道新コラムにデビュー㊗

北海道新聞(道民は「どうしん」と言う)の第三社会面に毎朝掲載されている、外部筆者によるコラム「朝の食卓」でお世話になることになりました。初回は1月11日(土)付でした。

自己紹介をかねて、なんで自分がいまここにいるのか、何をやっているのか、ある程度網羅的に綴りました。

やっぱり外せないのは、高校3年生の時の「卒業旅行」、そして屈斜路ユースゲストハウスのオーナー和さんがノートに書いてくれた言葉。この辺を書かないことには、コラムは始められない。

新聞連載は、地元の「あさひかわ新聞」に続く2つめ。本当に滅多にないお話しで、つないでいただいたご縁に感謝しかないです。

あさひかわ新聞は発行部数はもちろん道新と比べるものではないけれど、「いつも見てますよ」「あさひかわ新聞で書いてる人ですよね」とよく声を掛けられるほど、反響がある。読者の方と直接つながって、お知り合いになるケースも多いし、地域での影響力の大きさを痛感。地元メディアかくあるべし、というお手本のような存在です。

道新のほうは、11日に掲載されていまこのブログを書いている14日の時点では、そんなに激しい反響はなく(笑)。もちろん行く先々で「出てたね!」「切りぬいたよ!」と言われることはあるけど、一般のニュース記事としてこれまで紹介していただいた2回と比べると、とっても静かで。。。これから継続していってどう変化していくのかも楽しみ。

二つの新聞でコラムを書く上で、頭を悩ますのはネタ選びと書き方でありまして。締め切りのタイミングも毎月同じように来るので、ちゃんと整理しないといけないと思って、このたび初めて「ネタ帳」をつくりました(笑)

あさひかわ新聞の場合は、ここ最近一カ月に見聞きした・感じたことをありのまま、ローカル感たっぷりに書こう、というのが自分の中での基本的なスタンス。昔話は入れない。季節感だったり、タイムリー感を大事にしたい。字数は厳密な制限を受けないので、かなりのびのびと、主張すべきはどんどんやっていく。

一方の道新はどうしようか。。。他の筆者さんのトーンも見て考えたのは、自分の個性を前面に出して、経験を踏まえた「その人らしさ」を強調すること。掲載時期は考慮しないといけないけど、それに縛られ過ぎない。自分を出すためには、昔のことでもいいし、でも落としどころとしては北海道、しかも地元外の人も読んで「へぇ~」と思ってもらえる内容にすること。特に自分の場合は、結果的に旭川公園ゲストハウスに興味を持ってもらえるようにしたいのが本音。

そして当たり前だけど、ネタはかぶってはいけない。同じエネルギー量で書く。これだけはしっかり意識しよう。4のネタを10に膨らますのではなく、10を6に凝縮するような感覚で、原稿をギュッと整えよう。雪を踏みしめるように。字数制限が厳しくないからといってダラダラ書くのとは違うし、紙幅が限られるから言いたいことが全部出せない、と嘆くのもお門違い。だからしっかり時間をかけて準備せねば!

とはいっても、昔から締め切りが近づかないと切迫感をもってキーボードに向かえない、だらしない身なのは公然の秘密。デスクを困らせないように、あさひかわ新聞の工藤編集長をヤキモキさせないように! と心に誓う1月です。 

(ちなみにライター業は、一年くらいお世話になっている㈱LIFULLの契約に加えて、某全国紙の添削お仕事添削も始まり、某旅行関係会社の取材・執筆も加わる予定。ときどき単発も入ってくるので、なかなかのボリュームになってきましたよ!💦)

ラストラン 新聞記者

9月7日、中日新聞社の社員として出社する最終日を迎えました。10年半、いろんな経験をさせてもらい、各地の皆さんに育てられ、楽しませてもらいました。

愛知県の瀬戸支局を皮切りに、金沢にある北陸本社報道部、浜松の東海本社でお世話になった。地域に入り、1人の市民として思いをできるだけ共有して、友だちや師を増やしてこれた。一生のお付き合いをさせてもらえるような人が、たくさんできた。地域があるからこそ、人は頑張れるし、こどもが育つし、国が保たれているんだと体で覚えた。こんな貴重な、「おいしい」仕事はないと、今でも本当に思う。

最終日の日中は、挨拶回りや各種の整理を。夜は11時まで夜勤。上司が気を使ってくださったおかげで、何人かの後輩が挨拶に来てくれて、先輩が声かけをしてくださり、電話もいくつかいただいた。「北海道で行き詰まって諦めないといけない、となったらもう一度入社試験を受けるように」という具体的なアドバイスも(笑)

贈り物をいただき、破顔する筆者

でも不思議と、ナイーブになったりしないし、落ち着いてた。それどころか、なんだろう、この、満たされる感じは。1ヶ月くらい前まで、最終日は号泣するだろうと予想してたけど。ドライにおすまし顔をしているわけじゃなく、実感がまだ足りないだけなのかも。

今後の厳しさに思いを馳せ、気を引き締める筆者

記者として10年は修行。一人前になれるかどうかは、それからーー。そんな風に教わってきたし、今はその言葉の意味が分かる。3年続ける、5年続ける、そして10年。それぞれに、思うことのレベルも角度も、量も違う。10年たてばプライベートでも環境が変わって、考え方や優先順位がガラッと変わることがある。自分がまさにそう。

どう生きたいのか、どこで根を張ってどんな暮らしをして、死ぬのか。自分なりに考え続けてきて、家族とも話し合って、今のところ揺らぎはない。だから妙な落ち着きにつながってる気がするし、やりたいことが山盛りでワクワクする。

会社のみなさん、取材でお世話になったすべての皆さん。本当にありがとうございました。学んでことを必ず生かして、場所や形は違っても、なんらかの形で恩返しをして、楽しんで生きているところを見せていきます。もしよければ、今後ともよろしくお願いします。

あろうことか歓送迎会で・・・

ついにやってきた会社の歓送迎会。
9月異動「など」に伴うものとして盛大に催され、会社を辞める身だというのに、主賓の末席を汚すことになった。「温かく送り出してやろう」という温情とお気遣いをいただき、ほんと恐縮しきり。ありがとうございます。

幹部からの挨拶で身に余る言葉をいただいて、背筋が自然と伸びる。

反射的に自分のあいさつの中身もカチコチに固まってしまってオロオロしていると、幹事の後輩(20代)から「堅い!!」と文句が入った。

「そこまで言うなら、じゃあ」ということで、幹部の皆さんが居並ぶ中、砕けた言葉でぺちゃくちゃしゃべらせてもらうことに。

「大変な状況にある業界で、これからみんなで頑張っていこうという時に、こういう形になることに、申し訳ないというか、複雑な気持ちでいます。だからこそ、自分の思いを強く持って、いったい松本はなにをするのか、皆さんにお伝えしないと失礼にあたる。なのでプレゼンさせてください!!」

出席者撮影

と、あろうことか皆さんの前で、この日のために用意したパワーポイントの資料3枚を配った。その瞬間、場がややドッカーンとなって、和ませ大成功。

公園をつくってそこにゲストハウスをつくるという、なんだかよく分からない計画を人に話すのっていつも悩ましい。ましてやこの場みたいに、30人くらいの人に同時に、なんてことは経験がない。

ただコンセプトは説明しないわけにはいかないので、「町内会にチェックインするように。生まれ変わった公園で、普段着の暮らしをシェアする宿」と表紙に書いておいた。

これが幹部2人から「これはいただけない」「ダメな原稿だ!」と酷評され、また会場は笑いに包まれることになった。このうち1人からは二次会で、「行きたいな、とはこれ読んでも思えない。旭川まで行く人って、非日常を求めてるんじゃ。外国人ならともかく」とも言われた。

なるほど確かに。旅先の地域の日常を知ることって、すごい楽しいし感動につながることだと信じて疑わなかったけど、字面で伝わらなきゃ意味がない。なんか上手いこと言おうとして、表現が軽くなってるかなと思う。

3次会が終わって家に帰って振り返った。うん、確かによく分からんコピーだし、なんの前提となる情報もない人からすれば、「行きたい」という気分にはならない。それどころか、「町内会」とか「公園」ってまさに普段の日常にあるので、わざわざ北海道まで行く意味が見当たらないよね、と。

ちょっと考えてみた。「自分がこういうものをつくりたい」「これが素晴らしいと自分は思っている」「この良さは来たらみんな分かる」・・・。そんなレベルでしか人に伝える言葉を考えていなかったなー。モノ書きの基本のはずなんだろけど。

読んだ人はどう思うのか、北海道になんで来るのか、北海道旅になにを求めているのか、どこまでこのエリアの事を知っているのか。そういった、情報の受け手のことをまったく考えていなかったわ。「分かってくれるよね、皆さんなら」みたいな驕りもあったね、間違いなく。

思わぬ収穫。無理やりにでも、場違いでも?機会をつくって声にしたからこそ、反応があって、改良ができる。良いことを教わった、8月最後の夜。

退職願と振り返る10年半

8月30日、会社についに辞職願を提出した。

最終出社日と退職日はすでに各所に伝えてあったけど、仮住まいするアパートが決まってなくて、なかなか提出に時間がかかってしまってた。

アパートはゲストハウス予定地の近くにいくつもあるけど、調べてみたら、短期の契約がNGのところばっか。やむなく短期契約できる物件の多い、大東建託さんのに絞って探し、なんとか管理費込みで6万円台のところを探し当てたので、契約はしてないけどエイヤ!と提出することに。

自席ではなくて別室に所定の紙と封筒を持ち込んで、噛みしめるようにボールぺンを走らせる。深呼吸しながら、慎重にやったつもりなのに、「一身上の都合」と書く時に「身」を字を書き損じて、「段」みたいになったけど、修正ペンで書くわけにもいかないし、無理やりデフォルメさせてしまったのが悔やまれる。。。

ちなみに退職願には、失業手当に欠かせない「離職票」がいるかどうかを記入する欄があって、迷わず「必要」を選択。

提出してからしばらく、これまで10年半の、いろんなことが頭をよぎった。愛知県の瀬戸支局、石川県の北陸本社と、いまの浜松市の東海本社。まちの話題、市役所、町役場、県庁、警察、裁判所、JR、文化施設とまあいろんな所に取材して勉強させてもらったなぁ。

そして間違いなく、いま大切にしてる価値観はこの仕事を通じて得たもの。長久手市(当時は町)の福祉拠点「ゴジカラ村」や金沢のいろんな人が暮らす「シェア金沢」で、障害の有無や世代を超えて人が交じり合う大切さを学んだ。北陸新幹線開業の関連でインタビューした、「ななつ星」とかJR九州の特急をデザインした水戸岡鋭治さんや、金沢の町づくりから、一流の感性やデザインで公共空間を豊かにしていくことの意味を知った。どの地域にも、地域のために輝いている人がいて、その背中を見ては「自分もプレイヤーになりたい」と思うようにもなった。

会社と地域とご縁に感謝。お世話になった人たちの存在を意識して、恥じない生き方を見せていくしかない。

 

 

輝く人になれ

29日(水)は同じ編集局の大先輩が「寿(ことほ)ぐ会」を催してくださった。遠州鉄道の高架の近くで、床のタイルと昔ながらのスクエアな椅子がいい味を醸している、飾らない居酒屋で。カツオ旨し。

宿泊や飲食はクレーム産業であること、冬の集客見通しに甘さがあること、隣のアパートとちゃんと関係を築くべきこと、向こう3年間くらいの生活防衛資金が不安視されること・・・。これまで社内の方にいただいた指摘や激励のなかで、飛び抜けて具体的な助言をもらえた。このブログを読んでくださっているとのことで、近くにトイレがあったら籠もりたいくらいだったけども。

いろんな話をする中で、印象に残っているのは、「敵をつくらない、好かれるようになれ、頼られるようになれ、輝く人になれ」という言葉。

輝くって、いいな。

会社員を続けるかどうか悩んでいたころに、これまでの33年間の人生の経験と感動を棚卸しした。その時、自分が何をしていた時に一番輝いていたのか、ってことをよくよく考えた。それは、高校3年生の時の卒業旅行だった。

文字にするとなんだかな、とは思うけど、寝食を忘れてのめり込んだという意味で輝いていたんだろうし、楽しかった。でもそれより、自分のやったことに対して最高のリアクションがあったのが、一番うれしかった。その時は深く考えなかったけど、独りよがりで始めたことが、結果的に周りをちょっとはハッピーにさせることにつながったから、「輝き」だったのかなと。

その上司はこうも言った。「輝く人っていうのは、人を照らすっていうことだからな」。そうか。人を照らしてこそ、輝けるのか。会社だって社会福祉法人だって、お客さんや利用者さんが満足してこそ輝ける。自分にとっては、ゲストハウスの周りに住む地域の人であり、旅行する人たち。誰を照らすことができるのか、したいのかは、常に心に置いとかないと失敗するってことかな。あえて、そう解釈させてもらうことにした。

ちなみに二軒目のバーで、北海道・岩見沢市出身という、出張中のイケメンさんに遭遇。こっちが北海道の話ばっかりしてたので、声をかけてくださった。岩見沢のワインや、観光で通過されることを肴に楽しくウイスキーが進み、「おもしろいことしましょう!」と一致。フェイスブックでつながれたし、今後も情報交換をしていきたい。一期一会。飲み屋って楽しい。ああしたい、こうしたいと自分から声を上げていれば、ひょんな所から繋がるご縁もある。冷えたロックのグラスが、いつになく輝いて映った。

最後の東京出張(なんだかな編)

28日(火)は久々にして、たぶん会社員としてはラストの東京出張(しみじみ)。二日酔いなので、迷わずお茶の水駅前の「富士そば」へ。学生時代から、お酒が残っている時のお昼ご飯は、ここと決まっている。ほうれん草とそば湯が定番。唸るような味ではないけど、ソウルフードと化している。

インタビューする場所は神保町界隈。スマホのネット使用上限を使い切ってしまってほとんど動かず、さらに道に迷ってしまって、大汗をかいて急ぐはめに。スマホに依存しきって事前の調べを怠ってる。恥ずかしい・・・

無事に取材が終わって、カフェに移動する道すがら、わが青春の「書泉グランデ」をちょっとだけ覗く。

学生時代は半日くらいここで鉄道本を読みあさってたなぁ。この日6階の鉄道フロアを見たら、JR北海道の「Kitaca(キタカ)」のグッズが並んであって、無性に欲しくなったけど、がまんがまんよ。同人誌から地方で出版されてるディープな写真集、マニアックな生活雑貨まで、なんでもござれ。何も考えず、ゆっくりここで遊びたいー。でも長居は慎んで、近くの三省堂本店で仕事に使う本を買って、カフェに。

プリペイドカードを持っているので、 地下鉄・神保町駅のほぼ直上にあるドトールを選択。みんなカードやスマホで払うのが普通な感じで、浜松だとプリペイドカードを渡して決裁してもらってるのに、ここでは自分でやるらしい。なんか東京こわい。店員さんの愛想はいいんだけど、あまりに人がどんどん来るので、流れ作業的な感じ。うーん。

しかも、ネットによるとここは「電源カフェ」のはずなのに、普通の席の電源はわざわざコンセントが閉鎖されているのではないか! なんのために来たのか分からないー。「混雑時はパソコンしないで」みたいな注意書きもある。えーっ! よく見たら、無理矢理作ったようなレジ前の壁際の5席にしか電源がない。 だから周囲にコワーキングスペースが多いのかと思ってしまった。

しかもしかも、めちゃくちゃ寒くて、ホッキョクグマ館か冷蔵庫と思えるくらい。こんなん長居できないわ。いやそれが回転率を上げるための作戦か・・・。どんだけ無駄なエネルギー使ってるんだろ。絶対持続可能な感じじゃない。

(つづく)

ライラックと会社の仲間に感謝

初めてかもしれない、旭川2泊旅も、もうおしまい。本州に帰らないといけない。

朝は4時45分くらいに起きてシャワーを浴びて、寝ぼけ眼の子どもの着替えをさせて、チェックアウト→旭川駅にとことこと。

北海道の特急を使うとき、「Sきっぷ」っていう安い往復割引切符があって、旭川⇔札幌なら5000円ちょっと。50%安いんだよね。これ使ってみたかったので、みどりの窓口に行って、同一行程で大人2人使えないかと聞いてみたけど、「ご利用になれません」。近くにチケットショップも見つからなかったので、大人しく正規運賃で新千歳空港までの切符を買って、ホームに。駅は至る所に木が使われていて、ほんと気持ちいいわ。

朝6時発の、特急「ライラック」。昔、青函連絡線の「特急」で使われてた789系。ほんと大好きな車両。これがあるから旭川に住みたい、って言ってもおかしくないくらいだわ。かわいいでしょ、どう見ても。

終点の札幌では停車位置を間違えたとかで10分弱もフリーズして、もともと遅れていたのに重ねての遅延。大丈夫かな、JR北海道。乗り換えた快速エアポートは優先席まで若者で賑わっていて、抱っこで耐え忍ぶ30分に。いつもそうだけど、まあ空港アクセスだからいっか。

新千歳空港駅から出発ゲートまでの移動はほんと楽で、ちゃちゃっとスカイマークで手続きして、お買い物。スカイマークは安心感半端ないし、この日は身障者割引使ったけど、いつもながら心地よい応対。1人2万2000円ちょっとと格安じゃないけど、お金払ってもイヤじゃないのがスカイマーク

9時40分に定刻で出発。さすが! 機内では長女を抱っこしてたけど、半分くらい寝てくれて、ラッキー。お礼メールの文面を作りまくる。定刻11時半にセントレア着。

名古屋で仕事して、会社の大先輩とお茶したり飲んだり、同期が壮行会開いてくれて、満腹な夜。旭川では落ち込むこともあって、これまでで一番どよーんとしてたけど、やっぱり人に会うほど元気がでてくる。感謝。

 

 

職を転じて新たな天職を

最終出社まであと35日。ここに来て、新聞記者の仕事のありがたさと醍醐味を、久しぶりにガツンと思い知ることになるなんて。

愛知県瀬戸市の「三峰園窯」の加藤達伸さんが、フェイスブックの投稿でブログのリンクを張って、メッセージを寄せてくださった。

そのメッセージの中心は、7年前に書いた、瀬戸焼のこれからについての連載。「今でも読み返し自身がかかわる瀬戸焼のブランディング事業に役立てたりしています」とある。保管してくれている記事の写真とともに。

加藤達伸さんのフェイスブックより

こんな嬉しいことってあるかしら。まさに記者冥利に尽きるってもんで。

瀬戸市の担当=焼き物担当として、期間は短かったけどいろんな事を考えた。毎日のように地元の人たちと飲んで、加藤さんはじめ焼き物に携わる作り手とも本音でしゃべって、飲んで飲んで。 本音の積み重ねが、自分の中で問題意識に成長し、いろいろ調べようと足が動き、たくさんの人に伝えたくなった。サラリーマンとしてというより、たまた多くの人に届けるツールを持っているだけの市民として、という感覚が強かった。

休みの日は県外を含めて産地を見に行ったし(今なら絶対、出張申請してる!)、仕事と遊びの境がそんなになくて、熱量があった。苦しくても好きでやっていて楽しいから、全部よし。書くことでいろいろと言われることもあったけど、心の通じた人からは、ウインクしながら親指を立てたグー!マークを向けてくれるような応援をもらって、31回続けられた。

なんのために、誰のために書くのか、すごく明確だった。もちろん批判や懸念もあったけど、支局に「購入したい」「まとめてスクラップしたい」と電話をもらった。反響があることが一番のやりがい。

その仕事が、時間をへてもまだ読んだ人の記憶に残ってるなんて、会社辞めたら罰が当たると思っちゃうくらい、恐れ多くて、幸せな気分になる。

長久手町(当時、今は長久手市)を担当していた時に知り合った職員さんからも、「今回のことがあって、松本さんの記事を読み返しました」とメッセージをもらっていて、同じように嬉しかった。

新聞記者といえば、「抜いた」「抜かれた」の世界。特ダネを求めて、他社より早く報じることを目指して、がむしゃらに動き回るイメージがある。もちろんその通りだけど、特に若い記者と話していると、これまで不動に見えた新聞像は確実に変わってきているし、読む人が求めているものは何なのか、をより考えるようになっている気がする。

「いい記事」といってもいろいろ。

記者が掘り起こさないと、埋もれたまま社会で共有できなかったようなネタは間違いなく一級の特ダネだろうと思う。じゃあ、明日普通に発表されることを今日すごいエネルギーをかけて書くのって、どれだけの共感を得られるんだろう。社内でもだいぶ意見が分かれるところ。ほかには、内容がじわじわと体に染み渡って力を与えるような記事とか、長く記憶に残る記事とか、いろんなタイプがある。

その中で、やっぱり自分としては、時間がたっても誰かの心に残るようなものを残すのが好きだった。というより、そういうのを目指してはいた。紙媒体として記録・保存できるものだから、一過性で消費される情報より、新聞らしい情報を届けられるし、反響もある。

新聞記者をやめて旭川に移住し、ゲストハウスをやると言ったら、ほとんど全員に驚かれる。「全然違ったことするのね、大丈夫?」と心配してくれる人もいる。でも実は、やることの根っこは一緒。

新聞記者は赴任した地域を好きになって、そこの人たちと喜怒哀楽や問題点を共有して、聞き出し、まとめ、発信して、フィードバックを受ける。

ゲストハウスや公園づくりも同じこと。ローカル(地域)資源を発掘し、編集し、意味づけし、つなげて、発信して・・・。

新しい天職になっていく、そんな予感しかしないわ。

真っさらな目で旭川を感じる強行軍③ 半端ない充実感

地権者さん方の近くに到着。全国民の心のふるさと・セイコーマートで買い物や一服をしてもらって、自分と次男がご自宅に向かい、深呼吸して呼び鈴を鳴らす。お留守っぽい。

いったんみんなの元へ戻り、お昼ご飯をとることに。地元の青年農家さんが始めた石蔵ダイニング「米蔵(マイハウス)」へ。車で10分ほど。ここは自分と家族にとって3回目の訪問。自家製ベーコンがめちゃウマ。蔵を活用した空間もいいし、イタリアンベースで地元の野菜がたくさん取れるのがいい。気取らない雰囲気と味で、いつもにぎわう。家族連れ、ご婦人の集まり、カップルと客層はさまざま。

料理を待つ間、ゲストハウスのある〝公園〟での物販についてみんなであーでもない、こーでもないと。妻の茜はパンとか焼き菓子とかも勉強しているけど、発酵も楽しいし。松島さんは「燻製いいですよ。始めやすい」「ビールとかどうですか」と。元パン職人の鈴木さんは、作りやすさ、販売のしやすさから菓子の可能性を熱く語る。 ビールつくりたくなった。石川県にいるとき、有名な小規模農家さんが自家製ビールをつくっていて、すごいおいしかったのを思い出した。

松島さんと松本(憲)さんはサッポロクラシックの生をジョッキでクイッと。このお店はクラシックの何か(すみません)に認定されていて、泡立ち、のど越しに二人とも満足してくれた。

食後は、もう一度地権者さんのもとへ。先ほどお尋ねしたお宅から少し目を転じると、あら、その離れのようなお宅に表札が。こんなこともあるのねー。いつだって見落としはあるし、見直し・再チャレンジって大事だな。「もう1回おたずねしてみましょう」と言ってくれたチームの皆さん、ありがとう。

玄関ドアの前で、深呼吸する。いつだって突撃訪問するときは心臓がバクバク。「新聞記者だから慣れてるんだねー」と言われるけど、いやいや確かにピンポンすること自体はそうだけど、なんてったってこれからの人生かかってますから。普段の仕事と違って「じゃあ次」とはいきませんから。わけのわからない若造が「土地欲しい」って来るなんて、もし自分がその立場だったら腰抜かしちゃうかも。

地権者さんのご家族がいらっしゃって、用件をお伝えする。すると、なんと他のご家族に電話でつないでくれ、お話しする機会をいただいた。感激・・・。帰り際、長女のためにお茶やお菓子もいただいてしまった。恐悦至極に存じます。あらためて書面で、こちらの思いをお伝えすることになった。

この後はひたすら道央自動車道を走り、空港方面へ。時計とにらめっこしながら、「yomogiya」さんこと中村さん宅にお邪魔しようと目論んでいた。ギリギリ行けそうだったので、岩見沢ICを下りて、下道で長沼町へ。田畑の景色が素晴らしく、周辺にスタイリッシュな宿やベーカリーがあるのも納得。

流しでは絶対に分からない、道から一歩入ったところに中村さんのお宅が見えた。となりのトトロのサツキたちの家のように、奥まったところ。

あった。うおーーーーーお、かわいい!

撮影:松本憲

なにか作っている途中なのかしら。中村さんは旭川のイベントに行っていなかったので、また聞いてみよ

たまりません。

お腹いっぱいになって新千歳空港に急行。帰りのエア・ドゥ便は出発が40分遅れで助かった。全国的に悪天候で、新千歳も霧が立ちこめ、欠航が相次いでたので、飛んだだけでもラッキーと思わねば。

羽田からは京急で品川。自由席しかないのでダッシュしてホームに向かうも、長蛇の列。通勤電車だと「次の列車をご利用ください」というレベルの混みようで、デッキに人があふれて入れない。心の中で土下座して人垣を押しのけて無理矢理8人、入れてもらった。子どもたちは疲れ果て、抱っこして眠りこけてしまった。静岡ってこんな遠かったっけ・・・。午後10時48分に浜松駅に到着。本州ってこんな湿度高かったっけ・・・。

これまでで一番、収穫のあった旅だった気がする。自信をもって進んでいけると確信できた! (おわり)

人とつながる旭川一泊の旅⑤ 熱を帯びる「地取り」

図書館から車で3分。ここが、ゲストハウス候補地の登記書類に書かれていた、土地所有者の住所があるエリア。ただ昭和40年代の資料で、丁目までしか書いていない。住宅地図にも該当する名前はない。

畑作業をしていた男性に話しかけて、事情を説明し、「この女性を探している」と協力をお願いする。ご丁寧に家に戻って、地図を持ってきて、町内会長や、もっとも長く住んでいる〝長老〟を教えてもらう。

さっそく突撃。長く住む方々は「まったく知らないなあ、分からんなあ」と申し訳なさそうな返事。町内会長さんも親身になって聞いてくれ、頭をひねって下さったが、分からずじまい。でも皆さん「ご苦労さま」「がんばってね」と励ましてくれて、うれしくなる。

ここで5人に当たったけど厳しそうだったので、候補地の永山地区へ。まず、書類上の同じ姓の家を一軒あたってから、昨日の夕方に引き続き、近くの方に聞いてみることにした。

まず候補地の経緯や思い出を教えてもらう。昔はやはり、町内会が管理する子どものための公園だったという。町内会のみんなで葦を借り、一通りの遊具もそろえて、盆踊りもやったそうだ。ますますここが欲しくなった。盆踊りをしていたなんて、完璧なまでのストーリー。けっして特別じゃないにしても、地域の記憶が詰まった場所だったということ。すぐに、みんなで踊っている光景を思い浮かべた。

町内会長さんを紹介してもらって、さっそくご自宅へ。いろいろ思い出してもらっている時に、奥様が援軍となってくださり、「(登記上の所有者と)下の名前が同じ人がいた気がする!」とアシスト。会長さんは昔、「ちびっこ広場」を運営していた時と閉鎖するときの資料ファイルを引っ張り出してくれ、ページをめくってくれた。すると、

あった!          下の名前が同じ女性の名前が!

確かに登記上の住所は違うけど、ここを訪ねればご本人がいらっしゃるか、親族が住んでおられるかも、と大ハシャギ。

3人で永山の魅力を語り合った。空気がきれい、大雪山がある、石狩川がある、まちに近い、暮らしやすい・・・。最近は子どもが減って寂しくなったことや、近くの人工河川「永山新川」ができるまでは、みんな井戸を使っていたこと、大学ができて区画開発がされ、昭和50年代に急速に人が増えたこと・・・。めちゃくちゃ勉強になった。

自分からは、「子どもやママ、お年寄りと、いろんな世代が混じり合う場をつくりたいし、そこで子どもを育てたい」「地域の人がふらっと来れるコミュニティをつくりたい」と計画を説明。

奥様からは「ぜひ実現させて! 盛り上げてよ!」とエールを送ってもらう。もう百人力ですよ。これだけでビールを浴びたい気持ちになったが、家の前に停めた車内で次男が号泣しているのが聞こえ、失礼することに。今後のご協力もお願いした。うれしすぎる。

徹底して周辺に聞き込みをする「地取り」で成果があったときの、あの喜び。新聞記者をやっててよかった・・・!

さっそく、所有者の現住所に急ごう!             (つづく)