旭川冬まつりに負けない滑り台を!

旭川冬まつりの紹介記事をフリーライターとして最近書いたのをきっかけに、100mの長さで世界最大級の「ぶんぶんスライダー」が気になっていて。去年は初めて会場に行ったけど、けっこう寒くて滑り台にはあんまり長居しなかったので(笑)、ちゃんと今年は楽しもうと。

(旭川市HPより)

そしてそして、旭川公園の冬支度をどうしようかもずっと頭を悩ませていて、雪も少ないし、どうしようかと。でももう一月だし、冬まつりに負けない滑り台をつくろうと決意するに至った!

もちろん長さではどうしても勝てないので、滑った先に「何か」がある冬の公園にしようと。なんか深そうだし、楽しそうだし。

シンボルである土管もあるので、一つは高いところから滑って、土管にダイブする滑り台。もう一つは、やぐら型遊具「アポロ」に向かう緩やかなやつで、地面には「かまくら」を作ろうかと。かまくら作りは近所の小学生のほうが長けているはずなので、彼ら彼女らに聞いたり、永山の名店「わがままじぃじぃ」に監修してもらったりして。

イベントとか平時でも、子どもたちが旭川公園に来てくれると、自然とソリで遊んでくれるのが嬉しくて、ちゃんとしないといけないなーと新年らしく思いを新たに。完成をお楽しみに!

冬の公園、どうすれば

この前、宿泊いただいたゲストから、面白いことを耳にした。

札幌駅から歩いて10分ほどの場所にお住まいらしいけれど、近くの公園はたいてい、大きなソリ山があって、冬は人気になっているんだとか。米袋とかをお尻に敷いたりして。旭川では見たことないので、「それはいいですねー」とびっくり。普通の公園は雪対策でブランコも外されるし、冬は子どもを遊ばせる場所がないとみなさん困っているくらい。

旭川公園も、雪がたっぷり積もった後はどうすべきか、悩んでいます。

雪と氷の滑り台がいいか、アバウトな形状のソリ山がいいのか。滑り台はよほどちゃんと〝設計〟しないとかっこよくできないだろうし、どういうルートでつなげるのか、景観として美しいのかと未だ踏み切れず(雪が十分にまだなくて試作もできない)。 ソリ山は、ただ雪の山になるだけでは面白くないし、大人側の遊び心も試される・・・。

放課後や休みの日に、近所の小学生の遊び場になっている旭川公園のシンボルである土管についても、放置を決め込んでいたけれど、子どもたちはたまに使ってくれてる。夏も冬も関係ないみたい。なのでこのまま越冬してもらうことにしました。

手探りの、旭川公園はじめての冬が始まった!

動画「旭川公園ゲストハウスができるまで」公開!

ついに動画ができました!

前職の新聞記者時代から温めていた「原点」ともいえる構想から、現地調査、最近の上棟式の様子まで。たっぷり5分ちょい。クラウドファンディングのサイトで、先行公開しました。

https://faavo.jp/hokkaido/project/3809

上野ファーム、わがままじぃじぃ、屯田の里、坂井ファーム、のんの畑北海道、里山部、IKAUSI CLASSの原さん、上森米穀店の鳥越さん、雑貨店「Aujourd’hui」、ラーメン「よし乃」の皆さん、ご近所の皆さま、ご協力ありがとうございました★

旭川公園の周りに、どんな魅力的な方がいて、管理人がなぜここで「公園」をつくるのか。空色デザインの鈴木裕矢さんに撮影・編集してもらい、とってもとっても素敵な映像になりました。

冒頭は早送りしていただいて大丈夫なので、1分33秒くらいから是非ご覧ください‼️  旭川公園の雰囲気がスッと入ってきます‼

那須から仙台経由、陸前高田ゆき

(つづき)

Chus(チャウス)で眼が覚めると、あたりは真っ暗だった昨夜とはまったく違う光景に驚いた。こんなにたくさんのショップが張り付いているなんて! しかもどれも、「丁寧な暮らし」が好きそうなお店ばかり。パッと見る限り11時開店のとこばかりだったので行けそうにはないけど、首都圏からわざわざ足を運ぶお客さんがいるのも頷ける。

憧れの上げ床式の花壇。ゲストハウス「旭川公園」でもいつかやりたい!ハーブとか植えたい!

昨晩も見た、小さな古本屋やさん。夜もいいけど、昼もいい。景色になっている

チャウスだけではない、人気のスコーンショップ「SHOZO」とか秀逸なショップがいくつもあわさって、一つの「景色」になってる。ここの場合はお店だけど、「ここに行けばなんか面白いできそう」と思わせる仕掛けとしては最高なクオリティだなぁと思った。

チェックアウトして、また東北道で仙台へ。ちょうど息継ぎするのに良かったのと、ぜひ見たい公園があったので。

あまりにも当たり前すぎて恐縮しちゃうくらいだけど、東北随一の繁華街・国分町に車を停めて、にぎわっている商店街の一角にある牛タン「利休」でランチ。なんか普通の旅行みたいになってきた。でも安定してうまい。

たくさん頼んで子どもが食べきれず、けっきょく自分がご飯を3杯くらいいただくことになってパンパンにお腹が膨らんだので、小走りで「肴町公園」を目指す。

肴町って、浜松にもあってよく行ったから懐かしいなぁ。ほどなくして到着。観光名所でもなんでもないけど、センス良さげな若い男子2人組や、若い子連れ数組が憩っていた。

実はここ、2016年に コーヒーやお菓子の屋台を並べて、ハンモックも置いて、ブランコのペンキ塗りワークショップもするイベントが開かれまして。代表の本郷さんという有名な方たちが、公園のような自然に人が集まる、セミパブリックな場所をつくろうとコーヒースタンドを作り、その流れでイベントも企画された。ひと気の少ない公共空間を活用しようという、公民連携の分野では知られた取り組み。

百葉箱をつかったライブラリー。子ども向けの本が手に取れる。これはやっぱ楽しい

SENDAI COFFEE STAND さんでコーヒーをいただく。チャイとかお菓子もある

 

で、コーヒーを飲みながら自分たちも一服してみた。百葉箱を使った文庫「フリーライブラリー」で次男が本を読みたがって泣きじゃくって、憩いどころじゃなかったけど。どんどん北上しないといけないので、許しておくれ。

後ろ髪を引かれながら一気に一関市まで東北道でいき、そこから延々と下道を通って、陸前高田に到着。峠を越えて、なかなか疲れる道中だったけど、真っ暗な中にも、この一帯が津波で更地になったことを感じさせるのには十分だった。工事中だと分かる自発光式のコーンに導かれる道路ばかりで、大きな大きな空き地が道の両側に広がっていた。

震災の爪痕は翌日見ることにして、とりあえず今宵の宿「箱根山テラス」へ。暗闇の中、急な山道をのぼってたどり着く、静謐な空間。貸切で、よけいに静かに感じられたのかも。チェックインしてまた車にのってご飯を食べ、きょうは早く寝て疲れを取ることにしようー。

このゲストハウス、この空間で一泊7000円ほど。地元の建設会社社長が、震災の後にエネルギーの循環の大切さを痛感して、「木と人を生かす」をコンセプトに始められた、すごいところ。詳細はまた次回に。                          (つづく)

 

写真の楽しさを思い出す新宿からきりたんぽの四ツ谷まで

開拓の地・北海道へ向かう北上の旅が始まった。

東名の磐田インターから東京方面へ。順調に進んだけど、首都高が大渋滞。自分は11時に新宿で約束があるので、横浜青葉インターで降り、東急田園都市線に乗り換えることに。

待ち合わせ場所は、新宿のリコーイメージングスクエア。

 

1960年代の地方私鉄を撮りためた風間克美さんの写真展の会場になっていて、ここで学生時代にお世話になった名取紀之さんと落ち合い、近くのレストランで近況報告を。名取さんはレイル・マガジン編集部でアルバイトしていた時の編集長で、業界では大変知られた方でいらっしゃる。いまは鉄道図書出版の「OFFICE  NATORI」で仕事をされている。

そこで拝見したのがこの本。名取さんが手がけられた、「C62重連 最後の冬ー「ニセコ」を追った21日間ー」。

国鉄広報部の専属カメラマンだった荒川好夫さんによる記録。1971年の厳冬期、3クール21日間にわたって、函館山線を走った「ニセコ」の勇姿をおさめたもの。

静謐な画面にもSLの生命力が溢れる写真が並び、しばらくページをめくると、時刻とともに「ニセコ」の動きを文章で添える。出庫準備、小樽出発、長万部(おしゃまんべ)到着と要所要所で機関車や機関士、周囲の空気を織り込んでいく。ロードムービーのような仕立てになっていて、生き物かのような蒸機(SL)の鼓動と、それを動かす人たちの動きが、胸に迫ってくる。

この後千葉市に移動。千葉都市モノレールの「千葉公園」からすぐのところにある、「椿森コムナ」(http://tsubakimorikomuna.com/about/)という素敵空間があり、そこを視察するために!

入る時は裏口からになってしまったけど、周りは普通の、けっこう密集した住宅地

面から入ると分かりやすいけど、わが一行は迷ってしまい、裏口から入ることに。所狭しと一軒家やアパート・マンションが建ち並んでいるエリアで、この特殊な空間を見つけたときは、メイがトトロの棲家に迷い込んだ時のようなときめきを覚えるものでありました。

中はとにかくすごいクオリティの構造物がならんでいた。ツリーハウスも登るたびに大きく太い幹に触れるし、建てつけがしっかりしていて、急階段だけ注意すれば安心して子どもを遊ばせられる。ハンモックも上質で、ドリンクスタンドやトイレの小屋もしゃれてる!

コムナとは、エスペラント語で「共有」を意味するらしい。プロデュースしたのは、グッドデザイン賞に何度も輝いている地元の住宅設計会社で、米・ポートランドのまちづくりを参考にして空間をつくったとのこと。住宅街に残った小さな森をいかし、廃屋とか建築現場の残材も組み合わせて、みんなが集えるコミュニティをつくった。すてき!

気持ちが満たされたあとは、東京・四ツ谷の秋田料理屋「太平山酒蔵」で晩ごはん。学生時代からかれこれ15年弱通っていて、社長の高橋ご夫妻に退職と移住のご報告を。今日もおいしいきりたんぽ鍋と、セリのお浸しと、稲庭うどんなどなどでした。

長い1日。文章もダラダラ長く、すみません。。(つづく)

旭川大学に初上陸!可能性しか感じない

(つづき)

ゲストハウス「旭川公園」の予定地から歩いて5分とかからない場所にある、旭川大学。初めて構内に入った。

先生方とのアポまで40分あったので、気になっていた、国道を挟んで向かい側の定食屋さんっぽいお店へチェックイン。腹が減っては、なので。「三幸食堂」というらしい。

店内には、大学関係者っぽい人と、学生っぽい人。地域経済誌がたくさん置かれ、テレビがけっこうな存在感を放っている、よくある感じの雰囲気。メニューの一番上に出ていた、野菜みそラーメン680円を注文する。

野菜みそラーメン

みそのスープは甘みがあって美味しい。のれんには製麺所の名前もあって、ここで作っているのか、懇意にしているのかよく分からないけど、麺とのマッチングはもっと欲しいと思った。まぁラーメンは好みなもんで。店の奥さんがめっちゃ声に力とボリュームがあって、耳に残った。

満腹になったところで大学に戻り、子どもの居場所づくりや支援、プレーパーク(子どもたちが自発的に遊びを展開できるような場)づくりを実践されている清水冬樹先生といろいろご相談。「旭川公園」の計画をお伝えし、どういうことができるのかアイデア出しをしたり、お願いをしたり。いろんな可能性があると分かって、めっちゃワクワク! 「永山(この辺りの地区名)にはコミュニティがなくて 先生や学生さんの力を借りて、他にない「場(コミュニティ)」をつくりたい。そして学生さんが社会に出る前に、「これは」と思える経験(できれば成功体験)を提供できれば嬉しい。

そのあと、子どもたちに木や森に親しんでもらい、関わりを考えるような「木育」を研究している横田宏樹先生も合流していただき、「旭川公園」予定地へ向かった。

国道を挟んで、ほんとすぐだけど、お二人ともこんな近くにこんな空き地があることに驚いていらっしゃい、ロケーションには好反応をいただいた(はず)。現場を見て、いろんなことを妄想。めっちゃたのしいわー。

そのあとは大学に戻って、横田先生の秘密基地を見学。自他共に認める「木こりの経済学者」として、図書館に置くイス(テーブルにもなる)を地元の材と人財を使ったり、学祭で「木育カフェ」を開いたりしていらっしゃる。

そのものを撮るのは忘れてしまったけど、自主的に制作された図書館のイス・テーブルに付けられたラベル

いろんな樹種の木々が置かれる秘密基地

林業絡みで、ここまで現場に入って自ら手を動かして、っていう先生も珍しいと思う。10月からは母校の静岡大に籍が移り、週の半分ずつ行ったり来たりの生活を送られるという。静岡とのつながりを生かした活動もされる予定だし、浜松から移住する自分としても勝手にニヤニヤしているのであります。

自分は大学を失礼してまた予定地に戻り、UQから借りているWi-Fiルーターがちゃんと機能するかを確認。うん、大丈夫そう。Wi-Fi環境の整備はもはやマストなので、しっかりと、抜け目なく。実り多い現地入りだなー。       (つづく)

公園ざんまいの東京さんぽ

ビジネスコンテストでのプレゼンに先立ち、18日には東京・八王子でコンテナハウスの打ち合わせ。日程すり合わせに1ヶ月かかり、やっとの思いで行ったのに、あちらからの提案という意味での進展はなにもなく。さすがに社長さんが「せっかく来ていただいたのに、今日は設計を交えて詰めるべきだった。ちゃんと報告しろ」と指導してくれたので、若干スッキリしたけど、打ち合わせを何のためにやるのか、どこまで進めるのかがはっきりしてなくて、これまで時間だけが流れていく感じだった。ずっとモヤモヤ。こっちの考えもきちんと共有されていないようで、「今さら」の事ばかり聞かれる。こういうのってやっぱりあるんだなあ。とにかく住宅の遅れを取り戻さないと、もうちょっとで雪が降り始めるし、春まで仮住まいのアパートにいなくちゃなんない。

こんな状況なので、社長さんの指示で今回は高尾駅まで送ってくれ、次回は一週間後の25日に、浜松まで来てくれることになった。異例の対応。また東京まで無駄足を運ぶことはなくなったけど、月単位の遅れはキツい。

午後は気を取り直して都心部に向かった。高尾から初めて京王線で。JRより200円弱安くて360円で新宿まで行けた。これはデカい。学生時代に行った立ち食い寿司(600円のランチ+コハダ)を食べて、中古カメラ市場っていうディープなカメラ屋を覗いて、池袋。慶応大の鉄研(鉄道研究会)OBの方々が、「冬の北海道」をテーマに写真展をされていたので、拝見。

1970年代にやった写真展をもう一度開いたとか。かっこいいな、そういうの。単なる回顧とかじゃなくて、今の北海道の鉄道と当時のを比べてみることはできて楽しい。蒸機(SL)って生き物なんだよなーって再認識したり。比布とか旭川とか、ゲストハウス 予定地の近くで撮られた写真もあった。ひさしぶりに写欲をそそられる。あっちに引っ越したら、できるだけ毎日写真を撮ろう。

そこから、歩いてすぐの「南池袋公園」に急ぎ足で。公民連携の分野ではめちゃくちゃ有名な公園で、ビルに囲まれた場所で、エアポケットのような空気感があった。 よく本とかで紹介されているまんまの、心地よい光景。無料で貸し出されてるゴザを敷いて、ゴロゴロ、おしゃべりや昼寝やら。いいなぁ。親子連れは滑り台みたいなエリアでも遊んでるし、カフェでシードル飲んでるお兄さんもハマってる。

ここには絶景があるわけじゃないし、特段緑が多いわけではない。みんな何を求めてきてるんだろと考えたら、この場の空気に他ならないんだろなーと。弱い、緩やかにつながってる感じなのかもしれないし。 そんでもって、他の人が楽しそうに寛いでるのを見るのって、すごく幸せな気分になれるなーと再認識。「旭川公園」でも生かしてこ。

次の目的地は、池袋からメトロ丸の内線で向かった銀座。9番出口直結の「銀座ソニーパーク」を見学。改札を降りてすぐの所からパークエリアで、ローラースケートのリンクがあった。地上フロアに上がると、そこは数寄屋橋交差点に面した空間が。いろんな大きい植物が、デザインされるように配置されていて、スマホを向ける人多数。公園らしく、足を伸ばしてくつろぐおじさんも。企業や個人が、公園を開く時代の象徴のような場所だった。どんだけ金かかってんだろ。ソニーも再建ができてきたってことなのかなー。

続いて表参道。電通のコピーライター・阿部広太郎氏とお茶。博報堂のインターンで一緒になり、今や雲の上のような存在だけど、ずっと刺激になっている。近況報告や、いま世の中がどんな感じになっているのか、これからどうなるんやろーとか。知的興奮! こんごのコミュニティーづくりですっごくいいヒントをもらえたわ。超多忙なとこありがと!

夜は大学の広告の講義でお世話になった、博報堂出身で今は大学で教えている池田諸苗さん、その講義で知り合った栗田宏美さんと、代々木上原で焼き鳥会。楽しすぎて、別れぎわに改札口で通りがかりの人に無理やり記念写真を頼んでしまった。気持ちよすぎて目をつぶっちゃった。

宿は馬喰町(東日本橋)だけど、寝過ごして戻るための終電を逃し、タクシーで2300円もかかってしまった。宿代と同額じゃん。東京ってこわい。ウカウカ寝てられない。

(つづく)

行きたい公園、行かない公園

浜松でも公園がアツくなりそう。

25日(日)は一仕事してから、待ちに待ったトークイベントへ。会場は、浜松のアート系の拠点になっている鴨江アートセンター。旭川公園グループの松島弘幸さんが、浜松城公園で4年以上、「タタズミcoffee」をされている立場からマイクを握るときた。テーマは「行きたい公園、行かない公園」とちょっと刺激的。

松島さんからは、国内外の公園の好例や制度的なこと、市のお財布事情が厳しくなってきていて公共施設の管理に影響を及ぼしつつあることの説明があった。「公園は誰のものか」、「どんな公園なら行きたいか」を、投げかけながら。

参加者からは、特定の遊びをする遊具を置かず子どもの自主性に任せる「プレーパーク」が広がってるのよ、っていう話題提供あり、田舎には立派な遊具があるだけで子どもは嬉しいもんだよ、っていう視点提供あり。浜松は、まちなかに歩いて座れる場所がないよねっていう問題提起もこれあり。公園管理をしている人、デザインを勉強している人、一利用者。いろんな立場から公園とか公共空間への思いがでてきて、めちゃ楽しい。

あるアーティストからは、こんな至言が。「公園に行った人が何をやっているか、どんな風景があるか。子どもが遊んでいたり、憩っていたり。楽しんでいるのを見て楽しむというのはあると思う。地元の人に愛されるっていうのは、外から見ても楽しい。海外に行った時とか、サンドイッチどこで食べようかと公園に行くけど、観光客目当ての公園ではなくて、みんなで太極拳やってるとか地元の人がいるのがいい」。完全同意。

松島さんの話で「そういえば」って思ったのは、2017年4月に浜松城公園で浜松PPPデザインがやった、防災イベントがお会いするきっかけだったってこと。ということは、旭山公園の原点は浜松なんだなー。そしてタタズミの向かいにあるチェーン店と違って時間をかけてお客さんに向き合っている松島さんのスタイルが、コミュニティーをつくるという点で自分のやりたいことと一緒だという点(おこがましくて、すみません)。

そして自分にとっての「いい公園」っていうのは、世代や障害の有無を超えてみんながたたずみ、遊べる空間なんだ、とあらためて思えた。そんで、ドラえもんに出てくるような、土管が似合う空き地を、より使いやすくして緩やかな繋がりが生まれる公園にするんだな、とイメージがより鮮明になった。来て良かった~

このイベントを企画した指定管理者の担当者は「公共空間を自分のものとしてどう使うか」「どう使うかは皆さん次第」とおっしゃっていた。ほんとそう。公園を公共空間の一つとして考えるのは、縮小時代、パブリックにどう向き合うかにつながる、実はめちゃ大事なはなし。

雑誌とかで公園特集が組まれて公園がアツい感じながら、県外のケースがほとんど。でもこれからは身近なとこから公共空間を考えていく流れがどんどん出てくると楽しいし、行政も市民がもっともっと意識を向ける仕掛けをつくってほしいー。

とりあえず自分は、旭川にちゃちゃっと移住して公園ゲストハウスを丁寧に拓いていくしかない。

「旭川公園」のシンボル遊具の方向性が決定!

8月22日(水)は、泊まった妻の実家(愛知県瀬戸市)を早朝に出て鈍行列車で浜松に戻り、普通に仕事。夜は秘密基地みたいなところで打ち合わせ!わくわく

会場は、浜北区のコインランドリーにほど近い、とある工場(こうば)

おなじみの鈴木裕矢さん、松島弘幸さん、松本憲さんと、オブザーバー(?)に世界で一番洗濯したくなる小屋を置く予定のランドリーをそばで経営してる細田尚弘さん。

旭川訪問の結果を報告。平面の図面では法的に問題なかったこと、細かい注意点、共同スペースの厨房を大きくするかもしれないこと、暖房の検討とか、もろもろ報告して、今後のスケジュールややるべき事を共有。

現地では冬の集客の厳しさについてあらためて指摘を受けたけど、「本州の人が楽しめるコンテンツは絶対ある」という認識で一致。松島さんからは、星野リゾートが青森でやってる宿で、冬の集客が課題になっていて、温泉に氷瀑をつくることでお客を引き寄せたことを教えてもらう。奥入瀬渓流のホテルのはずだけど、その着眼点と実現に向けた努力量がすごいわ。

ゲストハウス「旭川公園」(仮)でも冬は厳しい。でも全国で唯一毎日運転されるラッセル車を撮影しにくる人へのアピールや、近くの比布町のスキー場で合宿する人へのアピール、地域の自主除排雪活動への参加とか、犬ぞりへの送客とか、やってみたいことは雪山のようにある。

憲さんからは、広場部分に置くシンボリックな木製ジャングルジムについて、「なんかしっくりこない」と意見が。周りの建物の世界観と、なんとなく合わない。自分も一緒だったので、じゃあ何がいいか、どんな機能を持たせるのかと、ああでもない、こうでもない、と考える。

左から鈴木さん、松島さん、憲さん、細田さん。鈴木さんはこの写真のブログ掲載許可を請うと、「僕は水虫じゃないってことを書いてくれたら」。水虫ではないです

こっからこのメンバーがすごいのは、「なんで『公園』にしたんだっけ」と原点に立ち帰り、そのイメージを基にすぐ次のアイデアが浮かぶこと。で、アイコン(シンボル)がほどなく決定。憲さんがおもむろに絵を描き始める。遊び方を定めないいろんな遊具や、商品(?)への展開とか、妄想を膨らませてあっという間に2時間がたった。

すごくすっきり。いい公園になりそうだわ。

やっぱり熱海に「奇跡」があった

5日近くブログ更新が滞ってしまい自己嫌悪。ちゃんと習慣をつけないかんのでプレッシャーかけるのは大事だけど、苦痛になってはいけないので、めげずにいこう。うん。

8月18日(土)は掛川駅前の軽トラ市に行って「麹のミルク割り」を買って、近くの製茶会社がやってる「きみくら」で翌日からの旭川行きのお土産を購入。きみくらはしょっちゅう行って新鮮さがないので、ほぼ隣にある「ラーメンショップ」に初チャレンジ。「塩コリコリのり」みたいな一風変わったのを頼んだけど、岩のりが入っていたのは確認できたものの、なにがコリコリなのか分からずじまい。商品説明を見ても書いてなかったので、消化不良感。味は、、、うん。

掛川をお暇して、いつもは浜松方面に帰るところだけど、今日はやる気を出して熱海に向かった。150キロくらいあるんだよね。でもいかなきゃならぬ理由がこれあり。

ちょうどこの前の日、毎日新聞にこんな記事が出ていて。

公園ゲストハウスをつくる人間としては、見ないわけにはいかないと。18日までの3日間限定だし、ちょっとでも早く「熱海の奇跡」を見てみたかったし。

ひたすら東名高速を走って、沼津インターから下道を走りまくり、けっこうな峠を越えて、熱海の温泉街たどり着いた。

まず人の多さにびっくり。「昔はよかったけど、いまは寂れすぎて・・・」というのがかつての熱海イメージだったけど、老若男女、とくに若い人が商店街をゾロゾロ歩いてる! 歩道が狭いし、よけいに活気を感じさせる。お店がいっぱいあって、色彩がほんとうに豊かな感じで。あー、いいスパイラルが、なんかおもしろそうなことをやるぞ!っていう空気が流れてるんだなー。あー、昔の温泉街ってこんな風に賑わっていたのかなーと想像してしまった。

今や有名になった「熱海プリン」は外までレジ待ちのお客さんがいるし、干物屋さんもなんだか楽しげで、ふらりと入りたくなる。そしてその向かいには、

ゲストハウスMARUYA

商店街に溶け込んでいるMARUYA!

ビール片手に魚の干物食べたい!

いまや全国的な有名ゲストハウスだけど、めっちゃまちに開かれている。干物とビールを売っていて、なんかすごい羨ましい空気感。日本じゃないみたいな、いい時間が流れてた。飲めるスタンドもある。泊まれなくても楽しめるけど、「泊まると熱海がくせになる」のキャッチコピー通りだわ。

毎日新聞の記事に出てた公園は、MARUYAさんのお隣だった。向かいのお店で売っているアイスが食べられる「モバイルキヨスク」、ベンチ、子ども用のトンネル。歩く人がたくさんいるので、こういう空間って貴重だわ。

ほっこりして写真撮ったりしてると、この公園で、「熱海の奇跡」の著者で熱海再生の仕掛け人、市来広一郎さんを発見! 生で拝見できるなんて、なんと運命的な!と勝手に思い込み、「市来さんですか?」と声かけを決行。気さくにお話ししてくだり、旭川でゲストハウスをつくることもお伝えしてしまった。

熱海には15分しかいられなかったけど、ほんと来てよかったー。どうしようか悩んだら行動あるのみ。

夜は三重県から会社の先輩・後輩が浜松に駆けつけてくれ、たのしい宴。いまは立場も勤務地もいろいろ、考えもいろいろだけど、かつて同じグループでけっこうなエネルギーを注いで取材をしていた間柄。こうしてまた集まってもらえるのって不思議な感じがするけど、とにかく落ち着く。一緒に乗り越えてきたことを思い出して、パワーがでた。今の会社にいたからこそ今の価値観ができたわけで、皆さんとのご縁に感謝するほかない。

別れ際。「がんばって」と握手を交わした、その力の強さを忘れないでいよう。