ラストラン 新聞記者

9月7日、中日新聞社の社員として出社する最終日を迎えました。10年半、いろんな経験をさせてもらい、各地の皆さんに育てられ、楽しませてもらいました。

愛知県の瀬戸支局を皮切りに、金沢にある北陸本社報道部、浜松の東海本社でお世話になった。地域に入り、1人の市民として思いをできるだけ共有して、友だちや師を増やしてこれた。一生のお付き合いをさせてもらえるような人が、たくさんできた。地域があるからこそ、人は頑張れるし、こどもが育つし、国が保たれているんだと体で覚えた。こんな貴重な、「おいしい」仕事はないと、今でも本当に思う。

最終日の日中は、挨拶回りや各種の整理を。夜は11時まで夜勤。上司が気を使ってくださったおかげで、何人かの後輩が挨拶に来てくれて、先輩が声かけをしてくださり、電話もいくつかいただいた。「北海道で行き詰まって諦めないといけない、となったらもう一度入社試験を受けるように」という具体的なアドバイスも(笑)

贈り物をいただき、破顔する筆者

でも不思議と、ナイーブになったりしないし、落ち着いてた。それどころか、なんだろう、この、満たされる感じは。1ヶ月くらい前まで、最終日は号泣するだろうと予想してたけど。ドライにおすまし顔をしているわけじゃなく、実感がまだ足りないだけなのかも。

今後の厳しさに思いを馳せ、気を引き締める筆者

記者として10年は修行。一人前になれるかどうかは、それからーー。そんな風に教わってきたし、今はその言葉の意味が分かる。3年続ける、5年続ける、そして10年。それぞれに、思うことのレベルも角度も、量も違う。10年たてばプライベートでも環境が変わって、考え方や優先順位がガラッと変わることがある。自分がまさにそう。

どう生きたいのか、どこで根を張ってどんな暮らしをして、死ぬのか。自分なりに考え続けてきて、家族とも話し合って、今のところ揺らぎはない。だから妙な落ち着きにつながってる気がするし、やりたいことが山盛りでワクワクする。

会社のみなさん、取材でお世話になったすべての皆さん。本当にありがとうございました。学んでことを必ず生かして、場所や形は違っても、なんらかの形で恩返しをして、楽しんで生きているところを見せていきます。もしよければ、今後ともよろしくお願いします。

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