旭川大高校、わが甲子園へようこそ!

「LANDMADE」をお暇した後は、辻本くんに大丸神戸店まで送ってもらって、家族と合流と相成りました。ただ、待ち合わせ場所は、5階のおもちゃ売り場。めっちゃ嫌な予感・・・。この後、甲子園に急がなあかんのに。

エスカレーターで上がり、子どもや母、妹、妻・茜を探す。あー、いたいた、次男・陽己(はるき)はプラレールの前に陣取って、動こうとしない。

帰ろうと促すも、当然のように全力で拒否。「買わないなんて、そんなこと絶対にないーーーー」と絶叫し、のたうち回り、フロア内を走り回る。店員さんは笑顔を浮かべていたけど、他のお客さんはドン引き。あまりにも分かりやすい態度に笑ってしまい、下のように写真を撮っていたら、本人が「写真撮ってる場合じゃない! 消して!」とスマホをもぎ取られた。

大人たちは順番に引っぱたかれながらも、強引に拘束して高速でエスカレーターを降りる。一階で二手に分かれ、甲子園に連れて行こうとすると、陽己は今度、「ママがいいーーー」とだみ声を瀟洒な化粧品売り場を轟かせたので、いたたまれなくなって、ダッシュ抱っこで店外へ。誘拐しているみたいな気分だった。

阪神電車の元町駅まで汗だくになってたどり着き、「梅田でプラレール見れるかも」と甘言を弄すれば、なんとか車内に乗り込んでくれ、ひっくひっく言いながら1分ほどで撃沈。こちらの勝利!

甲子園駅につくと、すでにホームはすごい熱気! いざ球場へ。もう10年以上来てない。「夏の高校野球見ながらめちゃ高い生ビールを飲む」という、社会人が全員抱くはずの夢がやっと実現できると思うと、武者震い。

お目当ては6日第四試合の、旭川大(北北海道)―佐久長聖(長野)。当然のことではありますが、旭川の応援団がいる、一塁側のアルプス席へ。800円×3人分で、けっこう高い。ちなみにビール@700円×2本、かき氷@350円×2杯。プラレールどころの出費じゃないな~。

帰りの新幹線の関係で試合は3回までしか見れなかったけど、すっかりエセ旭川市民の気分になって、点を入れた時には長男・大滋(たいし)と一緒に手を叩いて発狂。あぁ、オープンエアの球場で見る野球って、やっぱり最高。ドームはどうも無理だわ。

旭川大高校の部員たち。こちらも応援グッズ買いました

この後、春夏の高校野球で初めてタイブレークに突入し、旭川大は惜敗。でも活躍を目の前で見られたし、甲子園のある西宮で生まれ育った一人として、これからの地元になる旭川の球児たちが、はるばるこの地で汗を流してくれたことを思うと、なんかジーンときた。

選手や学校関係者の皆さん、異次元の暑さのなかお疲れさまでした!フェイスブックで「いい試合だったね」とコメントをもらって、自分のことのように嬉しかったー。応援グッズは大事に持っておこう。

8月5日の中日春秋(中日新聞一面コラム)に、高校野球の開幕に合わせた記事があった。プレーに目が離せないのは、圧倒的に多い敗者を慰めたい思いからではないかとした上で、

ひょっとして慰めているのはグラウンドで嗚咽(おえつ)する球児だけではなく、過去のわれわれ自身か。夢はかないにくく努力は必ずしも報われない。それを思い知らされた大人は夢という白球をひたむきに追いかけ、希望というバットを信じて強振する球児にかつての自分を重ねる。白球に手が届かず、バットがむなしく空を切ったとき、若者のその痛みと、大人になったわれわれ自身の過去の夢に泣く

とあった。まぁそんな大げさに考えてるわけじゃないけど、やっぱり必死だった高校生のころの自分と重ね合わせてる部分は間違いなくあるわ。高校時代の経験が、旭川移住&ゲストハウス計画につながっているから、よけいに感慨深くなるってもんだよねー。

「神戸」は強すぎる

帰省で神戸に来ました。

あっ、「神戸」と書いたけど、実家があるのは兵庫県の西宮市。神戸と大阪のちょうど中間にあるところ。西宮といえば、「甲子園があるところ」と言えば分かってもらえるけど、知らない人ももちろんいる。

なので大学生のころなんか、勉強会(人によってはコンパというらしい)とかで「神戸出身」と名乗ってた。「買い物は神戸でしてた」、とか、「よく神戸でご飯食べてた」とか。アホらしいけど、まぁウソではないし。

効果があったかどうかはともかく、それくらい「神戸」には力がある。武器にしている事業者もいっぱいいる。

なんでこんなに神戸ブランドがあるのかは、いろんな分析が言われるけど、まずはロケーションでしょう。山があって、海がある。しかも横浜と違って、その間の免責が狭いから、一日あれば両方楽しめる。ハイブリッドないいとこどり。 山に登って海を見る、海を目の前に山を望む。高校生のころまでこれは日常だったけど、この豊かさはすごいもんだと思ってた。

山なら、ハーブ園があるし少し足を伸ばせば乳製品で有名な六甲山もある。海ならもう説明不要なくらい、きれいに整えられた神戸港がある。失礼ながら、名古屋港や大阪港とは全然イメージが違う。

今まさにハーバーランドのスターバックス(本意ではないけど)におりまして。たくさん船が行き交い、マルシェみたいなものがあり、ランドマークとしてのポートタワーがあって、みんな記念写真を撮ってる。水辺空間というコンテンツの強さに思いを馳せる。子どもたちを母や妹に預け、アンパンマンミュージアムで遊ばせて楽をしているので、よけいに気持ちがいい!

実際に外国人が多いけど、その歴史がベースになった異国情緒が自然に漂っているのも、まちのブランドを形成するのに大きなポイント。

「神戸」と聞いて、説明不要なくらい多くの人がいだくイメージがあるから、「神戸」と名の付いた商品には競争力がでてくる。

北海道でいえば、「富良野」とか「小樽」、もしくは「十勝」、あるいは「知床」かなと。「札幌」は微妙だけど、まあ当てはまるかな。

じゃあ、旭川はどうだろうかと考えた時に、まだまだイメージが沸かない。旭川はよく知らなくても旭山動物園は知ってる人は多いくらい。(移住先としてはよく知られてる)。富良野や美瑛に行くために、宿が取れなくてある程度便利だから選ばれている要素が強いと思う。

旭山動物園以外に、強力なコンテンツが必要という声は地元でも根強いらしい。でもそれだけで「神戸的なまち」になれるわけじゃない。なる必要もないかもしれないけど。ただ旭川ってどんな所?と聞かれてすぐイメージできるような存在になれば、通過型のまちから脱却できるかも(?)。

まちの玄関が駅だとすると、現状は、木の香りがする素敵な旭川駅を出た瞬間に、イオンが飛び込んでくる。ホテルが立ち並ぶ中心部は、他の都市と代わり映えしない。そして歩く人が多くない。目に見える「旭川らしさ」が駅で完結していて、もったいない。大きい市だから動きにくい点はあるけど、これどうすんだろ。引っ越したら、なんかおもしろいこと考えたい。

甘酒と祝福の味

三連休に入ってしまった。落ち着かない。先週まで三週連続で旭川に行ってたので、現地にいないことに強烈なる違和感が!   なんにも準備してない!っていう不安に駆られる。

きょうはゆっくり寝て、甘酒教室へ。妻の茜は金沢に本拠地がある「発酵食大学」の通信制で勉強してきて、自分もこれまで何度か試飲したけど、あの甘さがはどうも苦手。でも「飲む点滴」って言われるほど体にはいいし、夏に冷やして飲むとけっこういい感じだし、味を工夫したら苦手な人でもちょっとずつ入りやすいなぁとは思っていて。

旭川のゲストハウス予定地のすぐ近くには「屯田の里」っていう、農家のお母さんたちの店があって、ここの麹(こうじ)を作って甘酒とかスムージーを作ろうともくろんでる。

屯田の里は、屯田兵だった先祖から脈々と伝えられてきた手づくりの味を生かして、味噌とか醤油、麹、ラーメン味噌、漬物とかを販売してる。添加物を使わないことにこだわって、農薬を使わなかったり減らして、自分たちの家族がつくった大豆や麦、米を原料に使ってる。味噌しか食べたことないけど、リピートするおいしさ。しっかりした味付けで、コクがあるけど、優しい。身近な資源をつかった自給的な暮らしっていうのは、ゲストハウスの世界観の象徴の一つ。

ということで、おいしい甘酒づくはマスターしないと。旭川でも商品化されてる缶の甘酒はあるけど、やっぱ自家製でやってみたい。(地ビールならぬ「自ビール」もやりたい)

ところで今日の甘酒教室で、部屋に入るなり「おめでと〜〜」って祝福された。先生が京都でゲストハウスを開く女性なんやけど、ブログを読んでくれてて、土地が決まったことを我が事のように喜んでくれた!

この先生だけじゃなくて、この数日「おめでとう」って言ってくれる友達がけっこういて、ほんと泣きたくなる。そんな友達多いほうじゃないのに、急に増えてきた感じ(笑) それもフェイスブック上のコメントだけじゃなくて、LINEとかメール、メッセンジャーとかでも。

「ついに進み始めたね」「OB会ぜひ旭川で。クラウドファンディングとかぜひぜひ協力させて!」「おめでとう!!」どなど。過酷なことを乗り越えた経験のある人から「思いを貫き続ければ、少数でも必ず理解してくれる人は出てくる」と言われた時には、そうそう、そうだよなーと膝を打った。自分も、結婚がまさにそうだったし…

こんなエールだけでも嬉しいけど、「最後はカネ。『引っ込みがつかないからやる』というのは絶対に避けて。勇気ある撤退であっても支持する」という友人もいた。なかなかこういう事を言ってくれる人は少ない。ありがたや。シビアであるべき所は絶対に気を抜いちゃいけない。

人によって言うことやアドバイスは違うし、関係が近い方が遠慮して都合の悪いことを言いにくくなる。でもそれを全部引っくるめて、自分で咀嚼して、判断していくことが、今までもこれからも続いていくんだな〜。

始めるのは簡単で、続けることこそ難しい。元気玉をもらって、いろんな声をいただいて、悩んで、行動して・・・。そんな積み重ねが、持続可能な暮らしや事業につながるはず。

夕方は次男の強い希望でプールへ。たまには頭を真っさらにしてゆっくりするのもいいな〜

古橋廣之進記念浜松市総合水泳場「トビオ」にて

 

 

 

三週連続の旭川へ④ 女子のハートに止まるバード

旭川デザインセンターを出ようとしたら、「モクモクフェスタ」なるイベントのチラシを発見。JRの宗谷本線の線路を挟んですぐ裏手にある団地(旭川木工センター)で、各社が協力して木のイベントをやってるんだって。ちょうど今日やってる。行かないわけにはいかないでしょう。

木工体験とか、カンナ体験、木を使ったゲーム、木製品のチャリティオークションとか、イベントの主だったコンテンツはよくあるやつだったけど、収穫が3つ。

スズメ、虫を食べんとすの図。バードカービング初飼育

収穫① 地元の生活道具メーカー「コサイン」の本店ショップで、地域の活動に熱心な社長さんの活動の片りんを知ることができた。

子どもが思わず遊びたくなる玩具とか生活雑貨に混じって、奥の方でやけにオトナ女子を引きつけているコーナーが。「アトリエSUBAKO」として活動している、宮西隆生さんのバードカービング。「キツツキいいなぁ」「あたしはピンクの鳥がいい」「スズメ最高」と手に取っている女子たち。 店員さんに聞いたら、なんでも社長が富良野のクラフトフェアでかわいさに目を奪われて、店で取り扱うようになったんだとか。この小さな鳥と、置いている商品の世界観がマッチしてて、すごい効果的だわ。勢い余ってスズメを飼うことにしました。飛行機のことを考えて、厳重に梱包してもらう。

3人分、お土産でいただきました

コサインのホームページによると、「家具を作るときに出る木の切れ端をどうにか有効利用できないか、という思いから会社が立ちあげられています」だって。面白いなぁ。東京・青山にも素敵なショップがございます。

コサインの本店ショップ

収穫② 当麻町(旭川市の東隣)にある、おしゃれで素敵な農園さんがカンディハウス前でマルシェを出展。この辺はおいしいトマト農家が多くて、この日も「トマトどうですか」と声をかけてもらった。「実はトマトだめで・・・」と言ったけど笑って対応いただけて、楽しくなってハーブやズッキーニ、髙橋農園さんというとこ。マルシェの女性によると、しゃれたデザインの包装は30代の園主が自分でやってるらしい。すごい!

旭川や和寒(わっさむ)、士別とか、近郊には絡みたい農家さんが多すぎる! コサインのバードもそうだけど、イベントは人と人をつなげるなぁ

③駐車場に誘導する砂利の上に、チップが敷かれていた。すごい珍しいものじゃないけど、かわいいし、分かりやすい。素敵な意匠になるなぁ。

久しぶりに見たチョークアート。ゲストハウスでは、落書きし放題の黒板を、どこかの小屋に置きたいな~
最近インスタを始めたので、せっかくだから投稿しようと思ったけど、背が足りなかった。親に似て目が細い

会場を後にして、JAの直売所「あさがお」へ。ここ永山地区は屯田兵が開拓した地域で、その時代から自給的な製法でみそや麹、醤油とかが脈々と作られている。それをやっているのが「屯田の里」というところなんだけど、午後は休みなので、「あさがお」で「屯田みそ」を購入。これはコクがあって優しい味噌で、もはやわが家のマストになってる。久々に買えてうれしい。

そろそろ約束の4時が近づいてきた。旭川ふるさと旅行株式会社の喜久野夕介さんのもとへ!

 

 

災害が少ない?旭川

川のまち・旭川

北海道で大雨のニュース。テレビ画面に映し出されているのは、旭川、かつて移住を検討していた沼田町、その近くの留萌や深川の映像だった。大変なときに不謹慎だけど、妙に身近な感じがした。

旭川では忠和地区で冠水し、神居古潭の有名な橋の欄干間際まで荒々しい濁水が迫っていた。自然豊かで大雪山に抱かれた地域を流れるペーパン川も水勢はすごかった。ゲストハウス予定地も通る牛朱別川(うしゅべつがわ)では一時、氾濫危険水位を上回った。 被害が出ないことを祈るばかり。

旭川は「川のまち」ってよく言われる。市中心部の石狩川と歴史ある橋、大雪山はポストカードのような風景美を演出する。

永山地区も、石狩川と牛朱別川、人造の永山新川があって、ほんとうに惚れ惚れしてしまう。サケが遡上し、ハクチョウや渡り鳥が憩うところ。

日曜にみた石狩川は、まさに母なる河川という感じで、悠々たる佇まいだった。沖縄方面では台風の影響が言われていたけど、よそごとだと思ってた。なんとなく、北海道は災害が少ないイメージが強いので、麻痺した感じになってた。(まだ住んでもいないのに・・・・)

たぶん、「地震の少なさ」に引きずられてる。移住特集とかでよくアピールされてるのが、まさにこれ。過去20年で震度4以上は1回のみ。なんとなく災害が少ないっていうイメージがある。(http://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/700/735/736/739/p006679_d/fil/03_saigairisuku.pdf#search=%27%E6%97%AD%E5%B7%9D+%E9%9C%87%E5%BA%A6%EF%BC%94%E4%BB%A5%E4%B8%8A%27

でも、そんな完璧な場所なんてなくて、ちょっと前に台風被害で全国に影響が広がったし、今回氾濫したペーパン川はかつて堤防決壊や浸水の被害もあった。だからペーパン地区からそんなに離れていない永山地区も、地元の関係者から、いっそうの水害対策を求める声が行政に寄せられていた。

雪だけじゃなくて、水害も台風もそりゃあるし、そういうことへのアンテナを高くしないとお客さん商売なんてできないだろなー。災害は忘れたころにやってくる。恵みがあるというのは、時には脅威にもなるってことだし。

こないだの日曜に散歩した時の、石狩川の様子

真っさらな目で旭川を感じる強行軍② 「yomogiya」さん、こんにちは

宿は旭川駅前の「WBFグランデ旭川」。なかなかお高いけど、部屋はきれいだし、和洋室で大人数でも使いやすい。ロビーには、「北海道生活」とか「&premium」とか「スロウ」とか好きな雑誌も置いてて、いい感じ。ちなみに訪日客はやっぱり中華系が多い。

朝食付きだと思い込んでたけど、確認したら「なし」。皆さんすみません。館内のビュッフェ形式の朝食を調べたら、1700円(宿泊者)と来た。高すぎるので、駅前のイオンに入っているサンマルクカフェを目指す。でも玄関で、なかなかの雨の強さに気が滅入り、「イオンで朝ご飯」への抵抗感も消えなかったので潔く諦めて大枚をはたく。

せっかくなんでイクラの小鉢を何個もたべ、旭川ラーメンを自分でつくった。地元産のものを使った料理は全体的においしかったし、こだわりがあった。嬉しかったのはご飯。先週の「JRinn」と同じで、ゲストハウス予定地のある永山地区のもの。

朝ご飯の後は、長男・大滋と温泉に入ってまったりして、長沼という場所(岩見沢と千歳の中間くらい)に住んでいる大工さんのご到着を待つことに。

大工さんは、「yomogiya」の屋号で仕事をされている中村直弘さん。「住みよさ」を追求して、旭川で小屋を作られた実績もある。文句なしにかわいくて、断熱も薪ストーブも「ならでは」の工夫があって。東京でシステムエンジニアをやっていて、HP制作やデザインなんかもされてる。もう、HPとかインスタグラム見たら、すぐやられます。

中村さんにこちらの計画をお伝えし、一緒におもしろがっていただけることになって、飛び上がりそうになっちゃった。地元のすごい人のつながりや技、知識をお裾分けしてもらわないと、どうしても立ちゆかなくなるし。

ホテルの駐車場では、中村さんの愛車・ハイエースを見せてもらった。説明する必要がないくらい、存在感が半端ない。今夜はここの荷台に泊まるんだって。やべえ。

中村さんとお別れしてからは、予定地がある町内会長さんに先週の結果をご報告。その後は、きびすを返して新たな地権者さんのもとへ向かうことになった。候補地は角地じゃないほうがいいような気が強くなってきたので、なんとかこちらの思いが伝われば、と。祈るようにして向かった。ドキドキ  (つづく)

人とつながる旭川一泊の旅⑨ 〆の公園研究

旭山動物園の閉園が夕方の5時15分。夏期でもけっこう早いなぁと思いつつ、蛍の光が流れては、もう抗う気力もしぼんでしまうので、ゲートに向かう。

帰りの飛行機は旭川空港から、夜7時35分の便。早めにいけば、前後でしか取れなかった座席を調整できるかもしれないと聞いていたので、1時間半前に着くとしても、まだ時間はある。

ということで、また予定地のある永山地区に戻った。ちょうど十分、エクストレイルを走らせると、北海道庁の出先機関・上川総合振興局や永山小中学校、永山神社のある中心部に着いた。ここに、永山中央公園がある。

スケボーの練習に使うような台や、しゃれた色合いのブランコが見えて、気になっていた。こちらもゲストハウスの敷地内に〝公園〟をつくろうとしているので、ライバルを研究しておかなきゃと。

目を引いたのは、小高い丘に連なる謎の滑り台。断面は土管を上下で切断したようなU字型で、頂上には土管が置かれている。滑り面には緑色のブツブツがあるシートが敷かれている。段ボールかなにかで滑るのかしら?

アスレチック遊具では、京都の真っ赤な鳥居を連想させるデザインの、ロの字の木枠を重ねた渡り通路や、チップが敷かれた地下室チックな空間が印象的だった。なかなかに個性的だわ。

低学年の子どもより、高学年や中学生の姿が多い。だだっ広い巨大な敷地で、キャッチボールの練習をしている選手もいるので、幅広い層の子どもに使われてる。なかなかに強敵だわ。

自分も〝公園〟をつくる以上、こことかぶらない形で遊び道具や仕組みをつくらないと。。。と考えながら、まだまだ遊びたいとごねる次男を引っ張って、空港方面に舞い戻ることにした。

高校3年以来の旭川空港。レンタカーの事務所は隣接していて、歩いて1,2分くらいの感じ。レンタカー会社の事務所が離れたところにある新千歳空港とかと違って、送迎のときのタイムロスを考えなくてもいいし、精神衛生上、やっぱコンパクトなものにはかなわないと痛感。

やっとビールを飲める。土産店で迷わずサッポロクラシックを選び、保安検査場の行列を見ながら一気に飲み干した。シートベルトを締めてすぐ次男は機嫌が悪くなり、離陸して10分とたたないうちに意識を失った。おそらくそれから10分としないうちに、自分も一時的に記憶を失った。

着陸は21時20分。それから5分以上、駐機場までウロチョロ。運良く前から3列目に座っていたので、眠ったままの次男を抱いて猛ダッシュ。500mくらい走り、21時41分の京急電車に間に合った。人は多いし、でかいから汗だくになる。暮らしも空港も、小さいに越したことないわ。

品川駅で10分しか乗り換え時間がないのでまたダッシュ。まったく起きず。最終の名古屋行き「ひかり」は自由席満席で立ち客ゾロゾロ。新横浜の直前で、おにいさんが「次で降りますので」と席を譲ってくれて、疲れが一気に吹き飛ぶ思いだった。最敬礼。この後も次男は寝続け、23時半に自宅に帰っても起きないまま。無理をさせてごめん。そして静岡麦酒の缶ビールを開けると、あのお兄さんが本当に新横で下りたのかか、気になりだした。(おわり)

 

人とつながる旭川一泊の旅⑧ 納得の動物園

こっちを向いてあいさつしてくれる。次男はペンギンの虜になり、帰宅後もぬいぐるみと寝てる

「屯田の里」から15分かからないくらいで、旭山動物園の正門に到着した。懐かしい門だなぁ。これまで何度も旭川に来てるけど、子どもは初めて。自分も大学生以来だから、10年以上ぶりになる。ゲストハウスを旭川でやろうと思い立ってから、旭山動物園のことはあらためて気になってたので、ちょうどよかったー。

ペンギン、アザラシ、シロクマ、ヒグマ、トラ、カバ、キリンと、全部は無理だったけど主要なところを見て回った。

ペンギン館では泳ぐところ、歩くところ、食べるところと、いろんな角度から観察できたし、手書きのポップで豆知識を仕入れることができた。

アザラシ館だと縦長の円筒形の水槽を気持ちよさそうにすり抜ける行動展示が一番人気で、人だかりができていた。外国のお客さんも満面の笑みでスマホを向けていた。

キリンのところでは、キリンを囲むようにスロープが整備されていて、上から下からなめるように楽しめる。この動線がすごいなー。上の方では、柵から1メートルもない場所までキリンの顔が伸びて、草を食べてるのを真近に見られる。

周りのお客さは「近っ!!」って驚いていたけど、この近さが売りなんだろう、と思った。行動展示をやってることで有名だけど、思わず時間をかけて近くで見てしまうから、楽しいし、動物に興味がわいてくる。

別の女性2人組みは「うわ、下まつげ、長っ!!」と声を上げていた。まつ毛の長さは女性は意識するとこなんだろけど、なかなか普通の動物園だと、ここまで分からない。下から見るだけのキリンの可愛らしさと、目の前でみる瞳の愛らしさは、比べ物にならないわね。

雪のないこの時期、旭川じゃないとできない要素がいっぱいある、とは正直思ってなかった。別に旭川じゃなくても見れる動物が多いでしょ、と。やっぱり廃園間近の園が奇跡の復活を遂げたストーリーと、画期的な行動展示が、メディアで国内外に伝わった効果が大きいんだろうと思ってた。

でも園内を一通り見てみて、明らかに他と違うのは、スタッフの皆さんがすごく楽しそうにしてること。「こんにちはー」の挨拶ひとつ、車椅子用の車両を運転している人の手の振り方一つから、楽しませようという意識が伝わってくる。行動展示にしても、旭山の真似をしてやった俄か対策とは違って、ブレがないし徹底してる。多言語表記も充実してる。前に書いた、蒲郡水族館にも見比べに行きたい。

旭山の来園者数はピークアウトして一時期の勢いがないのは当然にしても、今なお、最北の小さな動物園が人気をキープしてるのは、やっぱりすごい。   (つづく)

人とつながる旭川一泊の旅⑦ 一平のライバル出現

ゲストハウス予定地の土地を所有している女性が、杖をついてわざわざ道路まで出てきてくださり、次男に「また遊びにきてね〜!」と見送ってくれた。

心がポカポカして満たされたけど、もうお昼の2時。1時間もお邪魔しちゃってたんだなあ。緊張が解けたせいか腹が減り、早くお昼ご飯を食べようと、永山の予定地の方面にエクストレイルを走らせる。

予定地周辺で、もうちょっと地取り(聞き込み)をやろうと思ったいたんだけども、頑張ってくれた次男にお礼をしないといけないと思い、「動物園行く?」と提案。大喜びで、ラーメンを食べてから旭川動物園に行くことになった。

道すがら、永山地区が発祥で本店のある、三葉製菓の「北かり」へ。昭和6年創業、道産食材にこだわった、かりんとう専門店。しこたま、かりんとうを土産に買い込んだ。

お昼は、予定地近くにある味噌ラーメンの「よし乃」。自分はみそバター、次男は醤油のお子さまラーメンを注文。チェーン店なので、すごい期待していたわけじゃなかったけど、みそが濃厚だけどほんのり優しく、麺とよく合い、バターとの相性も抜群。ゴールデンウイークに行った千歳市の「味の一平」のうまさにもびっくりしたけど、ここもめちゃ美味。2日にいっぺんは食べたい。すごいボリュームだったけど。ご主人やお母さんがたもめちゃ優しい雰囲気で、再訪必至。

みそバターラーメン 800円

食べ終わり、屯田兵の時代からの自給的な作り方が引き継がれているミソや醤油の店「屯田の里」に寄ったけど、あいにく日曜の午後はお休み。ゲストハウス予定地から自転車ですぐの距離だし、また来ればいいか。この時すでに午後3時40分。動物園は最終入園が4時なので、急いで向かう。

人とつながる旭川一泊の旅⑥ ついに所有者さんに!

予定地から12キロ離れた、ゲストハウス予定地の所有者とみられる方のところへ、環状の国道12号をひた走る。隣の次男は、町内会長さん宅でお話ししている時、車内で一人ぼっちになったと思って、ずっと泣いている。「ジュースかアイス買おうか」と安易な言葉をかけ、なだめながら向かう。

15分ほど走って、セイコーマートが見当たらなかたので、セブンイレブンでスイカアイスを購入。車内で食べてもらい、機嫌をとる。自分もパーカーを羽織っていたが、我慢ならないくらい暑くなって、ここで半袖になった。緊張なのか興奮なのか、ドキドキもしてきた。いよいよ最大のヤマ場。

近くにメルセデス・ベンツ旭川のある交差点から、高台に入った。豪邸が並んでいて、芦屋とか田園調布みたいな雰囲気が漂う。そこからさらにのぼっていくと、ややカジュアルな住宅地が見えてきた。山の斜面を切り開いて造成したような、なかなかに傾斜のある、暮らしやすいすてきな所。

雪よけシェルターのような、ガレージの外壁を取っ払ったような細長い玄関先を歩いて、ピンポンを押す。沈黙の時間。お庭に伸びた雑草と白い花がまぶしい。緊張が高まる。

「どちらさん?」とおばあちゃんの声が聞こえて、「旭川に引っ越しようとしている、静岡県からきた松本と申します。場所は永山で考えていて、ずっと土地を探してます。お尋ねしたいことがありまして」と言うと、出てきてくれた。

促されて細長い玄関先にあるイスに腰掛けていると、おばあちゃんは「ちょっと待ってて。留守電にしてくるから」といったん宅内に戻った。しばらくして、今度はアイスの「モナ王」を持ってこられ、次男に「どうぞ、食べていいよ」と進めてくれた。照れてゴモゴモする彼。嬉しかった。

80歳を過ぎたこの女性は、これまで20年以上、里親になる活動をしていたんだという。子どもに向ける眼差しは文句なしに温かい。このイスに座って、毎朝学校に向かう子どもたちに「おはよう」と挨拶しているらしい。いいなぁ、こんなところに暮らしたいんだわ。

移住、引っ越しを考えるに至った経緯をお話しした。このまま転勤ばかりの生活を送るよりも、次男が小学校に入るまでに、どこかに根をおろしたかったこと。自分の意思で「地元」をつくりたかったこと。隣の人の名前も知らない生活ではなく、近くの子どもやママたち、おじいちゃん、おばあちゃんと混じり合うように育ってほしい、ということ。じっくり率直に伝えると、女性は「うん、うん、そうだねえ」と静かに頷いてくれた。

女性は、三度の飯よりゴルフ、麻雀、パチンコが好きなんだという。式場のコンパニオンとして働いていて、収入があったので、遠慮せず遊んでいたらしい。他界されたご主人は地位のある方だったけど、自分で自分の人生を楽しんできた。

脳梗塞やガンを経験し、今では自由な外出はできなくなった。病院通いが続いている。ただ、市のタクシー補助をあえて受け取っていないんだとか。「市の財源が減るでしょ」とさらっとおっしゃる。かっこいい。

このシェルターみたいなところは、近所のお年寄りがやってきては座り、おしゃべりを楽しんでいるそうな。どおりでテーブルもあるし、イスもたくさんあるんだな。これは立派なコミュニティだし、幸せな地域だなと思う。

電話や贈りものをしてくれるお孫さんやお子さん、お嫁さんの話になると目尻が急に下がる。1人暮らしで、みんなが気にかけていることがよく分かった。幸せそうだった。

さて、予定地は登記上はこの女性が所有しているものの、実際には息子さんにあげた形になっていると教えてくれた。関東で忙しく活躍されている息子さんが旭川に戻った時のことを思って、1971(昭和46)年に新聞広告を見て購入したらしい。とりあえず息子さんに、売ってもいいかを確認していただくことになった。その電話は26日(火)になされると。    ドキドキ!

(つづく)