JR北に400億! 〝駅活〟はじめたい

国交省がJR北海道に400億円の経営支援をすると決めた。27日、石井大臣が表明。このブログでもこの間、国が支援策を夏に決めると書いたばっかりだったので、発表がけっこう早かったなーと驚き。

毎日新聞やら朝日新聞やら一斉に速報してた。あしたの北海道新聞が楽しみ!

7月28日付、朝日新聞の経済面

金額としては地元の求めていた規模より小さいけど、「監督命令」なるものが目を引く。経営をしっかり監視していくらしい。菅官房長官も「目に見える経営改善」を求めたらしいから、国民全体の目が北海道に注がれることになる。

鉄道に乗って残しましょう、なんていう活動はもう随分前からあるけど、クルマに頼り切った生活をいきなり変えるなんて無理。

だから〝駅活〟から始めたい。遠い昔はどこでも、今でも都市部では、駅は地域の中心だった。核だった。心臓だった。移動のためだけじゃない、代えがたいパブリックスペースだった。

それがどんどん鉄道からクルマに人が流れ、駅前が寂しいのはローカル線共通の見慣れた景色になった。こうなるともう悪循環しかない。

そんな中でも、駅を利用した取り組みはじわじわ広がっている。JR九州の豪華クルーズトレイン「ななつ星」とか新幹線「つばめ」をデザインした水戸岡鋭治さんは、地域を豊かに、よくするために、駅のリ・デザインから始めた

 

ゲストハウスの予定地の最寄り駅から2駅で、スキー場やピップエレキバンで有名な「比布駅」は駅舎をカフェにして賑わいを見せている。

幻に終わったけど、旭川を目指す前に検討していた、沼田町というところでは、未使用のホームで〝駅活〟できないかと模索していた。駅っていう公共空間をもっと豊かに、使いやすく、子どもに誇れるものにしたい。

恥ずかしい。。。

ゲストハウスは、旭川駅から14分の永山駅が最寄り。駅の周辺はまとまった空間あるけど寂しいからマルシェとかできそうだし、「旭川公園」(予定地)に、鉄道に乗ってでも来たくなるような魅力をつくろうと思う。もう一つの最寄り駅の北永山駅は、旭川農業高校の生徒さんが通学で使う。ただの殺風景なプレハブ待合室があるだけなので、ちょっと時間をかけて愛着のある施設にリノベーションできたら楽しいじゃん!!

〝駅活〟はじめたい。

 

北の鉄路の終着駅は

ゲストハウス予定地の近く、北永山駅にて。photo:松本茜

2016年11月18日、JR北海道のプレスリリース(報道発表)が全国的なニュースになった。社として単独で維持できない路線が、今あるうちの半分以上にあたる、という衝撃的な内容。どっかのシンクタンクの、ひどい冗談かと。

これを受けて各地の自治体が慌ただしく動いたけど、JRとしては廃止→バス転換、といった明確な方向性を示しているところもあり、また話し合いの場の設置もままならない地域もあったりで、情勢の厳しさは時間がたっても変わらなかった(少なくとも外から見ている限り)。

で、最近になって、5路線5区間については廃止して、道庁や国も容認する、という報道がでてきた。「やはり」というのが正直なところだけど、もっとやり方はないものか・・・と残念な気持ちになってしまった。

特に5路線の一つの留萌本線には思い入れがあった。沿線の沼田町という所に移住して、石狩沼田駅の使われていないホーム上にゲストハウスをつくろうと考えていた時期があったので。2月くらいのことで、もう半年前か~。

沼田町やJR北海道(本社)に説明した資料。今見たら恥ずかしい限りだけど、勢いはあった(笑)

この時は、思い付いてすぐ町役場にいってプレゼンしたもんだ。ローカル鉄道の再生話とか、駅の価値とか、いろんな文献を読んだ。でも既に留萌線の廃止は免れないだろうと思っていたし、沿線自治体の動きも鈍くて、「こりゃやばい」と感じた。

あの時、留萌本線や沼田にこだわり続けていたら、いまの永山での計画もなかったので、なんとも言えない複雑な気分。

翻ってわれらが宗谷本線。旭川―名寄は、道庁・沿線自治体とJR北海道が半分ずつ出資した「北海道高速鉄道開発」がかんでいるので、まず、近い将来に廃線ってことはないと思う。ただ利用客が少なくて厳しいのは変わりなくて、沿線自治体が「宗谷本線活性化推進協議会」を立ち上げている。極端に利用が少ない駅や踏切を廃止する議論をしている

国は今夏にも支援策の大枠を示す見通し。国鉄の分割民営化を進めたのは国だし、道路ばかりに手当てしてきたのは国なので、大きな責任があるのは当然。宗谷本線がまさにそうだけど、国土維持のために鉄道インフラを捉え直す必要もある。

自治体も、「道路、道路」と要望して、鉄道網とかぶせるように高規格道路を整備し、利用客が絶望的なくらいに減ってきてから「廃止するな!」「お年寄りと子どもはどうしてくれるんだ!」と文句を言うのは虫がよすぎる。

JRだけでどうにかできる次元ではもちろんないし、じゃあ普通の道民がどこまで関心あるのかといえば心もとない。北海道の鉄道全体の将来を見つめてデザインできる人がいないものかしら、って思う。外から知見を借りるのもいいのでは。

自分としては、高校生がたくさん使っている、ゲストハウス近くの北永山駅でおもしろいことをたくらんでます。

photo:松本茜
photo:松本茜

住宅街×ゲストハウス

5月に撮った、予定地周辺の写真。先週末に行った時は撮るの忘れてた・・・・

融資の相談をしている金融機関さんには、進ちょくや課題をそのつど報告しているんだけど、先日来、「地元の人間からすると、住宅街にゲストハウスというのはやはりイメージできない」というご指摘をいただいていた。

旭川では例がないと思うし、「なんであえて住宅街なんかに?」「近隣との関係でリスクが高いのでは」と言われるのも、さもありなん、であります。

理由を説明せよ!  と言われたら、こう答える。「地域のありのままを感じるには、そこに暮らす人に囲まれた方がいいに決まっているから。暮らしをシェアできるから

もう少し詳しめに。

「地域の暮らしを体で感じてほしいなら、人を通じて地元の空気感が分かる場所ほどいい。人里はなれた、自然があふれた場所や農泊は北海道らしいけれど、ご近所さんとの接点は限られる。もっとリアルに普段着の暮らしを知ろうと思ったら、町内会にチェックインするくらいのイメージがいい。まちなかのホテルがディープなまちを案内する企画とかはあるけれど、もっと自然体がいいんじゃない?  それには、ご近所さんの多い住宅街、その中でもいろんな人の入り混じる〝公園〟のような場所だったら最高です」

なんとなく分かってもらえる。論理的には破綻していないはず。ただ、これで全く前例に接したことのない人や興味のない人に伝わるかというと、そうではないと思う。じゃあもっと伝え方を工夫しないといけないし、脳みそに汗をかかないといけない。新人記者が原稿用紙に向かうように。

これだ!というレベルに言語化はまだできてないけど、手始めに、全国のゲストハウス例を調べてみた。同じ北海道の都市として札幌、そして次に鎌倉を。

なぜ鎌倉かというと、実は理由がありまして。旭川の永山地区で準備しているゲストハウスのペルソナ(最重視する想定の顧客層)は、横浜市に住む30代女性(実際はもっと細かく決めているけど・・・)。なので、旭川の中心部から永山地区まで行く心理的な距離と、横浜から鎌倉に行くそれが、同じくらいかなあと想定して。

ネットで簡単にみる限り、住宅街にあるゲストハウスは、札幌では二件、鎌倉でも二件あった。ほとんどが最寄駅から15分以上歩くところで、周りはほんとに普通の家。

おもしろかったのが、鎌倉に住んでいる高校のバレー部の先輩に連絡してみたら、鎌倉の一つのゲストハウスが行動圏内にあるんだと!  雰囲気を聞いたら、「もはや地元民しか行かないよーな住宅街なのに、外国のバックパッカーがたくさん来てる」「周囲にすごく馴染んでる」「目の前にあるドラッグストアでしょっちゅう買い物するけど、違和感なし! もしかしたら、ドラッグストアがあるおかげで自然と地元民が集まることで、ローカル感をさらに出しているのかも」と。

北先輩、めちゃ分かりやすいご明察ありがとございますー    見たことないけど、その通りなんだろな〜って感じがするし、住宅街にあるからこその存在感を醸してるはず。

都内の下町や京都なんかは住宅街のゲストハウスなんてごまんとあるし、仙台とか滋賀県の彦根、博多、沖縄のうるま、湘南とか、いくらでも同じような立地のゲストハウスが見つかった。富山市の「縁(えにし)」っていう宿は、「住むように、泊まる。住宅街の小さな宿。 Feel Local!」とコピーにあって、自分のゲストハウスと丸かぶり(実はホテルも含めて同じようなのは全国にけっこうある。それだけローカル志向が強まってる!)。

それぞれホームページとか紹介サイトとか見てみると、喧騒から離れて、ローカルな暮らしを感じられるよ!的なアピールポイントを打ち出してるところがチラホラあった。

久しぶりに事例研究っぽいことやったけど、ほんと大事やなと痛感!  他の人にわかりやすく説明するときの材料にもなるし、コンセプト磨きができるし、めちゃくちゃイメージがしやすくなる。

北国の信金と北先輩に感謝と最敬礼。

 

 

 

人とつながる旭川一泊の旅⑨ 〆の公園研究

旭山動物園の閉園が夕方の5時15分。夏期でもけっこう早いなぁと思いつつ、蛍の光が流れては、もう抗う気力もしぼんでしまうので、ゲートに向かう。

帰りの飛行機は旭川空港から、夜7時35分の便。早めにいけば、前後でしか取れなかった座席を調整できるかもしれないと聞いていたので、1時間半前に着くとしても、まだ時間はある。

ということで、また予定地のある永山地区に戻った。ちょうど十分、エクストレイルを走らせると、北海道庁の出先機関・上川総合振興局や永山小中学校、永山神社のある中心部に着いた。ここに、永山中央公園がある。

スケボーの練習に使うような台や、しゃれた色合いのブランコが見えて、気になっていた。こちらもゲストハウスの敷地内に〝公園〟をつくろうとしているので、ライバルを研究しておかなきゃと。

目を引いたのは、小高い丘に連なる謎の滑り台。断面は土管を上下で切断したようなU字型で、頂上には土管が置かれている。滑り面には緑色のブツブツがあるシートが敷かれている。段ボールかなにかで滑るのかしら?

アスレチック遊具では、京都の真っ赤な鳥居を連想させるデザインの、ロの字の木枠を重ねた渡り通路や、チップが敷かれた地下室チックな空間が印象的だった。なかなかに個性的だわ。

低学年の子どもより、高学年や中学生の姿が多い。だだっ広い巨大な敷地で、キャッチボールの練習をしている選手もいるので、幅広い層の子どもに使われてる。なかなかに強敵だわ。

自分も〝公園〟をつくる以上、こことかぶらない形で遊び道具や仕組みをつくらないと。。。と考えながら、まだまだ遊びたいとごねる次男を引っ張って、空港方面に舞い戻ることにした。

高校3年以来の旭川空港。レンタカーの事務所は隣接していて、歩いて1,2分くらいの感じ。レンタカー会社の事務所が離れたところにある新千歳空港とかと違って、送迎のときのタイムロスを考えなくてもいいし、精神衛生上、やっぱコンパクトなものにはかなわないと痛感。

やっとビールを飲める。土産店で迷わずサッポロクラシックを選び、保安検査場の行列を見ながら一気に飲み干した。シートベルトを締めてすぐ次男は機嫌が悪くなり、離陸して10分とたたないうちに意識を失った。おそらくそれから10分としないうちに、自分も一時的に記憶を失った。

着陸は21時20分。それから5分以上、駐機場までウロチョロ。運良く前から3列目に座っていたので、眠ったままの次男を抱いて猛ダッシュ。500mくらい走り、21時41分の京急電車に間に合った。人は多いし、でかいから汗だくになる。暮らしも空港も、小さいに越したことないわ。

品川駅で10分しか乗り換え時間がないのでまたダッシュ。まったく起きず。最終の名古屋行き「ひかり」は自由席満席で立ち客ゾロゾロ。新横浜の直前で、おにいさんが「次で降りますので」と席を譲ってくれて、疲れが一気に吹き飛ぶ思いだった。最敬礼。この後も次男は寝続け、23時半に自宅に帰っても起きないまま。無理をさせてごめん。そして静岡麦酒の缶ビールを開けると、あのお兄さんが本当に新横で下りたのかか、気になりだした。(おわり)

 

人とつながる旭川一泊の旅③ ありがたい助言

誰もが、北海道に住みたいと思うようなグリーンアスパラのナントカ

今宵の宿は、JR系の「JR inn」。旭川駅直結で、なぜかイオンと合体してる。土曜の夜7時前。駐車場に入るのにけっこう時間を取られて、時計を気にする。旭川もいくつかイオンがあるけど、〝イオン渋滞〟はどこの地方都市にも共通するんだろうなー。うーん、なんだかな〜、だけど。

やっと駐車場の空きを見つけてフロントを目指すも、一度5階に上がらないといけないらしい。フロントは中華系の訪日客でごった返している。やっぱ勢いすごい。当然、チェックイン後のエレベーターもなかなか乗れず。

部屋に荷物を置いて、次男を抱っこして傘をさし、急いで徒歩7分ほどの喫茶店へ。地元の名士に違いない、事情通で人脈も広い税理士の先生とのお約束。

何をしようとしているか、なぜこの場所か、資金計画と時期は・・・などなど一通りお話しして、真摯に耳を傾けてくださること90分。これまで、勢いよく起業したはいいものの、夢破れて消えた人をたくさん見てきたというだけあって、すべての言葉に重みがあった。ずしんと響く。

◆立地は中途半端なもので妥協するのは絶対ダメ。

◆やっつけで進めて秋オープンにするより、冬を越して3月にした方がいい。

◆やろうとしていることがダメになっても食べていけるような副業は絶対に必要。この安心感があるかないかが、大きな違いになって現れてくる。

ありがたい・・・・!

うすうす、自分の中で都合の悪いことを「まあいいか、なんとかなるか」と過小評価していたけど、戒めてもらえた。副業も、時期も、土地の代替案も、いちおう考えてはいるけど、見えにくいリスクや長い目でみた時の取るべき選択について、冷徹に考え抜こうと思った。

この方はすでに予定地の登記情報も取り寄せて、お知り合いの不動産屋さんにも、いろいろと取材してくださっていた。紹介されて初めてお電話したのが4日前の19日だったので、すごいスピード感。 脱帽するしかない。

この90分間、退屈した次男のSOSを振り切って熱中した。頑張ってお利口にしてくれた次男へのご褒美に(?)、繁華街で道内の海産物を食べられる地元資本の居酒屋へ。

疲れ果て、乾杯にもやらされ感が漂う次男

いくらこぼれ飯、時鮭といくらの長芋和え、干しコマイ、厚岸(釧路方面、最近はウイスキーで注目)の生牡蠣、襟裳のタコ塩炙り…。襟裳のたこわさびは、今まで食べてきた中で最高にうまかった(これまでは明石・魚の棚のだった)。

ちょっと食べてぐちゃぐちゃになったけど、厚岸の生牡蠣。あしたお腹痛くなりませんように。。。自転車で北海道回った時も、厚岸で牡蠣を大人買いして関西に送ったなあ
いくらこぼれ飯。美味しいけど、改善の余地あり。北海道で食べなくてもいいレベル。よくあることだけども
あんまり美味しそうに見えない写真だけど、まあまあウマイ。時鮭といくらの長芋和え。でもルイベにしたほうが鮭は喜ぶだろうなー

グリーンアスパラはゲストハウスの予定地から近い東鷹栖の「中谷農場」さんのもの。ご飯は同じく東鷹栖の「高見農場」さんの特Aななつぼし。食べてないけど、鷹栖町「新田ファーム」の牛肉もメニューにあった。日本酒は、予定地近くの「男山」のものがなかったので、駅近くの高砂酒造さんの「国土無双」でクイッと。

北海道は食料自給率が200%を優に超える。旭川は稚内、網走、釧路、十勝の各方面からうまいものが集まる「食の交差点」でもある。地物だけみてもすごいとこなんだけど、やっぱ旭川の総合力はおそるべし。

いい感じに流れが来てると勝手に思ってるので、明日は猛取材をかけていこう。明日が今後の全てを決める気がする。                                                                      (つづく)

 

人とつながる旭川一泊の旅① 北海道スイッチ

朝の8時15分に浜松駅に着き、セントレア直行バスに乗りこんだ。座り心地の悪い古い遠鉄(遠州鉄道)のバスだったけど、運転技術はその辺の路線バスとは異次元。北鉄(石川県、北陸鉄道)や名鉄でも一緒。やっぱり高速バスなんかは運転手さんのレベルが違うなあと実感する。例外はあるけど

セントレアでゆっくりエア・アジア便を待つも、到着機材の遅れとかで30分ほどのディレイ。新千歳着も同じくらい遅れて、予定してた列車に乗れず。今日はできる限り「地取り」しようと思ってたので、この30分はでかい。

札幌までは快速エアポート。次男の陽己(はるき、4歳)はさかんに話しかけられ、幼稚園での様子を根掘り葉掘り聞かれて、上機嫌に。でも最近、「恥ずかしい」とか言って、前みたいに聞かれてもいないのに名前とか自己紹介することがなくなった。これも成長なのかしら。

札幌駅で、同じホームに入線してきたスーパー北斗。キハ261系が導入されてからは乗ってない

札幌で乗り換えて特急「ライラック」に。自由席は乗車率80%ほどに見えるけど、指定は30%くらい。もっと賑わってほしいところだけど、バスとの競合もあるのかしら。

次男がすごくよく寝たので、そしてパワーポイントが文字化けしてフリーズしたので、これからのことに車内でじっくり思いを馳せてみた。

しばらく本業に追われていて、旭川移住とゲストハウスのことが頭から離れていたこともあって、この一週間はけっこうネガティブな状態だった。冷めた目で「ほんとに自分やるんかいな」「一生楽しめるのか」「うまくいくのかしら」とか心配してたけど、なんのことはない。北海道に足を踏みれたら、簡単にマインドに切り替わった。もとの自分に戻れた。しかも、いっそう(思いが)強くなって。

夫婦も一緒かもしれないけど、突っ走ってばかりだと、ろくなことはない。ときどきブレーキをかけてもらって考えを深めたり、違う目で思いのほどを確かめるのって大切だわ。

同じ編成でも、シートにはいろんな色がある。緑が主体なのに一部だけブルーがあったり、赤基調なのに緑が混じったり。変化球というか、多様性の演出みたいなのが好き
この色すごい好き。青森からよく昔乗った、スーパー白鳥と同じ色のままかしら?かわいい
旭川駅の同じホームで出発を待っていた、旭川始発、網走行きの特急「大雪」。自由席は厳しかったけど、ハイデッカーのグリーン車はほとんど埋まっているという謎

ライラックは16時55分、定刻通り旭川駅に滑り込んだ。

                                                                             (つづく)

 

フェリーで目指す北海道

室蘭と岩手県・宮古を結ぶ「宮蘭(みやらん)フェリー」が6月22日、就航した。東北としては復興の後押しを期待し、北海道に多い訪日客を取り込もうと熱視線を送っているようで。新しい人の流れができたらステキ。

国内の新航路は19年ぶりなんだと。直近は1999年、敦賀-新潟-秋田-苫小牧が就航したのが最後。この航路、ゴールデンウィークに乗ったなあ。

浜松から八王子と長野を経由して新潟港へ。生まれて初めてマイカーを詰め込んだ。野球ができそうなくらい広い駐車スペースでは、10人はいただろうか、まさに職人たちが手際良く誘導していた。

間隔は必要十分にして無駄がない。
トラックや荷台はこれまたガッチリと整然と並べられ、このクルマや運転手さんがいて、いつも北の大地の食べ物が本州で流通してるんだ、としみじみ。

階段をのぼって客室階に行くと、いかにもトラック野郎、という風情のオトコたちが缶ビールを飲んでるのが目に飛び込んできた。気持ち良さそうに、ガハハと声が聞こえてくる。
船旅らしい、懐かしい光景にうれしくなった。

宮蘭フェリーの就航を伝える新聞記事にもあったけど、トラックの陸送をフェリーで一部代替できることで、働き方改革にもつながるんだって。船内にはドライバー専用の宿泊ゾーンもあるし、だいぶ負担は減るんだろうなー

家族づれも多いし、老夫婦も少なくない。高校生や大学生もまじっている。この雑多な感じがしっくりくる。飛行機と違って、いろんな人の顔が見えるしね。

高校3年の時の卒業旅行も、敦賀から苫小牧東までフェリーでいった。みんなでわいわいやって、たっぷりしゃべった。そんな懐かしさもあって、船旅はたまらない。

一平と三平の、ちょっと味なラーメンの話

ゴールデンウィークに北海道にいったとき、毎日ラーメンを食べることを自分に課した。

味の一平の特製(確か)みそラーメン

旭川、札幌、函館。それぞれ醤油、味噌、塩が有名だけど、なんでそうなったかはいろんな歴史があるし、文化としてまちに根づいている。だからそれを知っておこうと。

というのはうそで、旅行中は大所帯(7人)だったのもあって、嫌いな人がいなくて簡単にお店を選べて、食費もおさえられるから。

新潟から乗った行きのフェリーでは海老味噌ラーメンと塩ラーメン、旭川で飲んだ後には旭川ラーメン(しょうゆだと思うけど酔いすぎて覚えてない)、帰りに苫小牧東港に行く途中には千歳市で味噌ラーメンをいただいた。

いちばんよかったのは、千歳市の「味の三平」。

大学生のころ、高校時代の同級生を連れて卒業旅行を第2弾をやった時、貸し切りでお世話になったバスガイドさんがいま千歳市に住んでいて、その方に教えてもらった。いつも並んでいて、仕事のない日にしかいけないくらいの人気だそうな。ガイドブックとかに載っているのかは知らないけど、地元の人に愛されているのは間違いない雰囲気がプンプンしていた。

スタッフは全員が女性。6~7人くらいはいたはず。

けっこう熱いスープはほどよく濃厚で、ふんだんに盛られた、香ばしい野菜とバツグンに相性がいい。しかも変にくどくない。油がいいんだろうなー。縮れ麺は適度な太さでコシがあり、一口一口、噛みしめるように喉を通すことができる。コシはあっても麺がスープに負けていない。なかなか冷めないのもあるけど、時間をかけて食べたい気持ちにさせてくれる。今まで食べた味噌ラーメンで最高の好みだった。

静岡に帰ってから、毎日新聞の「麺食い 列島味便り」という記事を読んで、札幌味噌ラーメンが紹介されていた。「あっ、ここ行った行った!」と喜んだのもの束の間、よく見たら味噌ラーメンの元祖として書かれていてのは「味の三平」だった。

紛らわしい。。。姉妹店かとおもいきや、そうでもなさそうだし。

「一平」はホームページをさっと探しても見つからず、ストーリーとか女性だけでオペレーションする理由とかは謎のまま。

一方の「三平」はといえば、毎日新聞によると、旧満州で満鉄の乗務員をしていた大宮守人さんが創業。2代目のご長男によると「おなかがいっぱいになって栄養が取れて元気になるラーメンを」という思いがあった。戦地では東北や北陸の出身者が、保存食として焼き味噌を持ち込んでいたらしく、守人さんは「味噌を食べると健康になる」とスープに使うことを思いついたんだって。有名な西山製麺さんと一緒に、濃厚なスープにあう麺を一から開発して、讃岐うどんの本場も訪ねて研究したんだとか。

終戦後ならではのストーリーが泣かせるし、コンセプトが明快。

三平の店内はカウンター13席しかなく、目が届く範囲の対面にこだわっているそう。2代目の〆のコメントが秀一。「客との交流を通じて少しずつ変化している。今のみそラーメンを守るのではなく、時代に合ったものにしていかなければ」

かっこいい!これだけで即食べたくなる。

「一平」はどんなストーリーがあるんだろう。美味しくいただきながら、時間をかけて掘り起こしていうのも、また楽しからずや。旭川にもそんな店が待っているきがする。

大雪山とセイコーマートの恵みを感じる、旭川日帰りの旅

もう、ペダルこぎたくなるよね。永山地区を流れる人工河川。人の手でつくられたのに、優しい。

28日(月曜)は貴重な平日休み。セントレア⇆新千歳、行きはエア・アジア、帰りはスカイマークの組み合わせで、合計12000円の弾丸ツアーにいってきた。スカイマークは手荷物の心配ないし、足元狭くなくてほんと楽で助かる。

レンタカーはいつもお世話になる、カーレンタル北海道さん。一日乗り回して3000円ちょい。きれいだし、車種指定もできる。きょうはこれまで乗ったことのなかった先代のスイフトをチョイス。やっぱりヴィッツとかフィットより、長距離運転は楽で助かりまくり。

とはいっても最近の睡眠不足で、休憩を繰り返して旭川を目指す。途中、野幌パーキングエリア(小麦で有名な江別市らしい)で、セイコーマートの店内調理「ホットシェフ」で食べ物を物色。道内では大手コンビニも太刀打ちできない理由の1つにこのホットシェフがあるらしく、手頃な値段で道産食材にこだわったできたての味を楽しめる。パン好きじゃないけど香りに負けてバターパン、つまみにうま塩味のから揚げ。たしかに大手コンビニチェーンのはもう食べられない。なんかこう、丁寧で優しいけど味がしっかりしてる。高校生のときからセコマファンであります!

旭川北インターから、ゲストハウス予定地からほど近い、北永山駅へ。きょうもいい雰囲気だしてましたわ。雪、雪解け、芽吹きの季節と、もうそれぞれに素敵。しかも、これまでで一番よく大雪山が見れた。ありがたく拝んで、予定地を観察して、いざ本来の目的の信金さんへ。

これも人工河川の「永山新川」。上の写真と別のサイクリストが夢中で写真撮ってました。わかるわかる

こちらの計画をプレゼンし、もろもろのアドバイスをいただく。地元の専門家の方からの的確で鋭い指摘にひれ伏すしかない身だけれども、ほんとありがたいとしみじみ。問題点がクリアになって、一筋縄ではいかない現実をあらためて認識しつつ、力強い後押しをいただく。最敬礼。

市役所に移動して、移住担当、建築指導、保健所、消防に挨拶回り。今後の進め方について確認。これまでも電話で、\いろいろ教わってきたので、法的にはいまのところ引っかかるところはなさそうと、ひと安心。走りながら、こまかくチェックしてもらおう。ありがたや

最後は不動産屋さんに挨拶して、一路、新千歳空港へ。

いま手に入れようとしている土地はもともと売りに出されておらず、所有者さんのご家族の事情もあるため、売っていただけるかどうか。

土地を買えるとして、自分のやろうとしていることが、地域に受け入れられるか。求められるものに進化できるか。納得してもらえるような胆力と言葉を持てるか。

まだまだスタート地点に立てていないな、と気を引き締めた1日になった。いまの形でいけるのかどうか予断を許さないけど、なんかしらの「ベスト」に向かっているのは間違いない。少なくともそう思うことにしよう。

 

 

 

 

旭川にゲストハウスをつくる3つの理由③ しっくりくる空き地

北永山駅から大雪山を望む

(②からつづく)

超興奮して忘れられない取材のひとつは、北陸新幹線開業の前の2014年にインタビューした、デザイナーの水戸岡鋭治さん。JR九州のクルーズトレイン「ななつ星」や九州新幹線「つばめ」などの生みの親で、今では全国各地の列車や病院までも手がけていらっしゃる。

きっかけは、九州新幹線開業で誕生した第三セクター鉄道「肥薩おれんじ鉄道」を走る、全国のレストラン列車の先駆けになった「おれんじ食堂」のルポだった。この列車とコラボレーションするように、鹿児島県阿久根市の阿久根駅が、水戸岡さんの手によってリノベーションされ。それをネットで知った数日ほど後にお披露目会があるというので、金沢勤務(当時)の北陸新幹線の担当記者として、「駅とまちづくり」の趣旨の連載企画を考えて、さっそく出張した。

駅をまるで公民館のように、まちづくりの核として。迎賓館のようでありながらマルシェイベントに使える待合室、超絶オサレな食堂やカフェ、図書館、子どもの遊ぶ部屋がある場に仕立てられていた。ご本人にもインタビューして、感動しきり。ちなみに去年のゴールデンウィークに家族旅行で再訪したら、やっぱり賑わっていて、「やっぱりね」と一人で訳知り顔を浮かべていた。

ということで、水戸岡イズムの真髄に迫ろうと、機会をあらためて、東京にある水戸岡さんの事務所にも出かけた。心を揺さぶられた言葉がたくさん。

◉商店街など個人の持ち物に手をつけるのは大変なので、公共から変えていく。鉄道車両から始めるのが一番簡単で、次に駅、町並み。

◉ちゃんとした駅をつくると、お客さんはまちの意識が分かる。「心地よいものをつくる」という気持ちがわかる。木を守るとか、まちの意識をみている

◉子どもが楽しい、さわりたいと思える一流のものが大事。心地よい古里をつくらないと、子どもは帰ってこない。おいしい水があって魚が帰るのと同じー。

今回のゲストハウス計画で、石狩沼田駅の構想が頓挫したとき、水戸岡さんの言葉が頭に浮かんだ。そして気づいた。

「沼田じゃなくてもできるじゃん!」

存続が確実視されるJRの路線があって、特別支援学校が遠すぎず、環境の良い幼稚園があって、商圏が小さすぎず。。。

さっそく探してみて、その日のうちに3駅の候補が浮上。その中から、田んぼの中に立つような、宗谷本線の北永山駅に惹かれた。

なかなかの雰囲気。高校生のものか、いつもポツンと自転車が置かれていて、たまらない
北永山駅の待合室からの眺望。もうこれは反則

すぐ近くに旭川農業高校(きょくのう)があって、高校生のお客さんが多い。待合室から大雪山が望める。酒米がとれる・・・。グリーンツーリズムのような、長久手時代に学んだ「都市と農村の交流」ができると思い、法務局のインターネット申請で所有者を把握し、絵を描いた。

でも、調べれば調べるほど高い壁が立ちはだかった。

農地なので、転用はめちゃくちゃ難しい。そもそも、開発が制限される「市街化調整区域」なので建築物が原則、新規につくれない。農業を生業にしていないとグリーンツーリズムや農泊ができない。無秩序な開発を防ぐという名目で農地はいろんな法律でガチガチに守られていて、なかなか手を出せない。

とはいっても、それだけでは諦めがつかないので、市役所に攻略のこつを聞き、日帰りで旭川に行って、いざ地権者に突撃!  耕作放棄地っぽい農地を借りれないか打診してみるも、「じつは小作で貸してまして・・・」とあえなく撃沈。

すぐさま近くの石狩川に飛び込みたい思いに駆られたものの、ぐっとガマンして、帰りの飛行機に乗り込んだ。でも翌日からは「でもやっぱこの辺に住みたい」と気を取り直して、土地探しをスタート。そこで今回の予定地にめぐりあった。

そこなら何ができるのか。本当に自分がしたいのは何なのか。

幸運にも、またまた考える機会をカムイ(神さま)が与えてくれた。

自分なりに考えた。公共空間は駅だけじゃない、ドラえもんに出てくるような、土管の似合う空き地も一緒じゃん。ここを公園みたいに心地よくできれば、石狩沼田駅よりも、北永山駅よりも楽しくなるじゃない、とすぐ分かってしまった。

いま旅好きは、ローカルの普段着の飾らない暮らしの体験や、地元の人との飾らないおしゃべりを求めてる。それじゃあ、駅より住宅街のほうが、しっくりくる。

そして今に至る。いまの状態はベストだと思っているけど、どこでどう転ぶか、ハードルがあるか分からない。ひょっとしたら、次のベストが待ち受けているのかも。        (おわり)