職を転じて新たな天職を

最終出社まであと35日。ここに来て、新聞記者の仕事のありがたさと醍醐味を、久しぶりにガツンと思い知ることになるなんて。

愛知県瀬戸市の「三峰園窯」の加藤達伸さんが、フェイスブックの投稿でブログのリンクを張って、メッセージを寄せてくださった。

そのメッセージの中心は、7年前に書いた、瀬戸焼のこれからについての連載。「今でも読み返し自身がかかわる瀬戸焼のブランディング事業に役立てたりしています」とある。保管してくれている記事の写真とともに。

加藤達伸さんのフェイスブックより

こんな嬉しいことってあるかしら。まさに記者冥利に尽きるってもんで。

瀬戸市の担当=焼き物担当として、期間は短かったけどいろんな事を考えた。毎日のように地元の人たちと飲んで、加藤さんはじめ焼き物に携わる作り手とも本音でしゃべって、飲んで飲んで。 本音の積み重ねが、自分の中で問題意識に成長し、いろいろ調べようと足が動き、たくさんの人に伝えたくなった。サラリーマンとしてというより、たまた多くの人に届けるツールを持っているだけの市民として、という感覚が強かった。

休みの日は県外を含めて産地を見に行ったし(今なら絶対、出張申請してる!)、仕事と遊びの境がそんなになくて、熱量があった。苦しくても好きでやっていて楽しいから、全部よし。書くことでいろいろと言われることもあったけど、心の通じた人からは、ウインクしながら親指を立てたグー!マークを向けてくれるような応援をもらって、31回続けられた。

なんのために、誰のために書くのか、すごく明確だった。もちろん批判や懸念もあったけど、支局に「購入したい」「まとめてスクラップしたい」と電話をもらった。反響があることが一番のやりがい。

その仕事が、時間をへてもまだ読んだ人の記憶に残ってるなんて、会社辞めたら罰が当たると思っちゃうくらい、恐れ多くて、幸せな気分になる。

長久手町(当時、今は長久手市)を担当していた時に知り合った職員さんからも、「今回のことがあって、松本さんの記事を読み返しました」とメッセージをもらっていて、同じように嬉しかった。

新聞記者といえば、「抜いた」「抜かれた」の世界。特ダネを求めて、他社より早く報じることを目指して、がむしゃらに動き回るイメージがある。もちろんその通りだけど、特に若い記者と話していると、これまで不動に見えた新聞像は確実に変わってきているし、読む人が求めているものは何なのか、をより考えるようになっている気がする。

「いい記事」といってもいろいろ。

記者が掘り起こさないと、埋もれたまま社会で共有できなかったようなネタは間違いなく一級の特ダネだろうと思う。じゃあ、明日普通に発表されることを今日すごいエネルギーをかけて書くのって、どれだけの共感を得られるんだろう。社内でもだいぶ意見が分かれるところ。ほかには、内容がじわじわと体に染み渡って力を与えるような記事とか、長く記憶に残る記事とか、いろんなタイプがある。

その中で、やっぱり自分としては、時間がたっても誰かの心に残るようなものを残すのが好きだった。というより、そういうのを目指してはいた。紙媒体として記録・保存できるものだから、一過性で消費される情報より、新聞らしい情報を届けられるし、反響もある。

新聞記者をやめて旭川に移住し、ゲストハウスをやると言ったら、ほとんど全員に驚かれる。「全然違ったことするのね、大丈夫?」と心配してくれる人もいる。でも実は、やることの根っこは一緒。

新聞記者は赴任した地域を好きになって、そこの人たちと喜怒哀楽や問題点を共有して、聞き出し、まとめ、発信して、フィードバックを受ける。

ゲストハウスや公園づくりも同じこと。ローカル(地域)資源を発掘し、編集し、意味づけし、つなげて、発信して・・・。

新しい天職になっていく、そんな予感しかしないわ。

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