「8823(ハヤブサ)BASE」を貸し切りに

(つづき)

ホルモン焼きそばを食べた後に時間をつぶしていた若桜鉄道の八東駅に、21時6分、定刻通り鳥取方面の最終列車がやってきた。よかったー。このまま、この真っ暗な駅周辺に取り残されたら・・・と心配だった。タクシーも営業終了だし

やって来たのは、水戸岡鋭治さんデザインの青い車両。二駅だけ乗って、隼駅に到着するもあたりは土砂降りで、なんとなく宿を探し始める。スマホのバッテリーがゼロなので不安になりながらも、あらかじめ駅の北側徒歩6分とは覚えていたので、ほんとなんとなく歩き回った。

この隼駅、浜松のスズキが誇る高性能バイク「」の聖地で、全国からライダーや愛好家が集まってくる。今夜はそれを見るどころじゃないけど、宿はこのバイクにちなんだゲストハウスなんです。

5分ほど歩くと、ランタンみたいな光が暗闇に浮かび上がっているのが見え、明らかに周囲の民家と違って雰囲気なので「あそこや!」と確信し、さらに5分ほど歩いて到着。全国的に有名な「8823BASE」であります。ブログで再三お名前を借りている高藤宏夫さんが施工。8823=隼。

頭を低くかがめて垣のエントランスをくぐり、受け付けでチェックイン。古民家をリノベーションしてるんだと中に入って初めて分かった。小さい階段を上がってある土間のような共用スペース、その奥が客室。今夜は貸し切りらしく、男性ドミトリーに案内されて我が物顔を満喫することにした。

泊まったドミトリーの部屋
ヘルメットが掛けられるフック。これはライダーには嬉しい。ジャケットを掛けやすいハンガーラックも
女性用に使うことが多いというドミトリー
女性には必須のアイテムがずらり

充電と細かい作業をしてからチェックインしたカウンターに行き、瓶ビールを注文。ハイネケン系だったかな。。。今日応対してくれたお兄さんは自分と一つ違いで、某大企業の新幹線の運転士を辞めて、こちらに移ってきたんだと。なんかすごいなぁ。26時くらいに就寝。

これはマニアには嬉しい演出だなーーー
洗面所。すごくきれい

朝ごはんは、いつもは隼駅近くの飲食店「8823HOME」から持ってきてくれるけど、昨日からレクサスが絡んだイベント「ダイニングアウト」というので出払っていて臨時休業。なのでゆっくり作業して過ごし、列車の時間を見計らってカウンターへ。昨日は真っ暗だったけど、ようやくこのゲストハウスの全貌が見えたわ。

確かに民家だなー、ベースは
共同スペース。バイクの雑誌とかもたくさん
くつろぐのにちょうどいい大きさ。庭に面してるので開放感もある
晴れてたら、右奥のベースに愛車を飾ってコーヒーでも飲んだら最高だわ
左奥がエントランス。「また晴れの時にいらしてください」と見送られた
ゲストハウス隣の田んぼ。雨が降って、より美しい。エンジンを始動できる時間帯を制限していて、ちゃんと周囲にも配慮されてる

(山陰の旅はまだまだ続く)

 

最後の宿直の未明に、北海道地震

もはや何が言いたいのか分からないけど、ショッキングな地震だったので書き留めないといけないと思った。

6日の朝5時50分ごろ。浜松にある会社の仮眠室で目をこすり、スマホをのぞくと、ただならぬ雰囲気のメッセージを発見。「地震大丈夫ですか!」「何か必要ありましたら、連絡ください」と入っていた。

ひょっとして、南海トラフ巨大地震でも起きて、自分が気付かないままだった・・・? とひやっとする。でもその1,2分後、テレビをつけた瞬間に飲み込めた。これから移り住もうという大地が、大変なことになっている。

1時間弱あとにも、かつて勤務していた地域の市長さんからメールが。「大丈夫ですか 何か必要なことあれば遠慮なくどうぞ言ってください」。

発災2日目の7日にかけても、LINEとかで同様なメッセージを多くいただいた。ありがたや。旭川は震源から離れていて、停電以外の被害はなさそうだった。

職場ではNHKを付けっぱなしにしていて、被害状況が随時入ってくる。高瀬アナと和久田アナが、「停電していてニュースも届きにくい。SNSで知り合いに状況を伝えてほしい。離れているからこそできることがある」みたいな事を、しきりに呼びかけている。状況に即してて、具体的。同業者として、「すごい」と舌を巻いた。たぶん普段から、どういう場合にどんな情報を届けるべきなのか、どうやって伝えるのかを、議論してるんだろな。

何度か同じ映像が流れて刷り込まれてくると、ふと我に返る。昨日から今日は、会社員として最後の宿直勤務。わざわざそのタイミングで、なぜか北海道で、10歳の時に西宮で経験したのと同じ「震度7」の烈震が起こるなんて。あっけにとられた感じになった。

スマホでフェイスブックをのぞくと、旭川の皆さんの投稿が次から次へと。無事の報告、店舗に残っている物資の状況、電気が復旧したATMの場所、自宅の一部開放やお店の電源開放といった情報・・・。ほんとに生きた情報が共有されている。情報がないと不安は増幅する。電気がないからこそ、SNSは強い。

事態がちょっとずつよくなりそうな情報に交じって、影響が長引きそうだなと心配になる投稿も。

士別市にある、トマト(ジュース)で全国的に有名な農家さんは「二次被害」として、収穫期のトマトが出荷できないこと、冷凍庫冷蔵庫も機能しないことを懸念されていた。産業面での混乱と収入への不安は、時間を追うごとに大きくなるのかもしれない。その時は、遠く離れていても応援する選択肢が増えていくはず。

今すぐ動きたい気持ちもあるし、現地に行きたいけど、節電が要請されている中で、中途半端では迷惑になるだけ。8日のビジネスコンテストも延期になったので、とりあえず4泊5日の道内予定をすべてリセットして、キャンセルの手続きに入った。

往路は羽田から新千歳のエア・ドゥ。不可抗力による欠航なのでキャンセル料がかからず、ホームページから試行錯誤して完了。10日に泊まる予定だった星野リゾートの旭川OMO7は直接電話するも、「このエリアではネットワーク障害で・・・」とアナウンスが流れ、何度かけてもつながらない。

電気は弱い。ネットは強い。

今回の特徴は、火力発電所がダメージを受けたことで「ブラックアウト」が起き、停電が北海道全域に及んだこと。道内の電力需要の半分を賄っていた苫東厚真(とまとうあつま)火力発電所が緊急停止して、急に供給力が落ちたことで発電力(供給)と使用量(需要)のバランスが狂い、周波数が乱れたことが原因らしい。全然知らなかった。1カ所に依存するのって、本当に脆い。

この先いつか、福島の原発事故で「エネルギーと暮らし」「一極集中のリスク」をみんなが考えたのと同じように、道内でも関心が高まっていく気がする。

木質燃料は薪ストーブなんかのおしゃれ感や憧れもあって注目されてるけど、なかなか見えない電気や水は、ちょっと事情が違う。でもいろんなことが可視化されて、けっこう大きなインパクトをもたらす予感がする。

「旭川公園」で予定してる井戸は、もう、何があってもマストだなと、あらためて。宿泊用の小屋(タイニーハウス)は、ほぼオフグリッド(独立電源)にするし。

悶々としながら、だらだらと、いろんな事を考えてしまう。

ともかくも行方不明者の捜索が進んで、多くの人が1日でも早く日常が取り戻せるように。そして被災地に降ろうとしている雨はどうか、手加減してほしい。

「ぼくが課題を解決します!」だなんて

旭川で地区予選がある、北海道庁のビジネスコンテストが9月8日に迫ってきたー

プレゼンに使うパワーポイントのデータ提出の締め切りが3日朝10時。34歳になった1日と2日は幸運にも仕事が休みだったので、けっこうな時間をもらって、資料づくりを進めることができた。大会のテーマは、「地域の課題解決」

パワポそのものより、細かいところを詰めていなかった収支計画の整理が先決。ということで、まずはここから。

15年で借入2500万円を返済すると仮定して、冬の稼働率をかなり厳しく見て、元金と利息を返していけるかどうかチェック。最終的には1年目の稼働率は29%として、朝食やカフェの飲食事業も原価から考えて、光熱水費を厳格に(自分の中では)かつ多めにみて、なんとかいけそうな数字をはじきだした。

これが2日の未明になんとかできて、そこからはパワポの組み立てに専念。

自己紹介→「空き地」の魅力→なんでコミュニティーをつくりたいのか→どんな課題があるのか→どう解決できるのか・・・。とりあえず説明に必要なことは網羅はできた。でも、なんか面白くない。まだ住んでもいないのに、「課題を解決しまっせ!」っていうのも、しっくりしない。

浜松では珍しく24時までやってるスタバで、2日夜、会社の仕事と並行して悶々としていると、旭川公園メンバーでデザイナーの鈴木裕矢さんから、「ロゴデザイン案ができました」とメッセンジャーが。スタバで作業していることを伝えると、「来ます?」「相談しながら仕上げちゃいましょう!」と事務所へのお誘いが。待ってました。すんごい助け船!

22時15分くらいにスタバを出て、流れとか見せ方を相談。写真をたくさん使って文字も大きく、テキパキと見せていくのがいいんじゃないか。論理的に隙なくやるのも手だけど、人の心を動かせるほうが楽しいよね、と。最初に掴みで面白くするか、後にもってくるか・・・いろいろ考えた。

で、やっぱり松本は地元の人じゃないし、どう気が狂えば、新聞社辞めて移住してまでやるのか、そこを印象深く伝えたいなと。自分の素直な思い、なんでやるのかというきっかけを、ちゃんと押しだそうよ、と。それが今後にも繋がる!と、という方向でまとまった。

家に帰ってさっそく。全面作り直し。

プロフィール→どこで、なにをするのか→ちなみに数字はこんな感じ→そもそもなんで北海道?→実は〇〇→自分にはこれができそう→地域の課題もこうやれば楽しい、という流れに。文字はできるだけ少なくして写真やグラフ中心に、フォントは大きく。アニメーションで動きを出して。 説明チックではなく、「変なやつがいるな。でもデタラメだっかり言ってるわけじゃないかも笑」と思ってもらえるような、なんとなく面白い感じに仕上がったかなー

住んでもない、出身者でもない若造が「がんばって地域課題を解決します!」なんておこがましいと思ってたから、めちゃスッキリ。変な肩こりがなくなった気分だわ。やりたい気持が先に来てたから、そこはウソつけぬ。

完成は3日未明。まさにギリギリセーフ! これがプレゼンっぽい感じでまた楽しい。ハイテンションな夜明け。ありがとうございます、裕矢さん!

あろうことか歓送迎会で・・・

ついにやってきた会社の歓送迎会。
9月異動「など」に伴うものとして盛大に催され、会社を辞める身だというのに、主賓の末席を汚すことになった。「温かく送り出してやろう」という温情とお気遣いをいただき、ほんと恐縮しきり。ありがとうございます。

幹部からの挨拶で身に余る言葉をいただいて、背筋が自然と伸びる。

反射的に自分のあいさつの中身もカチコチに固まってしまってオロオロしていると、幹事の後輩(20代)から「堅い!!」と文句が入った。

「そこまで言うなら、じゃあ」ということで、幹部の皆さんが居並ぶ中、砕けた言葉でぺちゃくちゃしゃべらせてもらうことに。

「大変な状況にある業界で、これからみんなで頑張っていこうという時に、こういう形になることに、申し訳ないというか、複雑な気持ちでいます。だからこそ、自分の思いを強く持って、いったい松本はなにをするのか、皆さんにお伝えしないと失礼にあたる。なのでプレゼンさせてください!!」

出席者撮影

と、あろうことか皆さんの前で、この日のために用意したパワーポイントの資料3枚を配った。その瞬間、場がややドッカーンとなって、和ませ大成功。

公園をつくってそこにゲストハウスをつくるという、なんだかよく分からない計画を人に話すのっていつも悩ましい。ましてやこの場みたいに、30人くらいの人に同時に、なんてことは経験がない。

ただコンセプトは説明しないわけにはいかないので、「町内会にチェックインするように。生まれ変わった公園で、普段着の暮らしをシェアする宿」と表紙に書いておいた。

これが幹部2人から「これはいただけない」「ダメな原稿だ!」と酷評され、また会場は笑いに包まれることになった。このうち1人からは二次会で、「行きたいな、とはこれ読んでも思えない。旭川まで行く人って、非日常を求めてるんじゃ。外国人ならともかく」とも言われた。

なるほど確かに。旅先の地域の日常を知ることって、すごい楽しいし感動につながることだと信じて疑わなかったけど、字面で伝わらなきゃ意味がない。なんか上手いこと言おうとして、表現が軽くなってるかなと思う。

3次会が終わって家に帰って振り返った。うん、確かによく分からんコピーだし、なんの前提となる情報もない人からすれば、「行きたい」という気分にはならない。それどころか、「町内会」とか「公園」ってまさに普段の日常にあるので、わざわざ北海道まで行く意味が見当たらないよね、と。

ちょっと考えてみた。「自分がこういうものをつくりたい」「これが素晴らしいと自分は思っている」「この良さは来たらみんな分かる」・・・。そんなレベルでしか人に伝える言葉を考えていなかったなー。モノ書きの基本のはずなんだろけど。

読んだ人はどう思うのか、北海道になんで来るのか、北海道旅になにを求めているのか、どこまでこのエリアの事を知っているのか。そういった、情報の受け手のことをまったく考えていなかったわ。「分かってくれるよね、皆さんなら」みたいな驕りもあったね、間違いなく。

思わぬ収穫。無理やりにでも、場違いでも?機会をつくって声にしたからこそ、反応があって、改良ができる。良いことを教わった、8月最後の夜。

輝く人になれ

29日(水)は同じ編集局の大先輩が「寿(ことほ)ぐ会」を催してくださった。遠州鉄道の高架の近くで、床のタイルと昔ながらのスクエアな椅子がいい味を醸している、飾らない居酒屋で。カツオ旨し。

宿泊や飲食はクレーム産業であること、冬の集客見通しに甘さがあること、隣のアパートとちゃんと関係を築くべきこと、向こう3年間くらいの生活防衛資金が不安視されること・・・。これまで社内の方にいただいた指摘や激励のなかで、飛び抜けて具体的な助言をもらえた。このブログを読んでくださっているとのことで、近くにトイレがあったら籠もりたいくらいだったけども。

いろんな話をする中で、印象に残っているのは、「敵をつくらない、好かれるようになれ、頼られるようになれ、輝く人になれ」という言葉。

輝くって、いいな。

会社員を続けるかどうか悩んでいたころに、これまでの33年間の人生の経験と感動を棚卸しした。その時、自分が何をしていた時に一番輝いていたのか、ってことをよくよく考えた。それは、高校3年生の時の卒業旅行だった。

文字にするとなんだかな、とは思うけど、寝食を忘れてのめり込んだという意味で輝いていたんだろうし、楽しかった。でもそれより、自分のやったことに対して最高のリアクションがあったのが、一番うれしかった。その時は深く考えなかったけど、独りよがりで始めたことが、結果的に周りをちょっとはハッピーにさせることにつながったから、「輝き」だったのかなと。

その上司はこうも言った。「輝く人っていうのは、人を照らすっていうことだからな」。そうか。人を照らしてこそ、輝けるのか。会社だって社会福祉法人だって、お客さんや利用者さんが満足してこそ輝ける。自分にとっては、ゲストハウスの周りに住む地域の人であり、旅行する人たち。誰を照らすことができるのか、したいのかは、常に心に置いとかないと失敗するってことかな。あえて、そう解釈させてもらうことにした。

ちなみに二軒目のバーで、北海道・岩見沢市出身という、出張中のイケメンさんに遭遇。こっちが北海道の話ばっかりしてたので、声をかけてくださった。岩見沢のワインや、観光で通過されることを肴に楽しくウイスキーが進み、「おもしろいことしましょう!」と一致。フェイスブックでつながれたし、今後も情報交換をしていきたい。一期一会。飲み屋って楽しい。ああしたい、こうしたいと自分から声を上げていれば、ひょんな所から繋がるご縁もある。冷えたロックのグラスが、いつになく輝いて映った。

とっておきの朝食☆大作戦

宿に泊まって迎えた新しい朝。どんなご飯で地域を感じ、楽しく過ごせそうな気分になれるか。朝食ってめちゃ大事だと思う。こだわりたい。

事業計画、収支計画を立てていく上でも、宿泊業そのものだけじゃなくて、朝食の仕入れと売価の設定もこれまた重要になってくる。考え抜きたい。

先日、神戸に住んでいる同級生の元に、ゲストハウス予定地のすぐ近くで作られている麹と味噌を送った。極秘の商品開発をするために。

屯田兵が開拓した、旭川市の永山地区。そのころからの製法を忠実に再現し、自給的な醸造品づくりを続けているお母さんたちによる「屯田の里」のもの。みそが優しく、かつしっかりしてほんと好き。

極秘と言いながら少し明かしてしまうと、この醸造品とか甘~いアレとかを使って、プレミアムな旭川グラノーラをつくるのです。これが洋朝食。値段は800~900円を想定。グラノーラだけじゃなく、クオリティの高いトマトジュースとかヨーグルトをつける。「和」もそうだけどコーヒーもつける。

和朝食は、永山のお米に、「屯田の里」の味噌汁、漬け物、お好みにより甘酒。お米は+でこだわって、無農薬玄米や健康にいい黒米、雑穀を扱っている市内の老舗「上森米穀店」さんにお世話になろうかと一方的に思ってる。健康にも環境にもいいし、まだ食べてないけど絶対おいしい。旭川のおむすび界でめちゃ有名な女性とも、一緒に企画されているようなので、間違いない。値段は400~500円を考えてます。

和も洋も、とにかく生産者さんや販売者さんの顔をどんどん見せていく。アルバムのようにして。どうやって作られてきたか、なんでこの地でできているのか、いろんなことを感じられるように。それは新しい朝の、上品な力になる。

行きたい公園、行かない公園

浜松でも公園がアツくなりそう。

25日(日)は一仕事してから、待ちに待ったトークイベントへ。会場は、浜松のアート系の拠点になっている鴨江アートセンター。旭川公園グループの松島弘幸さんが、浜松城公園で4年以上、「タタズミcoffee」をされている立場からマイクを握るときた。テーマは「行きたい公園、行かない公園」とちょっと刺激的。

松島さんからは、国内外の公園の好例や制度的なこと、市のお財布事情が厳しくなってきていて公共施設の管理に影響を及ぼしつつあることの説明があった。「公園は誰のものか」、「どんな公園なら行きたいか」を、投げかけながら。

参加者からは、特定の遊びをする遊具を置かず子どもの自主性に任せる「プレーパーク」が広がってるのよ、っていう話題提供あり、田舎には立派な遊具があるだけで子どもは嬉しいもんだよ、っていう視点提供あり。浜松は、まちなかに歩いて座れる場所がないよねっていう問題提起もこれあり。公園管理をしている人、デザインを勉強している人、一利用者。いろんな立場から公園とか公共空間への思いがでてきて、めちゃ楽しい。

あるアーティストからは、こんな至言が。「公園に行った人が何をやっているか、どんな風景があるか。子どもが遊んでいたり、憩っていたり。楽しんでいるのを見て楽しむというのはあると思う。地元の人に愛されるっていうのは、外から見ても楽しい。海外に行った時とか、サンドイッチどこで食べようかと公園に行くけど、観光客目当ての公園ではなくて、みんなで太極拳やってるとか地元の人がいるのがいい」。完全同意。

松島さんの話で「そういえば」って思ったのは、2017年4月に浜松城公園で浜松PPPデザインがやった、防災イベントがお会いするきっかけだったってこと。ということは、旭山公園の原点は浜松なんだなー。そしてタタズミの向かいにあるチェーン店と違って時間をかけてお客さんに向き合っている松島さんのスタイルが、コミュニティーをつくるという点で自分のやりたいことと一緒だという点(おこがましくて、すみません)。

そして自分にとっての「いい公園」っていうのは、世代や障害の有無を超えてみんながたたずみ、遊べる空間なんだ、とあらためて思えた。そんで、ドラえもんに出てくるような、土管が似合う空き地を、より使いやすくして緩やかな繋がりが生まれる公園にするんだな、とイメージがより鮮明になった。来て良かった~

このイベントを企画した指定管理者の担当者は「公共空間を自分のものとしてどう使うか」「どう使うかは皆さん次第」とおっしゃっていた。ほんとそう。公園を公共空間の一つとして考えるのは、縮小時代、パブリックにどう向き合うかにつながる、実はめちゃ大事なはなし。

雑誌とかで公園特集が組まれて公園がアツい感じながら、県外のケースがほとんど。でもこれからは身近なとこから公共空間を考えていく流れがどんどん出てくると楽しいし、行政も市民がもっともっと意識を向ける仕掛けをつくってほしいー。

とりあえず自分は、旭川にちゃちゃっと移住して公園ゲストハウスを丁寧に拓いていくしかない。

「旭川公園」のシンボル遊具の方向性が決定!

8月22日(水)は、泊まった妻の実家(愛知県瀬戸市)を早朝に出て鈍行列車で浜松に戻り、普通に仕事。夜は秘密基地みたいなところで打ち合わせ!わくわく

会場は、浜北区のコインランドリーにほど近い、とある工場(こうば)

おなじみの鈴木裕矢さん、松島弘幸さん、松本憲さんと、オブザーバー(?)に世界で一番洗濯したくなる小屋を置く予定のランドリーをそばで経営してる細田尚弘さん。

旭川訪問の結果を報告。平面の図面では法的に問題なかったこと、細かい注意点、共同スペースの厨房を大きくするかもしれないこと、暖房の検討とか、もろもろ報告して、今後のスケジュールややるべき事を共有。

現地では冬の集客の厳しさについてあらためて指摘を受けたけど、「本州の人が楽しめるコンテンツは絶対ある」という認識で一致。松島さんからは、星野リゾートが青森でやってる宿で、冬の集客が課題になっていて、温泉に氷瀑をつくることでお客を引き寄せたことを教えてもらう。奥入瀬渓流のホテルのはずだけど、その着眼点と実現に向けた努力量がすごいわ。

ゲストハウス「旭川公園」(仮)でも冬は厳しい。でも全国で唯一毎日運転されるラッセル車を撮影しにくる人へのアピールや、近くの比布町のスキー場で合宿する人へのアピール、地域の自主除排雪活動への参加とか、犬ぞりへの送客とか、やってみたいことは雪山のようにある。

憲さんからは、広場部分に置くシンボリックな木製ジャングルジムについて、「なんかしっくりこない」と意見が。周りの建物の世界観と、なんとなく合わない。自分も一緒だったので、じゃあ何がいいか、どんな機能を持たせるのかと、ああでもない、こうでもない、と考える。

左から鈴木さん、松島さん、憲さん、細田さん。鈴木さんはこの写真のブログ掲載許可を請うと、「僕は水虫じゃないってことを書いてくれたら」。水虫ではないです

こっからこのメンバーがすごいのは、「なんで『公園』にしたんだっけ」と原点に立ち帰り、そのイメージを基にすぐ次のアイデアが浮かぶこと。で、アイコン(シンボル)がほどなく決定。憲さんがおもむろに絵を描き始める。遊び方を定めないいろんな遊具や、商品(?)への展開とか、妄想を膨らませてあっという間に2時間がたった。

すごくすっきり。いい公園になりそうだわ。

声を枯らしてお願いする、旭川の夏

できたてホヤホヤのプレゼン資料を抱えて走った一日

学生時代から、手帳がびっしり埋まることに幸せの絶頂を見いだしていたタイプ。最近は手帳がなくても仕事できちゃうほどにダメダメだったけど、だからこそ今日は嬉しい。2日目は、予定詰め込みのスケジュールなので。

朝8時半に「旭川ふるさと旅行」の喜久野さんがホテルに来られるので、7時からちゃちゃっとご飯。健康を意識した食事らしいけど、どこの食材か分からないし、定番の朝ラーメンも、うーん。駅直結のJR INNのが上だった。

妻子は喜久野さんと一緒に9時アパート見学→手作り醸造店で買い物→東川養護学校で相談&見学→東川でランチ→トウモロコシ収穫体験→保育園見学のコースへ。なかなかにハードスケジュール。

自分は9時15分に旭川市役所に行き、建築指導課→保健所の保健衛生係→保健所の食品検査係→消防本部→永山にある商工会→金融機関→煙突店へと。

何をみてもらうのか。

建築当局では、建築基準法に照らして、まず▼一つの敷地に複数の建物があるけど大丈夫か(従属関係があれば特例的にOK)▼どこまで詳細な審査が必要か、とかをチェック。

保健衛生では、▼旅館業法上の「簡易宿所」(ペンションや下宿もこれ。)に該当するか=一人当たり3.3平方㍍を確保してるか、離れの共同スペースにあるトイレは使いやすいか、ちゃんとフロントを経由しているか、などを。

食品検査では食品衛生法の観点から、▼何を作ってお客さんに提供するのか、▼お菓子を販売したりしないか、衛生基準を満たした設備にするかなど。

消防では▼火災報知機や誘導灯はどうするか―とか。

これまでも相談はしてきたけど、図面ができたことであらためてチェック。大枠としては問題なさそうで、共同スペースの厨房の大きさやシンクの数とかは、微調整で済みそうな気配かな。

ここで引っかかったら計画が大きく崩れかねないので、かなり緊張がほぐれた。一通り終わると、急いでレンタカーを駆って、永山の「あさひかわ商工会」へ。

はじめましてから、計画の概要、支援してほしいことをマシンガントークで説明してしまった。無理に時間を取っていただいて恐縮だったけど、熱量は伝わったかな。ほぼ徹で資料作った甲斐があったーーー

商工会を出ると、現地でお世話になっている税理士の先生から電話。金融機関を紹介してくれるというので、急きょ調整に入り、民間の金融機関のアポが終わってかた、場を設けていただくことになった。すごいタイミング!

午後2時にまず民間の金融機関に行って、計画が当初より大きく変わったので一通り説明。途中から声がガラガラになってっしまった。終わると、初めてお会いした方から「夏はこのコンテンツでもいいと思うけど、冬は本当に人が出ない。稼働率40%は厳しいのでは」「電気や薪とか固定費の算出が甘い。もっと精査を」「このままでは厳しい。収支が取れるのかなと思う」と指摘が。

当初から事業費が倍近くになっているから見方が厳しくなったのか、まだ数字に現実感が足りないからか、あるいはその両方か。とにかく、今までで一番、ガツン!とやられて、フラフラ~っとなった。そりゃ甘くないとは頭では分かってるけど。ただ人に支援を求める以上は、伝わる、理解してもらう努力ができなきゃ話にならん。逆に、なにがなんでも80%くらいまで持っていったろ!と気持ちを奮わせたのであります。

10分後には、すぐそばの別の金融機関へ。大御所の税理士の先生を伴っての突然のアポ。こちらも変に緊張しちゃったけど、こんな大きい後ろ盾はない。協調融資の可能性、住宅部分の融資の扱いとか、いろんなやり方を検討していくことでまとまった。いい雰囲気で、前向きな1時間になった。感謝。

急いでホテルに戻って妻子を拾い、まちなかから15分くらいの「煙突の横山」へ。薪やペレットのストーブの販売、メンテナンス、煙突の設計・施工をやってみえる。川上の森のことを考えていらっしゃるし、煙突こそが大事だと信念を持ってる。図面をもとに相談し、住宅は日常の負担を考えてペレットに、お客さんの来る共同スペースは薪ストーブでいこう、という方向性が固まった。社長の言葉が心に刺さった。「思いだけではうまくいかない。毎日の実際の生活で、誰がどうやってやるのかとかまで考えないと続かない」。不便なことも楽しめるか、すぐに暖まらなくても大丈夫か、薪管理方法は・・・。考えること多いわ、ほんと。

夜7時すぎ、ドタバタと煙突屋さんを出て旭川駅前のレンタカー事務所に返し、居酒屋探しの旅に。カキで有名な道東の厚岸の「漁業部」なる番屋っぽい雰囲気の店に入った。ちょっと期待値を下回り、途中で意識を失いそうにもなり、子どもたちも撃沈したので、そそくさと退散。

厚岸の生カキ!

ホテルの部屋に入れば、もう、全員がベッドに倒れ込んだ。十分すぎるくらい動き回った。何かいいことがあったわけじゃないし、けっこう気落もしたけど、すべて必要なプロセスを踏んだな、っていう変な充実感があった。

 

欠航にめげず1カ月ぶりの旭川へ

8月19日(日)は、昨夜のありがたい宴の〝余韻〟を残しながら7時前に起床。11時45分セントレア発のジェットスター便に乗る。8時半には家を出なきゃいけない。

一通り準備が終わり、充電されたスマホを見て、便の情報をあらためてチェックする。メールを遡ってるとこの日の未明、0時34分に「欠航のお知らせ」がジェットスターから入っていたことに気付いた。居酒屋で気持ち良くなっていたころ全然分からんかったわ。メール一つで終わりなのね。なんだかなー

欠航なんて、初めてでして。若干パニックになってジェットスターに電話するも、9時からの受け付け、と。提携会社に振り替えできるかもみたいなこと書いてあるのでそれを調べないといけないけど、分からないし、羽田に向かった方が選択肢は多いけど、取りあえずセントレアへ。

道中は妻の茜に9時ジャスト以降、電話をかけてもらっても50分にわたってつながらず。そうしているうちに、朝の時点で空きがあったエア・アジア便(1.6万円)やANA便(3.2万円)は満席になっちゃってた。

セントレアの駐車場から一人、カウンターに走る。各社検討して、ANAの旭川直行便をセレクト。当初のジェットスター(0,7万円)の7倍もの正規運賃4.8万円でを確保した。LCCとは何ぞやを知る授業料となったのです。

でもちょっと嬉しかったのは、予約してたレンタカー会社(いつも千歳で使う「カーレンタル北海道」)に電話したら、「欠航なのでチャージはかかりません。またどうぞよろしくお願いします」と。格安会社だけど、いつもながら気持ちのいい対応。ちょっと、ファンになりそうよ!

13時発のANA便は目視で搭乗率60%いかないくらいかしら。これはちょっと寂しい。まだ夏休みシーズンなのに。新千歳と比べてもあれだけど、国が主導する道内の空港改革でてこ入れしてもらわんと。

さあ1カ月ぶりの北海道!!

旭川空港のデッキにあった車いす。かわいい

定刻通り着いた旭川空港は、まわりに何もないので雰囲気はちょっと寂しい。小さくて時間のロスはないし、ゲストハウス予定地まで20分くらいと便利だけど、なんだか。

到着ゲート近くでレンタカーを申し込む。好きではないけど、緑色の世界的なメーカー系のところで、24時間3時間半借りて、小型車で2万円弱。。。カーレンタル北海道だったら2泊3日フルで8人乗りワゴン借りて、1.5万円だったけど。うーん、なんだか。

営業所に行ったら、女性の従業員さん、空港カウンターの方と違ってなんか目を合わさないし、能面みたいな対応でちょっとびっくり。完全な事務作業なんだな。人数がいてカウンターも立派なのに、独立店舗もない「カーレンタル北海道」に完敗してる。旭川や富良野エリアの玄関口なのに、これ大丈夫なのかしら?

昨夜の宴会の〝余韻〟が残るなか、どんよりした天気も相まってテンションが上がらないけれども、とにかくゲストハウス予定地に向けて出発。 途中、セブン―イレブンで完成予定図のデータを13枚プリントアウトした。

現地に着いて、ご近所さんにご挨拶周り。今回初めての方を含めて、8軒のもとへ。完成イメージを見せながら説明して、「民泊みたいなことするの?」とちょっと驚いた表情を見せる方もいたけど、「にぎやかになるね」「いいね」「頑張ってね」とおおむね感触は良好。小さなお子さんがいるご家庭もあり、子どもを交えて盛り上がることも。

ゲストハウス予定地で走り回る、次男と長女
稚内からの特急「宗谷」が通過。急いで撮るも間に合わず、おしりの顔の一部だけ写った

町内会長の奥さんに、近くでお祭やってるよと聞いて、当然のようにお邪魔することに。たぶんわが家だけよそ者だけど、気にせずヨーヨーを作ってもらって、焼き鳥10本を注文。サーバーから注がれる200円のビールを飲みたいけど、ぐっと我慢。まだ昨夜の〝余韻〟もあるし。町内会長さんたちにもご挨拶できてよかったー。皆さんに「よろしくね」と迎えられて、一気にアガる。

それほど長居はできずに、この永山地区の中心部近くに移動して、「旭川ふるさと旅行」の喜久野さんのもとへ。わが家が移住に向けた検討をしているということで、次の日からいろいろアテンドしてもらうため、レクチャーを。

終了後はホテルに向かいがてら、ラーメン村で晩ご飯。次男・陽己(はるき)は眠たくて泣きながら「焼きそばが良い」と叫んだけど、気にせず暖簾をくぐる。

初めて入った「さいじょう(Saijo)」。塩にこだわりがあるらしいけど、自分はソウルフードのホルモンを旭川醤油で煮込んだ「旭川しょうゆホルメン」を注文。食べ応え抜群で、うまいホルモンをラーメンでいただいてる、って感じやね。個性的でおもしろい味だけど、自分はオーソドックスなのが好みなんで、ヘビーユースにはならないかなー。

旭川しょうゆホルメン。夏にぴったり

今夜のお宿「プレミアホテル キャビン」へ急いで、10分でドタバタと子どもを温泉に入れ、寝かせる。そうこうしてるうちに、打ち合わせの時間。建築家の松本憲さんから図面や見積書をメッセンジャーで受け取って、鈴木裕矢さん、憲さんの奥さんを交えてテレビ会議をするべくロビーへ。なんとか20日(月)にうまくいきそう!!

これをもとにプレゼン資料を作ってコンビニで印刷し、気付けば29時に。そして印刷代は3000円近くに。しまいには、両替を何度も頼んだお兄さんに「もう小銭ないので最後にして」と言われちゃった。長い一日だったわ。