書泉グランデ」をちょっとだけ覗く。

学生時代は半日くらいここで鉄道本を読みあさってたなぁ。この日6階の鉄道フロアを見たら、JR北海道の「Kitaca(キタカ)」のグッズが並んであって、無性に欲しくなったけど、がまんがまんよ。同人誌から地方で出版されてるディープな写真集、マニアックな生活雑貨まで、なんでもござれ。何も考えず、ゆっくりここで遊びたいー。でも長居は慎んで、近くの三省堂本店で仕事に使う本を買って、カフェに。

プリペイドカードを持っているので、 地下鉄・神保町駅のほぼ直上にあるドトールを選択。みんなカードやスマホで払うのが普通な感じで、浜松だとプリペイドカードを渡して決裁してもらってるのに、ここでは自分でやるらしい。なんか東京こわい。店員さんの愛想はいいんだけど、あまりに人がどんどん来るので、流れ作業的な感じ。うーん。

しかも、ネットによるとここは「電源カフェ」のはずなのに、普通の席の電源はわざわざコンセントが閉鎖されているのではないか! なんのために来たのか分からないー。「混雑時はパソコンしないで」みたいな注意書きもある。えーっ! よく見たら、無理矢理作ったようなレジ前の壁際の5席にしか電源がない。 だから周囲にコワーキングスペースが多いのかと思ってしまった。

しかもしかも、めちゃくちゃ寒くて、ホッキョクグマ館か冷蔵庫と思えるくらい。こんなん長居できないわ。いやそれが回転率を上げるための作戦か・・・。どんだけ無駄なエネルギー使ってるんだろ。絶対持続可能な感じじゃない。

(つづく)

脱皮なるか、旭川空港

交通問題に興味はあるしけっこう使っていながら、知らんことばっかりでびっくりすることがある。

ちょっと古いけど、8月17日の日経新聞にでっかく「北海道の空 4陣営争奪」っていう記事があった。

新千歳、旭川、帯広、函館、釧路、稚内、女満別の7空港が2020年6月以降に民営化される。旭川は、市が管理していて、赤字に苦しむ典型的な地方空港なんだとか。市営だなんて知らなかった・・・

記事によるとコンセッション(公共施設等運営権)の入札が締め切られ、4陣営が参加したと。新千歳が国管理空港の中で、羽田に次ぐ収益力をもつことに注目が集まり、空港コンセッションは仙台や高松で成果を上げていることもポイントらしい。コンセッションは空港以外でも水道とか、各分野で流行ってるからなぁ。

今回の特徴は、7空港を30年にわたり一括運営すること。新千歳を目玉に、旭川をはじめとする赤字空港への集客増も目指されることになりそうだとか。外資だけじゃなくて、東急とか東武とか域外の鉄道会社も名乗りを上げているけど、これは内需中心の会社にとって、訪日客増の空港ビジネスは貴重な成長分野に映るらしい。

しょっちゅう使う新千歳やセントレア、羽田なんかはそりゃ規模がでかいので、買い物やサービスも充実しているのが当たり前な感じがある。民間の工夫をいろいろ感じるし、空港=メディアとしてこぞって競争している。

でもこないだ旭川空港をインで初めて使った時、古ぼけた感じというか、彩りのない到着ロビーに出迎えられ、めちゃくちゃ残念だった。出発側はよく採光もされていて明るく洒落た雰囲気なのに、同じ空港とは思えない。

旅行者からすれば、まずその地域の印象は、空港の到着ロビーやレンタカー、タクシー、バスなんだろうと思うけど、空間デザインや交通案内のサインとか見ると、確かに「典型的な地方空港」っぽい。

石川県政を担当してた時は、小松空港に県がかなり力を入れているのを見てきた。旭川市ではどうなんだろ。議会の議事録とかいろいろ見てみようかしら。ことし11月に国際線ターミナルビルができるんだから、大きく脱皮してくれるんだろうと期待して。

ライラックと会社の仲間に感謝

初めてかもしれない、旭川2泊旅も、もうおしまい。本州に帰らないといけない。

朝は4時45分くらいに起きてシャワーを浴びて、寝ぼけ眼の子どもの着替えをさせて、チェックアウト→旭川駅にとことこと。

北海道の特急を使うとき、「Sきっぷ」っていう安い往復割引切符があって、旭川⇔札幌なら5000円ちょっと。50%安いんだよね。これ使ってみたかったので、みどりの窓口に行って、同一行程で大人2人使えないかと聞いてみたけど、「ご利用になれません」。近くにチケットショップも見つからなかったので、大人しく正規運賃で新千歳空港までの切符を買って、ホームに。駅は至る所に木が使われていて、ほんと気持ちいいわ。

朝6時発の、特急「ライラック」。昔、青函連絡線の「特急」で使われてた789系。ほんと大好きな車両。これがあるから旭川に住みたい、って言ってもおかしくないくらいだわ。かわいいでしょ、どう見ても。

終点の札幌では停車位置を間違えたとかで10分弱もフリーズして、もともと遅れていたのに重ねての遅延。大丈夫かな、JR北海道。乗り換えた快速エアポートは優先席まで若者で賑わっていて、抱っこで耐え忍ぶ30分に。いつもそうだけど、まあ空港アクセスだからいっか。

新千歳空港駅から出発ゲートまでの移動はほんと楽で、ちゃちゃっとスカイマークで手続きして、お買い物。スカイマークは安心感半端ないし、この日は身障者割引使ったけど、いつもながら心地よい応対。1人2万2000円ちょっとと格安じゃないけど、お金払ってもイヤじゃないのがスカイマーク

9時40分に定刻で出発。さすが! 機内では長女を抱っこしてたけど、半分くらい寝てくれて、ラッキー。お礼メールの文面を作りまくる。定刻11時半にセントレア着。

名古屋で仕事して、会社の大先輩とお茶したり飲んだり、同期が壮行会開いてくれて、満腹な夜。旭川では落ち込むこともあって、これまでで一番どよーんとしてたけど、やっぱり人に会うほど元気がでてくる。感謝。