人とつながる旭川一泊の旅⑥ ついに所有者さんに!

予定地から12キロ離れた、ゲストハウス予定地の所有者とみられる方のところへ、環状の国道12号をひた走る。隣の次男は、町内会長さん宅でお話ししている時、車内で一人ぼっちになったと思って、ずっと泣いている。「ジュースかアイス買おうか」と安易な言葉をかけ、なだめながら向かう。

15分ほど走って、セイコーマートが見当たらなかたので、セブンイレブンでスイカアイスを購入。車内で食べてもらい、機嫌をとる。自分もパーカーを羽織っていたが、我慢ならないくらい暑くなって、ここで半袖になった。緊張なのか興奮なのか、ドキドキもしてきた。いよいよ最大のヤマ場。

近くにメルセデス・ベンツ旭川のある交差点から、高台に入った。豪邸が並んでいて、芦屋とか田園調布みたいな雰囲気が漂う。そこからさらにのぼっていくと、ややカジュアルな住宅地が見えてきた。山の斜面を切り開いて造成したような、なかなかに傾斜のある、暮らしやすいすてきな所。

雪よけシェルターのような、ガレージの外壁を取っ払ったような細長い玄関先を歩いて、ピンポンを押す。沈黙の時間。お庭に伸びた雑草と白い花がまぶしい。緊張が高まる。

「どちらさん?」とおばあちゃんの声が聞こえて、「旭川に引っ越しようとしている、静岡県からきた松本と申します。場所は永山で考えていて、ずっと土地を探してます。お尋ねしたいことがありまして」と言うと、出てきてくれた。

促されて細長い玄関先にあるイスに腰掛けていると、おばあちゃんは「ちょっと待ってて。留守電にしてくるから」といったん宅内に戻った。しばらくして、今度はアイスの「モナ王」を持ってこられ、次男に「どうぞ、食べていいよ」と進めてくれた。照れてゴモゴモする彼。嬉しかった。

80歳を過ぎたこの女性は、これまで20年以上、里親になる活動をしていたんだという。子どもに向ける眼差しは文句なしに温かい。このイスに座って、毎朝学校に向かう子どもたちに「おはよう」と挨拶しているらしい。いいなぁ、こんなところに暮らしたいんだわ。

移住、引っ越しを考えるに至った経緯をお話しした。このまま転勤ばかりの生活を送るよりも、次男が小学校に入るまでに、どこかに根をおろしたかったこと。自分の意思で「地元」をつくりたかったこと。隣の人の名前も知らない生活ではなく、近くの子どもやママたち、おじいちゃん、おばあちゃんと混じり合うように育ってほしい、ということ。じっくり率直に伝えると、女性は「うん、うん、そうだねえ」と静かに頷いてくれた。

女性は、三度の飯よりゴルフ、麻雀、パチンコが好きなんだという。式場のコンパニオンとして働いていて、収入があったので、遠慮せず遊んでいたらしい。他界されたご主人は地位のある方だったけど、自分で自分の人生を楽しんできた。

脳梗塞やガンを経験し、今では自由な外出はできなくなった。病院通いが続いている。ただ、市のタクシー補助をあえて受け取っていないんだとか。「市の財源が減るでしょ」とさらっとおっしゃる。かっこいい。

このシェルターみたいなところは、近所のお年寄りがやってきては座り、おしゃべりを楽しんでいるそうな。どおりでテーブルもあるし、イスもたくさんあるんだな。これは立派なコミュニティだし、幸せな地域だなと思う。

電話や贈りものをしてくれるお孫さんやお子さん、お嫁さんの話になると目尻が急に下がる。1人暮らしで、みんなが気にかけていることがよく分かった。幸せそうだった。

さて、予定地は登記上はこの女性が所有しているものの、実際には息子さんにあげた形になっていると教えてくれた。関東で忙しく活躍されている息子さんが旭川に戻った時のことを思って、1971(昭和46)年に新聞広告を見て購入したらしい。とりあえず息子さんに、売ってもいいかを確認していただくことになった。その電話は26日(火)になされると。    ドキドキ!

(つづく)

 

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