住むなら駅の近くがいい

最近、浜松駅の近くの繁華街で飲んで、終電近くに帰ることが多くなってきた。自宅は浜松駅から東に一駅の天竜川駅前のマンションなので、電車で帰れると心地いい。

最終の電車を逃したらタクシーになり、2000円以上が普通にとんでいく。JRなら190円なのに。今のマンションの決め手となった一つは駅の近さ。ドアを開けて3分後の電車に乗れるし、家の窓から貨物列車が見れるし、妻子がベランダから手を振ってくれる恥ずかしさも楽しめる。

前任地の金沢でも、住んでいたアパートは金沢駅から2駅の野々市駅前。窓から北陸新幹線や、トワイライトエクスプレス、日本海といった今はなき寝台列車、サンバーダードとかの特急列車が見れて楽しかった。北陸本線は「特急街道」だったから、いろんな顔ぶれがあって最高でした。

近くに鉄道があるというのは立地を決める上でめちゃくちゃ重視していて、それは鉄道が好きなのもあるけど、レールがつながっている安心感というのが大きい。

雪とか事故とかでクルマで行きづらければ電車でいけばいいし、なにより飲みに行ける。タクシーに乗らなくていい。渋滞を心配しなくていいので待ち合わせがしやすい。

鉄道があるかどうかは、自分にとって死活問題だし、こどもにとってもいいことだらけ。クルマだけで移動していたら、完全なプライベート空間になって、そりゃ楽だけど、なんの刺激も発見もないんです。でも電車だと自由に体が動いて景色を見たがるし、騒いだらダメだと覚えるし、おばあちゃんとかおばちゃんが微笑ましく見守ってくれる。1駅乗るだけでも、いろんな人と話すことはざら。偏見だけど、その辺りの環境は山手線なんかよりいい。人が多ければいいってもんじゃないし。

北海道で土地を探すとき、旭川のお隣にある東川町というところも候補だった。旭川空港から10分とか15分とかで、北海道らしい田園風景もあるし、大雪山も拝める。ハイセンスな移住者がいまどんどん押し寄せてて、カフェや宿泊施設、雑貨屋、モンベルの入る道の駅とかなんでもござれ。実は通過したことしかないけど、めちゃ洒落てる。もう入り込む余地がないくらいすごい。しかも北海道で唯一、上水道がなくて大雪山の伏流水で全戸まかなってる!

東川町は三つの「道」がないと言われていて、ひとつがこの水道。次が国道。これはまあいいや。一番困るのは「鉄道」です。旭川の繁華街を知ろうにも、これじゃバスをうまく使わないと気軽に飲みにいけないし。農村や山だけじゃなくて、まちも気軽に楽しみたいよね、ってのが今の気分。

ゲストハウスは快速も停まる(といっても普通列車ふくめて10往復くらいしかないけど💦)永山駅から歩いて15分くらい。もう一つの最寄駅は、永山駅より一つ稚内側の北永山駅。田んぼの中に立っているような駅で、ホームの待合室からは大雪山が望めるし、冬は目の前でハクチョウがエサをついばんでる、幸せなところ。

ここなら幸せに暮らせそう

 

 

 

 

 

 

「こだま」のススメ

東京出張からの帰り、八重洲地下街の北海道アンテナショップ「北海道フーディスト」に寄った。有楽町の交通会館にあるアンテナショップより、買い物を楽しむ場という雰囲気は弱いけど、新幹線に乗る前に駆け込むに便利で、できるだけ足を運ぶ。

ここに来れば、道内のどんな地域でなにを押し出しているのか、地味だけどおもしろいものがないか、何が人気なのか、いろんな発見がある。この日は鮭とばスライスと、ハスカップのケーキ、うまい棒みたいな「なまら棒」、焼き下足を買った。いつも通り、できるだけ札幌にはないようなマイナーなものを選んだ。

今日はこだま号にお世話になる。車内では、自分の後ろの席にカップ酒なんて飲まないようなすごく清楚でナチュラルメイクの女性がいて、鮭とばも焼きゲソも、食べるかどうか悩みまくった。新幹線車内での551は許せるかどうか、激しい議論になったことがあったけど、乾物はどこまで嫌がられないのかと悶々としていた。

そうこうしているうちにこだま号は走り出し、となりのスーツ姿の男性は、崎陽軒のシュウマイをむさぼり始めた。ほのかな香りがただよう。明らかに、同調を誘う香りで、カラシの袋が「みんなで食べれば怖くない」とメッセージをこちらに伝えている。

たまらず、右手でプレミアムモルツの缶を開け、左手で鮭とばスライスを手に取った。イカよりもまだ臭いがましかな、と合理的に判断。鮭とばは、一口食べたらチャックを閉めよう徹底して、背中を丸めるようにして食べた。止まらない。ペースアップする。品川駅に着く頃には、ビールも鮭とばもお腹の中に消えた。

仕事ができるくらいに程よく気持ちよくなると、まわりをキョロキョロしてしまう癖がある。ここが大事なのだけれど、心なしか優しい気分になれることが多い。

この日は右斜め前のほうに、子ども2人を連れたお母さんが乗っていた。下の子は2歳くらいの女の子。駄々をこねられてお母さんが通路に立って抱っこしはじめた。女の子は荷物棚にあったカーキ色のボストンバッグを見つけて、「パッパー」といきなり笑顔で指差した。すると、すかさずお兄ちゃんが「おっきいものはなんでもパパって言わないの!」とたしなめる。けっこうな怒気を込めて。文字面だけだけみたらムチャな八つ当たりのようだけど、完全にうちと一緒で、吹き出しそうになった。

わが家の4歳の陽己(はるき)は、妹だからよけいになのか、2歳の七海(ななみ)に向かって「ごはんちゅうでしょ」「歩きながら食べないの!」、と口をギュっと結んで叱りつける。時にすごい剣幕で、指導したがる。数分後に、自分の発言がブーメランになって返ってくる、という点においてはまったく学習能力がない。

「どこも大変だなあ」と気楽にほっこりしていたけど、今まさに大変な思いをしている件のお母さんを遠巻きに見ていて、申し訳ない気持ちになってきた。自分だけビールとつまみで気持ちよくなってて、ごめんなさい。

自分もあるなあ、汗だくで赤ちゃんを抱っこしてる時に、気持ち良さそうにしている夕方のおじさんを恨めしくなったこと。

くだんの親子3人連れは、熱海駅で下りた。下の女の子はベビーカーに乗っている。3人は赤ら顔のスーツ姿のおじさんたちに次々に抜かされ、徐々にスピードを上げた「こだま」にも置いてかれてしまった。心の中で「がんばって!」と応援した。

「こだま」は、いろんな層のお客さんが混じり合う。乗る区間や装いもさまざま。途中の停車駅が多いぶん、たくさんの人の出入りに目を凝らす楽しみがある。「のぞみ」がつまらないと感じるのは、始まりと終わりしか目に入りにくいからでもある。

初「ロマンス」

生まれてはじめて、小田急のロマンスカーに乗った。

学生時代に東京(横浜)に4年間いたのに、箱根方面にいくときはいつも、運転の練習という名目でレンタカーだった。いつでも乗れるだろうと思っていたら、一度も乗らないまま就職してしまった。

小田原駅から乗り込んだのは2005年登場の真っ白な「VSE」こと50000系。

お披露目された当時、「なんじゃこりゃ」とドン引きしたのを覚えている。

新興宗教っぽい、出っ歯まエイリアンっぽい、鉄仮面みたい。そんな違和感があった。台車や床下部分がカウルされて、ホバークラフトの上に白亜の城が無理やり乗っかったような出で立ちで、あきらかに浮くだろうと思った。今でも岡部憲明さんのデザインはあんまり好きじゃない。

でも小田原駅でホームに滑り込む、上の写真のような角度から実物を見たら、あれ、かっこいいじゃないですか。

なにより、その存在感は圧倒的だった。同じ私鉄の有料特急でも、西武や京成、近鉄や南海なんかとはまるっきり違う。同じく展望車が自慢の名鉄のそれと比べても、別次元に映った。

車内からも観察してみる。展望車両の大きすぎる窓は、さながら超巨大なプロジェクターだった。窓枠(ピラー)のない開放感はすごい。外の景色という映像をあふれんばかりに各席に届け、トンネルに入ればプラネタリウムのようなワクワク感を演出してくれる。

登場からゆうに10年を超えているのに、まだまだ車内外から視線を集めていた。JR西日本の500系新幹線みたいな感じに。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんと一緒に乗り込んだ3歳くらいの男の子は「たまらん」という顔を浮かべていた。

シートはお世辞にも座り心地が良いわけでもなく、特段快適な設備があるわけでもない。でも、「ロマンスカーに乗っている」、という特別感は確かにあった。

箱根といえば温泉、湖、山とすぐイメージがわく。映像と結びつく。

ロマンスカーは、誰もが共有している箱根のブランド力に直結するんだろうし、「ロマンスカーに乗る」という体験そのものが、手に届く非日常の観光資源になっている気がする。1957年から脈々と走り続けてきたロマンスカーの強さなんだろう。