震災から7年。陸前高田のまちなかを訪ねる

(つづき)

箱根山テラスをおりて、まず向かった先は「りくカフェ」。ランドスケープアーキテクトで公共空間づくりをされている木村智子さんの紹介で訪問。「陸前高田まちのリビングプロジェクト」の一環でNPO法人さんがされている、コミュニティカフェであります。

手作り感あふれる壁が素敵

「旭川公園」の公園文庫に置くことが決定

隣にはお医者さんや薬局があって、自然と人が集まる場所に立地している。ここでコーヒーとハーブティーをテイクアウトして、おいしくいただきました。お店の人たちとお話しながら、ゆっくり時間を過ごすのもいいなぁ。

その後は、高台から降りていって、まちなか方面へ。

工事中のところがまだまだ多い

鉄路がなくなって誕生した、線路敷地にバスが走るBRT(バス高速輸送システム)の陸前高田駅とその周辺へ。列車は来ないけれどもみどりの窓口はあって、気仙沼とかに向かうバスが発着していた。お客さんはこの時はほとんど乗っていなかったけど。

駅前はすごくきれいに整えられているけど、鉄道がなくなるとこんなに町の風景が変わるものなのか、とびっくり。BRTになって、「レールでつながっている安心感が鉄道にはあった」という声をどこかの新聞で読んだことがあるけど、さもありなんと感じてしまった。

近くに追悼施設と、「復興まちづくり情報館」があったので、そちらにも足を運ぶことに。あまり記念館のような場所は行く習慣がないけど、ここは特別。

子供たちも手を合わせてくれた

情報館では、被災前後のまちの様子、復興まちづくり計画、発災直後の動きとかがパネルで紹介されていて。いちばん記憶に残ったのは、この「ヤミ屋のオヤジ」。国の施設なので国交省関係の内容だからあれだけど、思わず見入って涙腺が緩んだ。

当事の国交省・東北整備局長から市町村長にむけた手紙。なんでも言いつけてほしい、所管外でも棺でもと。本気度を示すために、現場が遠慮しないように、異例の表現で思いを伝えたものらしい。手紙の主は、その後に事務次官になった徳山日出男さん。お名前は聞いたことがあったけど、震災当時にこんなことをされていたなんて、知らなかった。逆に、それほどの、未曾有の災害だったことが分かる手紙。

施設を出て、周辺から海側を望む。重機の出す金属音と、トラックのエンジン音がいつまでも耳から離れなかった。震災から、まだ7年しかたっていないことに気づく。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です