なんにも失わずに進もうなんて、無理でしょ

帰省の話のつづき。身内ネタです、すみません。

神戸市垂水区に住んでいる祖母に会いに行きまして。旭川に移住することをまだ伝えておらず、私の母も反応が怖くてなかなか言い出せなかったので、意を決してカミングアウトするのが最大のミッションだった。

焼き肉屋さんでお昼を食べて、生ビールで乾杯したあとに「秋に北海道に引っ越しするわ」と切り出した。すると祖母は、梅干しを口にいれた漫画のキャラみたいな表情をして、「えーーー」と、これまた漫画のように言った。

転勤だと直感したようだけど、移住して宿を始めることとかを、こちらとしては丁寧に説明したら、いよいよ驚きを深めて、ひ孫たちに向かって「もうなかなか会えなくなるかなぁ」とぼやく。

距離が生まれることでショックを受けてしまわないか、妻・茜も自分の母もかなり前からかなり心配していた。これまでも帰省すると、茜は「おばあちゃんの喜んでる顔を見ると、すぐに移住というのは・・・」と漏らすことがあった。

ほんとその通りだと思うし、かなり初期からもちろん自分なりに考えてきた。孫を溺愛している母や祖母が悲しむのが好きな子どもなんていないし。

でも、本当にやりたいことがあるなら悩んでも答えがブレるわけないし、あえてドライに言うなら、母や祖母亡き後も自分や子どもたちは生きるわけで、その人生を豊かにするんであれば、えいや!でやらんといかん。 と、言い聞かせてきた。 もっとキツい言い方をするなら、母や祖母のために生きているわけではないので、その順番は間違っちゃいけない。と、言い聞かせてきた。少し心を鬼にして。覚悟が試されてる、とも思っていたので。

自分たちが本当に活き活きと新しい人生を楽しんで、その姿を見せることで母や祖母たちを幸せな気分にさせたほうが、長い目でみて、みんなにとっていい。そしてそのためには、しっかり軌道に乗せて、必要以上に寂しい思いをさせないように、ある程度、飛行機で関西・瀬戸と北海道を行き来できるようにしたい。そのように思うに至ったのであります。

焼き肉屋さんから帰って、祖母は母や妻といろいろ話して、けっきょくは「自分のやりたいことをやるのが一番や」「子ども(ひ孫)のことを考えて、ならそうるのがいいやんね」というところで落ち着いたようで。自分に言い聞かせているのかもしれないけど、額面通りに受け取ろうと思った。

たぶん、孫の決断を信じてくれてるんだろなー。祖父もそうだったし。

とにかく長生きしてもらって、とにかく楽しくやってるところを見せたいとやる気がみなぎってきた!

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