「ド」「レ」「ミ」と、つながるチカラ

今はやりの音楽はおろか、有名な歌手の名前もあまり知らない。眠気覚ましのYouTubeくらいしか日常的に聞く音楽がない、あんま褒められたもんではないわが身でも、年に何度か、たまたまご縁をいただいて耳にした音楽に、強く打たれることがある。書かずにはいられないことが家具メーカーのショールームであったので、ごくごく簡単にお伝えするのであります。

9月12日の夕方、旭川家具を代表するメーカーの「匠工芸」であった恒例の「星空コンサート」で、長尾匡祐さん(ヴォーカル)、せらよこさん(ピアノ)ご夫妻の「ドートレトミシー」さんのライブがあった。 ご夫妻は旭川公園にも来ていただいていて、東川町の地域おこし協力隊としてご活躍の幅を広げていらっしゃる。行かないわけにはいかない。

憧れていた星空コンサート。匠工芸さんから案内のDMをいただいて、「これは!」と思いたったものの、アナウンス直後に締め切られるほどの人気ぶりらしく。 ぜいたくな自社のチェアーを距離を離して置き、50名限定というプレミアムチケット! YouTube生配信もあったけど、直に聞く機会に恵まれたので、喜び勇んで軽トラを30分走らせた。

一曲目は、オリジナルの「̪̺̪̺Bridge」という曲。

「昔々の遠い国」で、思いを寄せ合いながら大きな川を隔てた別々の村に暮らす「娘」と「若者」が、橋が架けられたことで結ばれ、「小さな舟」で故郷を離れるという物語。なぜか四国の四万十川を思い浮かべて、「娘」と「若者」の着ているものや年頃合いとか、いろいろ想像を巡らせた。 じーんときて、思わず涙がなじむ。

別に悲しい内容ではないのに、魂のこもった言葉と、過剰に主張しないピアノとギターの音色が、鼻の奥のなにかをつついてくるような感覚。

「Bridge(橋)」も音楽も人をつなぐものだけれど、つなぐことで良くも悪くもいろいろ引き起こす、でも川の流れのように、時間の流れによって全てが良い方向に向かうし、それを楽しんで受けれていこうよ、っていうメッセージであるように聞こえて。この歌は「若者と娘は子供たちに連れられて いつかきっとこの橋に戻るだろう」という言葉で締めくくられる。いいなぁ。

長尾さんの声は、伸びやかで、澄んだなかに時折男声らしい力強さも顔をのぞかせる。その表情は、ほんとうに嬉しい、楽しいよという感じで。コロナで、大勢の前での表現を封じられていただけに、どれほどの幸福感なんだろうと、じわじわきてしまった。よこさんのピアノは、いのちの喜びに満ちているようで、そっとそばに寄り添い続けてくれるような優しさと速さが、じん、と心に入ってくる。何を思い浮かべて声を出しているのか、どんなシーンを描いて鍵盤をはじいているのか、気のせいかもしれないけど、鮮明に伝わってくる。

歌声と演奏はもちろん、西日本出身らしい、お二人の軽妙な掛け合いもめちゃ楽しかった。

よこさんは、今回、いつも使っている電子ピアノではなくて、匠工芸さんに置いてあるアコースティックピアノをギリギリまで調律して使ったという楽屋話を教えてくれた。これがとっても素敵で。「楽器も家具も、生きている木から生まれたもの。どこの森の木が切られたのか、枝にどんな鳥が止まっていたのか、下で鹿が座っていたのかと想像してしまいます」「木を使っているから、時間とともに変わっていくのもいいですね」とも。

これってすごく本質的なことで、なんとなく木はいいよね~じゃなくて(入り口はそれでもいいけど)、なんで木に惹かれるのか、森から木のことを考えている人からしか出てこない言葉。音楽を通して、人とのつながりや、自然・生き物への共感とリスペクトがビシバシ伝わってくる。「ドレミ」が世界共通なことから、「ドートレトミシー」になったらしいけど、音楽もMCも聞いてみて、「あー、このお二人なら!」と膝を打った。ライブは2時間弱だったけど、あっという間で、いつまでも包まれていたい感じだった。

旭川公園にお越し下さったよこさん(左)、長尾さん(右)  (2020年4月)

このまま、良い思い出に終わらせたくなかったので、 アルバム「星の地図を探して」を家に持ち帰りました。星空コンサートにぴったりなタイトル(笑)。サインもらったけど、写真忘れて悔やまれるー 。(※ドートレさんは、オンラインで「うたごえ喫茶」や「こども歌広場」もされてます)

そして、匠工芸の桑原社長の締めの挨拶が、しびれるくらい良かった。コロナ禍で、恒例のコンサートを開催するかどうか、社内で議論があったという。「いろんなことが中止になっている。やめることは可能だし、やめたことに文句は言われない」と。うんうん、本当に。それしか選択肢ないのかな?と思うくらいに。で、こう続けていらした。

「こういう時だからこそ、心地の良い暮らしってどういうことか、考えようと。音楽や芸術、自然があって心地よい暮らしはできる。コロナウイルスという化け物が、人の暮らしはどういうものかを見直そう、どうしたら仲良く、心地よく生きられるかを教えてくれる気がします。みんなで楽しい生活を過ごせますように」。これは匠工芸のファンになるよねー。ものづくりは「心」から、ということがライブでも伝わったし、作り手の思いから理解して買いたい、置きたいなーとあらためて。こういう素敵な取り組みは、お客さんはもちろん、社員の皆さんにとってもかけがえのない機会な気がする。

当麻のココペリさんで7月に聞いた、アイヌがルーツのトンコリ奏者・OKIさんのライブも衝撃的だった。世界的に有名で、知り合いにもファンがたくさんいると後で聞いたけど、恥ずかしながらまったく存じ上げなかった。

ご近所には、宝物があるふれているんだな。じっとしているのは時間がもったいない。

土管の正しい使い方

北海道、いや全国のゲストハウス界広しといえども、土管を置いているゲストハウスは旭川公園だけはなず。まさに旭川公園の象徴。記念写真スポットとしても定着している土管について簡単に紹介させてください!

ゲストハウスのある場所はもともと町内会が手作りした公園で、その後空き地となっていて寂しい感じでありました。最初にこの土地に出会った時、「なんかドラえもんに出てくる空き地みたい」って思ったのがすべてのきっかけ。近くには里山部こと清水省吾さんの森があって「裏山」として使わせてもらうことになっていたので、じゃあ土管があれば、あの世界が表現できると直感。

建物以外のスペースに何を置くかは悩みに悩んだけれど、いろいろな古材や小道具をいただいている、旭川市内の取り壊される納屋があった場所に、なんと幸運にも土管がいくつも転がっていて、頂戴することに!

土管を吊り上げる、大工のカールさん

ユニック車を借りて一つずつ吊り上げ、ゲストハウスに運び、穴を開けて固定する。


旭川公園で土管を設置する大工の田中優作さん(左)と松本憲ちゃん。浜松からありがとう!

はたから見たら奇妙な光景だっただろうけど、今ではすっかり地域の景色として馴染んでる(?)!

イベントの時、土管は「ドカウンター」になって、大学生による「ドッカンcoffee」として使われたことも。宿泊した方は、多くの方が土管の前で記念写真を撮っていかれる。

旭川公園にはでっかい看板もサインもないので、道に迷われたら土管を目印にしてくださいませ。

ウェルネスな気分になれる当麻の森!

「自分の心身と時間をデザインすることを楽しむ」をテーマにした新ウェブメディア「Design me」(デザインミー)で、旭川公園を紹介してもらえることになり、第一弾の動画が公開されましたー

当麻町の森であった森遊びや木工の体験会のようすをスマホで撮影して、耐えられるクオリティに編集してもらいました。プロの動画力ってすごい。。。第一弾が当麻っていうのはいいなぁ〜。当事者だからか、なぜかウルウルする感じになりました。

森に入って綱引きみたいに白樺を引っ張ったり、搬出した白樺で木工をやったり、火を起こしたり、まるごとなんでもできるんだなー。そしてそれを支えるプレーヤーがそろってる。やっぱすごい当麻。当麻にいちばん近いゲストハウスとしてもっと繋がっていきたいわ!

動画「旭川公園ゲストハウスができるまで」公開!

ついに動画ができました!

前職の新聞記者時代から温めていた「原点」ともいえる構想から、現地調査、最近の上棟式の様子まで。たっぷり5分ちょい。クラウドファンディングのサイトで、先行公開しました。

https://faavo.jp/hokkaido/project/3809

上野ファーム、わがままじぃじぃ、屯田の里、坂井ファーム、のんの畑北海道、里山部、IKAUSI CLASSの原さん、上森米穀店の鳥越さん、雑貨店「Aujourd’hui」、ラーメン「よし乃」の皆さん、ご近所の皆さま、ご協力ありがとうございました★

旭川公園の周りに、どんな魅力的な方がいて、管理人がなぜここで「公園」をつくるのか。空色デザインの鈴木裕矢さんに撮影・編集してもらい、とってもとっても素敵な映像になりました。

冒頭は早送りしていただいて大丈夫なので、1分33秒くらいから是非ご覧ください‼️  旭川公園の雰囲気がスッと入ってきます‼

ついに目覚めた「白樺プロジェクト」 (動画つき)

旭川で6月にあったデザインウィーク(ADW)で、去年からお邪魔していた「白樺プロジェクト」がお披露目になった。一般に公開される初めてのタイミングで、東川町の「木と暮らしの工房」の鳥羽山さん、美瑛の樹凛工房の杉達さん、デザイナーの田中さんたちがもの凄いエネルギー量で間に合わせた。そのブースがこちら

会場になった旭川デザインセンターの、二階に通じる階段を上がって正面という好立地も手伝っただろうけど、その圧倒的な存在感に客波は絶えず。切り株やチェーンソーがどーんと中央にあって、だれもが「森とのつながり」を直感できる空間だわ。

思わず「かわいーー」と唸るスツールやベンチ、「白樺がこんなきれいだなんて」と見惚れるテーブルはもちろん、樹液の化粧品や飲み物、白樺で染めたフェルト作品などなど、いろんなタッチポイントがあるのもすごい。

最終日には最強のキコリがブースに立って、お客さんにダイレクトに説明していた。いい意味での異様な光景で素晴らしき哉。

ADWの期間終了後も、さっそく7月1日には幌加内町にある北大雨龍研究林で視察・採取したし、9日には旭川大学で今後の方針を話し合った。大きなイベントがあった後こそ、しっかりじっくり持続させることを考えることが大事!

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そして旭川公園としての白樺プロジェクトも、地味に進行中。清水さんに切りだしてもらった里山部産の白樺は乾燥・製材が終わり、岡山県西粟倉の「ようび」へ送られた。完成が待ち遠しすぎる!!!

なんでもできる当麻町 (動画つき)

「うちのまちには何にもない」と嘆く自治体にだって、絶対あるはずの森。余計な垢(あか)のついた大人が「素」に戻れる森。それを、人の力で人の集まる場所に変えているのが当麻町というところ。

トマムで有名な占冠村、層雲峡が知られる上川町、そばの産地・幌加内町などいろんなエリアの地域おこし協力隊が集まった「地域づくり研修」が当麻であって、記録係としてお邪魔してきた!

森の楽しみ方といえば昔は森林浴だったイメージ。木育といえば、既に製材した木を加工して楽しむイメージがある。

でもせっかくなら、森に精通した個性豊かな人に教わりながら歩きたいし、クラフトをつくるなら、森で木を切るところから始めたい。そうすれば、全部がつながって丸ごと楽しい。いいプレイヤーがいれば、これができちゃう。どこだって。

当麻のまちづくり関係では木育マイスターが3人いまして。原さんと協力隊の長多さん、振興公社の石黒さん。全員がこの研修会の主催者側で、松本も普段から公私ともにすっごく遊んでもらってます。

町による植樹事業の失敗とその原因、かつて里山として活用されていた山の歴史、樹種ごとに違う個性、一斉に伐採するのではなく価値を増大させるための森の管理法・・・。尖った木こり・清水省吾さんや木育マイスターが歩きながら熱弁し、頂上を目指す。展望台からは「世界で二番目に美しく見える」と言われる大雪山を望む。達成感!

下山の途中で、あまり太くない白樺をみんなで囲み、縄を投げて幹にまき、ナイフで切り込みをいれて、伐倒準備。木工体験のために使う材を伐りだすのです。

「せーの、せーの」でみんなで息を合わせて、運動会の綱引きみたいに縄を引っ張る。倒れた瞬間は、そりゃもう、歓声が上がるわけで。運び出し、みんなで収穫を祝い。知識と技術があれば、まさにどこにでもできる楽しい伐倒体験。

翌日は、クーピーを挿入した巨大な色鉛筆をつくったり、「小さな家」で並べて自分たちの「まち」をつくったりとグループに分かれて白樺を細工。白樺の樹皮を焚き付けに、メタルマッチで火を起こしたり、テントを張ってみたりと、サバイバルっぽいことも清水さん監修の下、体験した。まさに、ブッシュクラフト。

身近な資源で、なんでもできる。プレイヤーがいれば、どこでもできる。当麻町はおもしろくて能力がハンパないプレイヤーが集まりすぎてるだけの話。参加者の皆さんは「うちのまちでもできそう」と手応えと可能性をお土産にされたのでした。

ドタバタの引っ越し&最後の夏休み

ドタバタしない引っ越しなんて経験したことないけど、今回ばかりはすごく特殊なケース。

前日になっても搬入日が決まらないまま、荷出しの10月5日がやってきた。

こちらも梱包が終わってなかったので偉そうなことは言えないけど、5日になって業者からようやく「12日になりました」と連絡が入った。

午後2時からの荷出し予定だったけど、午前中の現場が遅れたとかで到着は夕方5時に。現場のお兄さんたちはすごく気持ちの良い人で一生懸命やってくれたけど、いかんせん2人しかいない。これじゃあ、どうしたって遅れるよね。

普通に運び出せば2時間、最長でも3時間と聞いていて、マンションの部屋のオーナーの立ち会いをお願いしていたけど、「なんだ。全然だめだな、これ」と捨てゼリフを吐かれて流れてしまい、けっきょく作業が終わったのは23時5分。

この日は東京のゲストハウスで勉強する予定だったけど、途中の段階でレイトチェックアウト(+1000円)の25時も間に合わないことがわかって、泣く泣くキャンセル。

こういう時に頼れるのは、気のおけない友達しかいない。磐田に住む尾高家に夜9時すぎ。「ゲストハウスだめだったら、泊めてくれない・・・?」と妻から。みなちゃんは二つ返事でオッケーしてくれ、日付が変わったころに押しかけてしまいました。おつまみとゴミ袋をお土産に💦

けっこうぺちゃくちゃしゃべり、自分はソファーで寝させてもらって、翌朝は8時前に出発!わざわざ朝ごはんまで作ってもらって・・・。ありがとー。これから人生最後の夏休み、いってきます!

尾高家で記念写真

管理棟の絵が見えてきた!

10月2日は松本憲さんの事務所で打ち合わせ。コンテナハウスが頓挫して、住宅(兼 管理棟)も憲さんのところでほかの建物と同様にお願いすると決まったのが9月25日、コンテナハウスのメーカーと破談になったのがその2日前だから、なんという、恐ろしいほどのスピード感! 睡眠時間やお子さんとの時間を削って仕上げてくれたであろう、奥さんのしのちゃん、憲ちゃん、所長、ありがとうございます💦

提示されたのは、この図面。

図面のほんの一部

「どうですか?」と言われて、もう「どうもこうもありません」と答えるのがやっと。限られた敷地と予算、「旭川公園」全体の世界観との統一性をぜんぶ満足してくれて、動線やレイアウトも素敵すぎて・・・。

よく、「期待以上、言われた以上のことをしてこそ仕事」みたいに言うけど、それを字でいくようなクオリティの仕事に脱帽&感激!組む相手によって、こうも違うものなのか…。

お気に入りのポイントはいくつかあるけど、一番大きいのはリビングからの景色と、宿泊棟・広場との動線。

景色といっても絶景があるわけじゃないけど、ご近所の家の向こうにそびえる大雪山の方向に、出入り口にもなるリビングの大きな窓があって、それが空き地を向いていて。なおかつ、ウッドデッキを(すぐじゃなくてもいつか)設けることで隣接する宿泊棟からのアクセスがしやすくなるし、デザイン的にもつながりを感じやすい。

それに、ペレットストーブの配置や小上がりの和室も最高の。これが、宿泊棟・広場から(カーテン閉めてない時に見ようと思えば)見えるようになっている。

直前の25日の打ち合わせでは、あくまで平屋にして、2階部分は将来的にロフトのようなものを設けられるような余地を残しておこう、という方向でまとまったけど、所長の方からは「一番大事な予算のことはあるけど、どうせなら最初から入れるプランにしました」と説明をいただいた。2段ベッドを置けて、ゆくゆくは子どもの机を置けるようなスペースや納戸やらを、秘密基地のように控えめに配置する提案をしてもらい、「そりゃあもう、2階はあったほうがいいに決まってますので」と即決。

すごく効率的で機能的なレイアウトで、狭小住宅ならではの「小さな暮らし」ができそう。これなら楽しくモノを減らせるし、減らした甲斐があったなぁ。これは〝間違いない管理棟〟になりそうだわ🤗

人に会うたび力になる

武田さん夫妻

九月の最終週は、お世話になった人への挨拶行脚。

トークセッションから一夜明けた25日は夜、会社の同期が開いてくれた送別会にはせ参じる。モンベルのかっこいい防寒着をプレゼントしてくれた!   これで今年の初めての冬は乗り切れそうー。26日は愛知県方面。学校や幼稚園が終わってから高速に乗って移動して、夜は初任地・瀬戸支局の皆さんと地元の名店・南大門で焼き肉。大先輩ばかりだけど、一緒に仕事をした、気心の知れた(と自分では勝手ながら思っている)方たちとの話は落ち着くし、根拠のない自信を持たせてくれる。ありがたや。

南大門の〆に欠かせないラーメン

27日は急きょだったけど念願かなって、特別な場所である岐阜に行くことにした。10年半勤めた新聞社は、入社後、7月いっぱいまでが研修の期間。その締めくくりに、新聞を配る販売店さんに40日住み込みで勤務する。この業界でも珍しい、自分たちの仕事が誰によってどう成り立っているのかを教えてもらう最高の研修だと思ってます。

自分は岐阜市のタケダ新聞店(武田健以知社長)でお世話になって、めちゃくちゃ濃い時間を過ごさせてもらった。地元の祭りでは地域の皆さんとたらふく飲み、ビルの空きフロアで映画を見て、武田社長にもいろんな所に連れて行ってもらった。飲みすぎて起きられず寝坊して大目玉をくらい、作業場の扉の前で仮したこともあるし、一緒に銭湯に入って諭されたこともある。地域の中で仕事をすることや、多くの人それぞれに役割があること、若い人にチャンスをあげて育てる人がまちには必要なこと、いろんなことを教わったなぁ。

この日も10年前と同じようにまちを歩いてみた。駅、居酒屋、台湾料理屋、工場、名鉄の踏切・・・。眺めていると、当時の気持ちが一緒に蘇ってきた。「あぁ、ここが自分にとって最初の社会だったな〜」とやけにしんみりした。

武田社長は、豪傑かつ気配りの人。今後を心配してくれ「 誰も言わんだろうから、苦言を言ってやる。お前は欲しいものはなんでもすぐに欲しがるからな。欲を出すな」。今でもかわいがってくれて涙が出る。

いわく。

商売で人を呼び込めるかどうか、人の流れをつくれるかは潮の満ち引きと一緒なんだとか。無理に引っ張ってくるものじゃなくて、いかに自然に引き寄せるか。変に狙っちゃいけない。なるほど、、、潮とおんなじだ!すごい。

だから、なんかおもしろいことをやってるなー、と思わせる空間づくりが欠かせない。やっぱり「旭川公園」の広場ではバーベキューをどんどんやるべきだろうと。うんうん。

宿泊だけやっていてもダメ。血液の流れが悪くならないように、つねにアンテナを張って、先手先手で新しい情報を発信していかないと意味がない。たしかに。

3年は無心でやれ。欲張るな。先に結果を求めず、一歩ずつ焦らずにやれば、結果はでてくる。と。はい!

帰り際、「また遊びに来いよ。なんかあったらすぐ電話をしろな。味方はおるでな」と、肩に手を添えてくれた。これで感極まらずにいろっていうのは無理でしょう。

そのあとは岐阜駅のドトールで、この会社に入るきっかけをくださった大先輩とお茶。会議の合間をぬって駆けつけてくださり、「コミュニティに入っていけば大丈夫。会社との縁は切れても、人とのご縁は大事にしていけよ。お子さんを育てるにもいい環境だろう。北海道の皆さんは寛容で、受け入れてくれるから」とアドバイスをくれた。

人に会うたびに、強くなっていけるような気がしてきた。このご縁を、もっと太くしていきたい。

ハローアゲイン旭川を叫んだ、浜松のトークナイト

3年前まで住んでた金沢を再訪する旅を終えると、一路浜松へ。この日の夜は、トークイベントが開かれるので。

お題は「なぜ⁉︎  個人が旭川に公園をつくるのか?

いつもゲストハウスづくりでお世話になっているメンバーは普段、「浜松PPPデザイン」というグループをつくっていて、まちづくりの文脈で活動されてまして。そのPPPとしてイベントを開いて私がしゃべる機会を設けてくださり、同年代の人たちが手伝ってくれて盛り上げてくれたのです。

photo:鈴木裕矢 (カラオケの写真以外)

北海道庁のビジネスコンテストでやったプレゼンをベースに計画をお伝えし、PPPの皆さんが突っ込みや補足を挟んでくれるセッション形式。 いくつか質問もいただき、「一番のターゲットに据えている関東の30代女性が、地域の人と交流するというのは、聞いただけではイメージにしくいけど、どういうこと?」「価格設定はどれくらいにするのか」などなど。初めての人に話して反応をもらえるのって、ほんとうにありがたい機会。どんどん増やさねば。試食用でちょっぴり出した、旭川公園オリジナルの味噌グラノーラは、すっごく評判がよく、楽観的かもしれないけど手応えを得たり。

妻からは「グラノーラは反応良かったね。トークはう〜ん、なんかウワーって喋って終わった、みたいな感じ」と正しい指摘が飛んできた。聞いてる人のことを考えてしゃべり方もスピードも調整しないと。反省。

1984年生まれのメンバーがやってるタイムドリップコーヒーさん(https://m.facebook.com/TIME-DRIP-COFFEE-380661939012571/)や自転車屋のハッピースラッピーさん(https://ja-jp.facebook.com/happy.Slappy.hamamatsu/)たちが出してくれたオニギリスタンドとドリップ味噌汁、フリーの日本酒も大好評。投げ銭をしてくれた皆さま、ありがとうございました! すてきなご縁もいただきました!

まちづくりやリノベーションをやっている浜松の方や、会社の後輩とか多くの方に来ていただき、さながら壮行会にもなった。終わった後は、久々に未明までのカラオケ。90〜00年代を中心に。締めの曲はマイラバ(My Little Lover)のハローアゲイン。ハローアゲイン@旭川を合言葉に、心地よい疲労感でジャンカラを後にしたのでした。