木下斉さんを迎えます!

11月9日、全国のまちづくりの現場を渡り歩いてこられた地域活性化伝道師の木下斉さんが旭川と鷹栖町にーーー! 

めちゃ楽しみなので、近著の「地元がヤバい…と思ったら読む 凡人のための地域再生入門」(ダイヤモンド社)の読書感想文を勝手に書いちゃいます。ついでに、関係者じゃないのに勝手にイベント告知します。

補助金をもらったことのある身なので、帯にある「補助金が地方のガンなんや!」にドキッとするけれども、気にせずページをめくる。

気付けば一気に300ページくらいまで来ていて、やばいヤバいもう終わっちゃうと焦る。瀬戸さん(33)という主人公が、実家の家業の整理で帰省していくうちに衰退した地元の再生に関わっていくというストーリー(小説)仕立てなので、読書家になったと勘違いしちゃうくらい紙をめくるのがめちゃ速くなる。

307ページに、子どものころ瀬戸をパシッていて今は飲食事業で大成功している同級生の佐田が、こう言う。「地方やと『地元はダメだ、未来がない、何もできることはない』って大人たちが思い込んでることはまだまだあるんや」。

うんうん!

308ページでは、瀬戸が佐田の言葉を受けるように、「地方に生まれても、地元で何かをするのは無理だと諦めて東京に出てしまう子どもも多いからね。それは結局、大人たちが諦めているからなんだよね」。

ほんまそうそう!

旭川に自分が移住したのは、2018年の10月だった。いま、ちょうど1年が過ぎたところ。

これまで旭川市の経済事情の厳しさをいろいろ見せつけられ、十勝地方の盛り上がりとの比較をよく聞かされ、「旭川で商売なんてできっこない」「なんもないし、みんな諦めてるよ」みたいなことをさんざん聞かされてきた。普通に暮らしてる、それこそ本であえて表現されている「凡人」の皆さんが、そう言う場面に何度も立ち会ってきた。

「旭川ってこんなとこがすごいでしょ」「なんでもあるでしょ」っていう声は、自分で動いて多くのご縁をいただいて初めて、耳に入ってきた気がする。やっぱり少数派だと思う。

自分のまちに対するネガティブな思いや意見って、その子どもたちにも確実に伝染する。「地元で就職を」「流出を防げ」とかお題目をとなえる前に、まず大人たちがちょっとマインドや目線を変えてみることのほうが要るはずやけど。

そういう意味では、移住者のほうがまっさらな目で観察しやすいし、業界とか地域の常識も知らないので、ある意味やりやすい。でも無知すぎるし、勢い先行なもんで、いろんな忠告を受けてきた。「もっと普通のスタイルで着実にやったほうがいい」「こんな立地で人が来るわけないし、理解できない」「最初からこんな大きなリスクを背負うべきじゃない」とか。

確かに、木下さんのこの本でも「事業は小さく始める」こととか「確実な収入をまず確保する、営業の先回りを」というセオリー的な指摘があって、この点、自分のゲストハウス業は危ういところがある。それも自覚はしているつもり。

と同時に、76ページで佐田で瀬戸に迫る、「地方で事業やるゆうたら、誰もが反対する。おれと銀行、どっち信用するんや」という言葉にはちょっと救われる思いがした。木下さんによる解説コラムでも「不安を感じない人はいない。さらにまわりからは親切心で確実に反対される。いろいろな人の意見を聞く人がいるが、特段関係ない人たちに意見を聞いたりして回っているうちに、マイナスの意見ばかりを言われて諦めてしまうケースも多い(中略)不安があるからといって人の賛成を精神安定剤にしようとせず、自分で覚悟を決めてやるしかないのだ」とあった。

スーパーマンの登場を待つんじゃなくて、「凡人」がなにかで刺激を受けてきっかけをつくって、誰と組むかを意識して、とりあえず動きだしてみる。(と本で書いてある)そうそう、それが大事なんだよなーと自分で正当化してしまったわ。動きだしちゃったし、あとはやることでしか危うさを緩和する術はないし!

で、たぶん、大事なのは刺激やきっかけなんだろうけど、それは旭川や周辺にめちゃある。実は。

木こりの清水省吾さんがやっている里山部と自伐型林業だったり、旭町で展開されているnest co-livingだったり、江丹別で始まる熱中小学校だったり、まちなかの遊休不動産を取得して安く貸し出してエリアの価値を高めようとしているパターソンのむらさんの動きだったり。

でもいちばん手っ取り早いのは、9日に木下さんの講演を聴くことでしょう!

鷹栖町主催のまちづくりセミナー「稼ぐまちが地方を変える」は14時から鷹栖地区住民センターで、木下さん自主開催の「狂犬ツアー」は午後7時からJA上川ビルで。かなり突っ込んだ北海道ローカルな話が出てくるみたいですよ!

九州のレール・レディの魅力

毎日毎日、旭川のことばっかり考えてると、たまに沖縄とか九州のことが頭に浮かぶ。あっちに移住してたらどんなことしてたかな〜と。まだ移住してないのに。特にJR九州とかデザイナーの水戸岡鋭治さんには影響を受けたので、九州の動きはすごく気になっちゃう。

引っ越しに向けて荷物を減らしていかないといけないので、むだにたくさんある本を整理し始めてる。ダンボールの中から、懐かしい本が発掘された。

せっかくなので久々に読んでみる。

奥村美幸さんが実際の乗務体験をもとに仕事の素晴らしさを綴っている、優しい本です。あったかくなる。

しかも、めっちゃ大事なことをおっしゃっている。

「私たち社員の一瞬の笑顔でさえも、お客さまにとってはかけがえのないものになるのですね。私たちの一人ひとりのサービスによって、お客さまがJR九州全体のイメージをつくってしまう。それが会社のブランドそのものかもしれません」

サービス業としては当たり前のことかもしれないけど、やっぱりこういう事を意識してやれてる人って、多数派じゃないんじゃないかって思う。特に旅先では、車掌さんや駅員さんの対応、タクシー運転手さんの言動、ホテルのフロントさんの態度、そのどれか一つであっても、旅全体や地域の印象を左右してしまう。すごくシビアな仕事だと思う。

今まで九州で列車旅を何度もしたけど、九州全体のイメージは「楽しい」「元気」「おもてなし」「おしゃれ」とか、そんな感じ。九州新幹線から始まっていろんな観光列車で、地元の人たちが手を振るのが有名になり、今では全国でやられているけど、九州のこの一体感、心地よさはなかなか真似できないレベルだといつも思う。

奥村さんはこうも言う。

「私たちの会社も客室乗務員も、列車でのさまざまなサービスや出会いも、すべては九州という土壌が育んできたのだなということに気づかされました」

!!   なかなかここまでたどり着けないよね〜、と。こんな自然で気持ちいい郷土愛ってなかなかない! こういうのって、絶対にお客さんに伝わると思うんです。

勉強のために九州の外へ出向いた時のエピソードも面白い。

「水戸岡さんのデザインに慣れているせいでしょうか、そういえばそのとき、列車のデザインを『なんだか普通だな』と感じました。実は列車のデザインだけでなく、客室乗務員さんのサービスにも特に工夫が感じられず、『私たちのサービス、自信持っていいよね』と、みんなで話したのでした」

一歩間違えたら単なる自己陶酔、マスターベーションみたいになるけど、これはすごいよく分かる。デザインだから好みは分かれるけど、特急列車に乗ってドキドキするのは北海道くらいだし、普通列車でいえば、静岡ローカルは苦痛。人気の北陸新幹線や東北新幹線だって、九州新幹線ほどの「心が豊かになる感覚」を味わうことは自分にはできない。

ちなみに九州新幹線の800系のイスは、プライウッドという薄い板を11枚重ねたもので、窓のブラインドや手すりは、人吉市の山に生えているヤマザクラを活用。洗面室の縄のれんは、八代のイグサ。座席クッションは京都の西陣織・・・だそうです。人吉のヤマザクラっていうのは知らなかった。

岡崎さんにとって水戸岡さんは「雲の上にいる」ような存在らしい。自分にとっては、「公共空間を豊かにすることが子どもを育む」と教えてくださった存在で、やはり雲の上の方。10年ちょっとの記者人生の中でもとびきり得がたいインタビューをさせてもらえた。これもJR九州と新聞社のおかげ。すべてがつながってる。感謝。

 

「公共R不動産」より①〜再開発アレルギー〜

6月8日(金)に、待ち焦がれていた「公共R不動産のプロジェクトスタディ〜公民連携のしくみとデザイン〜」が発売された。 よく行く本屋に置いてなかったので、後日、電車で浜松駅に行った時に、ようやく入手。

刺さるところが多すぎるので、随時、何回かに分けて紹介せずにはいられない!

60ページに、クリエイティブな再開発について書いたコラムがある。ライターは飯石藍さん。

高度成長期の建物が寿命に近づいて建て替えられる時のダメな点について指摘する中で、こんなくだりがあった。

「さらに大きな問題なのは、再開発によって、まちの記憶がごっそりなくなることだ。昔ながらの居酒屋や横丁、地元に愛された店が再開発により姿を消して、ナショナルチェーンが軒を連ねる商業施設になってします。まちに息づいていた文化が、そこで断ち切られていまうのだ」

すぐに、兵庫県西宮市の阪急・西宮北口駅前を思い出した。

西宮は自分の地元で、高校生まで過ごした。小学4年の時には阪神大震災があった。実家は全壊し、西宮北口駅前は見るも無惨に風景が一変した。

いちばんショックだったのは商店街で、小学生時分だったので文房具屋くらいしか行かなかったけど、おばちゃんおじちゃんが自転車で買い物や暇つぶしをしていて、ワイワイガヤガヤした雰囲気だった。それがごっそり、地震で消えた。

その後、駅前には住宅と一緒になった高層の複合施設ができて、商店街にあったいくつかのお店も入居した。

でも、なんか違う。ハコはきれいになって、買い物の便は良くなったけど、申し訳ないことに買い物したい気持ちになれない。やってる人は同じでも、違和感を拭えなかった。

ちなみに実家の背後にあった、裏山みたいな里山みたいな謎の遊び場も、所狭しと住宅が建ち並んだ。オニヤンマのヤゴを捕ったり沼でザリガニを釣ったり、焼き芋を焼いたり畑を走り回ったりした楽しい共有地(まぁ実際は私有地なんだろうけど)は、なにもなかったかのように消え去った。

西宮だけじゃなく、神戸も似たような所があった。復興の象徴として再開発という名のまちづくりを急ぐあまり、どこにでもある高層マンションやらが林立した。東北の例を出すまでもなく、合意形成はめちゃくちゃ難しかったと思うけど、無機質で人のにおいがしない、そんな場所に変わり果てた地域があった。

西宮北口の駅前も神戸の一部も、共通しているのは「まちの記憶」が見えなくなっていることだと思う。そのまちならではの空気や人の流れ、顔ぶれ・・・。そういうものが全然感じられなくなってしまった。

それが影響しているのかどうか、今も「再開発」と聞くと条件反射的に拒否感が前に出るし、あまりにもきれいに整えられた今どきの住宅街や、分譲地なんかは、全く住む気になれないでいる。落ち着かない。

飯石さんはコラムで続ける。

「まちの記憶を感じるには、整然とした街並みだけでなく、こっそく隠れて楽しめる小さな店があったり、顔なじみのマスターがいるバーがあったりと、猥雑な要素が欠かせない。匂い立つようなまちの要素を、どうヒューマンスケールを超えた再開発と共存させていくのか」

いろんなものが混じり合って猥雑さが感じられる〝公園〟を旭川につくりたい。そこに住みたい。と同時に、まちの記憶をしっかり捉えて大切にしないと。

寝かせた本こそ最良の教科書や〜その②〜

 

大学でメディアやコミュニケーションを専門にする研究所にいたころ、博報堂コピーライター出身の恩師に、「情報のシャワーを浴びるのが大事」と叩き込まれた。

別の、やはり博報堂出身の恩師には読売新聞の名物一面コラム「編集手帳」のスター記者をご紹介いただき、その記者から、徹底的に情報を整理して引き出す、つなぎ合わせるメソッドを教えてもらった。

新聞記者になってしばらくは、教わったことを実践すべく新聞を6紙購読していて、すごいお金をかけてた。それこそ膨大な情報量だったので、しっかりしたスクラップブックをつくって、「国際問題」「教育」「地域」「経済」とテーマ別に分けて、ひたすら貼り付けていた。でもスクラップブックを見返すことはずっとなく、お金的にも持続可能じゃなくなって、一年くらいで休眠状態になっちゃった。

そんなことがあった前後かと思うけど、博報堂ケトルCEO(少なくとも当時は)の島浩一郎さん著の「アイデアのつくり方」(2007年)を手に入れた。申し訳ないことにしっかり読むことなく段ボールに眠っていたままだったけど、最近、本がまた好きになったので取り出してみた。

 

社会人一年目のときに、ちゃんと読んどけばよかったなーと深く後悔した。書いてることは今じゃ目ウロコじゃなかったけど、もっと昔に知っておくべきだった。

嶋さんいわく、情報はとにかくどんどん集めて俯瞰し、整理せず、〝放牧〟すべしと。うまく〝交配〟できると、思いもよらない情報同士が化学反応を起こして、画期的なアイデアや企画が生まれるんだ、とおっしゃっている。

ゲストハウスのあり方をもっともっと考えて磨き上げないといけないので、参考になる言葉がいくつかあった。(ほんとは書ききれないくらい)

  • シンプルに説明できる企画が一番強いと確信している。一言で説明できる企画であるほど、多くの人を巻き込む力を持つ。情報のカオスからシンプルな企画を生むのは勇気がいる
  • ジャンプ力こそ企画力。意表をつく組み合わせ。でも奇をてらうことではない 。きちんとした根拠と、緻密な計算が必要
  • 情報にゴミはない。一流も三流もない。どんな情報にも新しい何かを生み出すポテンシャルがある。

ありとあらゆるメモをたくさん取って、寝かせて、奇をてらわず組み合わせよう。寝かせた本は、ほんといい味が出る

熱海の奇跡を見に行かねば

「熱海」って聞くと、衰退の象徴、っていうイメージがあった。旅行の形が変わったことに対応できなかった残念なところ、という風に。なのになのに、浜松に転勤してからというもの、熱海がにぎわってる、若い人が来てるという明るいニュースばかり見るようになったことになった。

あれ、いつの間に?

これまで興味をもってストーリーをふかく調べることもしなかったけど、今は違う。めっちゃ知りたいんです熱海。

そう、有名なゲストハウス「MARUYA」があり、エリアリノベーション(※)がうまくいっている街だから!

ゲストハウスで起業しようというのに、わが静岡の事例を知らずして、先には進めないもんね。

そんな時に、これまた最高のタイミングというか、自分のためにあるような投稿に接した。リクルート出身で瀬戸市役所時代にお世話になったコンサルタントの柴田朋子さんのFacebookで、「熱海の奇跡」(市来広一郎著、東洋経済新報社)が紹介されてた。なのでさっそく読んでみた。

主なメモ内容と、自分の計画に照らして心に刺さったポイントは以下の通りであります。

 

★  「大きなビジョンと小さな一歩」  志高くとも、まずは持続可能な範囲で。お金に向き合う訓練をせねば  

★ 自分たちの暮らしは自分たちでつくる、自分たちの街も自分たちでつくる→できる範囲でつくっていくために、新聞社を辞めて北の大地に逃避行するんだから

住民みずからが生活を楽しめるようになることで内需が拡大し、外から遊びに来る人が増えて外貨を獲得するローカルな暮らしを体験してもらうゲストハウスにするので、地域の人が楽しく寄れる場をつくりたい。時間をかけて、ていねいに

★街としてのペルソナ(最重視するターゲット層)=クリエイティブな30代に選ばれる街→こちらのペルソナは、関東在住の20〜30代女性。車を持たず、新しいライフスタイル、丁寧に暮らしを模索すると。東日本大震災で価値観が揺らいだ。雑誌「&Premium」や「nice things」を愛読している。

地方の文化やライフスタイルで稼ぐことが新たな地方の観光だ(木下斉さん)→もう間違いない。あらためて意識してこ

★お客さんを集める重要な要素は、街そのものの魅力、街を知るという体験→ほんとこれ。くどいくらい噛みしめよ

★大島芳彦さん「あなたでなければ、ここでなければ、いまでなければ、という事業を生み出そう」→はい。そうします

このゲストハウスに宿泊すると、自然に街に出かけ、街との接点ができるようにしています→同じこと考えてます

「やってから謝りに行く」戦術。事前にすべての方の合意形成をしてから始めていては、いつまで経っても何も変えられない。実際にやってみないと意義はなかなか理解してもらえない。継続すると変化は起き始める→ここ、すごく気になってた。今後重点的に勉強したいところ。どうやれば思いや考えが伝わるか、どこまでどんな形で合意を形成するか

自ら仕事や暮らしをつくっていく人=クリエイティブな人。カフェもゲストハウスもクリエイティブな30代に選ばれる街をつくるビジョンを実現する手段→大きなビジョンと、それにつながる各事業の位置付け、ちゃんと全体図を整理せねば

女性の意見や感じ方をよく知って、意見を取り入れていくことは、新しい仕事や暮らしをつくっていくうえで不可欠。女性には、新しいものに素早く反応する傾向がある。生活を楽しむことに関しては、女性のほうがどん欲。→200%同意。

これからは女性や若者、他地域から来た人や外国人など年代、性別、国籍などを問わず、多様な人たちが関わり、ゆるやかにつながり共につくりあげてこと、磨かれていく→ゆるやかに小さくつなり、気づいたら大きくなってるってのが、今

起業家と地元の人々は経験や考え方に差異があり、すんなりとコミュニケーションがとれないことも多々。でもその間に立って翻訳したり調整したりする役割があれば、信頼関係を築くことがもっと容易になる→やはり皆さん同じ苦労を経験するんだな・・・。自治会長さん以外に、いまいち思いつかない。

宿を街に点在させてネットワークにつなぎ、多様な滞在の仕方を生み出そう。街全体が宿のような感覚で泊まれる街をつくろう→実は空き地を使った〝公園〟づくりだけではなくて、発展させる将来展望もあり。だから、移動可能なコンテナハウスやタイニーハウスが欠かせぬ

★自分や周りの誰かを犠牲にして取り組むことは、結局のところ、良い結果をもたらさない。街を変えることには時間がかかります。だからこそ、楽しく続けていくことが大事です。そのためには、稼ぐことに向き合うことが大事→身に染みる。街を変えることとか、課題解決が先に来たわけじゃないけど、自分たち家族の暮らしも見せていくというか、楽しく暮らすことがまず前提にないと、誰も楽しめないだろうと思ってる

 

“熱海の奇跡を見に行かねば” の続きを読む

Zは北海道に勝てなかった。偏愛こそバイタリティー

会社に入って2年目か3年目のとき。24歳で、日産のフェアレディZ version NISMOを男の60回ローンで買った。

すんなりと手に入ったわけじゃなかった。

はじめ、愛知から新幹線に乗って静岡市の日産にいったら、「頭金19万円では審査できない」と言われ、居酒屋でイルカの肉を食べながら泣いた(ほんとに)。

悔しくてたまらず、カップ麺生活で半年で150万円ためて、東京・葛西に買いに行った。総額432万円。脂汗がでそうになったけど、ハンコを押した。

学生時代にカタログを見て稲妻が走り、富士スピードウェイのイベントで現物を見て震え、やっとこさ、マイ・フェアレディ(貴婦人)にたどり着いた。人生で2番目に強い幸福感に浸った。

けっこう面白いというか、わりと強烈な、こんな経緯があったから、フェアレディZには特別な思いがあった。間違いなくファン。そして、こんなクルマを今の時代もつくってる会社、ってことで日産のファンにもなった。株も買った。

自分には偏愛的な要素がけっこうある、と自覚はしてる。

だから書店でこの本を取ったとき、「これを読まずして、どうして遊びにきてくれたゲストをファンにできるのか!」と直感的に思った。

佐藤尚之(さとなお)さんの「ファンベース」(ちくま新書)

一気に読了した。

ファン=企業・商品の価値を支持する人。これをいかに大切にするか、ということを、たくさんの事例とご経験で、やさしく教えてくれる。

▪テレビ・新聞といった「マス」で一方的に広告を打つ時代じゃない。新規顧客を狙うアプローチだけでは売り上げを増やすのは難しい。

少数のファンが売り上げの大半を占める。

▪情報とモノがこんなにあふれていて、瞬間的に認知されてもすぐに人は忘れる。

▪検索を活用している人は、ほぼ東京に一極集中している。東京は別の国

▪ファンがおススメしたくなる、言いたくなる状況をつくる

▪友人とは価値観の近い人。友人のオススメは最強メディア

▪ファンと一緒に、時間と手間をかけてコミュニティを熟成させていく作業は楽しいものだということ。それはすてきな人間関係をつくることだから、と。

ファンは20%と考える。少数。「全員にファンになってもらいたい」と望むのが一番の間違い。全員に好かれようとすると、全員を失う

▪差別化こそが大切な価値だった時代は過ぎ去ろうとしている。今はもっと体験価値

や情緒価値に注目する必要がある。

▪モノの背景に「人」がいることをどうやって感じさせるか。

▪SNSの企業アカウントは、一方的なおしらせに終始するのがほとんど。もっと根本的考え方、創業者の志、努力や失敗を投稿すべき。それらを継続することで、何を考え、何を目指しているのかが生活者に伝わるようになる

▪モノには物質的価値と精神的価値があるが、どんなビジネスでも精神的価値を提供することの重要性が高まっている(スノーピーク社長)

メモメモ。

そして、最終章の言葉もグッときた。

「あえてキレイゴトを言うが、あなたは人生において何を大切にするのかというを試されているとボクは思う。何のために会社に入り、何のために仕事をし、何のために生活者にその商品を売っているか」

まさに、人生で何を大切にするのか、ここ数年間考え続けてきた。

家族と向き合い、子どものために「地元」をつくり、どこかに根を張って、自分の力で生きてみたい。北海道への卒業旅行を脇目も振らずつくりあげた、高校3年の1年間を超える、ワクワク・ドキドキを日々楽しみたい。

18歳の冬に、間違いなく自分は北海道のファンになった。

今度は大好きなそこを舞台にして、ファンのつくりかたを勉強して、というか楽しんで、ファンを増やしたい。

フェアレディZはゴールデンウィークに手放した。泣いて手放した。

ゲストハウス計画に、いろんなものを集中させないといけないし、ファンとしての熱狂度で比べたら、Zより遥かに「北海道」だった。そこは迷わなかった。

でも、まちでZを見かけたらザワザワする。10年か15年くらい後には、買い戻してやろうと思う。北海道には叶わなくても、ずっとファンでいたい。

ゲストハウスのはじめかた

「ブランドのはじめかた~5つのケースでわかった経営とデザインの幸せな関係」(日経BP社)を読んだ。ブランド論の本は十年ぶりくらい。

筆者は、中川政七商店の中川淳さんと、エイトブランディングデザイナー代表でブランディングデザイナーの西澤明洋さん。

事例研究は、クラフトビールの地位を築いた「COEDO」、nana’s green tea、HASAMI(波佐見焼)、中川政七商店。

なぜ今、ブランドづくりやブランディングが必要なのか。

とくに中小企業(と書いてあったけど、実際は「小規模事業者」のが近いか)の関係者に参考になるようにまとめられてると思う。

 nana~は創業者の強烈な個性を知れて勉強になったし、HASAMIは瀬戸支局に勤務してたころ、長崎の波佐見焼産地まで行って思い入れがあったので楽しく読めた。

でも全体としては、読後感は今ひとつ。

大きな理由は3つ。

▼鼎談形式のところはともかく、筆者が誰なのか分かりにくい

▼2人の筆者が携わった成功事例をいくつか並べ事業内容を紹介しているが、その分▼量が多すぎて、全体として、手前味噌な感じ、楽屋話感が伝わってくる

その上で、こんご参考にしたいことをメモメモ

◆誤ってコンセプトが言語化されていない段階でいきなりデザインに落としこもうとしても、だめ(28ページ)

◆伝えるべきことをきちんと整理してしっかり伝える、ブランディングはそこに尽きますよね(29ページ)

◆社内にいるとわからなくなってしまうもの。だからこそ自分たちの本当の強みを見いだす段階で、外部の人にはいてもらうことが大切(3ページ)

◆ブランドにはチェーン展開に耐えうる明確なアイデンティティが必要(44ページ)

◆自分の子供のように無条件に事業を愛せるか(50ページ)

◆社長の仕事は、新しい価値を生み出すこと(52ページ)

◆敵がいないことが一番ですね(56ページ)

◆本人がやりたいことを素直に引き出すのがブランディングの基本(77ページ)

◆デザイナーが入る前段階、つまり「何のためにどんなブランドをつくるべきか」をきちんと考えること(82ページ)

◆「ブランディング」=「差別化」は「フォーカス」から生まれる(138ページ)

◆ブランディングデザイナーとして、「何をデザインすべきか」という問題もクライアントと一緒に決めていく責任がある(146ページ)

◆(理想とするブランドづくりのプロセス=)リサーチ→プラン→コンセプト→デザイン(147ページ)

◆差別化されたモノをつくるためにはお客様が発する声よりも半歩先にいっている必要がある(149ページ)

◆ブランドはあくまでお客様の頭の中にできるのであり、お客様の頭に届けるにはデザインの力が欠かせない(150ページ)

◆「コードの発見」=「〇〇らしさ」というものをつくっているデザイン的な表現の要素の構造を把握すること(151ページ)

◆「〝やりたいこと〟と〝できること〟を整理し上で〝差別化のポイント〟を見極める」(154ページ)

◆核になる考え方を明確にするため〝言葉として結晶化させてしまう〟 具体的に言うと1センテンス、たった1つの文にまで集約させます。その一言が、開発の方向性を示す軸、つまりはブランドコンセプト。外部にそのコンセプトを説明する際には、言葉不足になる場合もあるので、かみくだいた形で説明した、300~500文字程度のブランドステイトメントを用意するようにします(158ページ)

◆コンセプトを体現しないものは一切おこなってはいけない、という縛り。良かれと思って後から〝あれもこれも付け加えよう〟とでてくるのが常だからです。つくり手の性といってもいい(159ページ)

◆コンセプトからデザインまでのつながりは理詰めだけでは発見できない。クリエイティ・ジャンプと呼ばれる一種の飛躍が必要。最終的にはいくら考えを言葉で表したとしても、その言葉で売れるわけではなく、商品になったときのデザインであったり、キャッチコピーであったり、ネーミングであったりといった感性的な部分がイメージの直接の要因になります(164ページ)

◆ブランドは生き物。「連続性がある」とはつまり、ストーリーとしてその変化を語ることができるとも言い換えられます。人と同じです。私はこういう経験を通して、こういう変化をしてきたのだと。そのストーリー性が納得と共感を生む(196ページ)

◆ポジションを拡大しすぎない。ブランドとしての力がつけばつくほど、商品の幅を広げたくなるものです=「ライン拡大の失敗」(196ページ)

旭川のゲストハウスは、いったいなんなのか、何を目指すのか、何をしたいのか。どう生きたいのか。

を1センテンスで。ここめっちゃ大切なのでとりあえず寝よう

寝かせた本こそ最良の教科書や

f:id:vivahokkaido-specialthanks:20180518000306j:plain

 

移住を考えるようになって、「もっかいちゃんとやろう!」と思ったのは、本を読むこと。

 

7年前に、キャリアコンサルタントの柴田朋子さんにもらった「ペンギン、カフェをつくる」を読み直してみた。

柴田さんは当時は瀬戸市役所前に勤めていて、自分が瀬戸支局を離任するときにいただいた、思い出の1冊

 

オーストラリア生まれのペンギンが、日本でカフェをつくるっていうストーリー仕立て。著者の三谷宏治さんの熱血指導を受けながら、コンセプトを固めていく

 

プロローグから、このペンギンのぼやきにドキッとする。

①「同僚や先輩と話しても、ネタが同じ。中略。。共感は得られても、驚きも新鮮さもない。。これでは私の存在価値がない」⇨そうそう、この感じ!  自分がいまの会社にいなくても、まったく問題ないし、1番イキイキするのはなんだろなーと、ここ数年考えてきたわけで。

 

②「面白いモノって孤独です。みんながそうだと言わないモノだから。

面白いモノって伝えにくいです。みんながいつもは見ていない新しいモノだから。」

うんうん、おもしろいと思ったことを新聞記事で書くのと、ちょっと違う。

 

③やがて、常識離脱のメソッドが語られる

⇨「常識は「非常識」と比べるとわかる」

⇨「カタチ自体ではなく、「誰のなんのためか」を考える」

 

④「他人の視点自分の日常を客観視する」⇨「同じ価値観の人が、同じことを言い合っても、楽しいかもしれませんが新しい価値観は増えません」⇨①におなじ

 

⑤強いつながりは同じ職場や趣味・生活の中で生まれるから、互いにとって目新しい機会は見つからないんだね/何かの内側に入り込みすぎて同質化したくなかった。そうなったら自由な発想なんて、できない。⇨①④に同じ

 

⑥「子どもが自然とやることを観察すれば、ヒトがもつ根源的な欲求が見える」

⇨ほんとその通り   まとまったものを壊したくなるし、高いものには登りたくなるし、床が柔らかければ跳びたくなる。秘密基地をつくってこもりたい。かくれんぼしたい、探し出してほしい。子どもがしたいことは、本当は大人もやりたくてたまらん。ゲストハウスの小屋の一つは「こどもの家」にしたい考えはあったけど、真剣に検討しよう。ベッドのマットレは、里山の木をカンナで削った端材を敷き詰められないかなぁ

 

⑦「カフェにせよ、その企画書にせよ、むりやりその価値や内容を「伝える」のではなく、自然と「伝わる」ようにカタチや仕組みを考えなきゃいけない。熱いだけでは伝わらない、言葉にしづらい価値は伝わりにくい。でも、うまく伝われば、勝手に拡がっていく 」→まさに今の自分。そのための仕掛けを考えないと!

 

 

時間をおいて読んでみると、内容の刺さり方も全然違うんだなー。7年前は、常識にとらわれず発想していくのって大事だなーというくらいにしか思ってなかった気がする。

 

★もっと事例調査をして、誰のなんのための場所なのか、整理しよう

 

★一言でズバリ!ができるかどうか  短いネーミングを考えないと!

 

★あなたは何がやりたいの?  もっと考えないとー

⇨人や暮らしに会うのが目的になるような旅をつくりたい

⇨公共空間を豊かに彩りたい

⇨まざって暮らす、をつくりたい

 

★あなただから、やれること=ならではの価値

⇨普段着の暮らしの良さやコアなローカル資源を編集できる

⇨それを暮らすように過ごしてもらうことで、かんじてもらえる