いざ、旭川。「地取り」の旅へ

「旭川」の文字にドキドキする

明日からの土日は久々に旭川へ。前に行ったのが5月28日(日帰り)だったから、ほぼ一カ月ぶり。えらく時間があいちゃった。それだけ進展が鈍かったんだなー

急ごしらえの、「地取り」のための旅。取材っぽい旅。ゲストハウス予定地を詰めんなん。

いま、慌ただしく準備してます。
今回もいつもと同じく、セントレアから新千歳にエア・アジア便で入る。2人で片道2万円ちょい。
平日の安いときは4000~5000円台だけど、まあ仕方ないかー。

本当は旭川⇔セントレアor羽田でサクッと行ってみたいところやけど、旭川線はJAL/ANA・エアドゥしか飛んでないので、高くて高くて。
新千歳から旭川までは道央道をビュン!と走っても、なんやなんや2時間以上かかるし、眠いし、疲れる。
もっと旭川便が増えて安くなればなぁ・・・。エア・アジアほどじゃなくても。

エア・アジア便だけ数日前に確保していたものの、帰りの便がなかなか決まらず。昨日、やっと固まった。
ほとんどの便と座席が埋まってるし、高い!!
道内の記者によれば、観光シーズンに入り、2万人が来場するデザインウイークの期間中でもあるからでは、とのこと。これは夏のハイシーズンは恐怖でしかない。。。

帰りの足はさまざま検討した。
ベストは、新千歳→セントレアのスカイマークかエア・アジア、小牧着のジェットスター。つまりLCCを使う。
でも全滅。
新千歳→羽田のスカイマークを見たけどやはりダメで、エア・ドゥも厳しい。

そこでついに、初となる旭川発も調べ、セントレア行きや羽田行き、羽田経由のセントレア行きをチェックした。
これというのがなく、新千歳→神戸・大阪、新千歳→仙台も見たものの、できるだけ長く旭川に滞在できることや、運賃をひっくるめて考えて、19時半発の旭川→羽田のエア・ドゥをセレクト。大人3.5万円で合計5.3万円。

高い・・・。しかも最終の「ひかり」で浜松に戻る強行軍になる。次男よ、申し訳ない。

でもしかし、必死になって旭川までの空路を調べてみると、ほんとたくさん選択肢があってびっくりしたし、お金さえあれば旭川は遠くないんだと痛感。新千歳⇔羽田なんて、JR特急よりよっぽど多いんじゃないかと思うくらい。

浜松から空港までの足も考えないといけない。行きのセントレアまでは、バスがいいか、新幹線がいいか次男(4歳)に選んでもらったら、「バスがいい」と言う。
すぐに3000円強の空港直行バスをセレクト。膝上で130分はきついし、トイレに行きたいと言い出したら恐怖以外にないけど、新幹線より1300円くらい安いから◎。

新千歳からはいつも「カーレンタル北海道」で小型車(1日3000円!)で借りるけど、次男がいるので、快速「エアポート」と特急「ライラック」を乗り継いで旭川へ向かうことに。(昔はこの特急、「スーパーカムイ」って名前で、妙にワクワクした)

旭川駅に着いたら、日産レンタカーで借りて移動する。二日間借りて、コミコミ6600円。

次男との初めての2人旅でもある。
ホテルの部屋で寝かせたら夜の街には行けないけど、いい経験になりそう。人と会う時におりこうにしていたら、JR北海道の789系(特急「カムイ」か「ライラック」)のプラレールでも進呈しようかしら。

北海道に、少しでもいいイメージを持ってもらうための姑息な先行投資である!

辞め時は、吉田兼好が教えてくれる

最近しょっちゅう、会社の同僚たちに「いつ辞めるの?」って聞かれる。ゴミを捨ててるだけなのに「おっ、整理始めたねえ」なんて言われることもある。

自分でも、いつ辞めるのか分かってない。早く決めたいけど、決められないんです!土地が決まらないので。。。

土地が契約できないと、ゲストハウスも住宅(管理棟)も、現地調査ができない。設計図も書けない。そう、何も始まらない! 完成の見通しがつかないと転校の手続きも取りづらい。引っ越しの日程も踏まえて、会社の定期異動も踏まえて、退社する時期を決めなあかんのに、決められない。

はたから見たら、辞める時期をきめられない、完全に優柔不断なヤツに見えてるはず。

会社側に退社したい旨をいったのが、5月中旬。その時も、聞きつけた幹部に〝事情聴取〟されたからカミングアウトしたまでだけど、いつ辞めるのかってホント難しい

今の仕事が落ち着いたら。やりたいことをやり終えて後悔がなくなったら。独立の準備が整ったら。 いろんなタイミングがあると思うけど、あんま考えすぎても、どうしようもないんじゃないかと、つねづね思っているのです。

中日新聞の一面に「中日春秋」というのがあって、5月30日に、こんな良いことが書いてあった。

「出家が現役引退を意味した時代、吉田兼好は『徒然草』の中で決断の難しさを述べている。何かの始末をつけてからとか、慌てずに何かを待ってからなどと思っていては、一大事などは決行できない。心に残る事柄をそっくり捨てなければできない、などといった具合だ」  だって。

兼好さんはやっぱいい事言うな〜。ほんと、そうよね。考えて考えて考えて、考えたら、答えが見つかるといえばそうじゃない気がする。特に日々、事件事故がいつ起こるか分からないような職場にいると、なんやかんや追われて、仕事以外のことを考えられなくなっちゃうし。

引き際は、エイヤ!とやるのも大事なんだろうし、エイヤ!しといてよかったーって思うことは既に何度もあるわけで。

袴田事件からの看護師遺棄事件

一日一本は書こうと思ってブログを初めて、1ヶ月たった。そのタイミングで、さっそく更新が一週間ちょい滞った。

6月11日(月)は、裁判のやり直しを求めて闘っていた浜松市の袴田巌さんがどうなるかという分岐点だった。4年前に静岡地裁で裁判のやり直し(再審)と釈放がいったん決まり、「冤罪だ」というムードが一気に高まったものの、死刑囚のままだった袴田さん。この日、東京高裁は一転して再審を認めず、 また袴田さんの闘いは続くことになった。ニュースは全国でもトップ級で、久しぶりに目の回る一日。

これと並行して大きな事件も起こった。9日には藤枝市の山中で、看護師女性の遺体が土に埋められた状態で見つかった。浜松のスポーツジムの駐車場から自分の車に押し込められるという、信じがたい凶行。当然、全国ニュースになり、ワイドショーが連日取り上げる騒ぎになった。2人は逮捕されたけど他に関与した人物がいるとされ、しかも犯人はネットの掲示板で知り合ったという。聞けば聞くほど、恐ろしさと卑劣さに、なんとも言えない気分になる。許せない。ちゃんと調べて、警鐘を鳴らさないといけない要素もたくさんある。被害者の方のためにも、なんとか早く解決してほしい。

事件担当は一年前に卒業したけど、事件取材にどっぷり関わることになり、旭川のことはまったく考えられず・・・。本当は一度に皿を何枚も回せるようにならないといけないんだろうけど、事件が事件だけに、そこまでのキャパはなく。キャパはもしあっても、そんな気持ちになれないだろうけど。

たまには本業のことだけを集中して考えてみると、ゲストハウスと移住の展望や本気度を試されている気分になった。距離を置いてみるのも、それはそれで、悪くない。

 

旭川にゲストハウスをつくる3つの理由② 最初の挫折

北海道で人生の大逆転を狙おうと思ったはいいものの、悩んだのが場所選び。180近い市町村があって、良さげな自治体をしらみつぶしに調べていった。

条件はJRの駅があること。競合が多くないこと。空港から3時間以上かからないこと。通える学校があること。病院があること。

今や「くらしごと」みたいな、センスのいい道内の移住情報を紹介するサイトも多く、情報収集はそんなに苦労しなかった。ただ、条件に合うものを絞っていくのに時間がかかり、最初にヒットしたのが、沼田町というところだった。

旭川から45分、深川から20分ほど(確か)、留萌本線が通っていて今はその終着駅は留萌。その先の留萌~増毛が廃線になったばっかりのことは知っていたけど、沿線については全然知識も印象もなかった。

調べてみると、豪雪地帯で、「天然の冷蔵庫」「現代の雪室」とも言うべき、雪を活用した貯蔵施設が普及していた。雪で寝かせて一年中が「新米」と売り出せる雪中米とか、同じようにした酒、農産物とかが人気。〝寝かせる文化〟があり、「発酵」にも通じるな、と気になってどんどん興味がわいた。ネットで石狩沼田駅を見ると、乗降に使っていないホームがあって、コンテナのゲストハウスを置くのにぴったり!ときた。待合室も、交流スペースにふさわしい風情。

旭川から沼田町への道中。石狩沼田駅での、とんでもない着雪がある列車の写真とか、いろいろ消えてしまった

さっそく一カ月後の2月25日に家族5人+(なぜか)おかんで沼田町に行き、視察。役場で「駅活」のプレゼンをして、教育委員会に小中学校を案内してもらい、検討を深めていった。JR北海道本社にもお邪魔して、協力をお願いした。

でも、話は進むどころか、すぐ暗雲が立ちこめた。

まず、特別支援学校に通っている長男の大滋(中1)の受け入れが、事実上不可能で、原則的に60キロ離れた美唄市まで送り迎えする必要がでてきた。

それに、ゲストハウスをやる上で当時一番重視していた、駅ホームの活用が厳しい状況だった。留萌本線はものすごい赤字を抱え、老朽化した設備の維持更新ものしかかる。JRとしてはバス転換を訴えているものの、地元との協議には入れていなかった。しかもこれといった打開策・妙案もない。よくある話だけど、1つの自治体だけでは動けず、事実上、膠着状態になっていた。この厳しさは想定していたものの、沿線自治体はまったく動きがなく、現実的ではないと思って、なくなく断念したのでした。

ただ、ここで大きな収穫があった。面白いローカル資源はどこでも掘ればいくらでもあるし、なにより、何がやりたいのか輪郭が少しずつ明確になってきたことが大きかった。

沼田の場合は駅がキーワード。公共空間、メディアとしてもっとも好きな場所。これを豊かに彩りたい、いろんな人がまじって楽しくしたい、子ども達がふるさとを「いいな」と思えるきっかけにしたい・・・。「公民連携」というとおおげさかもしれないけれど、公共の空間に、自分のアイデアや「いいな」と思うものを加えて、みんなの力でデザインしていくプロセスにこそ興味があるんだと思い知った。そして、その思いがなぜ強いのかを認識することができた。

これまで10年間、新聞記者として取材したきた中で、少なからず心を揺さぶられる経験があった。まさにそれが、「多くの人が混じり合い、公共空間を豊かにしたい」という自分の価値観をつくっていた。                      (つづく)